戸田奈津子がその祭を知ったのは、まったくの偶然だった。フリーのルポライターとして各地の祭の取材をしてきた彼女が、この地方の取材を終えて帰ろうとした時に、酔った若者の口からでたのが、その『神薙祭』だった。
この地に古くから伝わる祭だと言う。ひっそりと行われているので、住民以外にはほとんど知られていないらしい。
特別に教えてやったと馴れ馴れしく肩を抱いてきた若者はだが、次の瞬間には顔を青くして立ち去っていった。
それから3日経つが、その若者には会っていない。
若者の話によれば、祭は明日。朝のうちに一週間ほど滞在した宿を後にした。従業員がやけによそよそしかったのは、気にしない事にした。
その社は、宿から車で一時間ほどしたところにある、山の頂上にあった。
たいして大きくもなく形もいびつで、あまり信仰の対象になるような場所ではないように思えたが、確かに社はあるのだ。ここで間違いはないのだろう。
社は、飾り付けの最中だった。だが、そこには祭特有の活気が感じられない、女子供の姿はなく、男たちが黙々と作業を続けていく。奈津子が社に入ってきてもちらりと一瞥しただけで、またすぐに作業に戻っていった。
「あの、すいません」
一番奥にいた、神主らしき老人に声をかける。
「私、ルポライターをやっている戸田奈津子と申します。よろしければこのお祭の取材をさせていただきたいのですが……」
老人は差し出された名詞と奈津子の顔を交互に見ながら、「へぇ、記者さんですか」とだけつぶやいた。
「あの、もしかして女人禁制なんですか?」
「いえ、そんなこたぁありません」
老人は近くにいた男に何事か耳打ちすると、奈津子についてくるよう促した。
「ま、いいでしょう。祭は今夜の午前0時からですんで、体ぁ清めといてください」
閉鎖的な雰囲気のわりにはあっさり了承を得たので、奈津子は安心半分、疑惑半分の表情をした。
振りかえりもせずに歩いていく老人の向かう先には、小さな建物があった。
「あすこで泊まれるようになってますんで、どうぞお使い下さい」
「あ、はい。ありがとうございます」
礼を言った後、早速レコーダーをとりだす。
「神薙祭って、随分物騒な名前ですよね」
レコーダーに気付いているのかいないのか、老人はしばらく黙ったままだった。
「……神ってなぁ、なんだと思いやす?」
「は?」
「神ってなぁ、人様に益を与えるもんです。害を与えるのは、ありゃ神じゃない。鬼みたいなもんです。ただの化け物だ」
老人の話に、奈津子は少々とまどった。祭とは普通、文字通り神仏を『祭る』ものではないのだろうか。
「だからね、言う事を聞かないまがいもんは言う事を聞かせなくちゃいけない。言う事を聞かなければ殺さなくちゃいけない」
「それで神を薙ぐ、神薙祭ですか……」
「まぁ、そんなとこです」
それきり、老人はなにも喋らなかった。
沐浴を済ませ、用意された白装束に着替えてから、奈津子はしばらくの仮眠をとろうとした。徹夜にはなれているが、それでも少しは眠っておいた方がいいに決まっている。
だが、どうしても寝つけない。なにか、胸騒ぎがした。
神を懲らしめる祭というのは、珍しいが別に唯一という訳ではない。
何かが違うのだ。何か、他の祭にはないものを感じる。一言も口を開かずに作業を続ける男たちを思い出す。
その顔には、これから祭が始まるというのに、喜びとか、そういった物を感じられなかった。ただ目的の為に作業を続ける、その顔にあったのは
「……決意?」
「戸田さん、よろしいでしょうか? そろそろ祭が始まります」
「え、あ、はい」
老人の声に、布団から身体を起こした。遠くから、和太鼓の音が聞こえる。老人に連れられて歩いていくにしたがって、その音はどんどん大きくなっていた。
だが、人の声は聞こえない。和太鼓のリズムだけが、夜の闇を振るわせいた。「さ、始まります」
境内には、白装束の男たちが自分の背丈ほどもある板を持ち、中央で炎をあげる祭壇を囲んでいた。
太鼓の音が止む。
老人が手を上にあげ、そして降ろした。どんっ
