原因は、2日前にさかのぼる。
「そなた、自分の腕を過信していないか?」
「機動性を犠牲にすると、かえって被弾しやすくなるんだよ」
その日、舞と厚志は珍しく意見を違えていた。複座型の装備についてである。展開式増加装甲を装備して防御力をあげるか、装備せずに機動力を取るか。
2人の意見は真っ二つに割れた。
おかげで、ハンガーはどしゃぶりの雨の降る外よりも居心地の悪い場所になっていた。壬生屋も滝川もよりつこうとしない。
仲裁に入ったヨーコも困惑顔だった。
「2人とも、落ちついて下サイ」
「私は冷静だ」
「興奮してなんかいないよ」
こんな状態がかれこれ2時間続いている。どちらの言い分も間違っていないだけに、収拾がつかない。
さしものヨーコさんも、匙を投げかけていた。意外と頑固な厚志も、意外でもなんでもなく自分を曲げない舞も、いつまでたっても一歩も引かないだろう。
「うーン……、ここはやハりメインパイロットの意見に従ってミてはどうでショウ? 芝村サン」
それを聞いた舞の顔が一瞬怒りに歪み、次いで悲しそうな表情になり、そしてまた怒り顔になった。
自分の感情をコントロールできるほど、彼女はまだ大人ではない。
「……ならば、好きにするがいい」
踵をかえすと、声をかけようとした厚志を背中で拒絶して、舞はハンガーから出ていった。
取り残された厚志とヨーコは、しばらくの間無言で立っていた。
「芝村サンもきっと分かってくれマスよ。武装変更、はじめまショウか」
「……うん」結局この日、舞は帰ってこなかった。
予兆は、翌日すでにあった。
いつも通り教室に入ってきた舞を見て、厚志の表情が曇る。
「……やっぱり、怒ってる」
「さすがだな。俺にはいつもと変わらんように見えるがね」
瀬戸口とひそひそ話をしている厚志に一瞥もくれず、舞は自分の席についた。厚志の方から声をかける隙すら与えない。
「殺気だけは伝わってくるな」
「授業、さぼっちゃおうかなぁ」
そう呟いた途端、本田が教室に入ってきた。
「日頃の行いだな。ご愁傷様」
瀬戸口に肩を叩かれ、ため息をつきながら厚志は自分の席に戻った。
背後からの視線が痛い。これがこれから半日間続くと思うと、気が滅入る。だが、意外なことにその痛い視線は、3時間目を過ぎたあたりから無くなっていた。恐る恐る後ろを見てみると、舞は教科書を盾にして机につっぷしている。
微かな寝息を聞いて、厚志はとりあえず安心した。
「……あ、つし…」
そんな寝言にくすぐったい気分になる。
「……の、馬鹿者ーッ!!」教室中に響きわたった。
忍び笑いが聞こえる。本田は爆笑していた。
「舞、舞ったら」
「……にょ?」
「にょって何さ?」
目を覚ました舞は、ゆっくりと周囲を見まわして、現在の状況を確認し、そして赤面した。
「芝村ぁ、次に眠ったら廊下に立たせるからなー」
本田の言葉にますます顔を赤くしてそっぽを向く。
「寝不足?」
「う、うるさい。そなたには関係ない」
恥ずかしくても、怒りは消えていなかったようだった。
厚志は、これから数日間の気まずい雰囲気を覚悟して、もう一度大きなため息をついた。
そして、今日に至る。
通過点に居たゴブリンリーダーを一刀のもとに切り伏せながら、士魂号複座型が大きく跳躍する。
それを補足した幻獣の弾幕が、複座型の着地地点の左右のビルに無数の穴を穿つ。舞い落ちるガラスの破片が陽光を跳ね返して、場違いな美しさを演出する。
一瞬の空白。だが、その一瞬で充分だった。頭部のレーダーが攻撃範囲内の全ての敵を補足する。複座型はミサイルを発射するために前かがみの姿勢をとった。だが、ミサイルは発射されなかった。
「舞!?」
パイロットの動揺が士魂号の動揺となり、その挙動にわずかな隙が出来た。
