黄色く色づいた葉が1枚、ほんのひとときだけ窓に貼り付き、すぐまた風に吹かれて飛んでゆく。 少し前までは当たり前のように見られたこんな光景も、季節の移ろいと共にかなり減ってきた。 もう木々の葉の中で、落ちるものたちはほとんど落ちきっており、すでに固い枝がどこからでも万人に見える姿となっている。 礼拝堂の掃除をしていたガウリイは、最近日増しに冷たくなってくるバケツの水で雑巾をあらい、大きく息をついた。ガランと人のいない礼拝堂を、ゆっくり見回す。
『あの日』から、ここもずいぶん静かになってしまった。
教会では偶像崇拝を禁じているはずなのだが、やはり実際に神――より正確には、天からの使いということになっている――が身近にいると、教会よりそちらでお祈りする者が増えるのだ。 「……だから、寄付金とかも減るかと思ってたんだけどなあ」
ガウリイは誰もいない礼拝堂で一人ごちる。
なんでも、信心深い人が『聖女の降臨』に感動して、これまで以上にお布施をしようとするかららしい。当然最初はリナ本人に渡そうとしたようだが、リナ自身がつっぱねたそうだ。 その話を聞いたとき、ガウリイは小さく微笑んだ。リナが昔から金にうるさく、非常にがめついのは知っていたが、だからといって全くいわれのない金までもらうほど、金に汚くも醜くもないこともまた知っている。 ――――………………。 「……オレって、重傷だよなあ……」
いつのまにかまた、リナのことを考えている自分に気づいて、ガウリイは大きく大きくためいきをついた。
「あ……。誰だ?」
きぃ、と小さく音をたてて扉を開けたのは、つややかな黒髪に青い瞳をたたえた、小柄な少女。
「どうした、カゼか? それとも食い過ぎか? ……って、リナじゃないもんなあ。それじゃ……」
アメリアは言ったが、ガウリイはそれこそ構わず、お茶の用意をしに台所へ立った。
……本当は、彼女のお気に入りのお茶なのだけれど。 ――前は、そんなの気にしたこと、なかったんだがな。 自分の思考に思わず苦笑して、ガウリイは考えを中断した。手早く準備をととのえ、アメリアが待っている礼拝堂へ向かう。 「おーい、アメリ、ア……」
声をかけながら、中を覗き込んで。 「……上がらせてもらってるぜ」
アメリアの隣に、さっきはいなかった青年が一人、座っている。 「お前さん……だれだっけ?」 がだがっだん!! 威勢のいい音をたて、大きなリアクションでアメリアが椅子からころがり落ちる。
「ガウリイさんっっ!! 町の人の名前ぐらい覚えてください、神父さんでしょうっっ!?」
黒髪の青年が、ガウリイの意見に賛同する。ガウリイは、驚いた顔で青年を見つめた。
「ガウリイさん、彼はうちのおむかいに住んでる、アーチェスさんです」
突然息をのんだガウリイに、アメリアがいぶかしげな顔をする。アーチェスも、予想外に大きいガウリイの反応が意外だったようだ。 (アーチェス……って、あの……!)
