トルコ

2007年4月
イズミール → ペルガモン → トロイ → チャナッカレ


 5時50分起床。一昨日、昨日に続いての5時代の起床。でも、ちょっとずつ起床時間が遅くなってくるのは心理的に楽。

 8時00分にホテルを出発!と思いきや、添乗員さんがバスに乗車したツアーメンバーに向って、「精算がお済みでないお客様のルームナンバーを申し上げますので精算をお済ませください」。私たちの部屋は大丈夫だったけど、ツアーメンバー20人=10部屋(今回、一人参加なしだったのだ。)のうち、4部屋が呼ばれた。
 そう、お部屋のテーブルに置かれた籠に入ったスナック菓子をウェルカムお菓子と勘違いして持って出た(食べた)方々に精算が発生したのだ。価格表、ちょっと離れたテレビの上で字も小さくて判り難かったけど、小さい子供でなく大の大人が間違えたのですね。ということで、イズミールでプリンセス・テルマルをご利用の際はご注意ください。

ペルガモン遺跡
トラヤヌス神殿

 出発したときは雨でどうなることかと心配したけど、約2時間30分で到着したペルガモン遺跡では、曇りときどき晴れの天気になってホッ。

 10時35分からペルガモン遺跡の見学スタート

 ペルガモン遺跡のアクロポリスは、想像以上に大きくて広くて、山上にある見晴らしのいい遺跡。ちょっとこの日は風が強くて冷たく感じた。

 保存状態はイマイチでかなりの部分が崩れており、修復されているのはごく僅かで、遺跡に使われていた石がそこここにそのまま放置されていて、そこに春の花が咲いているのは、ときのうつろいを如実に物語っているようだった。
 この遺跡たちは、ここで四季折々の植物と共に何を見てきたのだろうか。
 →綺麗なアーチが続く。その技術の高さには舌を巻く。ここはペルガモン遺跡の中でも保存状態、修復状態のよいところ。

 このアーチから外に出ると、↓の世界一の急斜面にある劇場。ニハットさんが最上段から5、6段降りて、私たちは最上段かその1つ下に降りて座って音響効果の確認をしながら、遺跡の説明を聞く。下から吹き上げてくる風でニハットさんの声はバッチリ聞こえる。

ペルガモン遺跡

 この劇場で上から3分の1くらい降りて角度を体感した。足元を見てないと降りるの怖いですね。

 ここで、えむちゃんに『鳩ぽっぽ』独唱を勧めたら、「舞台まで行けないので歌わない」と却下された。
 斜面の途中からでも、十分、音響効果のよいのは判るから、それでいいかなっと思ったのに、えむちゃんのこだわりではきちんと舞台で歌わないとダメらしい。(笑)

ペルガモン遺跡
劇場


ペルガモン遺跡
ゼウスの祭壇

 ←が私がこのペルガモン遺跡に来たかった理由であるゼウスの祭壇があった場所。

 ニハットさんの説明によるとこの近くに橋を作る際によい材料があると近隣住民がこの場所をドイツ人技術者に教えたのがこの遺跡発見(?)につながり、そのドイツ人技術者さんは橋の材料としては使用せず、本国と連絡を取って当時のオスマントルコのスルタンの了承を得てゼウスの祭壇をドイツに送ったらしい。

 ニハットさんが「ドイツのペルガモン博物館でゼウスの祭壇を見た人の内の何人かがそれがあった場所が見たいとトルコに来てくれたら、それでいい」と言っていたのが印象的。遺跡の発掘物を元に戻して欲しいという声は何回か聞いたけれど、このままでもそれでトルコに来る人がいるならそれでいいと言う声は初めて聞いた。そういう考え方もあるのか。
 というか、ニハットさんの希望通り、ベルリンのペルガモン博物館でゼウスの祭壇を見た私はそれが実際にあった場所を見たくてトルコを訪れているのだ。
 ゼウスの祭壇が本来あった場所は思ったよりもずっと小さくて、もしかしたら一部は崖なので崩れたのかもしれません。(推測)
 現在、ベルリンのペルガモン博物館に展示されているゼウスの祭壇。ゼウスの祭壇はベルリンにあることをどう思っているのだろうか。ベルリンにあって保護、展示されていることをよしとしているのか、ペルガマの崖の上で故郷の地を見つめながら雨風を受けて静かに朽ちてゆきたかったのか。ゼウスの祭壇は本来あるべき場所に観光客を呼ぶことを期待されているのを知ってか知らずか、ただ黙してベルリンに座すのみ。

 11時30分に見学終了。遺跡の出入り口に郵便局屋さんが出張所を出していて、そこで外貨両替が出来たので(びっくり。日本で言うなれば観光地の前でご当地の切手を売ってるような規模)、3000円を両替。空港より多少レートは良くなかったけれど、約90円で計算する範疇だったので助かった。

