第四話「獅子VS疾風(前編)」


ヤングは一つ灯りのついた、暗い部屋で机に肘をつき、目の前で手を組み合わせて真剣な面持ちで考え事をしていた。漆黒の空には月だけが浮かび、月の光がただ一つ、静かなドルファンの街を一生懸命に照らしていた。だが、そんな夜に、ヤングはただ黙って何かを考えているだけだった。椅子の後ろにあるベッドで、ごそごそと何かが動いた。一人の女性がベッドから上半身を起こして、ヤングの後姿を見つめていた。訝しげな顔をして、ヤングに背後から問い掛ける。

「どうしたの、あなた?…明日は早いのでしょう?」

そう問われたヤングが後ろで半身を起こしている女性を見やる。

「…クレア、君は寝てていい。俺は、もう少し考え事をしてから寝る」

ベッドで寝ていた女性はヤングの妻・クレア=マジョラムだった。

「でも…」

クレアは、心配そうな様子でヤングを覗き込む。だが、ヤングは再び机について考え事を始める。

「いいから。クレア、先に眠っていてくれよ」

そう言われて、クレアは仕方なく眠る事にした。

「わかったわ…」

だが、これではクレアの顔から不安が消えるはずはなかった。クレアは背をヤングに向けて、布団を被った。目はただの目の前にある壁の一点を見つめて、心をヤングに向ける。

(あなた…)

ヤングは何かを思い出そうとしていた。

(過去に…見たはずだ)

ヤングは必死だった。何か…今思い出さなければならないような気がしていた。それは、ヤングが何か予感めいたものを感じていたからかもしれない。ヤングは目にとまった、机のランプの影を見つめたまま、先ほどより更に思案下な顔で考え事を続けていた。

それから、どれだけの時間がたったのだろう。既にクレアは眠りにつき、ヤングの耳には彼女の寝息だけが聞こえていた。

(俺が…まだハンガリアにいた頃だ…)

 

ヤングはかつて自分が属していた国を思い出す。ハンガリアとは、ドルファンに隣接する三つの国のうちの一つだ。三つの国とはハンガリアを含め、あと二つは今度のドルファンの戦争の相手であった内陸のプロキア、そして外海の大西洋に接するハンガリアとはプロキアを挟んで反対に位置する内海・マルタギニア海に接するゲルタニアである。

ヤングの表情が徐々に変化していく。考えていた何かを思い出しつつあるようだ。ヤングの目が見開かれていく。

(あいつは…!)

それはヤング率いる傭兵部隊が戦場へと向う一日前の、深夜のことであった。

 

 

D26年・7月。遂に戦いは始まった。ヴァルファバラハリアンとドルファンの戦いが。

ヤング大尉率いる傭兵部隊も遅れて戦線へ駆り出される。

 

ここでこのドルファン・プロキア戦争の発端について説明する必要があるだろう。このトルキア地方には七つの国があった。ドルファンとプロキア、ハンガリア、ゲルタニア、ヴァン・トルキア、ヴァルファが所属するスィーズランド、セサである。ここでただ一つ、プロキアだけは内陸国であり、諸外国との貿易手段のための港が存在していなかった。そこでプロキアは自国の港を手に入れ、勢力を広げるため、ドルファンを狙ったのである。もともとプロキアは内情が不安定な国であり、毎年何処かの国に戦争をしかけている。戦争をして、それに勝つという事は自国の民の目を内情の不安定さからそちらへ向けさせる事が出来る。また勝利すれば、経済も潤いを見せ、多少の不安にも文句を言わなくなるだろうという意図があった。プロキアがドルファンを狙ったのは、かつて「陸戦の雄」と言われた騎士団が弱っていた事と、もともと弱小国という位置付けにドルファンがあったためだろう。そしてプロキアは戦争に勝つための手段として、欧州最強とも呼ばれていた傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンを雇う事にしたのである。それは、三月下旬に起こった、ドルファンのプロキア迎撃の拠点であった国境都市ダナンのプロキア占領によって明らかになる(この時、プロキア間との戦いがなかったという話もされているが)。だが、ここで一つの事件が起こる。プロキアで内乱が発生したのである。時の国王フィンセン・プロキア公とヘルシオ・プロキア公の対立である。この結果、現フィンセン政権が打倒され、新たにヘルシオ公が国王となった。このいざこざの結果、多少の問題があったものの、プロキアはドルファンに対し、休戦を申し出た。反乱の後始末でそれどころではないと判断したためだろう。ヘルシオ公がこれ以上侵攻を続ける余裕がないと判断したのだ。だが、これに対しヴァルファが反対したのである。雇われであるヴァルファが何をどう思ったのかはこの時点ではわからない。ともかく、これによってプロキア・ヴァルファは断絶。逆に休戦のためのダナン返還を認めず、未だダナンに駐留しているヴァルファに対し、プロキア側が挙兵するという事態になった。これに対し、ドルファンもダナン派兵を決定する。明らかにヴァルファがドルファンを狙っている可能性が高かったからだ。ヴァルファは臨戦態勢を整え、プロキア軍を牽制し、武力衝突せずに彼らを撃退。そして、ドルファンの声明に対しヴァルファは侵攻の声明を発表。ヴァルファとドルファン軍の戦いは決定的なものとなった。

