第八章「月の下で」


「おきなよ、休みだからっていつまで寝てるのよ」

 かわいらしい声が耳元で聞こえる。

 叢雲は声に誘われるように目を開ける。

 枕もとには寂しい笑みを浮かべたピコがいた。

「なんだピコっちか…」

「何なのよ、その『っち』は?」

「いや、呼びやすいかな、と」

「余計な字数増やして何が呼びやすいのよ!」

 ピコは思わず大声をあげる。

「ふふっ」

 そんなピコを見て叢雲は笑った。

「なにがおかしいのよ?」

「やっといつものピコに戻ったな……俺のことならもう心配は要らないさ」

 ライナノールとの果し合い以来気落ちしている叢雲をピコはずっと心配していたのだ。

「なんだ、やっぱりわかってたんだね」

「あたりまえだろ、相棒なんだから……大事な」

「そっか…相棒ね……」

 ピコは少し伏し目がちにつぶやく。

 それに気づかない叢雲はベッドから起き上がった。
 

 少し遅い朝食をすませた叢雲は出かける仕度をし始めた。

「出かけるの?」

 大きなカップでハニーティーを飲んでいるピコがいう。

 その光景を見る度に叢雲は、妖精が花の蜜を飲んでいるように見えるのだ。

 そしてその姿を見るのは好きでもある。

 知らずの内に顔を緩ませた叢雲は答えた。

「新しい剣を探してくるよ」

 ライナノールとの一件で叢雲の刀『村正』は折れて使い物にならなくなっていた。

 この国にくる前から使いつづけた愛刀であったが折れた以上代わりを探さねばならない。

「いいのが見つかるといいね」

「ああ、じゃ、いってくる」

 叢雲はピコを残して外に出た。

 

 

 ドルファン地区の武器屋や古道具屋をはしごしたが手にしっくりとする剣はなかった。

 戦時中ということか大量生産の粗悪品ばかりが目に付いた。そんな中もちろん刀などあるはずがなかった。

「弘法は筆を選ばず、っていうのは嘘だからな、あれは…」

 五軒ほど回ったとこで叢雲は休憩をして場所を変えることにした。

 ライナノールに受けた裂傷や火傷は完治していなかったが日常生活には支障はなかった。

 あくまで日常生活は、である。

 叢雲がフェンネル地区に差し掛かったとき赤い髪をつきたてた顔色の悪い男が向かってきた。

「よう!東洋人。この前はよくもコケにしてくれたなぁ。今日は絶好調だからなこの前みたいにはいかないぜ。てめぇはぶっ殺ーす!」

 甲高い声で言いたいことを言うと懐からヌンチャクを取り出し襲い掛かってきた。

 単純な振り下ろしの第一撃をかわしながら叢雲は考えていた。

(……そうか、こいつ確か波止場でソフィアに絡んでいたチンピラの片割れか、それにしても珍しいものを持っている)

 チンピラの攻撃自体はたいしたことはないが激しい動きをするたびに傷が引きつる。

 加えて叢雲は丸腰である。

 投げ爪は持っているが野次馬が多少なりともいるので流血は避けたかった。

 たとえ相手がチンピラでも公衆の場で殺しでもしたら、右派の連中のカモになるかもしれない。

 ただでさえ傭兵の評判は目に見えて悪くなっているのだから。

「ひゃはははは、死ねぇー!」

 チンピラが勢いをつけたヌンチャクを縦横に振り回す。

「これぞ東洋の神秘!その頭かち割ってくれる!」

 「調子に乗るな」

 叢雲の目が鋭く細められた。

 右手でヌンチャクをつかむ。刃のないヌンチャクをつかむのは叢雲にとって造作のないことだ。

 残る左手で相手の首の骨をつまむ。指二本でも充分に喉をつぶすことができる急所である。

「動けばためにならんぞ」

 殺気をこめてささやく。チンピラはかすれた声をあげすくんで動かなくなった。

 そして叢雲はヌンチャクをもぎ取りほおり投げた。

「いい心がけだ、名前は?」

 喉を締める指を緩めたかわりに投げ爪を首筋に当てている。

「ビ、ビリー……」

「よし、ビリー。俺の質問に二、三答えてもらおうか」

 そういって路地に連れ込む。決着がついたとわかったら野次馬は興味を失って散っていった。

「おまえといい、サムといい東洋人嫌いの割に持っている得物はどっちも東洋の物だな」

「サム兄貴を知ってるのか!?」

 叢雲は黙ってビリーの腹にこぶしを打ち込む。ビリーは不意の打撃に嘔吐する。

「貴様に質問をする権利はない」

 冷たく言い放つ。

 ビリーは叢雲の目を見た。恐ろしく冷ややかな、いや、冷徹を超えた無機質な目。

 今までこんな目をしたやつは見たことがない。人をモノとして斬れる目だ。

 今の叢雲は街で「いいひと」と呼ばれている叢雲ではない、「蒼い悪魔」としての叢雲となっていた。

 気の弱い人ならば卒倒しているほどの威圧感。

「貴様は俺の質問に答えればいい、そうすれば生かしておいてやる」

 ビリーは腰を抜かし壊れたように首を振る。

「あの武器はどこで手に入れた?ほかにも東洋の武器はあるのか?」

「あ、ああ、あるある…シー・シーエアーの倉庫街にある「カッツ」という店だ…です」

「そうか、もう行っていいぞ」

 叢雲はくずれるビリーを無視してシーエアー地区へと向かった。

 

