聖なる迷い子たち・8


 月が高くその姿を皆に知らしめている、夜もかなり更けた時間。
 昼間の世界に生きる者は、人間も動物も、等しく寝床で眠りの世界に旅だっている頃。
 インバース家の周囲に広がる光景は、この小さく静かな町ではついぞ見られたことのない、とても異様な光景だった。

 町の住人たちが、数十人ほどでインバース家を取り囲んでいる。こんなことは、インバース家が営んでいる雑貨屋で、全品半額大売り出しセールでもやらなければ、起こり得ないことだろう。

 皆は、手に手にいろいろなものを持って集まっている。鋤や鍬などの農具を持っている者、太い丸太を持っている者。
 そうかと思えば、何も持っていない者も数多くいる。なにを思ったか、ナベなどを持ってきている者もいる。

 「ねーちゃん……なんだと思う? あのレパートリー……」
 「さぁ。案外、なにも考えていないのかもよ?」

 こっそりと外の様子を覗きながら、インバース家の姉妹たちは、穿った意見を述べた。
 皆の顔に例外なく浮かぶのは、不安と混乱の色。つまりはそういうことだった。

 リナのウワサは、すでに町中に広がっている。小さな町では、他と違うということは、ほんのなにげないことでも、排除の対象となるのだ。
 しかし、ご近所の面々も、リナが『どの程度排除すべき対象か』という判断がつきかねているらしい。

 同じ『排除すべき対象』とひとくくりに言っても、たとえばドラ息子と殺人犯では対応の仕方がまったく違う。姿を見かけたとき、前者なら眉をしかめる程度だし、後者なら逃げ出すだろう。
 リナのチカラは異質なものだ。だが、どこまで危険視するかは、一人一人意見が違う。

 今すぐにでも追い出すべきだという者。へたに逆らったら何をされるか――それでなくともリナやインバース家の家族の破天荒さは知られていたので――わからないという者。
 そんな混乱ぶりが、人々のそれぞれ手にしているものに、よく現れていた。

 「でも困ったわ。ご近所がみんな来てるから、ご近所迷惑にはならないけど……」
 「わたしたちの迷惑になるわね」

 母のぼやきを、姉が受け継ぐ。隣で聞いていて、リナはなんとも言えない寒気を感じた。
 たぶん、他の人なら気づかないほどわずかな気配。しかし彼女たちと家族として暮らしていながら、この気配に気づかない者は、おそらくインバース家では長生きできないだろう。
 この二人は、ふだんおっとりとしている分、怒らせると非常に恐ろしい。
 そんな二人を見て、父が頭をばりばりとかきながら立ち上がった。

 「しゃーねえな……ここは俺がおさめてきてやるよ。前にもこういうことはあったしな」
 「だいじょうぶ? あなた。大事にしないでちょうだいね」
 「今のおまえやルナにまかせるよりは、たぶん穏便にすませてみせるさ。……たぶんな」

 にやり、と人の悪い顔で父は笑う。その物騒な笑みは、『相手の態度によっては、妻や上の娘と同じくらい、騒ぎを大きくする』と雄弁に語っていた。

 「ほ……ほんとにだいじょーぶ? とーちゃん」
 「なあに、たまには家長のメンツたてさせろや」

 だんだん心配になってくるリナに、父はやはり安心できない答えをかえす。
 ぽんぽん、と軽くリナの肩をたたき、父がゆっくり玄関の扉を開けた。

 ざわわっ…………

 家の中から人が出てきたことで、町の人々の間にざわめきが走る。中の女性陣3人は、外から見えない位置に身を隠して、様子をうかがうことにした。

 父は、ぐるりと周囲の人を見渡した。たっぷり三回ほど見回す時間がたっても、誰もなにも行動を起こそうとしない。
 しびれをきらしたのか、埒があかないと思ったのか。先に口を開いたのは父だった。

 「こんなに大勢のお客さんに来てもらえるのは嬉しいんだが……」

 内容に、ではなく、彼が言葉を発したことによって、人々の間に緊張が走る。

 「見てのとおり、すでに店じまいの時間だ。悪いが、また明日でなおしてくれや」

 父は、飄々とした笑みを崩さない。その余裕にあふれた態度に、人々は戸惑った。
 やがて、人の輪の中から、一人の男が前に進み出る。

 黒の中に白、というより白の中に黒い髪と髭をいくらか生やした、初老の男。いつもは自信たっぷりな笑みが、月明かりの下でわずかに憔悴しているのは、おそらく夜の暗さのせいだけではないだろう。
 この場にいる者が全員、彼が町長だということを知っていた。

