衛宮切嗣は最強のマスターである。
魔術回路の多さが魔術師の質であるならば、彼よりも優れた者はいた。
魔術刻印の複雑さが魔術師の格であるならば、彼は最下級であったかもしれない。
だが、こと魔術師同士の殺し合いにおいて彼に勝る者は、ついにただの一人も存在しなかった。
「く──っ!」
敵の一撃により、セイバーは水上から弾き飛ばされた。
マスターの魔力を吸い尽くしてなお狂い、敵──バーサーカーは咆哮をあげる。水上の戦いではセイバーはその速度を活かしきれず、狂化し爆発的な力で押すバーサーカーに僅かながら遅れをとっている。
セイバーはそのまま頭上の橋の欄干近くまで達していた。バーサーカーの力だけではない。打撃の瞬間にセイバーも後方に飛び、威力を相殺したのだ。一瞬の停止の後、体が自由落下に入る。
このまま持久戦に持ち込んでも、やがてバーサーカーは魔力を使い果たし、自滅するだろう。だが、それまでこの身が持つかは定かではない。
ならば方法は一つ。宝具を使い、一撃で勝負をつける──!
だが、敵とてむざむざ宝具を使わせまい。必要なのは、一瞬の隙。
そして、サーヴァント相手にその隙を作れるのが、彼女のマスターであった。落下してくるセイバーを追撃せんと睨むバーサーカーの眼球に弾丸が撃ち込まれる。だが、魔力の込められていないそれは、サーヴァントを傷つける事はできない。
それで充分だった。魔力を込めなかったのは、バーサーカーに察知されずに不意打ちをする、その為の策だ。もとより有効な打撃などあてにしていない。
怒りにまかせたバーサーカーの怪物じみた──否、真に怪物の一撃が切嗣を襲う。人間を容易く四散させる威力のそれを、切嗣は右半身を犠牲にして、致命傷寸前で耐えた。死んでいないのならば、聖剣の鞘が持ち主を殺さない。
そして、衛宮切嗣という男は、敵に殴り飛ばされる所まで読んでいた。弾丸のように川原に飛ばされながら、自らのサーヴァントに「──撃て」と命じる。その言葉は伝わらなかったが、意思は通じた。
切嗣が作った一瞬の、だが致命的な隙に、セイバーは聖剣の封印を開放する。水面に激突する寸前で解き放たれた風は、まるで爆発を起こしたかのように川の水を吹き飛ばし、セイバーに川底という足場を提供した。水飛沫で標的を見失ったバーサーカーに一足で踏み込み、黄金の剣に魔力を込め、その真名を紡ぐ。
「──約束された 、勝利の剣 ──!」
地上に落ちた太陽とでも言うべき光の奔流が、バーサーカーを薙ぎ払った。一瞬にして川を干上がらせ、バーサーカーを蒸発させてなお有り余る威力をもつその一撃は、射線上に停泊してあった船を完膚なきまでに破壊して、ようやくその牙を納めた。切嗣は痛む体をひきずり標的を捜す。
……居た。魔力を吸い尽くされ、忘我状態の男。バーサーカーのマスターだ。サーヴァントを失い、魔力は底を尽き、異国の地では聖杯戦争の終結までに完全に復帰する事は難しいだろう。つまりは、既に放っておいても無害な存在だ。
その男を、切嗣は躊躇う事無く撃ち殺した。
「あの船の持ち主には悪いことをしました」
「まぁ、大丈夫だろう。『原因不明の事故』なんだし、保険がおりると思う」
明け方近くになって、切嗣がこの街で買った屋敷にたどり着いた。急場しのぎではあるが結界の張ってある自らの本拠地に帰って来た安堵感からか、そんな会話をかわす。
「それで、魔力の方は?」
「はい、やはり宝具の使用でかなり。切嗣から提供していただいたとしても、万全の状態になるには2〜3日必要かと思われます」
切嗣が僅かに顔をしかめる。彼は、無駄な犠牲を出さない為に、必要最低限の犠牲を用意して速やかにこの聖杯戦争を勝ち残ってきた。ここで数日間のロスは痛いが、無理に戦ってこの土地の管理人である遠坂の当主や、言峰綺礼というあの男と不利な条件で戦うのはまずい。
「じゃあ、僕は少し寝る。君も待機していてくれ」
「はい──あ」
あ? と訝しげにセイバーを見た途端。くきゅるるるるー
お腹が鳴った。赤面してうつむくセイバーなぞ、切嗣は初めて見た。
