聖なる迷い子たち・4


 その町に越してきた風変わりな住人の噂は、夏が終わる頃にはあっという間に広がっていった。
 いわく、迷子の子ネコを送り届けた。おばあさんの荷物を持ってあげた。折れかけた木の枝を補強していた。

 普段の表情がムッツリしている分、みんなにはその行動がかなりイメージと違って映るらしい。まるで不良少年が周りのためになることをやった時のように、新鮮な印象を受けたようだ。

 「ホント、あれだけ外と中が一致しないやつも、やっぱり珍しいわよねー」

 ガウリイの教会の礼拝堂、いつもの机の上の定位置に座り、足をぷらぷらさせながら楽しそうにリナは笑う。
 ガウリイの方は向かいの席の椅子に腰かけていた。すでに机の上に座るなという注意はあきらめたようである。

 「ここに来る奥さん連中も、よく噂してるな。最初は『あいさつもろくにできない礼儀知らず』だったのに、今じゃ『あんないい子は他にいない』だぜ」
 「おんやあ? そういえば、ここにも見た目と中身の違う人が……」
 「? なんだよ。誰の話だ?」
 「とーぼけちゃってえ! その奥さん連中が、『神父さまに顔の半分ほどでも頭があれば』って話してるのをあたしは昔っから聞いてんのよお! うりうり!」
 「んなこと言われてもなあ…」

 意地の悪い笑みを浮かべたリナに、ガウリイは苦笑してみせる。それで満足したらしく、リナは再び軽快な笑顔を見せた。

 「同じ外見と中身が一致しないでも、ガウリイとアーチェスじゃ大違いよねー。いっそアーチェスみたいに、ガウリイもいい意味で裏切った方が良かったのにね」

 リナの口からその男の名前が出るたび、ガウリイの胸に針で刺したような小さい痛みが生まれる。
 これまでそういう事がなかったわけではない。リナはよく、町の人々の話をガウリイにしてくれたものだ。もっとはっきり、誰それってカッコいい男の子がいてね、という話を聞いたこともある。

 だが、これだけ心が落ち着かないのは初めてだった。
 話しているリナの顔が、とても楽しそうだったからかもしれない。

 「…リナ。マジェンダおばさんに昨日フルーツケーキもらったんだ。お前さんも食べるか?」
 「ラッキー♪ もっちろん! 食べる食べる♪」

 うわさ話をしている時より晴れ晴れとしたリナの顔を見て、ガウリイはなぜか少しだけ安心した。









 教会を出たリナは、そのまま家路についていた。今日は特に野菜ももらっておらず手ぶらだったが、寄り道をする必要もアテもない。

 西日のきれいな空が広がっている。匂いたつバラの垣根の通りを過ぎ、今度マジェンダおばさんにあのケーキのレシピ聞けないかな、と思いながら広場の横の道を歩いている時、ふと何かが視界にひっかかった。

 数歩後戻りして、辺りを見回してみる。
 柔らかなオレンジ色の陽光がさしこむ、緑の植え込みの側で見つけた人影。
 そこには、広場の隅にしゃがんで何かやっているアーチェスの姿があった。

 「あ……」

 小さく声を出したため、アーチェスもリナに気がついた。表情も変えずに声をかけてくる。

 「……よう」
 「…何してんの?」

 リナはそっと近づいてみた。彼の前には少しこんもり盛られた土と、その上にささっている小さな木の棒。

 「お墓…?」
 「ああ。鳥がそこに落ちてたんだ。何があったのか知らねえが、見つけた時にはもう固くなってた」

 ほんのわずかに、少しだけ、その声が悲しそうに聞こえて、リナはアーチェスの隣にしゃがみこむ。彼もリナを追い払おうとはせず、墓を見つめたまま続けた。

 「…こうして墓を作ってやったんだから、これで天国に行けるといいな」
 「あなたは天国って、本当にあると思う?」
 「わからねえよ。というより、ないと思ってる。神サマだの天国だの、人がおとなしく生きるための作り話にしか思えねえからな」

