パタン…
静かに閉じた扉でリナの姿が遮られると、ガウリイは深く深くため息を吐いた。 以前から時々リナはこういう顔をすることがあった。子供には決してできないその表情に、『もう子供じゃないんだ』と言い聞かされているような気がして、彼女の哀しみをわかってやれないことに対して、悔しかった。寂しかった。 (いつまでも子供なら、良かったのに――?) 不意に頭に浮かんだ考えが、なぜだか強くガウリイの頭に焼き付いた。
自分がリナに言ったことは、なにかおかしかっただろうか。
リナには幸せになってほしかった。別に今が不幸というわけではないが、彼女がより幸福になるというのは、ガウリイにとって心の底からの願いだった。
リナの幸せは嬉しい。だが、結婚してほしくない。子供のままでいてほしい。 その根幹をなしている、少しだけ胸に生まれた感情に、たったひとつ心当たりはあったのだけど――― 「……考えすぎだな」 思考をその場に放棄して、ガウリイは礼拝堂を出ていった。
完全に余談だが、このランクで毎回トップの座につくのは、ダントツで彼女の姉である。 「ガウリイのバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカッッ!!」
口をついて出るのは呪詛…というほど恨みがましくはない。単なる文句で、相手が目の前にいたらほほえましい痴話ゲンカにうつる、といった程度だろう。 「なによなによなによ!! 普段からデリカシーのないヤツだとわかってはいたけど、今回のは極みまできてるわよね!! 乙女ゴコロも知らないで―――」
そこまで言って、リナはピタリと口をつぐんで立ち止まった。
自分でも、この感情を自覚してまだ日が浅い。今までつきあいのあった5年を全てこんな気持ちで埋め尽くしてきたのならともかく、まだほんの数ヶ月だ。ガウリイに伝わるには短すぎる。
それでなくとも、あの男は神父なのだ。生涯独身を貫く神父は、色恋と最も遠い世界の人間である。
事実、リナは一度だけ、ガウリイが女性から告白されるシーンを盗み見てしまったことがある。
リナはガシャガシャガシャと頭をかきむしった。 ガウリイはやはり神父で、自分の気持ちを告げたら彼を困らせることになる――。
リナの性分としては、こんなふうにウジウジと悩むより、スパッと告白してはっきり玉砕した方が、よほどすっきりする。だが、自分が告白した時、周囲は『神父』をどう見るかと考えると、やはり簡単には言えない。またガウリイ自身も、これまでどちらかといえば「近所のお兄さん」的な人だったのに、『神父』へと態度を変えてしまう可能性がある。よそよそしい彼を見るのが、ほんとは一番いやだったのだろう。 リナは大きく大きく息を吐くと、雲が流れてゆく青い空を見上げた。 「……なんであんな男、好きになっちゃったんだろー……」 使い古された、けれど一番的確な言葉を呟き、リナがぼんやりと角を曲がったその時。
「わっ!」 上の空だったリナは、出会い頭で誰かにぶつかってしまった。幸い2人とも倒れなかったが、とっさに反応できず足が止まる。
相手は若い男だ。リナよりわずかに年上だろうか。男のくせに艶のあるきれいな黒髪は、少し長くえり足までのびている。
この辺りでは見たことのない顔だった。もっとも、ご近所を全て知っているわけではないのだが、少なくとも彼女には覚えがない。 「……すまなかったな」 ぶっきらぼうに言って、リナの横を通り抜けてゆく。 「え? あ、うん…」
あいまいに返事をし、振り向きもしない男の後ろ姿をほんの短い間だけ見送ると、その姿が見えなくなる前にリナも背を向けて歩きだした。 そのまま男のことは記憶の底に沈めてしまったリナだったが、この記憶を掘り起こす時は呆れるほどに早く来た。
「生クリーム、チョコレート、刻みナッツ……。何これ。アメリア、あなたケーキでも作る気?」 チョコレートやナッツはともかく、生クリームという項目が非常に怖い。これだけは料理に使ってくれることを、固く願ってやまないリナだった。
もちろんこの町でも、単なるお菓子であれば手に入る。だが、その品揃えはあまりにも貧しく、どれもせいぜい1種類か2種類ほどしかない。
住宅地を抜け、しだいに畑の多くなる道を歩き、となり町へ向かっていた時のこと。 (―――あれ?)
リナは思わず目を見張った。それは、昨日ぶつかったあの青年だった。 「おはよーございますっ! アーチェスさん!」 青年は底抜けに明るいアメリアの挨拶に、表情ひとつ変えず低い声で、 「…ああ」
とだけ返した。 青い瞳がリナを射抜く。 (――――!) 一瞬だけ、その瞳に吸い込まれそうになり、リナは反射的に息をのみ、身を固くした。 「…………」
しかし青年は、ふいと視線をそらすと、そのままリナ達の横を通りすぎてゆく。
「……アメリア。今の人、知り合い?」 アメリアは、ぐぐぅっ、とこぶしを握りしめた。 「不愛想な人だけど、ほんとは優しいの! 巣から落ちた鳥のヒナを助けるなんて、まさしく正義の行いだわ!」
アメリアは何かに満足して、どうやら陶酔モードに入っているらしい。うっとりとした顔になっている。 「――なんか、変わった人よね」 深い深い海のような濃い蒼色が、なぜかとても印象に残った。 |