「これはこれは、いらっしゃいませ」
白髪の紳士が、俺のことを出迎えてくれる。
なぜか、その姿はいつもと変わらない。
「そうでした。今日は貴方様の授業があったのですね?
どうりでお嬢様のご機嫌がよろしいのですな」
機嫌が良い?そんなはずはない。
「あの…今日はコレを渡そうと思って」
「これは?」
「あ…スイマセン『辞表』って書いてあるんです、こっちの字で書かなきゃいけなかったんだ…」
「そうですか、やはり…」
「後日、改めて謝罪はします、セー…いや、お嬢様には…その…」
言葉が見つからない、見つかるわけがないな…
「とりあえず、中へどうぞ…」
「あ!いえっ、とんでもないです。今日は…もう」
「契約のこともありますので、こうゆうことは、キチンと話し合っておきませんと…」
─契約?
そうか…無断で休んじゃえばクビになったんだ。中途半端な責任感を持ち出すから…。
あの時だってそうだ。いい気になってデートになんて誘うからこんなコトに…。
「社会見学ですか?」
「そう…って言っても、チョット外に出てみるだけだよ、
「たまには外の新鮮な空気を吸うのも良いだろう?」
もっともらしい理屈を付けて外出をすすめる。
「庭に出るくらいなら…かまわないよね?」
「え、ええ…」
―─思えば…彼女は俺のことを信頼していたから…。だから、ついてきてくれたんだよな…
小さな貴金属店…隣にいるのはピコじゃない、今日はセーラと一緒だ。
彼女は、自分の部屋では見せたことのない笑顔でガラスケースをのぞき込む…。
チョット強引だったけど、つれてきて良かった、そう思える笑顔。
「(見たことのない表情…あれは戸惑いの混ざった笑顔だったんだ。)」
本屋は…失敗だった。彼女が嬉しそうに手に取った「初めて読む本」。
俺が気づいたときには、もう数ページほど読んだトコロだったらしい…。
本屋を出るまで、どんなに気まずかったことか…。
―ここで、やめておくべきだった。ピコがいたら止めてくれたんだろうか?―
次なんだけど、花屋はやっていなかった…
「なら、ちょうど良いか」
「どこへ行くんですか?先生…」
「フラワーハリ…いや、フラワーガーデンをやっているんだ、国立公園へ行ってみよう」
「あ、お花が沢山見られるトコロですね、ぜひ!」
…そこで彼女は倒れたんだ…
それから1〜2時間ほど後…看護婦のテディーに怒られる俺がいた…。
俺は、彼女の一言一句にツブされそうになっていた。
自分の浅はかな行為が引き起こしたことへの後ろめたさ…。
責任をとることができない歯がゆさ…。
セーラを思いやるテディーの気持ち…。
すべてが俺を締め付ける。
「どうしてあんなコトをしたんですか?」
「彼女が…かわいそう、だったから…」
「お気持ちはわかります…。ですが!彼女のことを思うのなら、なぜ…?」
なぜ…なんで俺は…あんなコトをしたんだ?
―かわいそうだから─
ほんとうにそうなのか?そう思いこんでいただけじゃないのか?。
自分が健康だから、そうでない彼女を不幸だと決めつけて…彼女を理解したつもりになって。
プレゼントだってそうだ…アクセサリーも、本も…彼女が喜びそうな物すらわからなかった。
彼女の病気のことも、体を気遣ってやることさえできない…。
何も知らないんだ…これで家庭教師だなんて。
「辞めさせて下ください」
今の俺にはこの言葉で精一杯だ…。一ヶ月悩んで出てきた答え…
「私は貴方様に、家庭教師を続けていただきたかった…」
「あの時も言ったはずです、俺は何も教えられないって」
「初めてお見えになった時ですな?…私も言いましたよね」
─────
「伊達に長生きしているわけではございませんから…。
知識だけなら、私どもでも教えて差し上げることはできます。
ですが、話し相手や友達にはなることができません。
私では歳が離れすぎています、保護者として接することしかできませんから」
「なんで俺なんですか?外国人の…コノ国のことさえ良く知らない傭兵をなぜ?」
「伊達に長生きはしていない、そう言いましたよね?人を見る目にも自信があります。
貴方様なら、お嬢様の良き理解者になっていただけると、そう思いまして…」
─────
あの時、執事の言葉を真に受けて、家庭教師をやってみることにしたんだ。
この国に一人でも多くの知り合いがいれば、
自分のやっていることに、意味が見出せるんじゃないか?