 そう言ってから、アーチェスは墓に向かって十字を切り、手を合わせる。それがリナにはちょっと不思議に思えた。

 「珍しいわね。この町の住人で、そこまできっぱり神サマを否定するなんて。
  それなのに、十字を切ってるの?」
 「俺は他に弔いの方法を知らねえからな。これは死者に対する礼儀だ。死んだ肉体は腐って、植物に吸収されるだけだけども、そいつが生きたことを心に残し、死んだことへの区切りをつける。もともと弔いってのは、生きてるヤツの感傷に過ぎない。そいつを『思った』気持ちを形にすれば、何でもいいんだ」

 ここで言葉を切り、初めてアーチェスはリナを見た。肩を小さくすくめ、そんな感じがする、という程度の笑顔を見せる。
 それは多分に苦笑に近かったが。

 「…と、ものの本に書いてあった」
 「そっか」

 リナも小さく呟き、墓に向かって十字を切ってから手を組んだ。
 見てもいない鳥ではあるが、その子が安らかに眠れるよう、『何か』に祈る。
 やがて目を開けると、リナはいつもの顔に戻って興味深げにアーチェスを見た。

 「それにしても、ずいぶん前衛的な物の見方をするじゃない」
 「……家が学者の家系だからだろうな。知識を詰め込む本だけは、事欠いたことがない。知識があれば、自然とこれくらいのことは考えるさ」

 そう言うアーチェスの顔は、もう元の無表情に戻っている。
 静かにこちらを見ている蒼い瞳。それを見つめ返していて、リナはふとその事に気づいた。

 この色は海の蒼だ。広い広い、限りなく広いものを感じさせる海の色の瞳。
 彼女のよく知っている、5年間見つめ続けてきた瞳も、同じように無限の広さを感じさせる瞳なのだ。

 もっとも、あちらは空の青だけれど。感じる『広さ』はとてもよく似ていて。
 青は冷たい印象のある色なのに、彼らの瞳はどこかがとても暖かく思える。
 だからかもしれない。こんな言葉がふいに口をついて出たのは。

 「ねえ、あたしにもその本、見してくんない?」
 「はあっ?」

 アーチェスが間の抜けた声を出し、呆けた顔をする。彼の表情が崩れたことを面白いと感じながら、リナはさらに言い募った。

 「ほら、この辺じゃまともな本が手に入らないじゃない。野菜の作り方とか、お菓子の作り方とか、色々知りたいことがいっぱいあるのよ」

 これはリナが前から知りたがっていたことだった。
 いつも野菜をもらってるお礼に、ガウリイの野菜作りを知識付きで手伝いに行ったり新しいケーキを持ってってやったりしたら、きっとガウリイは喜ぶだろう。

 だが、町の本屋で売っている本の知識では限度があった。家庭菜園の本などガウリイも持っているし、お菓子作りはヘタな本より姉の方が格段にうまい。
 新しい知識をその本で得られれば、ガウリイはびっくりするかも。

 もともと好奇心旺盛なリナにとって、新しい本というのはとても魅力があった。

 「わ…わかった。お菓子は知らねえが、野菜栽培の本は確かどこかにあったと思う。うちに来て読んでく分には構わねえよ」
 「やった! ありがとアーチェス!」

 飛び跳ねんばかりの勢いで、リナはアーチェスの手をとって嬉しそうに笑いながら喜ぶ。その喜びように、アーチェスはますます驚き、呆気にとられていた。








 そんな2人を遠くから見つけ、その場に縫い止められたように立ちつくす人影があった。
 握りしめた手には知らず力が入り、指先は真っ白になっている。

 視線をそらす余裕すらなく、くいいるように見つめる一対の目は、リナが大好きな空の色。
 胸のロザリオは光を受けることもなく、ただ沈黙を守っていた。




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