第七章「想いの果て」


 ドルファン軍が傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンと戦い、勝利したダナン攻防戦から約一ヶ月。

 ドルファン首都城砦は戦争など何処吹く風と緊張感はない。

 名前のとおり城砦に囲まれてタ全とされているのだから。

 戦争の直接的被害を受けないから民間人は平静としていられる。

 つい先日も【スポーツの祭典】が行われたばかりである。

 

 

 そんな穏やかな街の南端にあるシーエアーと呼ばれる海岸沿いの地区。

 そこには兵舎があった。

 この街を、国を守る一役を担った傭兵たちが住んでいる。

 こういうと聞こえが良いが実際にはゴロツキ、チンピラの類もかなりいる。

 そんな奴らすら雇い入れている、

 ひとえに今のドルファンが、いかにまともな戦力を持ってないかが伺える。

 しかしこの国の正規の騎士よりも強く、騎士らしい傭兵たちもいるのは事実である。

 

 

 その傭兵の一人である叢雲は休日の朝食を済ませたところであった。

 ダナン戦で手傷を負って入院をしていたが今では退院して兵舎に戻っていた。

 全快ではないが傭兵に寝ているひまなどないのだ。

 食後に玄米茶を飲みながら過日の一騎打ちのことを思い出していた。

 死ぬために闘っていた男、ヴァルファバラハリアン八騎将の一人バルドー・ボランキオ。

「これで妻と子のところへいけ…るのか」

 ボランキオが死の間際につぶやいた言葉。

 過去を背負い、いや過去を抱いて生きていたような男。

 驚異的な力は叢雲を死地にまで追い込んだ。

 結局は叢雲とボランキオ、二人の「死生観」の違いが明暗を分けた。

 ボランキオは「死」を望んで戦っていた。

 叢雲は「勝利」を。

 叢雲も戦いとなれば死を覚悟するし、受け入れもしよう。

 だが決して「死」を望んで戦ってはいない。

 その違いが叢雲には生を、ボランキオには死を与えたのだ。

「あれほどの男…違う戦い方をしていたら、倒れていたのは俺のほうか…?」

 ふとした考えが言葉へと紡がれる。

 らしくない、と頭を振るがそんな考えばかり浮かんでくる。

 何故死ぬために戦ったか、なぜ過去を、過去だけを見つめていたのか。

 何故今に目を向けなかったのか、帰りを待つ人の一人ぐらい居たのでは無いか。

 死ぬために戦う者、今までにもたくさん見てきたが叢雲が理解できることはなかった。

 叢雲はどうして今朝はこんなに気持ちが昂ぶるのかわからなかった。

 好きでは無い、むしろ嫌いなはずの仮定形の考えばかりが浮かんで消えない。

 過ぎてしまった事、特に死んだ者のことを考えても何の進歩もない。

 わかっている、わかっているが止まらない。

 いかに【蒼い悪魔】と呼ばれ恐れられても人を斬れば気が重くなることもある。

 ただ人前では無表情をしているだけだ。

 戦っているときは悪魔でも叢雲もまた人なのだ。

 叢雲は気が沈むたびに己の心の弱さを痛感し、いっそあだ名の通り悪魔になれたらいいものを、と思う。

 己の迷いを払拭するかのようにぬるくなったお茶を飲み干した。

 

 

「ただいまー」

 声のしたほうを向くと朝から出かけていたピコが帰ってきていた。

 叢雲だけに見える妖精の姿をした相棒。

「…お帰り、何処いってたんだ?」

「うん、ちょっとね。ひょっとして寂しかったの?」

「バカなことを言うな」

「また照れちゃって。あ、そうだ手紙がきているよ」

 短いやり取りを終えてピコが手紙を差し出す。

 飾り気のない封筒、浮いた手紙ではないのがすぐにわかる。

「ね、読んでみてよ」

 ピコが催促したが叢雲は読むのが面倒なので彼女に見えるように手紙を開いた。

 

 「貴殿に決闘を申し込みたい。本日、神殿跡にて待つ」

                  氷炎のライナノール

 

 手紙には必要最低限の言葉だけが書かれていた。

 それがかえって覚悟の程を伝えている。

「ライナノールって、確か…ヴァルファバラハリアン八騎将の一人だよ!」

 ピコが大声を出す。

 叢雲は黙ったまま手紙を見つめている。

(今朝からの考えはこれを予見していたのか?)

