その町に越してきた風変わりな住人の噂は、夏が終わる頃にはあっという間に広がっていった。 いわく、迷子の子ネコを送り届けた。おばあさんの荷物を持ってあげた。折れかけた木の枝を補強していた。 普段の表情がムッツリしている分、みんなにはその行動がかなりイメージと違って映るらしい。まるで不良少年が周りのためになることをやった時のように、新鮮な印象を受けたようだ。 「ホント、あれだけ外と中が一致しないやつも、やっぱり珍しいわよねー」
ガウリイの教会の礼拝堂、いつもの机の上の定位置に座り、足をぷらぷらさせながら楽しそうにリナは笑う。
「ここに来る奥さん連中も、よく噂してるな。最初は『あいさつもろくにできない礼儀知らず』だったのに、今じゃ『あんないい子は他にいない』だぜ」 意地の悪い笑みを浮かべたリナに、ガウリイは苦笑してみせる。それで満足したらしく、リナは再び軽快な笑顔を見せた。 「同じ外見と中身が一致しないでも、ガウリイとアーチェスじゃ大違いよねー。いっそアーチェスみたいに、ガウリイもいい意味で裏切った方が良かったのにね」
リナの口からその男の名前が出るたび、ガウリイの胸に針で刺したような小さい痛みが生まれる。
だが、これだけ心が落ち着かないのは初めてだった。
「…リナ。マジェンダおばさんに昨日フルーツケーキもらったんだ。お前さんも食べるか?」 うわさ話をしている時より晴れ晴れとしたリナの顔を見て、ガウリイはなぜか少しだけ安心した。
西日のきれいな空が広がっている。匂いたつバラの垣根の通りを過ぎ、今度マジェンダおばさんにあのケーキのレシピ聞けないかな、と思いながら広場の横の道を歩いている時、ふと何かが視界にひっかかった。
数歩後戻りして、辺りを見回してみる。 「あ……」 小さく声を出したため、アーチェスもリナに気がついた。表情も変えずに声をかけてくる。
「……よう」 リナはそっと近づいてみた。彼の前には少しこんもり盛られた土と、その上にささっている小さな木の棒。
「お墓…?」 ほんのわずかに、少しだけ、その声が悲しそうに聞こえて、リナはアーチェスの隣にしゃがみこむ。彼もリナを追い払おうとはせず、墓を見つめたまま続けた。
「…こうして墓を作ってやったんだから、これで天国に行けるといいな」 そう言ってから、アーチェスは墓に向かって十字を切り、手を合わせる。それがリナにはちょっと不思議に思えた。
「珍しいわね。この町の住人で、そこまできっぱり神サマを否定するなんて。
ここで言葉を切り、初めてアーチェスはリナを見た。肩を小さくすくめ、そんな感じがする、という程度の笑顔を見せる。
「…と、ものの本に書いてあった」
リナも小さく呟き、墓に向かって十字を切ってから手を組んだ。
「それにしても、ずいぶん前衛的な物の見方をするじゃない」
そう言うアーチェスの顔は、もう元の無表情に戻っている。
この色は海の蒼だ。広い広い、限りなく広いものを感じさせる海の色の瞳。
もっとも、あちらは空の青だけれど。感じる『広さ』はとてもよく似ていて。
「ねえ、あたしにもその本、見してくんない?」 アーチェスが間の抜けた声を出し、呆けた顔をする。彼の表情が崩れたことを面白いと感じながら、リナはさらに言い募った。 「ほら、この辺じゃまともな本が手に入らないじゃない。野菜の作り方とか、お菓子の作り方とか、色々知りたいことがいっぱいあるのよ」
これはリナが前から知りたがっていたことだった。
だが、町の本屋で売っている本の知識では限度があった。家庭菜園の本などガウリイも持っているし、お菓子作りはヘタな本より姉の方が格段にうまい。 もともと好奇心旺盛なリナにとって、新しい本というのはとても魅力があった。
「わ…わかった。お菓子は知らねえが、野菜栽培の本は確かどこかにあったと思う。うちに来て読んでく分には構わねえよ」 飛び跳ねんばかりの勢いで、リナはアーチェスの手をとって嬉しそうに笑いながら喜ぶ。その喜びように、アーチェスはますます驚き、呆気にとられていた。
視線をそらす余裕すらなく、くいいるように見つめる一対の目は、リナが大好きな空の色。 |