ガウリイとアーチェスの話をした翌日から、リナはふっつりと教会に来なくなった。 これまで3日とあけず教会に来てはガウリイにいろいろ話しかけたり、1人静かに本を読んだりしていたリナが、もう7日も来ていない。その事実は、ガウリイの苛立ちをかきたてた。
毎日のふとした瞬間に思い出す。あの時、アーチェスに向けていたリナの笑顔を。
多くの人と接する神父という仕事だから、よくわかる。 まだ二ヶ月。あの男がこの町に来て、まだ二ヶ月。なのにそんなわずかの間で、これだけリナを遠くに感じるなんて。
「―――リナちゃんも、いい人見つけたんだねえ」 突然耳に入ったとんでもない言葉で、瞬時にガウリイは我に返る。気がつくと、いきなり大声を出したガウリイを複数の女性たちが驚いて見つめていた。
そうだ、今日は日曜のミサがあって、ヒマな奥さん連中恒例の井戸端会議につきあっている真っ最中だった。 「あー……何の話でしたっけ?」 奥さん連中の中でも一番おしゃべりな1人が、まったく気にせず同じ話をくり返した。
「だからね、神父様。こないだ、アーチェスくんが引っ越してきたじゃないか」 今の今まで気にしていた名前を出されて、ちくりとガウリイの胸が傷む。
「あの子、不愛想だからさあ。いい子なんだけど、似たような年の子はなかなか近寄りにくかったみたいで、まだ友達いないみたいだったんだよ。
「……そう…ですか……」
ガウリイは、どこか心の一部を持っていかれたような気がした。 他人の口から言われると、こんなにも衝撃的なのは一体なぜだろう? その後奥さん連中が何を話していたかなど、ろくに覚えていない。適当に相づちをうつのが精一杯だった。
皆が帰り、1人になってからようやく落ち着いて考える。 (喪失感―――だったかな……) いつかまだ、全てをといえるほど何も知らなかった遠い昔のこと。こんな気持ちになったことがあったような。
子供の頃、可愛がっていた犬が狼に殺されてしまった時。死んだのだと知ってからそれが実感できるまで空白だった時間とよく似ている。
今度のは、それらの時よりはるかに大きい。
いや、なぜもなにもない。答えなど一週間前からとうに出ている。 (オレは……リナのこと―――)
あの小さい少女がこれだけ自分にとって大事な存在になるなんて、5年前は考えもしなかった。 「一週間――か……」
ガウリイはそっと服の上から懐の中の聖書に手をあてる。
……もう、今さら気づいても、すべては手遅れになってしまった。 「リナぁっ………」
絞りだすように声を震わせても、その呟きを聞く者は誰もいない。
彼女との思い出を作りすぎた礼拝堂が、1人でいるにはあまりにも広すぎて。
待ち人が来ずとも朝が来れば、町の人々は動きだす。当然ガウリイもまた、そのサイクルに合わせて仕事を始めなければならない。 頭がぼんやりして仕事が手につかない。聖書の朗読を間違えたり、人の話を聞いていなかったり。幸い(?)普段からボケっぷりがひどいので、町の人は「また物忘れがひどくなった」ぐらいにしか思わなかったようだが。
夕方ごろにはいつもよりはるかに疲れがたまっていた。夕日の赤がやたらと目につく。
仕事が一段落ついて、こんな風に1人いつもの礼拝堂にたたずんでいると、頭がぼうっとして何もかもが夢のように現実味なく感じる。今日のことも、昨日より前のことも、今以前のことは全てだ。 ただ現実なのは、今もこの胸に残る小さな痛みだけ――
声の方を見ると、リナが庭から窓越しに手を振っていた。
ガウリイの手がリナへと伸びようとする。しかし、それはわずかにピクリと動いただけで止められた。
「やー、先週こっちの方へ来なかったら、うちのねーちゃんが機嫌悪くって。『野菜もらいに行くのはあんたの仕事でしょ』なんて言うのよ。ここの野菜、すっかりあてにしきってるんだから」
「野菜はやる。…だが、ケーキはいらない」
赤くなって弁明するリナに、ガウリイは内臓が煮えくりかえる思いだった。
「よかったじゃないか。お前はじゃじゃ馬だから、貰い手を心配してたんだぞ。オレは直接知らないが、話だけだとなかなかいい奴そうだしな」 「そうだ、結婚が決まったらオレにも知らせろよ。約束通り、一番立派な神の祝福をしてや――――」
「前からバカだバカだと思っていたけど、ここまでバカとは思わなかったわ! 人の話を聞こうともしないでっ…!
身をひるがえして駆けてゆくリナの目に、振り返りぎわ涙が浮かんでいたように見えたのは、はたしてガウリイの気のせいだったのだろうか。
思いきりつき放して、傷つけてしまった。だが、これでよかったはずだ。彼女のためにも、自分のためにも。
リナにしたところで、いつまでもこんなところに入りびたっていてはいけない。このまま身体だけでも側にいれば、自分の思いはいつか彼女を今以上に傷つけることとなる。 「……ちょっと……痛かったな……」
頬が燃えるように熱い。いや、頬だけじゃない。顔も、全身も熱い。 |