トルコ

2007年4月
ペルガモン遺跡・アスクレピオン



ペルガモン遺跡

 アレクサンダー大王亡き後、このペルガモンの地は大王の腹心の部下リシマコスが支配したが、リシマコスはシリアとの戦いに敗れ戦死した。その部下であったフィタイロスが実権を握り、紀元前281年にペルガモン王国を築いた。
 小アジアとの交易の権益を握った王国はその豊富な財力を生かして神殿や王宮を建設した。その後、ローマの属州となった後もヘレニズム都市としての繁栄が続き、図書館の蔵書ではエジプトのアレキサンドリアの図書館と肩を並べるほどであった。

ペルガモン遺跡

 トラヤヌス神殿は2世紀の中頃にローマ皇帝ハドリアヌス帝によって先帝トラヤヌスに捧げるために建造された。

 8世紀になるとアラブ人の侵入を受け、衰退の道を歩み、19世紀にゼウスの祭壇をドイツに持ち出され、ヘレニズム都市としての往時の面影は薄れた。

ペルガモン遺跡



ペルガモン遺跡
トラヤヌス神殿


ペルガモン遺跡


ペルガモン遺跡
劇場

ペルガモン遺跡
劇場
 劇場は丘の南西斜面に造られ、古代遺跡の劇場の中でも最も急斜面な分、音響と眺望に優れている。この急斜面を降りるのは足元に注意が必要だった。








アスクレピオン


アスクレピオン

 アスクレピオンはペルガモン遺跡のアクロポリスとペルガマ川を隔てた対岸の丘の上にある紀元前4世紀から紀元後4世紀の間使用された総合医療施設。

 入浴治療、精神療養、リハビリ、リラクゼーションなどを兼ね備えた施設だった。

 劇場で芝居などを見て楽しむのも治療の一環と考えられていた。
 聖なる泉と治療所を結ぶ地下道は俗世と神聖な場をつなぐと言われ、この地下道を通るときに患者は神のお告げを聞いた。この神のお告げは医者の言葉だった。

 治療所でマッサージなどを受けたと言われている。

アスクレピオン
地下道の入り口


アスクレピオン
治療所


アスクレピオン

 ヘビは再生のシンボルであり、現在もヨーロッパなどでは薬局の看板に使われているところもあるという。