…そんなことを考えても、結局は…
「何を教えるか、教えられるのか、それだけでは無いのです。
貴方様はあの方に似ておられる、それでいてどこか違うのです。
いや、他人ですから、違って当たりまえですが…。
代わりと言えば聞こえが悪いでしょうけど、貴方様がそばに居ていたただければ、お嬢様も気が紛れるかと…」
─そばにいても、俺は何もできなかった、それでも?─
あの時俺は、ベンチに横になり苦しそうな彼女をただ見ているだけだった…
けが人も死体も見慣れている、でも病気で苦しんでいる女性には、どう接して良いか…
「もうっ!なにボーっとしてるの?」
懐かしい声…ピコ?
「はいっコレ!」…と、一枚の布を渡される?これで何をしろと?
「すいませーん、そのハンカチ私のなんです。風に飛ばされちゃったみたいで」
胸の大きな女性が、息を切らせて走ってくる。
呼吸と同時に上下する胸につい視線が…何をやってるんだ?俺は…!
「あ、あなたはたしか…」
俺の名前を知っている?誰だ、この女性?
「早く説明して!この人は看護婦さんじゃない。一度会ってるでしょ?」
「え?…セーラ…さん?」
彼女…テディーはセーラを知っているのか、簡単な状況説明で、理解できたようだった。
応急処置だろうか?テディーが何かテキパキと…
「もうっ!早く馬車を呼んでこないとダメでしょ!…こっち!」
ピコに引っ張られるままに、ついていくと…目の前に木陰で一息ついている馬車が。
そして、テディーと二人でセーラを馬車に乗せ、あわただしく馬車を走らせる。
「そっちじゃないよ!右の道…抜け道があるはずだから!」
俺は、ピコの言葉をオウム返しで御者に伝える。
そう、あの時俺は、ピコが居なければ何もできなかったんだ…。
「とりあえず、お嬢様とお話をされてから、もう一度考えてみてはいかがです?」
そう言うと、執事はムリヤリ俺を連れていく…
「ささ…どうぞごゆっくり」
「あ…来てくださったのですね、もう会えないかと思って、心配していたところですのよ」
そこには変わらない笑顔があった、が、そんなモノを見せられるとかえって…。
「あ、そんな顔をなさらないで…倒れてしまったのは先生のせいじゃないんです。
生まれつきですから…私にはそれが当たり前のことなんです、
ですから…先生は、気になさらないでくださいね」
俺を気遣うセーラ…俺は彼女を気遣うこともできなかった…それなのに。
『元気づけてあげたい』この思いも、自分が楽になりたいだけじゃないのか?
『かわいそう』『がんばって』『大丈夫だよ』
ありきたりな言葉を口にすることで、彼女と向き合うコトを避けていた?
『やめさせてください』。これだって一番楽な謝罪のしかただから?
―俺は自分のことばかり考えて、他人を思いやることができていない―
「そうだ、見てください、似合い…ます?」
耳元にクラシスの花のピアス…いや、イヤリングに改造してもらったモノだ。
まさか、ピコと同じモノをえらぶとは思っていなかった。
「嬉しかったんですよ。私、男の方に“可愛い”なんて…
その…女性として見られることは無いんじゃないかって思い込んでいて」
しばらくの沈黙の後、恥じらいながら、一言…
「言葉にしてもらうと、やっぱり嬉しいです」
そう言うと、二人で黙り込んでしまう。
長い沈黙…
「せーら…せーら…」
「どわぁ!」いきなり聞き慣れない声?