「セイバー? 君は確か、食事は要らないとか──」
「いえっ ふ、普段なら必要ないのですが、今日の様に魔力を一時的に大量に消費した場合、食事や睡眠などの副次的な補給手段をですね、き、聞いてますか切嗣!?」
言い訳にしか聞こえないが、とりあえずは真っ当な理由に、切嗣は苦笑を洩らした。それで魔力が回復するに越したことはないし、何より腹をすかせた女の子をそのままにしておく訳にもいくまい。
「丁度僕もお腹がすいたし、カップ麺でも作ろう」
「カップメン……ですか?」
とりあえず居間でちょこんと座っていたセイバーの前に、台所から湯気の出ている容器を持ってくる切嗣。紙製らしいその容器の中には、スープと面が入っていた。なるほど、カップ麺。
2度の失敗の後にきれいに割り箸を割り、短刀を逆手に握るような箸の持ち方で麺を掬い、口に運ぶ。
「あち」
少し舌を火傷した。まぁ、その程度なら瞬時に回復するが。便利だ。
何度か息を吹きかけてさまし、切嗣がずるずる食べてるのを見て少し品が無いなと思いながらも、それを真似て、ちゅるちゅると麺を啜った。セイバーが生きていた頃には当然なかった旨味調味料の味が口に広がり、嚥下すると体の中から温かくなる。
ほぅ、と息をついた。
「……やはり、食事というのは良いものですね」
「なんだ、そんなに喜ぶんだったらもっと早くご馳走しておけば良かった」
久し振りに団欒めいたものを体験したからか、切嗣の顔にも笑みが浮かぶ。こうして、彼らの夜食は概ね楽しく過ぎていった。で、2日後。
「…………」
セイバーは目の前の食事に複雑な表情をする。
「…………切嗣」
「なんだい?」
「また、カップ麺ですか」
またというか、いつでもカップ麺だった。6食連続。しかも、ケースで買ってあった為に全部同じ味である。
「じゃあ聞くが、セイバー。君は料理ができるかい?」
「……いえ」
「僕でもできない」嫌な沈黙。
「それはそうと、次の相手を見つけた。準備は終わっているから、明日戦おうと思う」
「わかりました」
戦いの話になれば、お互い表情が引き締まる。その為に切嗣はこの街にやって来たのだし、セイバーは召喚されたのだから。
──だが。
この、なんとなく釈然としない気持ちは何か。6……いや、あれから2つ記録が伸びて8連続カップ麺がいけないのか。
戦いを前に、セイバーの食に対する欲求はどっちかというと以前より増していた。特に意味もなく居間と台所のあたりをうろうろする。特に意味もなく台所のテーブルの上に包みを発見し、特に意味もなく中身が何なのか確認した。
「……おまんじゅう」
そう書いてある。触ってみると柔らかい。食べ物である事は、この屋敷にちょくちょくやってくる少女が切嗣と一緒に食べていた事から知っていた。
ごくり。
喉が鳴った。
きょろきょろと辺りを見回し、そっと一つ手にとって、ぱくり。
「……甘い」
中に入っている餡の程よい甘さが、なんだか幸せな気分にさせてくれる。これを私に食べさせてくれないあたり、切嗣は途方も無く陰険なのではないかと思う。
「…………伝説の騎士王がつまみ食いか」
「んぐっ!?」
喉につまった。幾多の戦を勝ち抜いてきたセイバーが、こんな所で大ぴんちである。切嗣が汲んできてくれた水を飲み干し、絶体絶命の危機を回避した。
「ふぅ……って、あ、いえ、これはですね」
切嗣は、息をつく間もなく弁明するセイバーを手で制した。
「いや、これは僕の責任でもある。君がそんなに食いしん坊万歳だとは知らなかった」
「なっ」
「明日からは違うメニューを用意しよう。こんな事でサーヴァントと敵対関係になってもつまらない」
「……食事の問題で敵対するような事はありませんが、その提案は喜んで」
そう言って、微笑みを見せるセイバー。
しかし。
その次の日のメニューが別の味のカップ麺である事を。
聖杯戦争が終わる頃には、近所のコンビニのカップ麺を全種制覇してしまう事を。
直感A判定のセイバーでも予知する事はできなかった。