力強い和太鼓の音。それと共に、男たちが一斉に手に持っていた板を地面に叩きつける。幾人かの持っていた板が、大きな音をたてて割れた。割れた板は、中央の祭壇にくべられ、炎を一段と大きくする。
どんっ
二度目の和太鼓。男たちはまた、手にした板を地面に打ち付けた。またもや、板が何枚か折れる。
炎が、また大きくなった。どんっ
どんっ
どんっ
和太鼓が大気を振動させると共に、板の数は減っていった。最初は二十枚ほどあった板が十五枚に減り、十枚に減り、そして、五枚に減った。
「それまで」
老人の声で、周囲に静寂が戻る。聞こえるのは、くべられた板が燃える音だけっだた。
「さて、これからが本番です」
それだけ言って、老人は歩き出した。その後を、最後まで折れなかった5枚の板を持つ男たちがついていく。奈津子もあわてて追いかけた。たどりついたのは、奈津子が案内された建物の丁度反対側だった。巨大な岩に頑丈そうな鉄の扉がついている。幾重にも結界の施されたその扉がいったいいつの時代に作られたのか、さっぱり見当がつかない。
「これは……」
「閉じ込めてあるんですよ」
老人は、なんでもない事のように言った。
「神をね」
老人の目配せで、男たちが扉の結界をはずしていく。
「この中に御神体があるんですか?」
「御神体? いえ、違いますよ。言ったでしょう。神です」扉が、開かれた。
男たちが中に入っていく。
暫くの後出てきた男たちは、『それ』を地面に放りだした。
「なっ!?」
それは、少年の姿をしていた。手枷をはめられ、足枷をはめられ、目隠しをされ、猿轡をされ、身体中にびっしりと呪文のようなものが描かれている。
「こ、これって……」
「神ですよ。ここにいる間はたいした力も出せませんが」動揺する奈津子とは対照的に、老人はいったって平静だった。
「やれ」
その光景に、奈津子は思わず目を背けた。
五枚の板が少年を打ちつける。
何度も、何度も。
皮膚が裂け、血がにじむ。少年の身体のいたるところが赤く腫れ上がっていった。
「かふっ」
か細い声。
「ちょっ 何してるんですか!?」
「痛めつけているんですよ。言う事を聞くようにね」
「だって! この子まだ」
「そう見えるだけです。あれは人間じゃない」鈍い音が聞こえた。
枷をはめられた少年の腕が、ありえない方向に曲がっている。くぐもった悲鳴。嗚咽。
それが聞こえぬかのように、男たちは少年を痛め続ける。
「やめさせてください! やめて! こんなのただの虐待です。死んでしまう!」
「死にませんよ。もう何年も、何十年も、何百年も続けてきたんですから」
「そんなでたらめ!」咄嗟に、奈津子は少年の上に覆い被さった。少年を打ちつける板の音が止む。
「戸川さん」
「こないで!」
少年を後ろにかばいながら、奈津子は叫んだ。
「警察に通報します。こんなことが許されると思ってるんですか!?」
「やめておきなさい。この山からそれを下ろせば、大変なことになりますよ?」
老人の声には耳を貸さず、奈津子は少年を背負った。
取り囲む男たちを目で威嚇しながら、歩き出す。
男たちは手を出さない。
老人はため息をついた。
「しょうがない。じゃあ、あんたにそれの相手をしてもらいましょうか。本当はそっちの方が楽なんだ。だがそんなむごい事、だれが好き好んでするもんか」
「なにを……っ!?」
いつもまにか、少年の目隠しと猿轡がはずれていた。
整った顔によくにあう双眸。その瞳を見た瞬間、奈津子の身体から力が抜けた。
「な、なに、を」
それ以上は口にできなかった。
少年が、奈津子の唇をむさぼる。
「今だ、取り押さえろ」
暴れる少年をなんとか男たちが取り押さえる。
奈津子は、少年から引き剥がされても放心状態だった。
「聞こえてますか? いないでしょうなぁ」
哀れみをこめた眼差しで、奈津子を見下ろす老人。
「一緒に放りこんでおけ」
そうして、奈津子と少年を飲み込んだ大岩は扉を閉められ、また封印された。
「あれが飽きるまでの辛抱です。何十年かかるかは知れないが、いつかは飽きるでしょう」
老人は、うっすらと目に涙を浮かべてすらいた。
「馬鹿な人だ。……取材なんて受けるんじゃなかった」
「あんたの所為じゃねぇよ」男たちに支えられるようにして、老人は大岩を後にした。