とある日のランチタイム。
味のれんでコロッケ定食を食べながら、厚志は隣で同じ物を食べている舞に話しかけた。
それは、本当に何気ない一言だった。「ちょっと前にね、家で子猫が産まれたんだ。とってもかわいいんだよ」
ほら、と言って懐から写真を取り出す。
そこには、親猫のお腹のあたりで丸くなっている数匹の子猫の姿が写っていた。目を閉じて、すやすやと眠っている。そのうちの一匹が小さな口をめいっぱいに開けてあくびをしている、その瞬間を捉えた写真だった。
毛並みはあまり親に似ていない。父親に似たのだろうか。無言でそれを見ていた舞が突然立ちあがる。
その顔は無表情であったが、頬のあたりがひくひくと少し痙攣していた。
「舞?」
厚志の言葉も無視してトイレに駆け込む。どがんっ どがんっ
何かを叩きつけるような音。
「な、なんね?」
味のれんの親父が心配そうにトイレの方を見た。暫くして、何事もなかったかのように帰ってくる舞。
おでこの辺りがちょっと赤い。「厚志」
「な、何?」
「帰るぞ」
厚志の腕をむんずと掴んで立ちあがらせる舞。
「え? だって午後の授業……」
「帰るぞ」
「仕事が」
「帰るぞ」
「プログラム」
「帰るぞ」
ずりずりと引きずられていく厚志。一人取り残された親父は、何でもお見通しとでも言わんばかりにうんうんと頷いて、料理の仕込みを再開した。
厚志の家の居間で、舞は鋭い目つきで辺りをうかがっていた。
玄関をくぐってから、ずっとこの調子である。
無理やり帰宅させられた厚志は、2人分の紅茶を淹れるために台所に行っていた。(どこだ? どこに居る?)
そして、ついに部屋の隅にあるダンボール箱を発見する。
戦闘時もかくやという程の慎重さで、その箱ににじりよっていく舞。心臓が下手くそなダンスを踊っていた。
ゆっくり、ゆっくり、その箱の中を覗きこむ。いくつかの瞳が、一斉に舞を見た。
それは、ある意味N.E.P.を上回る最強兵器。
「う、うあぁぁぁぁ……」
もはや舞は駄目人間と化していた。しかし、その幸せもつかの間。
「シャーーーーーッ!!」
「うっ」
親猫が鋭い威嚇の声をあげた。動物は、じっと睨まれるのを嫌うのだ。
そのうえ相手の緊張を敏感に感じ取る。
さらに言えば、子供を産んだ親猫は子猫が人目に触れるのを極端に嫌がるものだ。子を守る親に気圧されるようにして、舞はじりじりと後退した。
部屋の反対側の隅にたどり着くと、そこで自分の膝を抱えてダンボール箱を見る。
舞、ちょっと泣きそうだった。「まだまだ修行が足りないね」
ティーポットとカップを持って部屋に入ってきた厚志は、一瞬でこの状況を理解した。
「もっと自然につきあわないと。君の悪い癖だよ」
「う、うるさい。私は昔からこうだったのだ。そんなに簡単に変えられるか」
すねる舞に苦笑する。
「だから頑張るんじゃないか。 我らに不可能はない、でしょ?」
「別に、いい。私は猫が幸せになれる世界を作れれば、それで充分だ」
「しょうがないなぁ」
食器類をテーブルの上に置くと、厚志はいったん部屋を出た。
しばらくして帰ってきた厚志の方を、完全にふてくされている舞は見ようとしない。
「これあげるから、機嫌直してよ」
「なにッ!? 私を子供扱いする、な……」
きっ、と厚志を睨もうとした舞は、彼が両手で持っている物に視線を奪われた。それは、ブータと同じ位に大きい猫のぬいぐるみ。
しかも、あれと違って目つきがかわいい。よろよろとぬいぐるみに近づく。
ぎゅ
抱いてみても、当然ぬいぐるみは逃げない。
ぎゅー
強く抱いても、やっぱり逃げない。
「しばらくはそれで練習して、本物はその後にね」その声が届いているのかいないのか。
ぬいぐるみを力いっぱい抱き締めている舞は、厚志が見た中でも指折りの、とても幸せそうな顔をしていた。