今回のドルファン領イリハにおいて行われている「イリハ会戦」はドルファン軍が旧軍事領ダナンを奪回すべく騎士団を出撃させたことに始まった。それに対しヴァルファはそのダナンに布陣をし、彼らを待ち受けた。そして、ダナン南方のイリハで最初の小競合いが発生した事により、ここイリハにての戦争が濃厚となり、結果両軍の大激突が始まり、戦いの火蓋は切って落とされたのだった。当初、双方の戦力は五分五分と言われていが、増援が後から来る分、ドルファン側は有利だった。しかし、その考えはあさはか過ぎたと言わざるを得ない。弱体化をたどる騎士団と、欧州最強と呼ばれる騎士団。その力の差は誰の目からも明らかだった。そんな事にすら、ドルファンは気づかないほど軟弱になっていたのだろうか?ドルファンの騎士団は徐々にヴァルファにおされていく。傭兵部隊が戦場へとたどり着いたのは、既にヴァルファの勝利が確実となろうかという戦いの終盤であった。

 

「騎馬隊、戦場をかき乱せ!歩兵部隊、突入!弓兵隊は後ろから援護だ!!」

ヤングの檄が戦場に飛ぶ。

「おらおらおら、どけえええええ!!」

アレスの騎馬が戦場を縦横無尽に駆けまわる。槍を振り回し、敵を次々と撃破していく。

「あまり、こういうことは好かないんですが…」

そう言いながら、シオンの眼差しが真剣なものへと変わる。遠くの敵に対しては弓の的確な射撃で射抜き、よってきた敵はその剣によってあっけなく息を引き取る。

二人の強さはかなりのものだった。アレスもシオンも普段はその実力をみせることはない。だが、戦場へ出た途端、彼らはその姿を180°一変させる。恐ろしいまでの強さを発揮する。シュウジもそんな二人に遅れまいと、次々と敵を切り裂いていく。

「はああああああああ!!」

ズシャッ!!
彼の剣が敵の心臓を一突きする。敵兵士がその場でくず折れる。シュウジは自分の剣の切れ味に感動していた。まるで本調子ではない自分をカバーしてくれているかのようだった。おかげで彼はその強さを見事なまでに発揮していた。

(これならいける!!)

シュザアアアアア!!

気合一閃。周りの敵を一気に薙ぎ払って行く。そこへアレスがたどり着く。

「やるねえ、シュウジ。とても利き腕じゃない方で戦ってるとは思えないね」

シュウジは素直に感想を述べる。

「…この剣のおかげだ。何故だかわからないが、俺のことをフォローしてくれているようにすら感じる。いい…剣だ」

「なら、一気にやっちまうとするかい!!」

「ふ……望むところだ!!」

ヤング大尉の部隊はいい動きをしていた。おそらくヤングの指揮が良い方向へと導いているのだろう。それは彼自身の力量がどれほどのものか端的に示していた。

 

その頃、遠くヴァルファバラハリアンの本陣では赤い鎧を身に纏い、槍を手にした緑色の髪の男が動きの変わった戦況を見据えていた。兵士が数人、本陣に舞い戻り、男に戦況報告をする。

「ネクセラリア様、申し上げます!ドルファンの傭兵達が戦場に突入して参りました!」

「ほう…、どうやら騎士団よりはまともな相手になりそうだな」

ネクセラリアと呼ばれた赤い鎧の男は余裕ある表情と姿勢を変えずに、ただ部下の報告に対し応対する。

「ですが、あの程度では我が軍の有利は変わりません」

「当たり前だ、我が栄光のヴァルファがその程度の軍勢が現れた所で負けるはずが無い。確かに傭兵と騎士…その戦力に差があるとは言わん…。だが、傭兵のほうが騎士よりも苦戦させるとは…陸戦の雄も落ちたものだな」

自信に満ちたネクセラリアに部下が問い掛ける。

「ネクセラリア様、いかが致しましょう?」

「……せっかくだ、我らの力を見せ付けてやろう、出陣するぞ!!」

「はは!!」

ネクセラリアの目が遠く、戦場へ物思いにふけった眼差しで向けられる。

(…あの噂も、確認してみたいしな。ヤングめ、本当に…?)