 

 シーエアー地区、海に面した地区でビーチや波止場などにぎやかな場所がある。

 しかしズィーガー砲群や共同墓地などの暗い場もある。

 波止場近くの倉庫街、働いている人は多いのだろうがなにぶん広いうえに倉庫内で作業しているのであまりみかけない。

 裏通りに入るとちらほらと店があった。人夫達相手の料理屋や酒場だろう。中には怪しい店もある。

 目当ての「カッツ」という店はすぐに見つかった。店というより倉庫そのままの外見であった。

 ただ赤い看板が目を引いた。

 叢雲は木製のドアを開けて中に入る。ちょうつがいが錆びていていやな音を立てる。

「何かようか」

 叢雲は入るとすぐに声をかけられた。

 思えばドアのきしむ音がベル代わりになるのかもしれない。

「剣を買いに来た……」

 叢雲はただ必要最低限の言葉を返した。

「ふん、ここを誰に聞いた?東洋人よ」

 店主らしき男は5、60歳ぐらいか、顔にいくつものしわを刻んでいるが眼光は鋭かった。

 その目で叢雲を値踏みしている。

「ビリーという男に」

 叢雲も眼光鋭く男を見つめ返す。

「あのチンピラか、だがお前はチンピラのようには見えんが?」

「俺は傭兵であいつとは少し面識があったから聞いたのだ」

 叢雲はどんな経緯でも面識には代わりがないと考えて答えた。

「ほう、あの外国人嫌いのビリーからな…」

「それよりも聞きたいことがある、ここに刀は置いているのか?」

 叢雲は店内を見渡す。店は雑然としていてレイアウトという言葉を知らないふうだ。

 飾ってあるのは少なくほとんどの武器が地べたに置かれている木箱に入っているようである。

「カタナ?ああ、あの曲刀か」

 答えると店主は近づいてきて叢雲の目を奥深くまで覗き込むように見つめた。

 そして奥のほうから一振りの刀を持ってきた。

「ほれ、これだろう」

 店主は叢雲に投げ渡す。叢雲は片手で受け取った。

「!?」

 叢雲は二度驚いた。ひとつ目はそれが『刀』ではなく『太刀』であったこと。

 ふたつ目は受け取ったそれは通常のものより倍ほどの重さを持っていた。

 明らかにこの太刀は尋常ではなかった。

 抜いて刀身を見る。長さも刃渡り二尺七寸(約81センチ)位ありやはり普通より三寸(9センチ)ほど長かった。

 それよりも圧巻だったのがその刀身の重ねの厚さであった。

 こちらのロングソードやバスタードソード並みの厚さを持っている。

 同じ厚さでも太刀は鍛鉄をしているので耐久力はロングソード等よりかなり強い。

 鞘から抜いて刀身を検分すると人を斬ったあとが見て取れるが刃こぼれはひとつもなかった。

 妖しく光るそれはまさに「抜けば珠散る氷の刃」と言ったところか、非の打ち所がなかった。

 すべてが叢雲の知っている太刀とは違い、そして実戦的に洗練されていた。

 叢雲はその太刀を一目見て気に入り、刀身を見て魅了された。

「親父…いくらだ?」

「金はいらん、くれてやる」

 予想外の言葉に叢雲は拍子抜けした。これほどの業物いくら吹っかけられるかと考えていたからだ。

 最もいくら高くても叢雲は買い求めていただろう。

「なぜ一見者の俺にこれほどのものを?しかもただで」

 叢雲は当然の疑問を口に出した。店主は薄く笑いながら答える。

「お前はなぜここにきた?」

「質問を質問で返すのか?あんたは」

「ふん、質問から生まれる答えもあるということだ。答えろ何故ここへ来た」

 ここは従ったほうが得策と感じた叢雲は答えることにした。

「ほかの店には満足するものがなかっスからだ。これでいいか?」

 店主は叢雲の目を見つめて言う。

「どうしてそんなにいいものが欲しい?」

「戦うためだ、俺は傭兵だからな剣で身を立て剣で己を守らねばならない」

 叢雲は即座に答えた。

「斬るためだろう?敵を、男も女も子供も」

 店主は薄笑いを浮かべたままいった。

「………いいかえればな」

「刀、剣というものは槍や弓と違って狩猟から発達したのではなく人が人と戦うため、人を殺すために生み出された武器なのだ。身を守るため、ましてや誰かを守るためなど詭弁に過ぎない」

