月が高くその姿を皆に知らしめている、夜もかなり更けた時間。 昼間の世界に生きる者は、人間も動物も、等しく寝床で眠りの世界に旅だっている頃。 インバース家の周囲に広がる光景は、この小さく静かな町ではついぞ見られたことのない、とても異様な光景だった。 町の住人たちが、数十人ほどでインバース家を取り囲んでいる。こんなことは、インバース家が営んでいる雑貨屋で、全品半額大売り出しセールでもやらなければ、起こり得ないことだろう。
皆は、手に手にいろいろなものを持って集まっている。鋤や鍬などの農具を持っている者、太い丸太を持っている者。
「ねーちゃん……なんだと思う? あのレパートリー……」
こっそりと外の様子を覗きながら、インバース家の姉妹たちは、穿った意見を述べた。
リナのウワサは、すでに町中に広がっている。小さな町では、他と違うということは、ほんのなにげないことでも、排除の対象となるのだ。
同じ『排除すべき対象』とひとくくりに言っても、たとえばドラ息子と殺人犯では対応の仕方がまったく違う。姿を見かけたとき、前者なら眉をしかめる程度だし、後者なら逃げ出すだろう。
今すぐにでも追い出すべきだという者。へたに逆らったら何をされるか――それでなくともリナやインバース家の家族の破天荒さは知られていたので――わからないという者。
「でも困ったわ。ご近所がみんな来てるから、ご近所迷惑にはならないけど……」
母のぼやきを、姉が受け継ぐ。隣で聞いていて、リナはなんとも言えない寒気を感じた。
「しゃーねえな……ここは俺がおさめてきてやるよ。前にもこういうことはあったしな」 にやり、と人の悪い顔で父は笑う。その物騒な笑みは、『相手の態度によっては、妻や上の娘と同じくらい、騒ぎを大きくする』と雄弁に語っていた。
「ほ……ほんとにだいじょーぶ? とーちゃん」
だんだん心配になってくるリナに、父はやはり安心できない答えをかえす。 ざわわっ………… 家の中から人が出てきたことで、町の人々の間にざわめきが走る。中の女性陣3人は、外から見えない位置に身を隠して、様子をうかがうことにした。
父は、ぐるりと周囲の人を見渡した。たっぷり三回ほど見回す時間がたっても、誰もなにも行動を起こそうとしない。 「こんなに大勢のお客さんに来てもらえるのは嬉しいんだが……」 内容に、ではなく、彼が言葉を発したことによって、人々の間に緊張が走る。 「見てのとおり、すでに店じまいの時間だ。悪いが、また明日でなおしてくれや」
父は、飄々とした笑みを崩さない。その余裕にあふれた態度に、人々は戸惑った。
黒の中に白、というより白の中に黒い髪と髭をいくらか生やした、初老の男。いつもは自信たっぷりな笑みが、月明かりの下でわずかに憔悴しているのは、おそらく夜の暗さのせいだけではないだろう。
「なあ、インバースさん……」 彼は答えを返さない。町長の言葉を待っているのか、言うべき言葉に迷っているのか。 「あんたの娘さん……いったい、何者なんだ?」
わずかに青い顔をして、あえぐように言葉をもらす町長。
「ナニモンもなにも、うちの娘は二人とも、可愛いカワイイ俺の娘だ。それ以外のナニモンでもないだろうが」
もっと、具体的な問いかけがしたいのだろう。しかし、それは父の迫力に気圧されて、できないことであった。
――リナ=インバースは本当に、人間なのか? むろん、インバース家の人々の間で、答えは疑いようもない。リナは、母から生まれた父の子で、ルナの妹なのだ。
しかし町の人々にとって、『他人』であるリナを、そこまで素直に考えるには、あまりにリナのチカラは異質すぎた。 「やめてくださいっっ!!」 うち破ったのは、少女のあげた、悲鳴のような声だった。
「――あんたは」
再び人の輪から、ひとつの人影が飛び出してくる。
父は下の娘の親友であるアメリアのことをよく知っていたし、町長も町の資産家であるフィリオネル=エル=ディ=セイルーンの娘を知っている。
「どうして、リナをいじめようとするんです!? リナがなにしたって言うんですか!」
リナほどではないにせよ、小柄な少女が大の男に詰め寄っている。それだけ、彼女の迫力は大きく、そして真剣だということだ。 「アメリア……あんた……」
嫌がられるか、と思っていた。もちろん、普通に友達として接してくれる可能性も考えていた。だが、こうやって町中の人を敵に回すようなマネまでして、かばってくれるとは思わなかった。
「リナは、いいお友達を持ったわね」 嬉しそうな母の言葉に、リナは大きくうなずく。本当に、自分も心からそう思ったから。 「ほら。次が来るわよ」
姉の言葉に、ふたたび視線を人の輪の中心に戻すと。
「――俺もそう思うぜ」 アメリアが、小さくつぶやく。アーチェスはアメリアに一度目をやって、もう一度町長の方へ向き直った。
「俺は正直、神も悪魔も見たことはない。