だが、ネクセラリアのその眼差しはすぐに隠されてしまった。

 

「ん…?流れが…」

ふと、シュウジは戦況の流れに変化が訪れたことに気づいた。

今回の戦いも終盤に入っていた。シュウジはこの戦いは敗色が濃厚になってきたと読んでいた。その流れに拍車がかかっている。…戦況の流れを増幅する、何かが現れた。そう考えるのが妥当だ。そして、それは一つしかない。

「…八騎将か」

シュウジは独特の直感で、流れを増幅させた地点を感じ取り、その場所へ向った。

 

「うわあああ、ヴァルファ八騎将だあ!」

戦場のある場所で不意にそんな叫び声がした。

「何…?」

それを聞いたアレスが、その声がした方向へ馬を向ける。

「ようやく、おいでなすったか大将さんが」

「そのようですね」

不意に側で声がする。シオンだ。アレスは驚いた。

「おわっとぉぉ!?…何だシオンじゃねえか。びっくりさせんなよな。……お前何時の間にここまで来てたの?」

「そんなことより、行かないんですか?」

シオンが微笑してアレスに聞く。アレスは顔をにっとさせて

「…行くに決まってんじゃねえか」

と言って、馬を走らせた。シオンもそれに後から続いた。

 

「つあぁ!」

ネクセラリアの槍がドルファンの騎士を一突きする。騎士は一瞬で絶命していた。

「ふん、他愛もない…。これがかつて『陸戦の雄』と言われた騎士団の今の姿か」

ネクセラリアは槍を地に突き立て、騎士の骸を一瞥した。明らかに皮肉な眼差しで。

「はあ!」

そうしてドルファンの騎士がまた一人、ネクセラリアに襲い掛かってくる。襲ってきた剣の一撃を受け止める。

「邪魔をするな!」

そう言って、ネクセラリアの槍が騎士の胴を薙ぎ払った。血が噴出し、また一人地面に倒れ伏す。

「…こんなものならば、まだ傭兵のほうがましのようだな」

ネクセラリアはドルファンの騎士・傭兵に対し叫んだ。

「聴け、ドルファンの犬ども!我が名はヴァルファ八騎将が一人、『疾風のネクセラリア』!誰か、我が槍に挑まんとする勇者はいないか!」

だがその戦場で、誰一人としてそれに答えるものはいなかった。ネクセラリアが自信に満ちた表情で微笑する。まるでそれが当たり前であるかのように。

「やはり、ドルファンもこの程度か。こんな国、落とすのも容易い…」

ネクセラリアがそう呟いた時だった。

「ネクセラリア、この俺が相手をしよう!」

そう声が木霊した。その声の主はヤングだった。

ヤングが他のドルファンの兵士たちよりも一つ前に進み出て、ネクセラリアと対峙する格好となる。ネクセラリアもヤングに気づき、ヤングへと目線を向ける。ネクセラリアとヤングの視線が空中で交差する。

「ヤング・マジョラム大尉か…貴様がドルファンにいるという話は本当だったのか」

ネクセラリアが微笑したまま、ヤングに問い掛けた。

「………」

だが、その問いに対してヤングはただ黙っているだけだ。

「ハンガリアの狼も地に落ちたものだな。今やドルファンの一部隊長とは」

そう言ってネクセラリアは槍を前方に構えた。

「…やってみなければわからん!」

ヤングも剣を構える。

「面白い…、ハンガリア時代の決着を今日ここでつけてやる!」

そして、二人の戦いが始まった。

ギィン!

ヤングの剣をネクセラリアの槍が防いだ。

「そうそう腕が落ちてはいまいか、ヤング!」

「どりゃあ!」

ネクセラリアはヤングの剣を受け流し、自分の槍を突き出す。今度はヤングの剣がそれを受け止める。

「いつからそんなお喋りになった、セイル!」

「ぬかせ!」

ガキィィィン!!

「…始まってる?誰が八騎将と戦っているんだ!?」

その時、二人の戦いの場にシュウジが到着した。シュウジは襲い掛かる敵の兵士を切り払いながら、戦いを確認する。

「あれは、ヤング大尉!?」

その時、遅れてアレスとシオンもその場に到着する。

「おい、シュウジ!」

アレスの声だった。

「アレスか」

その声にシュウジが周りに注意しながら反応して顔を傾け、アレスに目だけ向ける。

「誰が、八騎将と戦っているんです?」

「…言うより早い、見ろ」

シオンの問いに、シュウジはそう答え目線をヤングとネクセラリアの戦いへと向け、彼らを促してやる。

「大尉かよ」

「勝てるのですか?」

シオンのその問いに

「わからん…」

シュウジはそう答えるのみであった。


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