「クスクス…インコですよ、目を丸くしちゃって…先生カワイイ」
「え?え?…」もう何がなんだか…
「いいわねメビウス…あなたのような翼が私にもあったら…
デートなんていくらでもできるのに、ネ!先生?」
「へ?…う、うん、そーだねー…」
緊張の糸が切れたんだろうか?気の抜けた返事…間の抜けた顔をしていたのは、間違いないな。
「私も飛んでみたい…自由に…なりたい!」
「!」
―彼女に何かしてあげたい―
「!?…先生なにを?」俺は彼女を抱き上げる。
…こんなコトをして良いんだろうか?…考えるよりも先に体が動く。
「飛んでるみたい…だろ?」
「うわぁ…いい眺め」
けが人を担いで、戦場を走り回ることができるんだ。
女の子を抱えて、ベランダから屋根の上へ登るくらい…
「空を飛ぶとこんな風に見えるんですね…本当に飛ぶことはできないけど」
「そんなこと無いよ…俺がいるから」
「え?」
「魚じゃない俺が、東洋から海を渡ってココに居られるのは船があるから…
そのうち、空だって飛べる乗り物が作られても…おかしくはないだろ?そう…病気だってきっと!」
―傭兵の事は傭兵のキミが一番良く知ってる―
俺が何を言っても、健康な人間の勝手な言い分…タダの気休め。
それでも、彼女が見上げる空に希望があれば…今はそれで良いと思う、いつかきっと…。
「そうですね、いつかは…でも、どうせならもっと早く…
もし、あの時に私が健康なら…引き留めることだって…」
“彼”がセーラの前から居なくなったのは数年前らしい…俺に詳しいことはわからないけど…
「違うよ…キミの病気は関係ないよ!その…たぶん」
「………」
「………」
「…私は…病気に甘えていたのかもしれませんね。
先生のように元気な人達を『うらやましい』そう思うだけでなく…妬んでみたり…
何もかも病気のせいにして、逃げていたのかも…『それが当たり前』だ、なんて…
体が健康になる前に、心が病気のままじゃ…ダメですね」
「………」
「…でも、先生と知り合えたのも病気のおかげ、カナ?」
「そんな!セーラが元気なら、もっといい男が山のよーに…俺なんかっ!」
「せんせぇー都合のいいように解釈してませんか?先生は先生ですからね!」
「…え、と…そ、そーゆー意味じゃなくて…」
「じゃあ、どーゆー意味なんです?」
「…ほ、本当の兄…いや、その…弟だと思って良いから、好きなだけこき使ってよ…
傭兵と家庭教師の二足のワラジは大変だけど…月に一度だから、なんとかするし。」
「ソフィアと二股の間違いじゃないの?…それともプリシラ姫かなぁ?」
「ピコ!お前、いつの間に?」
「?…どっ、どうしたんですか?先生?」
「あ…いや…とにかく俺、キミのそばにいるよ、知りたいことがあったら、代わりに調べてくるし」
「じゃあ、病気の治療法を調べて来てください!」
「いや…それはちょっと…」
「約束ですよ!」
「う〜…」
「約束ですから…家庭教師、続けてくださいね、毎月楽しみにしてますから」
「…治療法はともかく、家庭教師は続けるよ…約束する」
「ふところも寂しいことだし…はずせないよネ」
(ピコ…おまえなぁ…)
「キミも少しはセーラのために勉強して、私の苦労も理解してよね〜」
(はいはい…わかりましたよ)
「先生、病気が治らなくても…家庭教師は続けて…くださいますよね?」
「病気が“治っても”家庭教師は続けるよ。俺…ビンボーだから」
ピクシス家の屋根から見上げる空は、セーラとの初めてのデートを決めた日。
初めてのデートをしたあの日のように、どこまでも青い空が続いていた…