 バスに揺られて30分少々。12時10分からアスクレピオンの見学を昼食前にしてしまう。アスクレピオンは聖なる道、ヘビの紋章などが見所のコンパクトな遺跡。風の影響がペルガモン遺跡のアクロポリスよりも少なくて暖かく感じた。


アスクレピオン
聖なる道


アスクレピオン
ヘビの紋章

 ここでは、事前チェックをしっかりして治る見込みのある人しか入院させなかったそうなので、「絶対に治る病院」って当たり前でしょう。
 2000数百年前からヒーリング効果を取り入れた総合医療施設があったのは驚き。
 アスクレピオンはペルガモン遺跡よりも訪れる人が少なく、ゆったりと見学できた。遺跡の規模自体、大きくはないので、12時35分には見学を終了し、ペルガマ市内の昼食のレストランへ向う。


スープ



豆のサラダ



チャイ



キョフテ
(ミートボールのグリル焼)


パンケーキのシロップ漬


 12時40分〜13時20分昼食。昼食のレストランの食事は全体的に少ししょっぱくて味が濃かった。デザートのパンケーキのシロップ漬けは甘すぎずにおいしかった。

 ペルガマから3時間以上走ってトロイに着いたのは夕方17時近く。まずはトロイの木馬の写真撮影。

トロイの木馬 2007年2月初旬
えむちゃんパパ撮影

 ←えむちゃんパパが2月の初めに来たときはトロイの木馬は再建の真っ最中。

 →4月初めには再建が終わってました。

 ニハットさんが私たちの前のお仕事のツアーを率いて来たときはペンキは塗り終わっていたけれど、内部には入れなかったそうなので、再建が終わったのはこの10日くらいのようです。

トロイの木馬


 トロイの木馬は、トロイ遺跡のアピール用に造られているので、遺跡自体の観光とは関係ないけれど、やはりこれが名物ですから、中に入りたかったのでよかった。(笑)
 「トロイの木馬」の伝説を信じたドイツ人のシュリーマンが1871年に発掘を開始、発見されたトロイ遺跡。伝説とシュリーマンの夢の跡。

 シュリーマンは本職の考古学者ではなかったので、遺跡発掘も考古学者が発掘するよりも、遺跡自体を傷めてしまったそうだ。

 この地に集落ができたのが紀元前3000年頃。それから、遺跡の分類として第1市から第9市まで建設された。

 漠然とガイドブックを見て考えていた以上に広くて、石ころだけなどと、えむちゃんパパに言われたけれど、きちんと礎石や石組みがあり、そこでどのような攻防が繰り広げられたのか、ニハットさんから説明を受けると、興味がかきたてられて非常に面白い。好きかも、ここ。

トロイ遺跡
城壁


トロイ遺跡
写真奥の平原はかつて海だったそうだ

 ギリシャからの攻撃を城壁で守り、城門前に土を盛り、木で門を破られるのを防ぎ続けるなどの10年の攻防の末、城壁上部の土レンガで作った弱い部分から破られて侵入を許して遂には陥落したとか。ロマンというかイメージがどんどん膨らんでいく。

 ←この場所近辺からアレクサンダー大王がトロイに上陸したそうだ。アレクサンダー大王当時は、写真奥の緑の平原部分は海だったのだそうだ。

 アレクサンダー大王が立ったかもしれない場所に自分が立っている!密かに盛り上がってしまった。
 →このあたりに遺跡の第何市などの表示があって、トロイの街の成長や時代の変遷を辿れる場所。

 トロイ遺跡全体として、城壁だけではなく、小さな集会所などの跡もあり、○○神殿みたいな柱が林立するような建築物の遺跡こそないけれど、古(いにしえ)へ想いを馳せながら見学するのにもってこいの遺跡だと思う。

 18時20分頃まで、約1時間20分の見学。時間が時間だったせいか、あまり人影もなく静かな環境で見学できたので、もう少し時間を取って廻りたい場所だった。

トロイ遺跡
シュリーマンが発掘した聖域の西側の溝

 ホテルはトロイ遺跡からバスで30分くらいの海の近く。完全にリゾートホテルです。

コリン・ホテルの部屋

 ホテルに着いたときはちょうど夕暮れどき。→ホテルの部屋から見た夕焼けの海。

 スーパーが5分くらいのところにあったので、エルマチャイのティーバッグをお土産に購入。これ、アイスティにすると非常に美味だった。

ビュッフェの食事



ビュッフェの食事



ビュッフェの食事
デザート


ビュッフェ
チャイ

 5日連続のビュッフェの夕食。もうビュッフェは勘弁して〜の心境。いくらなんでも5日連続はねぇ。もう少し考えてほしいな。>旅行会社さま

 お土産もキープして意気揚々と就寝。明日はいよいよイスタンブールだ。