その日の原素子は多忙だった。
日曜日という所為もあってか、朝から次々と訓練や仕事に誘われている。自分の仕事をする暇もないほどだ。
もっとも、訓練や仕事はいわば方便である。その合間に彼女に相談する事が本当の目的だった。
誘ってくるのは大概女生徒である。そんな彼女たちの悩みを聞くのも、大人の女性としての原の重要な仕事だ。
「……先輩」
3番機の標準装置を調整していた森が、ふと作業の手を止めてぽつりとつぶやいた。
「何?」
「人って、どうやったら殺せるでしょうか?」
突然そんな事を言い出した森を、原が厳しい目で見つめる。
「森さん」
「はい」
森の手をとると、自分の左胸に持っていく。「ここを狙いなさい。肋骨の間をすり抜けるように、刃を横にして」
「心臓ですか」
森を見る原の目がやさしいものに変わった。
「あなたは昔からそうね。そうやって、私の言いたい事をすぐ理解してくれる。教えがいがあるわ」
「そんな。先輩のおかげです」
「あなたならきっと出来るわ。がんばって」
「はいっ」
笑顔で武器庫に走って行く森を、原は誇らしげに見送った。
ののみは、指揮車の窓を拭きながら今にも泣きそうな顔をしていた。
「あのね、いろんなひとにやさしーのはとってもよいことなのよ。でもね、めーなの。えっとね、えっとね……」
自分の言いたい事がうまくまとめられない。それが余計に悲しくて、大きな瞳から今にも涙がこぼれ落ちそうだった。
ののみと視線をあわせて、尋ねる。
「ののみちゃん、肝臓って知ってる?」
「ふえ? かんぞー?」
「そう、この辺にあるんだけれどね」
そう言って、自分の腹を触る。
「喧嘩とかで、このあたりを蹴られたりすると、とっても痛いの。……それが、刺されちゃったりしたらどうなるのかな?」
原の顔をぽかんと見つめていたののみの顔にゆっくりと理解の色が浮かび、そして満面の笑顔になった。
「うんっ ののみがんばるからね!」
「そう。いい子ね」
優しく頭を撫でられて、ののみはくすぐったそうに目を閉じた。
原の隣には今、舞がいる。
御大登場、と言ったところか。
3番機の性能は原が手をつけるまでもなく全てにおいて標準値を大きく上回っており、今まで舞がいかにこの機体に対して愛情と努力を注いできたか、容易に想像できた。
だから、ほんの少しだけ心配になったのだ。
「戦況、悪化するわよ?」
舞の覚悟に対する確認。彼女は、この戦争に勝つためにここに居るのだろうから。
「……立場や大局を無視してでも、人はやらなければならない事がある。やらなければならない時がある。私はそう思う」
それは、原に向けて舞が初めて見せた笑顔だった。
今までの二人の距離はその程度だったのである。
「同感よ」
原も、舞に向けて心からの笑みを浮かべた。
その瞬間、二人は真の意味での『仲間』になったのかもしれない。
「あなたの思うようにやりなさい。私は機体の整備しか能はないけれど、あなたの成功を祈ることぐらいは出来るわ」
その言葉を聞いた舞が、原から目をそらし、そして背を向けた。芝村は、人前で涙を見せぬものなのだ。
「……感謝を。そなたの言葉、死ぬまで忘れる事はないだろう」
肩を震わせる舞を、背中からそっと抱きしめる。
「がんばって。あなたと、そしてあなたに続く全ての人の為に」
舞は無言で頷いた。
翌日の一組教室の喧騒を、原は自分の席で聖母のような笑みを浮かべながら聞いていた。
壁を隔てた向こう側の様子が、手に取るように想像できる。(がんばりなさい。私のかわいいあなたたち)
騒ぎは拡大していった。
『争奪戦』