戦に勝っても、王は笑わぬ。家臣が死んでも、王は泣かぬ。
それどころか裏切っても、王は怒らぬ。
──王は、人の心が分からぬ。
側近の誰かがそう洩らした言葉を、ベディヴィエールは苦々しい思いで聞いた。
そう、確かに彼が使える王は一度も笑顔を見せた事がなかった。勝つ為の必要最低限の犠牲を自ら切り捨て、立ちはだかる者全てを悉く殺し尽くす。そこに、人の感情など入る余地がなかったのである。
ならば、と。ならば、戦の無い時は、つかの間の平時は、例えば夜、寝室で体を休める一時でいい。王の責務から離れるその一瞬、笑顔などとは言わない、安らいだ王の顔を見たいと思った。
だが、その思いはベディヴィエールが側近となり、最も王の身近で仕えるようになってからも叶えられない。王は何時いかなる時でも王であり、王以外の何者でもなかった。
ならば、王とは何なのだろうか。確かに王の力により国も人も救われよう。では、王は何に救われれば良いのか。
それは彼の怒りであり、願いであり、祈りであった。
あれは、何度目の戦であったか。
戦場で、慌しく食事の準備がされている。敵陣は目前。食事も睡眠も摂る暇さえ惜しまれたが、これまでの道のりも強行軍であり、兵の疲労も限界であった。あちこちに、肉を焼く香ばしい匂いがたちこめる。
ベディヴィエールはいつものように毒見を済ませた食事を王の元に運んだ。王は頷き、黙々とその食事を口に運ぶ。
──ああ、まただ。また王はあの顔をされる。
近衛になってから気付いたのだが、王は食事時、たまに不思議な表情をする。『不思議な表情』とは多分にベディヴィエールの主観の入った感想であり、客観的に言うと変な顔をしていた。感情が篭っている、というのではないが、見る者を不安にさせる表情ではあった。
「……王、何か?」
「いや、何でもない」
何度か繰り返された問答。だが、ベディヴィエールはその先が知りたかった。思えば、王があの顔をするのは戦の時に多い。妖精の加護を受けたあの体は、実は食事を必要としないのではないか。ならば、食事に時間を労する事に苛立ちを感じているとか。
「皆も少しは物を口に入れた事でしょうから、今すぐにでも食事を終えて敵陣に攻め込んでも支障は無いのでは」
「ベディヴィエール」一瞬、殺されるかと思った。
「二度と、そのような事を口にするでない」
「は──はっ 申し訳ございません!」
うわー、めちゃめちゃ怒られてるー。
ベディヴィエールは恐怖と混乱でただただ平伏するしかなかった。
それから幾年月、十年に渡った王の、長い戦いは終わる。
「───泉に剣を投げ入れてまいりました。剣は泉の婦人の手に、確かに」
二度の躊躇の後、ついにベディヴィエールは王の象徴たる黄金の剣を妖精の御許に委ねた。
長い長い夢の果てに目覚めたような、ひどく穏やかな表情。
「……そうか。ならば胸を張るがよい。そなたは、そなたの王の命を守ったのだ」
静かに、頷く。
王のその顔は、ベディヴィエールが心の底から願ってやまないものだった。
「───すまないな、ベディヴィエール。
今度の眠りは、少し、永く──ぶり大根、を」
ゆっくりと眠るように、王はその瞳を閉じる。
ベディヴィエールは、王の最後の言葉をかみ締めるように、誇らしげに彼の王を見守り続けた。
ブリダイコンなるものが何かは知らないが、それを王に授けてくれたどこかの誰かに感謝を。
そうして、後に伝説に謳われる騎士王は、実はおいしいもの好きの食いしん坊である事を誰にも悟られる事なく、その生涯に幕を降ろしたのである。