穏やかな昼下がり、庭園のベンチで読書をしていたキリッシュ・ファ・ランディール・ホウメイ姫は、突然の騒動に至福の時を邪魔されて、その大層美しい顔を曇らせた。「姫様ー リンネ姫様ー どこですかー?」
「……またですか?」向こうから走ってくる腹違いの妹の教育係を迎える為に、隣にちょこんと座っていた愛ペンギンの頭を一撫でしてから、緩やかに立ちあがった。
「ああ、キリッシュ様、リンネ様を見かけませんでしたか?」
「いいえ、昼食の時以来一度も。あなたも大変ですわね」
「あなた様の時ほどではありませんよ」
そう言って、褐色の肌のその教育係は苦笑した。
「キリッシュ様はその日の授業を全て予習なされた上で授業中に居眠りをなさっていたりしますからね。リンネ様は少なくとも勉強が嫌いだという事だけははっきりとわかります」
「そんな事もありましたっけね」
普段はほっそりとした頬を少しだけ膨らませて、キリッシュはそっぽを向いた。
自分でもどうしてそんな事をしていたのか思い出せない。まあ、昔から人とは違う事を求めていた性格だったから、その関係だろう。
ひょっとしたら初恋の相手にかまって欲しかっただけなのかも知れないが、そんな事を笑って本人に話せるほど、彼女の性格はまっすぐではない。
「はやく探さないと、授業の時間がなくなりますわよ」
「そうでした。では、失礼いたします」
走り去っていく教育係。
この広大な庭園であてもなくあの小さな暴君を探すのはほとんど不可能に近いが、本人も楽しんでやっているようであったのでキリッシュは何も言わずにそれを見送った。
そして、自分も彼とは違う方向に歩き出す。
その後ろを、愛ペンギンがよちよちと付いて来る。
ペンギンは好きだった。
他の鳥たちがすべからく持っている飛行という能力を持たない代わりに、他の鳥たちの真似できない潜水という能力を持つ、鳥類の異端。
すばらしいと、キリッシュは思う。その愛くるしい外見とは裏腹に、この飛べない鳥は茨の道を歩いているのだと、冗談半分に考えている。
もっとも、この素晴らしさを伝えようとして101匹ペンギンの飼育小屋に一晩放りこんだ妹の方は、ペンギン恐怖症になってしまったが。愛ペンギンの歩行速度に合わせるようにゆっくりと歩いて向かった先は、庭園の端の所にある納屋だった。
じっとその小さな納屋を見ていたキリッシュは、うっすらとその唇の端をつりあげた。
ちょうど側を通りかかった庭師を呼びつける。
「今日一日この納屋を使用禁止にいたします。施錠なさい」
庭師は一瞬あっけに取られた後、彼女の突拍子も無い提案は毎度のことなので言うとおりに鍵をかけた。
庭師が去った後も、納屋の観察を続けるキリッシュ。
しばらくすると、納屋に変かがおこった。がたん、と扉が動く。だが、鍵がかかっているので当然扉は開かない。
がたがた、と何回か無駄な努力が繰り返された後、少女の叫び声が響いた。「こんなことをするのは姉上だなっ!? 出せ! ここから出せ!!」
「だれかおらぬかっ! わらわを助けよっ!」
「というか、姉上の戯言を真に受けたのは何処の馬鹿者じゃ!?」ぴくっとキリッシュの顔がひきつる。
しばらくすると、ドアを叩く音が変わった。
どかんっ どかんっ
実力行使に出たようだ。もう暫くすればドアを破って脱出できるだろう。
「……うるさいですわね。野蛮なこと」
わずかに開いたドアの隙間からバータを叩きこむ。一瞬で凍結する納屋。沈黙。
よし、と一人頷くと、キリッシュは何事も無かったのようにその場を後にした。
よちよちついてくる愛ペンギン。いつでも元気な妹を、キリッシュは羨ましく思う。
キリッシュは産まれつき体が弱い。スタイルと美貌と頭脳は妹を遥かに上回っているが、体力だけはどうしてもかなわなかった。
そしてもう一つ。「姫! どこですか姫!?」
「じいや、騒がしいですわよ」
「キリッシュ姫様、リンネ様を見ませんでしたか!?」
「いいえ、姿は見ていません」
微妙に正直な台詞でじいやをあしらう。「まったく、皆リンネ、リンネ。わたくしだって少しはすねますわよ?」
じいやと別れた後の一人言。
だが、その表情は優しい笑みだった。
リンネの母親は、リンネを産んですぐにこの世を去った。それからずっと、一番リンネの面倒をみてきたのは自分だと、キリッシュは思っている。
わたくしの自慢の妹。
負けず嫌いで、素直で、正直な、可愛い妹。
人を引きつける魅力を持った、多分自分よりも王者にむいた少女。だから、これからもたっぷり可愛がってあげますわ。
「ふふ、うふふふ」
輝くような笑顔で、キリッシュは来た道を戻る。
さあ、読書を再開しよう。
リンネが発見されたのは、結局次の日のことになった。