 「なあ、インバースさん……」
 「あ? なんだ町長。うちの営業時間について、文句言われる筋合いはねーぞ」
 「……わかってるんだろ? わたしらが、こんな夜中に、ここへ集まった理由は」
 「………………」

 彼は答えを返さない。町長の言葉を待っているのか、言うべき言葉に迷っているのか。

 「あんたの娘さん……いったい、何者なんだ?」

 わずかに青い顔をして、あえぐように言葉をもらす町長。
 父はそれを、鼻先で笑い飛ばした。

 「ナニモンもなにも、うちの娘は二人とも、可愛いカワイイ俺の娘だ。それ以外のナニモンでもないだろうが」
 「いや、そうではない! そういうことではなくて、だな――!」

 もっと、具体的な問いかけがしたいのだろう。しかし、それは父の迫力に気圧されて、できないことであった。
 そして父も、町長の問いかけたいことはわかっている。だが、それを口にさせることはできなかった。

 ――リナ=インバースは本当に、人間なのか?
 ――もしかして、人々に不幸をもたらす、悪魔なのでは?

 むろん、インバース家の人々の間で、答えは疑いようもない。リナは、母から生まれた父の子で、ルナの妹なのだ。

 しかし町の人々にとって、『他人』であるリナを、そこまで素直に考えるには、あまりにリナのチカラは異質すぎた。
 一触即発。まさにそんな言葉がふさわしいほど、父と町長や人々の間の緊迫感は高まり――

 「やめてくださいっっ!!」

 うち破ったのは、少女のあげた、悲鳴のような声だった。

 「――あんたは」
 「……セイルーンさんとこの……アメリアさん……」

 再び人の輪から、ひとつの人影が飛び出してくる。
 今しがたまで走ってきたのだろう。顔を紅潮させ、息をきらせて駆けつけてきたのは、アメリアだった。もっとも、顔の紅潮の原因の、半分以上は怒りのためでもある。彼女の表情を見れば、そんなことは一目瞭然だった。

 父は下の娘の親友であるアメリアのことをよく知っていたし、町長も町の資産家であるフィリオネル=エル=ディ=セイルーンの娘を知っている。
 アメリアは、涙のうかびかけた瞳で、町長をキッ! とにらみつけた。

 「どうして、リナをいじめようとするんです!? リナがなにしたって言うんですか!」
 「いや……しかし、アメリアさん……」
 「しかしもかかしもないです! 彼女が何者かっていうなら、わたしの友人だっていうのもつけ足します。それでもいけませんか!?」
 「その……いけないとか、そういうことではなく……」
 「じゃあ、どういうことですか!」
 「だって……空を飛んだっていうじゃないですか……!」
 「空ぐらい、鳥だってサーカスの手品師だって飛びます!」

 リナほどではないにせよ、小柄な少女が大の男に詰め寄っている。それだけ、彼女の迫力は大きく、そして真剣だということだ。
 その光景を、インバース家の扉の影から見つめて、リナはそっとつぶやいた。

 「アメリア……あんた……」

 嫌がられるか、と思っていた。もちろん、普通に友達として接してくれる可能性も考えていた。だが、こうやって町中の人を敵に回すようなマネまでして、かばってくれるとは思わなかった。
 自分はどうやら、アメリアのことを甘く見過ぎていたようだ。

 「リナは、いいお友達を持ったわね」
 「……うん」

 嬉しそうな母の言葉に、リナは大きくうなずく。本当に、自分も心からそう思ったから。

 「ほら。次が来るわよ」

 姉の言葉に、ふたたび視線を人の輪の中心に戻すと。
 一人の青年が、町長に向かってゆくところだった。

 「――俺もそう思うぜ」
 「アーチェスさん……」

 アメリアが、小さくつぶやく。アーチェスはアメリアに一度目をやって、もう一度町長の方へ向き直った。

 「俺は正直、神も悪魔も見たことはない。
  だが、話を聞くと、リナは子供を助けたんだろ? あんたらは、リナが魔女にでもなったかのような反応をするが、悪魔や魔女なら本当に、そんなことをするのかい?」
 「うっ…………」

 言葉に詰まる町長。
 たしかに、リナのしたことは方法に多大なる問題があったものの、結果だけ見れば人々から賞賛されてしかるべきことなのだ。

 あまりにも『方法』のインパクトが強すぎて、結果にはまったく目がいかなかった。それは他の人々も同じだろう。

 生物としての本能は、異質なるものを恐怖の対象として遠ざけようとする。しかし人間としての理性は、もっと冷静に物事を見ろと言い始める。
 生存本能と、人としてのプライド。どちらが勝つかは、個人によって違いがあった。

 後者が勝ったと思われる人々が、ばらばらと、わずかに身体を後ろにさげる。
 前者が勝った人々も、周囲がとったその行動に、多少なりとも混乱する。
 旗色が少しずつ良くなってきたことを感じ、成り行きを見守っていた父が、にやりと笑みを浮かべた。

