「……そう。ガウリイはそんなことを……」
はふぅ、とリナは大きく息を吐いた。彼女の次の表情を探って、目の前のアメリアとアーチェスが心配そうな顔をしているのが、彼女にはわかる。
「やだな、2人とも。そんな顔して、どうしたのよ」 いまだ声にも心配をにじませるアメリアに、リナは呆れた調子で答えた。だが、長いつきあいのアメリアは、そう簡単にごまかされてはくれない。
「全部。目も声も雰囲気も」 遠慮会釈のない言葉にリナのこめかみがひきつる。しかし事実なのだから反論しようもなく、リナはもう一度息をついて、身体の力を抜いた。
「そうね……。落ち込んでるとか、悲しいとかいうのとは違うわよ。あえて言うなら――」 的確な表現がすぐには見つからず、リナはだまりこんだ。
ガウリイの真意が聞きたい。そう思い、彼女たちに頼んで教会へ行ってもらったのはたしかに自分だ。どんな答えが返ってきても、冷静に受け止めるつもりだった。
しかし。ほんのかすかにだが、小さく、本当に小さく、嬉しいという感情があったような気もする。
「『トクベツ』――なのかな……」 リナのもらした呟きをアメリアが聞きとがめる。リナは何も言わなかったことにした。
「あえて言うなら、フクザツな気分、かな」
真実だった。嬉しいという感情があるにはあるが、それはほんの小さなもの。大部分の気持ちは、やはり悲しいし寂しいのだ。
「……それで?
ずっと沈黙を保っていたアーチェスが口を開く。逆に、リナは口をつぐんだ。
彼女は、今回の騒ぎが必ず収まると、楽天的に考えてはいなかった。
しかし同時に、リナが生きている限り『聖女』扱い、というのも、十分考えられる可能性であった。 今の状況から脱却する、具体的な方法はまったく思いつかなかった。今日まで1ヶ月、ほぼ毎日考え続けてきたにもかかわらず、だ。 「ぜんぜん、まったく。どうするのがいいかなんて、カケラなりとも思いつかない」
肩をすくめてお手上げポーズをとるリナ。どうにも今日は、二人に押されっぱなしである。
「あのな、俺にちょっとした考えがあるんだが……」
昼は秋の余韻を残しているが、日の出日の入りの前後、そしてもちろん夜の間も、すでに空気は冬のものに移り変わっていた。 こんな朝早くに起きているのは、牛乳配達と新聞配達ぐらいだろう。その彼らの姿にしろ、毎朝1回ずつしか見かけないのだから、彼らが通り過ぎてしまった後の道に人通りはまったくなかった。
普段ならば、ガウリイとて本来起きている時間ではない。まだ自分の体温であたたまった布団にくるまり、明け方の夢をさまよっている時間だ。 (――93……94……)
数を数えながら、木刀を振り下ろす。 (……98……99……)
何度も何度も木刀を振ると、昔の感覚が蘇る。
あの頃の、迷いを持たぬ自分に、剣を振るう瞬間だけは帰れるような気がしていた。 (……106……107……)
ブン、と(たぶん)107回目を振った、ちょうどそのとき。 「――――!」 思わず、息をのんだ。 朝日が逆光となり、まぶしくその人の姿を覆っている。わずかに影となりながらも見える顔。いつもの栗色の髪は、金茶色に染まっている。
久しぶりに見る、けれどいつも脳裏に思い描いていた彼女の姿。
「……リナ……」 にっこり笑ってあいさつをするリナ。首を小さくかたむけた拍子に、長い髪とたんぽぽ色の――今はまっさらな黄金色に染まっているジャンパースカートが、ふわりと揺れる。
リナの笑顔が輝いているのは、本当に逆光のせいだけだろうか?
そこまで考えて、彼は、今の自分と彼女の立場を思い出した。
「聖女さま……こんな朝早くから、どうなされました?」 「リナ。あたしの名前はリナ=インバース。『聖女さま』、とやらいう、シュミの悪い名前に改名した覚えはないわ」
「……ですが、」 ぷっくりと頬をふくらませ、リナは横を向いてしまう。それでも一応、ガウリイは善処を試みた。
「あの……聖女さま。私の立場は神父ですから、そういうわけには……」 リナはそっぽを向いたまま、ガウリイの方を見ようともしない。ガウリイは、大きくためいきをもらした。彼の悩みを表すかのように、白い大きな呼気が風に流れる。 こうなった時のリナには何を言っても無駄だということを、彼は長いつきあいの中で熟知していた。思いっきりがしがしと、金色の頭を掻き回して、もう一度大きく息をつき、肩を落とす。
「あー、わかったよ、リナ。少なくとも今は、前と同じしゃべりかたにするから」 今度こそガウリイの方を向いて、にやりと不敵に笑う少女。ガウリイはその中に、『聖女』という言葉のイメージにはありえない、勇ましさを見つけたような気がした。
彼女ほど、『聖女』という言葉の似合わない女性は、そういないだろう。むしろ、イメージとしては『戦天使』とでもいうべきだ。 (いつまで、取り繕えるかな……)
人々を、ごまかしきれなくなった時。それは、彼がリナを失うとき。
わずかに気持ちが落ち込むのを、彼は自覚した。
「……ガウリイ?」 追求をさっさととりやめ、リナはガウリイの思いもかけないことを言って、あっけらかんと笑う。逆にガウリイは、あまりにも唐突な用件に少し驚いた。
「ごはん……? まさかお前、朝メシたかりにここへ来たのか?」
拳をかためて叫ぶリナ。
「わかったよ。といっても、昨日の残りもんしかないけどな」 他愛ない会話。それは一月前と変わらない、幸せな時間。
「それじゃ、台所に来いよ。今、準備するから」
機嫌よく教会の中に入ってゆくリナの後を追って、ガウリイも歩き出す。
決して贅沢ではないが、いい素材とちゃんとした腕で作られた料理は、リナの欲求を満たすのに十分だったようだ。ガウリイがテーブルに並べる段階から、リナはもう目をきらきらさせている。
「をををおおおぉぉぉっっ!! なによなによ、ゴーセイな朝ゴハンぢゃないっっっ!!」
いつもの静謐な朝の教会からは、想像もつかないほどの喧噪が、その日の朝は特別に響きわたる。 ガウリイの用意した朝食は、普段の倍以上のスピードで、2人のお腹に消えていった。食事開始から時間がたてばたつほど、相手のお腹に食料が消えてゆくのだから、自分の分を確保するにはこちらもお腹の中に隠すしかないのである。
「あー、おいしかったわー。ガウリイ、ごちそうさまー」
ガウリイは、朝食の残骸とも言える食器だけが残ったテーブルを見やる。そういえば、ここしばらくこんなに気持ちよく食事をしたことはなかった。
彼は幸せそうにおなかをさすっているリナを見る。腹だけでなく、久々に胸も満たされる。 だから。
彼は、彼女を限界までごまかさなければならない。町の人も、彼女自身も、自らの気持ちさえも。 「しかしなぁ、リナ。お前さんは『聖女』なんだから。もう少し、それらしくおしとやかにしないとだな――」
嘘吐き。
心のどこかから声がする。この声をなんという名前で呼ぶのか、ガウリイにはわからなかった。
「――いいか、もっと自覚を持つんだぞ」 いつのまにかうつむいて黙りこんでしまったリナに気づき、ガウリイは声をかける。やがて、リナは何かに挑むような目つきで、ゆっくりと顔を上げた。
「ガウリイ……。違うわ」
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