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想いを君に


 寝ぼけ眼をこすりながら階段を降りると、下駄箱の上にはいつものように大き目の包みが置いてあった。
 舞の作った弁当だ。直接わたすのは恥ずかしいらしく、いつもこうやって厚志が起きる前にやってきて、何も言わずに置いていく。
 舞がこうやって弁当を届に来るようになってからしばらく経つが、やっぱり嬉しいものは嬉しい。頬がだらしなく緩んだ。
 厚志は弁当を鞄にしまって、走り出す。
 今日も遅刻ぎりぎりだ。
 
 

「でも、いつも悪いね」
「気にするな。私が好きでやっている事だ」
 ちょっと赤くなってそっぽを向きつつ、舞はコロッケを口に運んだ。
 舞本人は弁当を持ってこないので、昼食は抜くか味のれんだった。ちなみに今日は午前中に戦闘訓練があったので、二人で味のれんに来ている。
「あ、そうだ」
 舞と同じコロッケ定食を食べていた厚志が、なにやら思いついた様子で声をあげた。
「明日から、僕も舞にお弁当作る」
「弁当? そなた、サンドイッチ以外にもなにか作れるのか?」
「腕によりをかけて、特製サンドイッチを作るよ」
 ニコニコ顔の厚志。
 舞は、なにも言えなかった。
「がんばるから。楽しみにしててね」
「……そうか」
 これではどちらが女か分からないな。そんな事を考えたら、舞は少しだけ腹がたった。
 
 

「さて」
 学校から帰った厚志は、早速台所に立っていた。やたらとはりきっている。
 鼻歌を歌いながら、冷蔵庫を物色する。
「えーと、これと、これと、これと、これとこれとこれとこれとこれとこれとこれとこれとこれとこれとこれとこれとこれとこれとこれと……」
 やたらとはりきっていた。
「うーん、まだ何か足りないな」
 まな板の上の大量の食材を前にして、厚志はそうつぶやいた。
 しばらくの思案の後、厚志はひとつうなずくと自分の部屋に入る。帰ってきた厚志の手には、自前の超硬度カトラスが握られていた。一振りして、なじみ具合を確かめる。
 食材を一度冷蔵庫に戻すと、厚志は我が家を後にした。
 彼はやたらとはりきっていたのだ。

 なんだか間違った方向に。
 
 

「厚志」
「なに?」
「それは……何だ?」
 いつもより早起きした厚志よりも先に舞は弁当を届けていたので、厚志のサンドイッチは校門前で受け取る事になった。
「特製サンドイッチ」
 厚志が両手で抱えているそれは、彼が特製サンドイッチだと言うそれが入った包みは、何故だかひどくいびつな形をしていた。好意的に解釈して、前衛芸術のよう。
「ちょっと多めに作っちゃった」
 ちょっとの範疇を軽く超えている。

 もぞ

「う、動かなかったか今!?」
「活きがいいから……って逃げないでよ、冗談なんだから。気のせいでしょ? はい」
 どすっと包みを手わたされる。
「……生温かい」
「できたてだからね」
 そう言って笑う厚志の顔には、一片の悪意も見られなかった。もっとも、この笑顔に舞は何度も騙されているのだが。
「う、ま、まあいいか。感謝する」
 今回も騙された。

 結局この日は、滝川に味のれんに誘われたり急な出撃があったりでその特製サンドイッチは食べられることなく、家に持ち帰る事になった。

 それが、誰にとって幸運で、誰にとって不幸だったのか。

 余人には知る術が無かった。
 
 

 次の日の舞は、ひどく憔悴していた。
「どうしたの? 大丈夫?」
「ちょっと寝不足で……大丈夫だ。問題ない」
 それでも厚志に弁当を届けているあたり、かなり律儀な性格である。
「あ、サンドイッチ食べてくれた?」
「食べたというか、食べられたというか……」
 なぜか顔を赤らめる舞。
「……そなたよりすごかった」
「は?」
「な、何でも無い! 気にするな!」
「ならいいけど。じゃあこれ、今日の分」
 
 厚志が持っているそれは、

 昨日よりも大きかった。

 舞、すでに戦略的転進の体勢。
 その時、耳の奥に合成音が響いた。瞬間的に二人の表情が引き締まる。
「厚志」
「うん。……連戦なんて、善行司令らしくないな」
「幻獣がこちらの都合にあわせてくれぬだけだろう。行くぞ」
 ハンガーに向かって走り出した舞の表情は厚志には見えなかったが、実はちょっとほっとした顔だった。
 
 

 二人は、複座型を運搬するトレーラーの上で風を受けている。
 本来ならばコクピットで待機するのだが、今日の舞の体調がそれを許さなかった。兵士失格の体たらくであるが、叱責を受けるのはとにもかくにも生き残った後だ。
 舞は己のふがいなさに、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

 こういう弱さを見せぬために、私は影で血を吐いてきたのではなかったのか!?