たちまち集中砲火の洗礼を受ける。
装甲が弾けとび、白い血をばらまきながらその場を離脱する複座型。
跳躍して姿勢制御のままならない複座型に、狙いすましたかのような生体ミサイルが正面から迫る。
「っそお!!」
普段ならそんなことを決して叫ばない厚志が、叫んだ。
左腕でコクピットをかばいながら、右手でミサイルを叩き落す。
爆発。致命傷に至らなかったのは、ただ単に運が良かっただけだ。
受身もとれないまま道路に落下した複座型が、アスファルトの上で大きくバウンドする。左手に装備していた超硬度大太刀が、鈍い音を立てて数メートル先に転がるのが見えた。
降り注ぐレーザーの雨。
使い物にならなくなっていた右腕が完全に引き千切られた。右腕だった物は、すぐにレーザーの熱で溶解し、原型を留めなくなる。逃げなければ、次は機体が丸ごとそうなる番だ。
攻撃がやんだ一瞬に、複座型が飛び起きる。普通の機体ではとても出来ない芸当だった。この機体だからこそ、厚志と舞が整備し続けた機体だからこその機動。
道路標識を引き抜いて、周囲に居たヒトウバンを薙ぎ払いながら、ビルの影に隠れる。時間にしてわずか数分足らずの出来事であったが、その間に厚志は体中に玉の汗を浮かべていた。久しぶりに味わった絶対的な死神の手招きに顔面は蒼白になり、歯の根が合わない。
心臓が恐怖で破裂しそうだった。「……ぐっ」
厚志の背後で、舞がくぐもった声をあげた。
そして、胃の内容物を逆流させる。
「ま、舞っ!?」
バイザーをあげられないのがもどかしい。今士魂号との接続を切ればそれは即、死に繋がる。
「……すまなかった、大丈夫だ。ミサイルの発射ポイントを再検出する」
「大丈夫なわけないだろっ!」
大きく咳き込む舞。姿は見えなくても、舞が危険な状態にあるのは分かりきっている。
「たわけ。この程度で戦闘を放棄してどうする」
『まいちゃんのせーたいモニターがまっかなの!』
「黙るがいい!」
通信機から聞こえてきたののみの声に怒鳴り返す。
『あなたこそおだまりなさい!』
壬生屋の声だった。
『あなたは侍なのでしょう!? 侍がそんな無様な死に方をして良いと思っているのですか!』
『まったくだぜ』
滝川だった。
『お前らがいなくたって、俺たちだけで持ちこたえて見せらぁ。安心して逃げ帰れよ』
「だまれ……ぐっ」
『命令です。撤退しなさい』
善行の声を聞く前に、複座型は転進していた。
機体を大きく揺らさないように細心の注意を払いながら、出来る限りの全速力で戦場を離れた。
「馬鹿者、馬鹿者ッ!」
「後でいくらでも謝るから、今はじっとしてて!」
輸送車が見えた。その前に滑り込むようにしてたどり着く複座型。
士魂号が発する熱にひるむ事なく、次々と整備班の面々が機体に貼りつく。舞は、自力でコクピットから出られない程衰弱していた。駆けつけた指揮車から飛び降りた萌が、手早く抗生物質を投与する。
「……これ以上の、戦闘……は、無理、だわ……」
担架に乗せられた舞を心配そうに見守る厚志。そんな厚志を、朦朧とした瞳で舞が見返す。
「……何を、している」
「何って……」
舞の手が、力なく戦場を指差した。
「行け。私が立ち止まったからと言って、そなたまで立ち止まっている義務はない」
「病人のうわ言よ。気にしないで」
原の言葉に、厚志が振り向く。
「主任、予備の単座型を起動させてください」
「速水君!?」
「援護くらいなら出来ます。ライフルと砲弾倉をありったけ装備してください」
「司令! なんとか言ってください!」
原に代わって、厚志の前に立つ善行。周囲が見守るなか、善行は無言で厚志の顔を殴った。
歯をくいしばり、それに耐える厚志。足は一歩も元の場所から動いていない。そして、善行を見るその目には、微塵の迷いも無かった。