 しばらく呆然としていた。

「ねぇ、どうするの?」

 ピコが心配そうに叢雲を見つめる。

「行く…決闘を申し込まれた以上行かねばなるまい」

 叢雲は顔を上げ力強く言った。

 今朝からの考えを終わらせるために。

「それじゃあ神殿跡へレッツ、ゴー!」

 ピコが元気よく叫ぶ、しっかり片手を頭上に上げて、まさにエイエイオー!といったポーズである。

「おまえ、人が決闘に行くっていうのにたいしたはしゃぎようだな」

 多少の皮肉をこめて叢雲が呟く。

 それでもピコは気にしていない。

「だって死ぬ気はないんでしょ?それにキミが負けるはずがないよ」

「勝負は時の運、わからんさ」

「そんなことない!」

 ピコが口調を強める。

 叢雲も思わず目を見開く。

「そんなことない、そんなことないよ。キミは負けない、キミは死なないよ、だってあたしはそう信じているんだもの」

ピコが真摯な眼で叢雲を見つめる。叢雲もまたピコの視線を見つめ返す。

「ああ、そうだな」

 叢雲の表情から険が落ちる。

「俺にはピコがいる、負けていい理由はないな」

 叢雲はまたピコに助けられた気がした。

 彼女のおかげで気持ちが楽になったことは数え切れないほどある。

 いまさらながら数年来の小さな相棒に感謝した。

「うん、そうだよ」

 ピコもいつもの元気な笑顔に戻った。

「さぁ、いくか」

 叢雲は棒手裏剣より一回り大きい投げ爪を袖、裾、懐に仕込む。

 そして愛刀の千手院村正と鎧通しを腰に差す。

 村正は研ぎ澄まされた刃が美しい刃渡り二尺四寸(約74センチ)の名刀。

 先の戦いでヴァルファ兵の血をおおいに吸ったばかりだ。

 脇差の代わりに差している鎧通しは一尺(約30センチ)厚さは五分(1.5)センチある。

 鎧を刺し通すことに特化して、折れないように分厚くなっているのだ。

 身支度を調えた叢雲はピコとともに宿舎を後にした。

 ふと叢雲はあたりに気を配る。

 違和感を確認したがそれでもかまわずに歩き出した。

 路地に隠れていた人影は叢雲の進む方角を確かめると姿を消した。

 神殿跡へと先回りするために、決闘を見届けるために、編んだ黒髪を揺らしながら。

 

 

 カミツレ地区、城塞都市の北端に位置している。

 その中にあるレリックス地区に存在する遺跡群は、全てトルキア歴以前のものでかなりの年月が経っている。

 文化遺産として見られているが、老朽化のために危険地域とも見られている。

 そのために人気は少なく決闘には適した場所である。

 叢雲はレリックス駅に降り立った。乗り合い馬車の駅ではここが最寄駅なのだ。

 ほどなく歩くと神殿跡が見えてきた。

 そしてその前にいる騎士も。

 真っ赤な鎧を身にまとい二本の剣を両腰に差し静かにたたずむ女騎士が。

 叢雲が数メートルほど間隔をあけて女騎士の正面に立った。

 女騎士は閉じていた目を開き叢雲を見た。

「よく来たな……」

 冷たい目をしながら語りかける。

「私はヴァルファバラハリアン八騎将の一人…氷炎のライナノール。同朋ボランキオの仇を討つべく軍団を飛び出し、こうして貴様の前に立っている……」

 逃亡兵には死刑もある。それが士気を左右する将であるならなおさらである。

「もはや私に戻る場所はない…ただ願うは朋輩ボランキオの無念を晴らす事のみ…」

 ライナノールは両手を交差して二刀を引き抜く。鞘走る音が響く。

「愛した人の敵を討つのみ!いざ尋常に勝負!」

 最初の凍てつく目ではなく今は燃える激情の目で、叢雲をにらみつけている。

 

 