「大丈夫だよ」
 舞の怒りを癒すかのように、厚志が微笑みかける。
「君は一人じゃない。君が力を出しきれない時は、その分僕が強くなればいい」
「……。すまない」
 笑顔で首を横に振る厚志に、舞もぎこちないながらも笑みを返すことができた。
「朝も食べてないんでしょ? つらいだろうけど少しでも食べたほうがいいよ」
「そうかもしれうっ」

 どす

「……持ってきたのか」
 うめく舞。
「せっかくだから」
 笑う厚志。

 脂汗が出た。

「ひとつ、聞いてよいか?」
「うん?」
「材料は、なんだ?」
「いろいろ」

 いろいろ。

 ひきつる舞。
 笑っている厚志。

「サンドイッチ、なのだな?」
「特製のね」

 特製。

 ちょっぴり意識が遠のく舞。
 やっぱり笑っている厚志。

「きっと元気になるよ。それはもう、いろいろ入ってるから」
 包みをほどこうとする厚志の手を、舞の手があわてて遮ろうとする。

 がたんっ

 トレーラーが揺れた。

「あっ」

 二人の声が重なる。

 はずみで荷台の上から転がり落ちた特製サンドイッチの包みは、あっという間に視界から消えた。

 無言。

「……仕方ないね」
 先に口を開いたのは、厚志の方だった。
 舞としては喜ぶべき展開だったのだが、厚志の少し悲しそうな顔を見て、何も言えなくなってしまう。
「そんなに気にしないで。戦いに集中しよう。サンドイッチはまた作ればいいんだから。そろそろ時間だね、行こう」
 厚志の言うとおりだった。後悔も謝罪も、生きていなければすることができない。
「でも、今夜はお仕置き」

 その日の3番機のミサイルは、外れまくったという。
 
 

「昨日の報告、見ましたか?」
「ああ、なんなんだろうな?」
 翌日の教室。
 隣の壬生屋と滝川の会話を、舞は努めて聞かないようにしていた。
「わたくしたちが帰った後に、幻獣の同士討ちだなんて……」
 でも、聞こえるものは聞こえるのだ。
 
 自分の想像は間違っている。
 
 そう、言い聞かせた。

 そんなわけが無いのだ。

 あれが、そうなるわけが……

 ……あるかも。

「んなわけあるかぁッ!」
 突如叫んで立ちあがった舞を、壬生屋と滝川が訝しげに見た。赤面して座りなおす。
「先生、まだ来てないよね?」
 そこに厚志が入ってきた。
 
 なにかを背負って。

 あきらかに昨日より大きい。

 もう、猶予は無かった。ゆっくりと深呼吸する。
 最終手段だ。
「厚志」
「ん? おはよう」
「ちょっと来い」
 そう言って厚志を引っ張っていく。
「え? あ、授業……」
「いいから来い」
 荷物が落ちる。だが、それにかまっているほど舞には余裕がなかった。
 もちろん、二人が出ていった後に教室であがった悲鳴にもかまっていられない。

 厚志に告白した時くらい緊張していた。

「ちょっと、なつかしいね」
 二人が立つ、校舎の屋上。そう言えば告白した時から訪れた事が無い。
 そして今日、舞はまた、ここで告白しようとしていた。
 心臓が、痛い。
「それで、どうしたの?」
「厚志。サンドイッチは、もういらない」
「え……」
 厚志の、驚いたような、悲しそうな顔。
 目を逸らしたかったが、それは卑怯だ。
「だって、舞のお弁当……」
 言いかけた厚志の目の前に差し出す、小さな弁当箱。
「本当は、持ってきていたのだ。自分の分も」
 舞の顔が赤い。
 告白した時よりも恥ずかしい。
 これから言うことは、あの時よりもずっとはっきりと……

 厚志が差し出された弁当箱を開ける。
「あ……」

 焦げた卵焼き、いびつなリンゴのウサギ、べちゃっとした野菜炒め。

「その、そなたに失敗したものを食べさせるわけにはいかないから。は、恥ずかしいので隠していたが……。だから、え? な、なんで泣いているのだ!? す、少なくとも泣くところではなかろう?」
「うん、ごめん」
 意外とあっさりと、厚志は笑顔に戻った。目はまだ赤かったが。
「ちょっと感動しちゃった」
「ば、馬鹿者……。ともかく、サンドイッチはもういらないからな」
「舞がそうしたいなら。がんばって、おいしいお弁当2人分作ってね」

 ……こうして、速水厚志はそれからずっとサンドイッチを作る事は無かった。

 それが、世界の選択である。





























 ちなみにこの日、第5121小隊は設立以来最大の危機的状況を迎える事になった。


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