 「ナイス、連携プレー」

 アメリアが先陣をきって、一点の曇りもなくリナの味方であることを強調し、『町が一丸となってリナを追い出す』という行為に待ったをかける。前から知っていたはずのインバース家の人間ならともかく、何も知らなかったはずのアメリアが、事実を知ってそれでもリナの味方をするということは、『リナを追い出すのが必ずしも一致した意見とは限らない』と、人々の無意識下へ訴える行為なのだ。
 人は、団体になれば大きさに比例して強くなるが、個になってしまうと案外気の小さいやつが多いものである。

 そうやってゆさぶられたところへ、アーチェスの冷静なツッコミが入った。元々、ほとんどの人は実際にリナのしたことを見たわけではない。話を聞き、想像から恐怖をふくらませただけだ。その恐怖が、おそらくはリナのしていないことまで、リナにはできるのではないかと想像する、という悪循環を引き起こしていたのだろう。

 町の人々を駆り立てた『恐怖』という感情さえ沈めてしまえば、人々は混乱し、これからの行動を決めかねてしまう。
 今、人々はまさにそんな状態。次の刺激で、事態は白にも黒にもなるはずだ。

 「……さあて、どうするか」

 小声でつぶやく父。こういう状況のとき、好戦的な彼の性格は、説得に向いていない。
 こんな場面に適した妻へと、主導権を譲ろうとしたのか、彼が家族のいる家の方を振り向きかけた、そのとき。
 またしても人垣から出てきた存在の気配に気づき、そちらへ構えなおした。

 長い金髪と黒いローブ。胸にはいつものロザリオが、月光に輝いている。
 緊張に張りつめてはいるが、若い顔は既知の顔。
 父は、固い表情の若者の名を呼んだ。

 「――ガウリイか」
 「……リナを出してくれないか」
 「リナを?」

 父の肩眉がはねあがる。
 この若者が、下の娘に対して愛着を持っているのは知っている。悪いようにはしないだろう、とは思うのだが……なにぶん、状況が状況だ。どう出るかわからないのに、最後のカードを出すようなマネはできない。

 まして、いくら今までリナを大事にしてきたとはいえ、あのチカラのことはこの男でさえ、知らなかったはずなのだから。
 父はジト目でガウリイをにらみつけ、

 「いくら神父だろうと、こんな夜更けに若いムスメ誘いに来た男に、ノコノコ本人出してやるほどお人好しな父親だと思ってんのか、俺が」
 「……気持ちはわかる。だけど、どうしても、今じゃなきゃダメなんだ」
 「ヘタな誘い方だな。20点ってとこだ。おまえもまた明日、出直しな」

 のらりくらりと、だがしっかりと拒絶されたことに業を煮やしたのだろう。ガウリイが突然声をはりあげた。

 「リナ!」

 辺り一帯に響きわたるほど、大きく。
 その声は、当然家の中にいた、リナの耳にも届いた。

 「ガウリイ……」

 動揺のためか、リナの口からガウリイの名がもれる。

 「リナ! 出てこい! お前に話をしなきゃならないんだ!!」

 ガウリイはリナの名を呼び続ける。
 その真意は――リナには計りかねた。

 姉の方に目をやると、彼女はリナの目をじっと見て、小さくうなずく。
 リナの好きにしろ、という姉のサイン。

 (……ガウリイ……)

 彼がなんと言いたいのか。正直、想像もつかなかった。
 いや、違う。一番大きな確率を持っている言葉は――
 わかっている。ただ、言ってほしくないから、目をつぶっているだけ。

 リナは、ガウリイがどれだけこの町を愛しているかも知っている。町の人々と接するとき、ガウリイがとても楽しそうな、幸せそうな顔をしているから。
 ならば、彼はきっと、この町を守ろうとする。そして、そのためにリナを――

 (けど、ガウリイなら……)

 たぶん、結果は同じでも。
 リナたちが町を出なければならないのは、避けられないことでも。
 ガウリイなら、きっと悪いようにはしない。
 少なくとも、この場は平穏におさめてくれるのではないだろうか。
 もちろん、多分に希望の入った予想ではあるのだけど。

 (ガウリイなら、信じられる)

 彼が、自分を町の人々に差し出し、私刑(リンチ)にかけるとは思えない。思いたくない。
 アメリアも、アーチェスも自分をかばってくれたことで、リナにはわずかな勇気と希望があった。