言葉に詰まる町長。 あまりにも『方法』のインパクトが強すぎて、結果にはまったく目がいかなかった。それは他の人々も同じだろう。
生物としての本能は、異質なるものを恐怖の対象として遠ざけようとする。しかし人間としての理性は、もっと冷静に物事を見ろと言い始める。
後者が勝ったと思われる人々が、ばらばらと、わずかに身体を後ろにさげる。 「ナイス、連携プレー」
アメリアが先陣をきって、一点の曇りもなくリナの味方であることを強調し、『町が一丸となってリナを追い出す』という行為に待ったをかける。前から知っていたはずのインバース家の人間ならともかく、何も知らなかったはずのアメリアが、事実を知ってそれでもリナの味方をするということは、『リナを追い出すのが必ずしも一致した意見とは限らない』と、人々の無意識下へ訴える行為なのだ。 そうやってゆさぶられたところへ、アーチェスの冷静なツッコミが入った。元々、ほとんどの人は実際にリナのしたことを見たわけではない。話を聞き、想像から恐怖をふくらませただけだ。その恐怖が、おそらくはリナのしていないことまで、リナにはできるのではないかと想像する、という悪循環を引き起こしていたのだろう。
町の人々を駆り立てた『恐怖』という感情さえ沈めてしまえば、人々は混乱し、これからの行動を決めかねてしまう。 「……さあて、どうするか」
小声でつぶやく父。こういう状況のとき、好戦的な彼の性格は、説得に向いていない。
長い金髪と黒いローブ。胸にはいつものロザリオが、月光に輝いている。
「――ガウリイか」
父の肩眉がはねあがる。
まして、いくら今までリナを大事にしてきたとはいえ、あのチカラのことはこの男でさえ、知らなかったはずなのだから。
「いくら神父だろうと、こんな夜更けに若いムスメ誘いに来た男に、ノコノコ本人出してやるほどお人好しな父親だと思ってんのか、俺が」 のらりくらりと、だがしっかりと拒絶されたことに業を煮やしたのだろう。ガウリイが突然声をはりあげた。 「リナ!」
辺り一帯に響きわたるほど、大きく。 「ガウリイ……」 動揺のためか、リナの口からガウリイの名がもれる。 「リナ! 出てこい! お前に話をしなきゃならないんだ!!」
ガウリイはリナの名を呼び続ける。
姉の方に目をやると、彼女はリナの目をじっと見て、小さくうなずく。 (……ガウリイ……)
彼がなんと言いたいのか。正直、想像もつかなかった。
リナは、ガウリイがどれだけこの町を愛しているかも知っている。町の人々と接するとき、ガウリイがとても楽しそうな、幸せそうな顔をしているから。 (けど、ガウリイなら……)
たぶん、結果は同じでも。 (ガウリイなら、信じられる)
彼が、自分を町の人々に差し出し、私刑(リンチ)にかけるとは思えない。思いたくない。
「……ねーちゃん。あたし、行くね」
姉にそう言って、ウインクひとつ。
――出てきたぞ!
…………ひどい言われ様である。
いつも見ている青い目を、いつもの角度で見上げる。 (ガウリイなら――)
もちろん、彼なら信じられる。だが、それだけではない。 それは、ガウリイの行動ならばすべて受け入れられる、ある意味ではガウリイの決断が彼女の思いに優先する、というほど彼を慕っている、ということなのだが、リナは気づかなかった。 「リナ。いいや――」
ガウリイの身体がゆるやかに動く。逆に、リナの身体は固くこわばる。 「聖女様。これまでの数々のご無礼、どうかお許しください」
空にはばたいたフクロウが、姿を見せなくなるほど遠くへ飛び立つぐらいの時間、たっぷり沈黙してから、リナの口は空気の抜けるような声を出した。 リナとて、なんとか声が出たものの、実はほとんど無意識だった。彼女の意識はまだ、思考の海のただ中にいる。
今、ガウリイはなんと言ったろう。 さまざまな仮定が浮かんでは消えてゆく。ごちゃごちゃになった頭がなんとか出した最良策は――すなわち、もう一度聞き返すこと。
「あの……ガウリイ…………
今度こそ。
「ど、どっ、どこの誰が聖女だってーのよ!?
なおも言い募ろうとしたとき、ガウリイがリナに向かって顔を上げた。
ほんとうに時々しか見ることのない、あたたかく、優しい笑み。見ているだけで恥ずかしいような、ずっと見ていたくなるほど引き込まれるような。 その笑みに含まれているのが、『慈しみ』という感情だとわかるほどには、リナはガウリイの気持ちをわかりきってはいなかったのだけれど。 「……………………」 リナが言葉を失っていると、その間に人垣の中から声が上がった。ブレイダーだった。
「じゃ、じゃあ神父さま、彼女は……!?」
――ガウリイ神父が認めたぞ!
口々に皆が騒ぐ。それは今晩の事件の中で、一番大きなどよめきだった。 「……う……うそでしょ……?」
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