 叢雲はライナノールの言葉を聞いていて思った。

 確かに戦場で敗北し果てるのは騎士にとっては無念であろう。

 しかしボランキオは敗北…死を無念とは見てなかったようだった。

 むしろ至高の幸福のように安らかな顔をして死んでいった。

 そう、後に残ったものたちには何の未練もないように…。

「悲しい女だな・・・」

 思わず呟きが口から漏れる。

「さぁ!剣をぬけっ!それとも臆したか?」

 ライナノールが挑発をする。

「ピコ、離れてろ」

「うん、気をつけてね…」

 叢雲は刀を静かに抜く。

「叢雲蒼夜、相手をしよう!」

 言うが早いか叢雲は打ち込んだ。

 ライナノールは左の剣で受ける。

 しかし両手で切り込んできた剣、しかも飛び込んできているので加速がつきその分重くなっている。

 雑兵ならともかく叢雲の打ち込みは女の腕一本で防げるものではなかった。

 ライナノールは右手の剣も使い持ち堪える。

「速いっ」

 ライナノールの正直な感想であった。

 予想以上の速さに受け流すことが出来なかった。

「これならばネクセラリアが敗れたのも理解できる…しかし」

 間近に迫った敵の顔を見た。

 叢雲蒼夜、蒼い悪魔と呼ばれる東洋人傭兵…。

 ライナノールにとっては名実ともに悪魔であった。

 愛する人を奪った悪魔、奪われた人にもう自分の想いを届けることは出来ない。

「それでも自分の想いを貫き通すのみ!」

 ライナノールが吼えた。

 信じられない力でつばぜり合いの拮抗を崩す。

「なにっ!?」

 叢雲は驚愕した。

 女性を見下すわけでは無い。

 しかし生物学的見地からいって男性のほうが力はある。

 さらには大男とも渡り合う自分が女に力負けするはずがないと思っていた。

 彼女の細い体の何処にこんな力があるのかわからなかった。

「私は負けない!あの人の、そして自分のために!」

 ライナノールは二刀を使って攻め立てる。

 左右の剣を使った激しい攻撃。

 今の彼女は【氷炎】の【炎】に特化していた。

 防戦にまわる叢雲。

 ライナノールの一撃一撃は重かった。

(死人のために戦う者にこんな力が!?・・・・これが想う心の力か?)

 そんなことを考えながらも叢雲は下がる一方だった。

「はっ!」

 隙を見て刀を突き出す。

 ライナノールは片方の剣で受け流す。

「もう、後れはとらん!」

 もう片方の剣で叢雲の足を狙う。

 叢雲は刀を受け流され体勢を崩していたのでよけきれなかった。

「くぅ!」

 左足の太ももを切られた叢雲がうめく。

 叢雲の速さを封じたライナノールが叫ぶ。

「覚悟!」

 そのときには叢雲はかまえていた、必殺技を。

「舞桜斬、求嵐(ぐらし)!」

 ネクセラリアを倒した技がライナノールを襲う。

 高速の刀の連撃が嵐のように襲い掛かり、そして血の花を咲かせる。

 しかし咲いたのは血の花ではなく、剣と剣がかち合ってできる火花であった。

 ライナノールはほとんどの斬撃を二刀をつかって防いだのだ。

 防ぎ損じた攻撃も鎧のおかげで致命傷にはならなかった。

「やる!!」

 叢雲は再び驚いた。

 足に傷を負って踏ん張りが効かなかったといえども、あの技をことごとく防いだのは驚嘆すべきことだった。

 だが叢雲は自分が未熟だったとすぐに気持ちを切り替える。

 反省などは生きていれば後でもできる。今は戦うことに集中すべき時なのだ。

(あの体勢で必殺技をはなつとは…)