 店主は叢雲の周りを歩き出す。

「誰かを守るために斬る。斬られた相手の側からしたらそれは奪う行為のほかならないのだ。『君のためにこの国を守る』『君のために帰ってくる』これらも『君のために人を斬りに行く』『君のために敵を殺し生き延びてくる』ということだ」

「俺は剣を買いにきた…あんたの戦争感を聞きにきたつもりはない」

「迷っているのだろう?」

 叢雲の左側で歩みを止めた店主が言う。

「何をだ」

 店主は叢雲のほうに向き直った。

「人を斬ることに」

 叢雲は言葉に詰まった。自分の中を見透かされてい驍謔、だった。

「おおかた敵の生の感情でもぶつけられたか?プロでもよくある事だ。ぷっつりと人が斬れなくなる事がな。そんな奴はたいがい戦場を去るか…斬られて果てるか」

 店主は叢雲の目を指さした。

「しかしだ、お前は斬られることはあっても戦場を去ることはないだろう。お前の目は人斬りだ、自分が望むと望まぬに関係なく、斬らねばならない宿命だ」

「勝手に決めるな!貴様に何がわかる!」

 思わず叢雲は語気を荒げていた。

「わかるとも、目を見ればな、どんなに迷っていても戦いが始まればそれこそモノを斬るように人を斬ることができるだろう、お前は」

 叢雲は動けない、ただ黙って男の言葉を聞いている。

「迷いで剣が鈍り死ぬことがわかっていてもおまえは戦いに身を投じるだろう」 

「それはお前の中に魔物が住んでいるからだ」

「………」

「他人のだろうが本人のだろうが関係ない。ただ血を求める、お前が育てた魔物がな。さぁ持っていけ、それこそがお前にふさわしい。そして好きなだけ斬るがいい、もう一人のお前の命じるままに」

 叢雲は受動的に受けいれた。

「その剣でお前がどれほどの働きをするか見せてもらうぞ、『悪魔』よ」

「俺を知っているのか?」

「あれほど暴れていてお前を知らぬ奴などいるものか。特にこっちの世界ではな。わしも引退しても、気になるものよ」

 そういった店主の目は血に飢えた目をしていた。

「それのどこが引退した奴の目だ、あんたは………」

「いずれどこかで会うかも知れんな、そのときは楽しみにしているぞ」

 店主は奥へと消えた。流れるような動きで。

 一人取り残された叢雲は店を出た。そして目的もなくただ歩き出した。
 

 

 衝撃だった。あんなにも心の内を見透かされていたことが。

 逆にいえば叢雲はそれほど迷い悩んでいたのだ。心身ともに傷つき知らずのうちに他人に弱みを見せていた。

 面と向かって指摘されてもまだ迷いに決着がつかない。叢雲は力ない足取りで街をさまよった。

 空が紅く染まりやがて暗闇に包まれた。天には月が輝いている、今夜は満月である。

 どこをどう歩いたか覚えていないが叢雲はカミツレ高原に立っていた。

 草原に腰をおろし太刀を見つめる。

「これほどのもの…誰の銘だろう…」

 不意に浮かんだ疑問を解消するべく持っていた鉄製の笄(こうがい、髪を整える細い具)を使って目釘をはずした。

 刀の手入れをよくするので柄をはずすのは慣れたものであった。

「ない……」

 刀身には作者の銘が入っていなかった。しかし裏返すと文字が、漢字が彫られていた。

 臨兵闘者皆陣列在前、とあった。

「兵の闘いに臨む者皆陣列の前に在れ……か」

 早九字、魔よけのたぐいの言葉。叢雲の国では戦乱のころ、兵の心を鼓舞するためにこの文字を刀に彫ったと聞いたことがある。

 柄を戻し目釘をはめる。鞘についている紐で腰につるす。

 刀と太刀の違いはその佩きかたにある。刀は刃を上に向け腰にさす。太刀は刃を下に向け紐でつるす。

 刀身の反りも刀は小さく切っ先より反っている、対して太刀の反りは大きく根元から反っているものや真ん中から反っているものもある。

 そして一番の違いは刀が人の肌を斬るために鋭く作られているのに対し、太刀は鎧ごと人を斬るために厚く作られている。

 しかもこの太刀は特に厚く頑強である。

 騎兵と戦うことが多いこの地ではまさに願ってもいないものである。

 太刀を抜いて天にをかざしてみる。月の光を受け刃は怪しく輝く。

 月光のせいか黒っぽいようにも蒼いようにも見える不思議な太刀。

「臨兵闘者皆陣列在前!」

 己にある迷いを切り払うかのように早九字を唱え一閃する。

 闇に氷刃が煌き斬られた風が哭く。

「人斬りは人斬り、剣を持ったときからわかっていたはずのこと……」

 月が雲に覆われて闇が広がる。

「そう、斬られて果てるまでやめることはできない、いや、やめない。どんなに蔑まれようと」

 力強くつぶやき、迷いに決別する。

 叢雲は闇に溶け込むかのようにその場を去った。

 

 

 後に残されたのは風にそよぐ草原と静寂、そして煌々と輝く月だけであった。


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