古物語・2


 数日後、右大臣邸では花待ちの宴が催された。
 この頃の春は旧暦の正月、つまり今の2月初旬からだった。当然春の始めは、春は名のみの風の寒さや、ということになる。梅の花が咲くのも、もう少し先だ。

 もっとも宴を楽しむのは基本的に男達である。女は奥の部屋で、わずかに聞こえてくる雅楽の音を楽しむくらいしかできない。
 それすらも興味のない右大臣家の一の姫は、隣の少納言に話しかけた。

 「ぱーぷーぱーぷーうるさいわねぇ。今日は花待ちの宴だったっけ?」
 「そうですわ。多くの公達がお見えになってますのよ。皆さま才気あふるるすばらしい方たちばかりですわ」
 「それで女房達もキャーキャーうるさいのね…」

 姫がうっとうしげに呟く。若く美しい男に女が熱をあげるのは、いつの時代も同じことだ。

 「あーあ、早く終わんないかなぁ…。ところで少納言、あんた何やってんの?」

 少納言は普段ならわずらわしいからと姫があげさせている御簾を下ろし、香を焚いている。

 「本日間もなく、兄上様方がお見えになるんですよ。数人のお輩を連れて、姫を訪ねたい、とおおせでした」

 つまり、兄が友人を連れて遊びに来る、ということだ。姫は兄のことは結構好きだが、その友人までぞろぞろ引き連れてくる、というのはいささかいただけない。

 「兄様も一人でいらしてくれればいいのに…。何が楽しくて、妹のとこに友達連れてくるんだろ?」

 心底不思議そうな口調である。しかし、今回の目的が何であるかを、少納言は感づいていた。本当ならこの姫も、わかっておかしくないはずなのだ。頭の回転は姫の方が数段上なのだから。ただ、頭からその可能性を否定しているのと、思いがけないところで妙にニブい性格が結論の妨げとなっている。

 難儀なことだ。少納言は、これから先のことを思ってこっそり手を合わせた。




 姫と少納言を入れた御簾は、部屋をきれいに仕切っていた。御簾(みす)とは外から中は見えないが、中からは外が見えるマジックミラーのような家具である。

 御簾の前には公達が五人、揃って座っていた。身ごなしも話し方もすっきり整った、身分の高いことをうかがわせるものだが、共通点といえばそれくらいだろう。逆に言えば、この五人は身長も雰囲気も年も、五人それぞれバラバラだった。

 ここまでくると、さすがにニブいと言われる姫も、今回の主旨が飲み込めたようだ。

 「兄様。兄様のご友人は、ずいぶんいろいろな方がいらっしゃるのですわね」
 「いや、姫、それは……」

 一番姫に近い左端の公達が、冷や汗を流しながら弁明しようとする。姫に似ず、ポッチャリとした饅頭のような顔だ。まん丸の目を所在なくうろつかせ、必死にごまかそうとしている。

 「と…とりあえず聞いてくれ。まずあちらが右大弁ぜるがでぃす殿、その隣が左中将の………」

 姫はばれないようにあくびしながら、『兄様のお輩』の紹介を聞いていた。ゆるゆると動いていたその瞳が、兄の隣に座る人物のところでピタリと止まる。

 「……そして最後、この方が三の宮、光宮(ひかるのみや)と呼ばれるがうりい様だ」

 兄は妹姫の異変には気づかず、一気に全員紹介し終えた。光宮とも称される今上帝(きんじょうてい。今の天皇のこと)の三の宮(三番目の息子)のことは、姫も噂には聞いていた。光源氏の再来、とも言われるほど光り輝く美貌は、宮中どころか都中の話のタネなのだ。異性に対する憧れというより、純然たる好奇心から、一度その姿を見てみたいと思ってはいたのだが………。

 (なに……これ……)

 なるほど冴え渡る君との評判は、話だけではないらしい。男は父と兄弟以外ほとんど見たことのない姫だが、少なくともここにいる男達の中では群を抜いた美形だ。
 しかし。その身に纏う雰囲気は…尋常のものではない。

 「……さま…姫さま?」

 隣から名前を呼ばれた上につつかれて、姫はハッと我に返った。慌てて扇で顔を隠す。例え御簾の中で向こうから見えないとはいえ、仮にも女性である以上当然のたしなみなのだ。

 「な…何? 少納言」
 「お兄様が…。姫とお話したい、と」
 「あ、うん。何ですの、兄様?」

 兄は必死に汗を拭っている。どうもこの兄では、姫の気迫にはかなわないらしい。妹姫の機嫌を損ねないように懸命なのがよくわかる。

 「おまえ、この方々を見て、どう思う?」
 「どう、と申されましても…。皆さま、輝くように素晴らしい方だと思いますわ」

 これは誰が聞いても挨拶の域を出ていない。兄はこの見合いの失敗を確信した。姫にはこれが見合いだと直接的には言っていない。つまり、父の焦りの矛先は間違いなく自分に向くだろう。実に厄介である。

 少納言もまた、この展開に脱力しかけ、ふと気づいた。
 姫が、一人の公達を絶えず見つめ続けていることを。




 「すごいのがいたもんねー…」

 公達が一斉に帰った後、姫は肩の力を抜いてポツリと呟いた。

 「どうなさいました?」
 「あの光宮ってやつよ。あんな人間、初めて見たわ」

 一目で人の動きを凍りつかせるような、冷たい瞳。
 なまじ造作が整っているだけに、恐ろしさがいや増す。

 「特にあの目がね。思い出すだけでゾクゾクする」

 先程目が合った瞬間に感じた、背筋を走る悪寒は忘れようとしても忘れられるものじゃない。

 (二度と会わない事を祈るわ――。すごく不吉な感じがするもん)

 姫はひとつ大きく身震いすると、後かたづけをしている少納言に、

 「何だか寒いから、火桶(今のストーブ)が欲しいな。用意してくれる?」
 「はい、かしこまりました。お待ち下さいませ」

 なぜかやたらとニコニコ嬉しそうな少納言。姫は首を傾げたが、深く気には止めなかった。
 少納言は小走りに走り、すぐさま他の女房に火桶の用意を言いつけた。




 パタ、パタ、パタ…

 「やったではないか、少納言!」

 自室に駆け込むなり、姫の父・大臣は大声で叫んだ。

 「はい。姫さまはすっかり、宮さまがお気に召したみたいで。さすが噂に名高い光宮様でございましたね」

 部屋にいた少納言が、それを受ける形で返答する。

 この略式集団見合いの本命は、実はかの光宮だった。都でも名高い美男子なら、いくら姫でも興味を持つ、うまくいけば一目惚れするかもしれない、というのが大臣の計画であった。

 少納言がさり気なく公達に対する印象を聞き、良い答えが返ってきたら大臣の部屋でこの二人が話し合う予定だったが、まさか姫の方から宮に対する話をするとは思わなかった。

 「『ゾクゾクする』か…。うむうむ、姫も女人であったのだなぁ」

 大きく頷く大臣。ちなみにこの父親、結果が気になってこっそり聞き耳をたてに行っていたのである。そのため自室に着くのが少納言より遅くなってしまったのは言うまでもない。

 「宮さまはお美しい目をしていらっしゃいますから。姫さまもそれが印象に残っておられるようですわね。これ以上はないほどの良縁ですわ」

 二人は嬉しそうに笑い合う。
 さっそく、仕上げの計画が練られ始めた。

 「ゾクゾクする」と言った側と聞いた側の間には大きな誤解があることに全く気づかぬまま――……。




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