ブラウン管の向こう側で、女性アナウンサーがにこやかに説明している。
『ラッキーアイテムはまげ、ラッキーワードは「おじゃる」です』
「なんだそれは」
毎朝この番組の星占いのコーナーにツッコミを入れるのが彼、皆瀬高志の日課だった。
別に日課にするつもりはないのだが、ツッコミ所満載なのである。この占いのラッキーカラーやなにやらは、絶対国語辞典を適当に開いて選んでいるのだと高志は信じて疑わないのだが、そうすると一昨日の獅子座のラッキーアイテム『タンスの角』が説明できず、少し悩んでいる。悩むほどの事ではないのだが。
次の番組の司会が昨日のめぼしいニュースを読み上げているころには朝食も食べ終わり、高志は隣に置いてあった鞄を手にとった。
キッチンで高志より遅めに朝食をとる姉と父のために朝食を温めなおしている母に「いってきます」と声をかけてから家を出る。
自転車に乗って駅まで10分。いつものように駆け込み乗車する。アナウンスの後、ゆっくりと電車が動きだした。
少しだけ荒くなった息をととのえると、座れそうな場所を探して辺りを見まわす。「ぶっ!?」
最初に視神経に飛び込んできたのは、目に痛いピンク。そしてまげ。
15〜6人に1人くらいの割合だろうか。日常の通勤通学風景にあまりそぐわない人たちがいる。
あるサラリーマンはピンク一色のスーツを。ある女子高生は見るも鮮やかな桜色のマフラーを。そしてまげ。
「ねぇー、昨日のドラマ見たておじゃるか?」
「七光商事さんにはいつもお世話になっているでおじゃる」
「どうぞ。僕は次の駅で降りるでおじゃるから」
「すまないでおじゃる」おばあさんまで。しかも言葉遣いにちょっと無理がある。
おかしい。絶対におかしい。
ピンクのまげ連中ももちろん変だが、そんなのが隣にいても平然としている他の人々もなんだか間違っている。高志は思わず自分のほほをつねるという古典的な真似をしてしまった。
「……痛い」
始末の悪いことに、どうやら夢ではないらしい。
なんとも形容しがたい気分になって逃げ場所を探そうとしたが、電車の中ではそれもない。
ちょっとだけ、泣きそうになった。
なるべくピンクまげを見ないように、窓の方に体を向ける。耳もふさぎたかったが、変な連中に変なヤツだと思われるのは、妙にくやしかった。
2駅、たった2駅我慢すればいいだけの話だ。そうすれば、この馬鹿げた景色も終わるだろう。というか終われ。
次の駅について、また何人かピンクまげが乗車してきたが気にしない気にしない。気にしたら負けだ。
ドアが閉まり、電車が動きだす。あと1駅。
おじゃる言葉なんて聞こえない。
あと5分。
あと2分。
あと1分。
あと
「あ、皆瀬君」
声をかけられた。
聞き覚えのある声。同じクラスの今西美奈だ。いつも同じ電車で登校して、いつもこうやって挨拶してくる彼女は実は、高志の片思いの相手だったりする。
「あぁ、おはよ」
そう言って振りかえろうとして、高志は固まった。……たしか、今西も乙女座ではなかったか?
「うん、おはようでおじゃる」
やっぱり。
振りかえらないといけないのは分かっている。
だがしかし、振りかえってしまったら大事な何かが壊れてしまいそうだった。「どうかしたでおじゃるか?」
ちょっとだけ寂しそうな声。
「いや、なんでもない」
その声に肩を鷲掴みにされるような感じで思わず振りかえってしまった。
ぶち壊し。
高志の背後でドアが開く。駅に到着したのだ。
気付いた時には走り出していた。
「あっ 皆瀬君!?」グッバイ・ザ・僕の初恋
そんな事を考えながら、走る走る。
駅の中にもいたピンクまげをかきわけつつ走る。駅の外にもピンクまげはいた。
もう、そんなものは見えなかった。走る。たとえそれが学校と反対方向だったとしても気にしない。
高志は走った。
どれくらい走っただろう。
高志は見たこともない河川敷にへたたりこんだ。息が荒い。胸が痛い。
いつの間にか、高志の目は涙で一杯になっていた。
一人ぼっちになってしまった気分だった。
周り全員がおかしくなったのか、それとも自分だけが変なのか。
どちらにしろ、一人なのは確かだ。高志は膝を抱えてうずくまった。「やっと追いついた」
声の主は、美奈だった。
息を切らせて、膝に手をついている。
高志はその姿をちらりと見て、また顔を膝にうずめた。
「どうしたでおじゃるか? いきなり走り出したりして」
膝を抱く腕に力が入る。おじゃる言葉は、特に美奈のおじゃる言葉はもう聞きたくなかった。
「お前には関係ない」
「関係なくないでおじゃるよっ」
妙に力の入った今西の言葉に、高志はもう一度顔をあげた。
「なんで?」
「それはっ そ、その」
急に口篭もる今西。訝しげに見つめる高志の顔を真っ赤になりながら、それでもまっすぐ見つめる。
「皆瀬君のこと、心配だから……」美奈の額から上をなるべく見ないようにしながら、彼女の顔を見る。いつも笑っている顔は今は悲しそうだったけれど、とてもかわいいと思った。
必死で額から上を見ないようにする。「わ、わたし」
やっとのことで美奈が口を開く。
「わたし、皆瀬君のこと、す、好きだから」
その時の高志は、馬鹿面だった。
心の中は嵐だった。
「あ、あ、あ」
大きく息を吸い込んで
「ありがとう」
それが精一杯。
額から上は見ない。見ないようにしたけれど、事実は事実だ。
……いや。
あれは、『今日のラッキーアイテム』だ。
無理やり納得した。
「ぼ、僕も」
今度は高志がどもる番だった。
「今西の事、好きだった。あの、ありがとう」
美奈の顔が、ぱっと輝く。笑おうとして失敗して、泣き笑いの表情になった。
「え、えへへ。あの占い信じてよかった」
その日が誰にとってのラッキーデイだったのか、本当にあの占いが当たっていたのか。
そんな事は、もうどうでもよかった。