 「……ねーちゃん。あたし、行くね」
 「――わかったわ。気をつけて――」
 「だいじょうぶよ。だって、ガウリイだもの」

 姉にそう言って、ウインクひとつ。
 扉を開き、リナが姿を現すと、町の人々から先程とは比べものにならない、どよめきが広がった。

 ――出てきたぞ!
 ――噛みつかないかしら!?
 ――いや、なんでも全身から、トゲを飛ばすって……。

 …………ひどい言われ様である。
 リナは、周りを力いっぱい睨みつけてやりたい衝動を、必死でガマンした。この場で人々に、新たな恐怖を植え付けるのは、まったくもって得策ではない。
 ひくつくこめかみをなんとかおさえ、リナはガウリイの前に立った。

 いつも見ている青い目を、いつもの角度で見上げる。
 慣れたはずのその動作に、知らず身体が緊張した。

 (ガウリイなら――)

 もちろん、彼なら信じられる。だが、それだけではない。
 彼なら、彼にまで見る目を変えられるなら、諦めがつくと思ったのだ。
 もしも彼が、今彼女を恐怖の目で見る人々と同じような目で見るのなら。
 アメリアや、アーチェスと別れるのは寂しいけれど、自分はきっとこの町への想いが、ガウリイへの想いごとふっきれる。
 悲しいけれど……それも、きっと悪くない。

 それは、ガウリイの行動ならばすべて受け入れられる、ある意味ではガウリイの決断が彼女の思いに優先する、というほど彼を慕っている、ということなのだが、リナは気づかなかった。

 「リナ。いいや――」

 ガウリイの身体がゆるやかに動く。逆に、リナの身体は固くこわばる。
 そしてガウリイは――リナの前にひざまづいた。

 「聖女様。これまでの数々のご無礼、どうかお許しください」





















 「……………………………………………………
  ……………………………………へ?」

 空にはばたいたフクロウが、姿を見せなくなるほど遠くへ飛び立つぐらいの時間、たっぷり沈黙してから、リナの口は空気の抜けるような声を出した。
 それは周囲の人々も同じこと。半数は、たった今リナの出した声でようやく我に返り、あとの半数はいまだボーゼンとしている。

 リナとて、なんとか声が出たものの、実はほとんど無意識だった。彼女の意識はまだ、思考の海のただ中にいる。

 今、ガウリイはなんと言ったろう。
 エルフ並と自慢していた耳でも、聞き間違うことがあるのだろうか。
 だがしかし。いや、もしかして。とはいえそんなこと。

 さまざまな仮定が浮かんでは消えてゆく。ごちゃごちゃになった頭がなんとか出した最良策は――すなわち、もう一度聞き返すこと。

 「あの……ガウリイ…………
  今、なんて言った…………?」
 「ですから、聖女様。知らぬこととは言え、これまで対等の言葉を使い、対等のお付き合いをさせてしまって、心からお詫び申し上げます。そう申しました」
 「――――――はあああぁぁぁぁぁ!!?」

 今度こそ。
 リナは腹の底から、驚嘆の叫びをほとばしらせた。

 「ど、どっ、どこの誰が聖女だってーのよ!?
  言っとくけど、あたしはンなご大層なモンじゃっっ……!」
 「オレ……いや、わたしはたしかにこの目で見ました。あなた様が、常人の持ちえない力を使い、子供を助けるのを」
 「いや……そりゃそうだけど……」
 「いかにご自覚がなかろうと、あなた様は天の使い。間違いなく、聖女様です」
 「だっ、だからって……!」

 なおも言い募ろうとしたとき、ガウリイがリナに向かって顔を上げた。
 その表情を見て、リナはなにも言えなくなる。

 ほんとうに時々しか見ることのない、あたたかく、優しい笑み。見ているだけで恥ずかしいような、ずっと見ていたくなるほど引き込まれるような。
 いつもリナはこの顔を見ると、言いたいことを全て飲み込まざるをえなかった。そして、今回も。

 その笑みに含まれているのが、『慈しみ』という感情だとわかるほどには、リナはガウリイの気持ちをわかりきってはいなかったのだけれど。

 「……………………」

 リナが言葉を失っていると、その間に人垣の中から声が上がった。ブレイダーだった。

 「じゃ、じゃあ神父さま、彼女は……!?」
 「オレが保証する。決して人に不幸を呼ぶものでも、ましてや悪魔なんかじゃない。
  この町の信心深さに、天が使わされた神の御子、聖女様だ」

 ――ガウリイ神父が認めたぞ!
 ――それじゃあ、ほんとにホンモノ……!

 口々に皆が騒ぐ。それは今晩の事件の中で、一番大きなどよめきだった。
 大勢の大人たちによる興奮のるつぼのど真ん中で。リナは、小さくつぶやいた。

 「……う……うそでしょ……?」






 ――こうして、その小さな町に、『聖女』が降臨した。




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