思い出した。たしかしばらく前、リナや噂好きの主婦たちの話題によく上がっていた、青年の名だ。無口で不愛想、粗野で乱暴な言葉遣いだが、とても心根の優しい青年だ、と。
そう。リナが以前、自分以外に笑みを向けているのを見たことがあって。恋心を含んだその笑顔を向けられた青年に激しく嫉妬し、その後一週間リナが姿を見せなかったことにずいぶん心を苛まれたものだった。 「……なにか、用なのか?」
声色が変わることは、なんとか避けられた。だが、ぶっきらぼうな言い方になることと、視線を合わせられないことはどうにもならなかった。
「えっと……用、というのは、あの……」
戸惑いから、歯切れの悪くなるアメリアの言葉を、アーチェスが継いだ。 「あいつ、家からまったく、出ようとしなくてな。どうせここにも来てねぇんだろ」
ぴく、とガウリイの肩がはねた。
「リナ……。あのままじゃ、ちょっと可哀想ですよ……。あれじゃ、聖女じゃなくて見せ物です。……どうにかならないんですか?」 アメリアの表現にアーチェスもうなずき、二人そろってため息をもらす。
彼女らが言っているリナの現況については、ガウリイもわずかばかり知っていた。
だが実際には、町の人でも信心深い者がリナの姿を見るたびに道をあけ、買い物などしようものなら「聖女様からお金は取れません」と代価の受け取りを拒否する。
ガウリイも、買い物の光景と老人がすがりつく光景を一度ずつ目にしたが、どちらもリナは非常に困惑していた。かといって、リナを聖女に認定した彼が、「もっと普通に扱え」などと言えるはずもなく。
「ガウリイさん、単刀直入に聞きます。――リナを、本当に聖女だと思っているんですか?」
窓の外を見ながら、ポツリとつぶやく。 決して目を合わせようとしないガウリイの態度は、相当説得力にかけていたらしい。アメリアが音をたてて椅子から立ち上がった。
「本当の本当に、ですか!? わたしには、そうは見えません!」 意表をつかれて、ガウリイはアメリアに視線を向けた。アメリアは懸命になにかを堪えるような顔で、
「本当に、リナを『聖女』とかいう存在だと思ってるなら、それを迎えることは教会にとって、よろこばしいことのはずですよね? なのにガウリイさん、今、とても辛そうな顔してます。 ガウリイは内心舌をまく。アメリアがときどき、やけに鋭いことは知っていたが。そんなことまで見えていたとは。
というよりも、自分がそんな顔をしていたことに、一番驚いた。 「正直なところ、俺やアメリアは、リナがナニモンでも、たいした問題じゃない。あいつはどう見ても、人間にしか見えないからな」 それは、インバース家の家族がリナに言ったのと同じ言葉。 「だから、あんたの意見が聞きたい。本当にあの夜から、リナを『聖女』とやらとして見ているのか。……あいつも、それを気にしていたぜ」
誰が、と聞くことはできなかった。聞く必要もなかった。
「…………ああ。思いがけず『聖女様が降臨』してくださって、『協会関係者としては』非常に嬉しく思うよ。 ばんっっ!!!
ガウリイのセリフは、大きな音で遮られた。 「ガウリイさんなんか……ガウリイさんなんかっ、知りませんっ!!」
言い捨てるなり、礼拝堂を走り去った。
「……今のがあんたの本音か?」
「あんたがあくまで、あいつを聖女として扱うなら、俺とは関係ねえ。俺はあいつを、一人の人間の女として、扱わせてもらう。
アーチェスが何を言いたいのか――言葉の内にある、『女として扱う』ということがどういうことか、明確に計りかねるガウリイは、無言で、しかしわずかな敵意を込めて、アーチェスを睨みつけた。
二人が出て行き、再び礼拝堂に静寂が戻る。ガウリイは椅子に座り、二人がまったく手をつけなかったクッキーを一口かじった。 「……言うわけには、いかないじゃないか……」
『聖女』という存在が、本当にいるかどうかはともかく。ガウリイとしては、リナをそんなものに祭り上げる気などさらさらなかった。 「あのとき……ほかに、どういう手段があったっていうんだよ……」
救いを求めるように、礼拝堂の十字架を見上げる。
不思議な力を持つ少女。異質な力を持つ、異質な存在。人の姿をした人ではないもので、天使と悪魔以外の存在を、自分は知らなかった。
それゆえ、たとえリナが望まなくても、自分は彼女を『聖女』だと思わなければならなかった。 「オレは……間違ってませんよね……?」
彼を見下ろす十字架は、なにも答えない。
リナのためを思って、『聖女』という称号をムリに押しつけた。
だが、しかし。本当は、自分のためだったのではないか?
かつて夢想した、『いつまでも子供のままのリナ』が、現実になる。 「……っふっ……っっ…………」
バカだ。オレは。 「……………………」
リナはあの日以来、教会に一度も姿を現していない。
でも、心のどこかで、安堵している自分がいることも確かだった。教会に彼女が来れば、神父であるガウリイは『聖女』を敬わなければならない。
……もしかすると、あんな事件が起こらなくても、近いうちにこういう結末が用意されていたのではないだろうか。
たとえ、結果が同じでも。 「………………神よ………………」
彼を見下ろす十字架は、なにも言わない。 |