「……あなたが今まで取った勲章の数々がただの飾りでないと信じましょう。単座型を起動させろ!」
命令する善行を怒ったような悲しいような表情で見てから、原が走って行く。
「速水君」
「はい」
「生きて帰りなさい」
「はい。誰も死なせません」
「よろしい」単座型が起動した。
敬礼する指揮車と整備班の一同にライフルを掲げて応えてから、一人きりで操縦する士魂号が駆け出していく。その士魂号を頼もしく、そして少し寂しそうに見送ってから、舞は意識を失った。
「……風邪を、こじらせた、みたい……ね……」
舞の額にのせた濡れタオルを交換しながら、萌は言った。整備員詰所にしかれた布団に眠る舞は、今は穏やかな寝息をたてている。
戦闘には勝った。厚志は約束通り誰一人として死なせる事なく生還した。だが、その顔は今にも泣きだしそうだった。
「2日くらい……安静に、していれば……大丈夫、よ……」
「そう、よかった」
厚志はウォードレス姿のままだった。士魂号を降りてから、片時も舞の側から離れようとしない。
厚志の目から、涙がこぼれ落ちた。はじめは一筋だったその涙はやがていくつもの筋になり、そして子供のように泣きじゃくった。
そんな厚志を不思議そうに見て、それから萌は人前ではめったに見せない笑顔になった。少しだけ、羨ましそうに。
「……芝村さん……ずっと、あなたの……名前を、呼んで……たわ」
舞が寝返りをうつ。
それを確認して、萌が立ちあがった。
「私……もう、行く……わ。……芝村さんの、事……よろしく……」
「うん、ありがとう」二人きりになった整備員詰所。厚志は舞の横に座る。
涙はまだ止まっていない。舞の顔を覗きこんだ時、その雫が数滴、舞の顔に落ちた。
「……んぅ……」
ゆるやかに覚醒した舞が、じっと厚志の顔を見る。
「勝ったのか?」
苦笑するしかなかった。
「うん、勝ったよ。誰も死んでない」
「そうか。……すまなかったな」
「ううん。こんな事なら、舞の言ったとおり盾を装備しておくんだったね」
「いや、機動力を落としていたらあの状況は切りぬけられなかっただろう」
言った後、くすりと笑う。
「ふふ、前と言っていることが逆になってしまったな」
「そうだね」暫くの無言。
そして舞は、厚志から目を逸らした。
「……私は、何なのだろうな?」
「舞?」
「今日の体たらくは何だ? 足手まといになるが芝村の仕事か? 役立たずになるが芝村の使命か?」
舞の瞼が震えている。必死に涙を堪えていた。
「……そなたの命を危険にさらすが芝村の、私の役目か?」
今の舞は儚かった。危うかった。そんな表現をしたら舞は怒るのだろうが、厚志はそう思わずにはいられなかった。
「忘れたの? 君がなんなのか」
そんな舞を安心させるように、微笑みかける。
「私は……」
「君はね、僕のカダヤだよ」
横になったままの舞をそっと抱きしめる。
「この世でただ一人の僕のカダヤ。唯一人の、僕が心の底から好きな人。それじゃ不満?」
舞の顔が赤くなったのは、きっと風邪の所為だけではなかった。
「ば、馬鹿者。不満に決まっているだろう」
「じゃあ、頑張ろう。今までも頑張ってきたけど、もっと頑張ろう。二人でこの戦争、終わらせよう。でも今はゆっくり休んで。それが今の君の仕事だよ」
堪えきれなかった雫が一滴、ほんの一滴だけ枕を濡らした。
「なにか、して欲しい事ある?」
舞はしばらく考えた後、目の下まで布団をたくし上げて、恥ずかしそうに言った。
「……その、私がまた眠るまで傍にいて欲しい、というのは駄目か?」
厚志は笑顔で首を横に振る。
「おやすいご用ですよ、お姫様。ご命令とあればいつまでも側に居ます」
「……ばかもの」そうして約束通り、厚志は舞が眠るまでずっと側にいたのだった。