 ライナノールは叢雲の強さを再認識した。

 だからこそ一気に決めることにした。

 精神を集中し気をはく。

 叢雲はあたりがひんやりとするのがわかった。

 その原因はライナノール。

 彼女の左の剣にもやがかかり冷気が集まっていく。

 冷気をまとった剣を振ると、凍てつく吹雪が叢雲を包み込んだ。

 叢雲はかわすことが出来ずに刀を押し出し防御する。

 しかし形のない冷気を防ぎきることは出来ない。

 みるみるうちに叢雲の体は薄い氷が張り付きだし、冷たさが感覚を奪い始める。

 吹雪が終わったと思うとライナノールは右手を高々と上げていた。

 剣に炎をまとわせながら。

「我が技に死角はない!」

 右手を振り下ろすと今度は炎の刃が叢雲に襲い掛かる。

 寒さにかじかみ動きの鈍くなった体でろくな防御も出来なかった叢雲は、張り付いた氷を散らせながら吹き飛んだ。

 仰向けに倒れ斬られた胸からは炎刃による煙を出している。

 凍らせて動きを封じて焼き斬る、これがライナノールの必殺技「二刀氷炎斬」である。

 ライナノールは止めを刺すべく叢雲に近づいた。

 その瞬間叢雲は腕を動かした。

 放たれた二本の投げ爪はライナノールの剣にはじかれ届くことはなかった。

「やはりまだ動けるか、驚きだな」

 口ではそういいながらライナノールは落ち着いている。

 バルドーを倒した男がこのまま終わるわけが無いと思っていたからだ。

 叢雲は立ち上がった。

 多少よろめいているが闘志は消えてはいない。

 傷は痛むが血はあまり出ていない。焼き斬られたからだ。

 叢雲は血止めや消毒のために刃物を熱し焼きごてのように傷口を焼いたことはあっても、焼き斬られるのは初めての痛みであった。

 もっとも血があまり出なかったのは別に理由がある。

「!?そうか、鎖帷子を着ていたのか」

 ライナノールは叢雲の上着の下から覗く鎖で編んだ帷子を見ていった。

 叢雲の鎧はボランキオに砕かれており新しい鎧はまだ出来ていなかった。

 そのため最近手に入れていた鎖帷子を着てきたのだ。

 しかし鎖帷子は先ほどの攻撃で裂けていた。必殺技には耐え切れるはずがなかったのだ。

「体が冷えてたんだ、ちょうど暖まったよ」

 胸の煙を消しながら軽口をたたく。

「強がりを、バルドーの敵…討たせてもらう!」

 ライナノールがかまえる。先ほど放った二刀氷炎斬の構えを。

 力の出し惜しみをして奴は倒せない、そうふんだのだ。

「凍れぇ!」

 冷気が放たれる。

 叢雲は刀を大上段に構えた。

 冷気が叢雲を覆い尽くそうとした。

「!!」

 その瞬間、叢雲は刀を振り下ろした、渾身の力をこめて。

 冷気の風が剣風により切り裂かれた。

 しかし全てを割ることは出来ず最後のほうの冷気が叢雲を凍らす。

 それでも直撃よりましであろう。

 叢雲は体に張った薄氷を気にもせずただ一点を凝視する。

 炎をまとった右の一撃を。

「灰塵と帰せ!」

 先ほどよりも一段と大きい炎の刃が放たれる。

 ライナノールの激情に比例するかのような剛火。

「冷気を操るは貴様だけでは無い!」

 叢雲が炎刃に交差するように刀を袈裟懸けに振り下ろす。

「舞桜斬、雪月花!」

 振り下ろされた叢雲の刀からは吹雪が吹いた。

 名の通り桜の花とともに舞う雪の如くの優雅な技である。

 優雅に見えても先ほどのライナノールの冷気に当てたなら相殺出来たかもしれないほどの威力を持つ吹雪。

 あえて叢雲は使わなかったのだ。この炎刃のために。

 炎と雪は衝突した。炎は雪に消され、雪は炎で蒸発する。

 あたりを大量の水蒸気が包み込んだ。山頂の霧のように一寸先も見えないほどに。

「くっ!これを狙っていたのか!」

 ライナノールは毒づくが完全に叢雲の姿を見失った。

 

 叢雲のねらいどおりになった。

 相殺できるよう温度調節がうまくいくかわからなかったが、乾坤一擲、賭けに出たのだ。

 水蒸気により視界ゼロという状況はライナノールと同じである。

 しかし叢雲は剣士であると同時に暗殺者でもある。

 気配と物音、そして気流の流れで相手を察知するなど難しいことではなかった。

 くわえて『叢雲』という名前は伊達ではない。

 群雲、雲が集まっている処、を指す意。

 叢雲の一族は煙や霧を扱う技に誰よりも長けていた。

 

 音もなく叢雲は近づく。

 叢雲が狙うのは左側面から。

 今までの戦いによりライナノールは左眼を失明している隻眼の騎士だと気付いていたからだ。

 髪で隠そうが隠せるわけがない。

(もらった!)

 叢雲は袈裟懸けに斬りおろした。狙うは首である。

 

 ライナノールは焦ったが暴れるような愚は起こさなかった。

 動けば敵に自分の場所を教えるだけになることを理解していた。

 心を沈めて気配を探る。

 しかし叢雲の気配は微塵も感じられない。

 そのときになってライナノールは思い出した。

『青い悪魔』、叢雲がかつてはゲルタニアで『悪魔』と呼ばれたほどの暗殺者であったことを。

 暗殺者、もちろん気配を消したまま相手の気配を知る術は心得ているだろう。

「どこだ!どこにいる?」

 必死に探るが感じられない。

(このままではバルドーの敵が討てない。バルドーに対するあたしの気持ちも…!)

(バルドー!)

 ライナノールは心の中で叫んだ。

(左だ)

 その時聴覚ではなく直接頭に、いや心に響くような声がした。

「えっ?左!?」

 幻聴かもしれなかったがライナノールは無意識のうちにしたがっていた。

 左の水蒸気が揺らめいた。

 ライナノールは己の心に聞こえた言葉を信じて渾身の一撃を左方へ見舞った。

 左右の剣をそろえて振り下ろす、それぞれに氷炎をまとっている。

 振り下ろした氷炎の剣は見事に叢雲の必死の一閃を防いだ。

「!?こうも見破られるとは!」

 叢雲はつばぜり合いに耐えながらいう。

 ふんばるたびに太ももの傷口から血が流れる。

「わたしは負けられん!バルドーが見ているのだ!」

 ライナノールが気合とともに押し切る。

 静かな遺跡群に金属の甲高い破砕音が響き渡った。

 ついにライナノールの二刀が叢雲の刀「村正」を砕いたのだ。

 叢雲は信じられないものを見る目で見ていた。

 長年ともに戦ってきた愛刀。ボランキオの破砕閃斧にも耐え切った名刀。

 今それが砕け折れたのだ。

 しかしボランキオ戦でもう寿命になっていたのかもしれない。

 すでに霧は晴れている、今は目の前に迫る危機をどうするかである。

 叢雲を押し切ったライナノールはそのまま肩から斬り下げようとする。

(やられる!)

 叢雲の背に冷たいものが走った。

 しかし右肩に食い込んだライナノールの剣は下りることなく止まっていた。

 叢雲が抜いた鎧通しにより止められていた。

 右手には折れた刀を持ったまま左手で逆手に鎧通しを抜いたのだ。

「バカな!とめられるはずがっ!」

 ライナノールは目の前の出来事が信じられなかった。

 だがそれ以上に叢雲は驚いていた。

 何故左で抜いたのか。

 折れた刀を捨ててから右手で鎧通しを抜いていたのでは遅い、間に合わずに斬られて果てていた。

 しかし右手に刀を持ったまま左で抜いたからこそ助かったのだ。

 自分の無意識が自分を救ったのだ。

 日頃の鍛練の賜物か、一流の剣士のなせる技であった。

 叢雲は一瞬の動揺で動きの鈍ったライナノールに頭突きと体当たりを同時に食らわした。

 体重差には叢雲に分がありライナノールは跳ね飛ばされた。

 叢雲は頭突きではライナノールの鼻を狙った。

 鼻は、痛みは我慢できても勝手にあふれる涙はどうにもならない。

 案の定起き上がろうとしているライナノールは涙をにじませている。

 涙は視界をぼやけさせ邪魔をする。

 叢雲は痛む足をこらえライナノールに向かった。

「終わりだ!」

 叢雲は飛び出しすれ違うようにしてライナノールを蹴り飛ばす。

 まだ立ち上がっていないライナノールの頭は絶好の蹴り場所にあった。

 血の尾を引きながらライナノールは鞠の如く弾み、動かなくなった。

 両手に剣はもう握られてはいない。取り落としている。

 叢雲は気を抜くことなく近づき、止めを刺さずに見下ろしていた。

 ほどなくしてライナノールは意識を取り戻した。

 空虚なひとみが叢雲の視線と重なる。

 そして自分がまだ生きていることを理解した。眼が気迫を取り戻す。

「何故止めを刺さん?」

 叢雲はこたえない。

「貴様の勝ちだ、さあ!殺せ!」

 叢雲は折れた刀と鎧通しを鞘に収める。

「見つからずに入れたんだ、出ることもできよう。誰の手引きかは聞かないでおく」

「あわれみはいらぬ!もはや私には何もない…死こそ本望だ!!」

 まだ自由に動かぬ体を必死におこしながら叫ぶ。

「死ぬことだけがおまえの答えなのか?おまえを軍団から抜け出させたほどの想いが結局は死なのか?」

 叢雲とライナノールの視線が真っ向からぶつかった。お互い見つめあい沈黙が流れる。

「甘いな、東洋人!」

 そこへ場違いな声を響かせる者が現れた。

 ドルファン王国きっての名門、エリータス家。

 その三男、ジョアン・エリータスが取り巻きの者たちを連れ現れた。

「こんな大物を逃がそうだなんて貴様もヤキが回ったのかぁ?」

 ライナノールと叢雲を交互に見て、あきれたように言う。

「このエモノはボクが頂く…者ども!この敵兵を軍本部へ連行しろ!!」

 ジョアンは勝手に話を進め、終わらせた。

「ジョアン!貴様勝手なことをするな!無駄に鎧など着込みやがって!」

 普段はジョアンなどをまともに相手をしない叢雲もこのときは激昂した。

「だぁまれ!東洋人!」

 ジョアンは叢雲にしゃべる隙を与えずにまくし立てる。

「貴様正気か?不法入国した敵兵、しかも八騎将をだぞ。止めを刺す、もしくは捕縛するのが当然なものを、逃がそうなどと貴様を内通者として告発しても良いのだぞ?んん?」

 そういってわざと叢雲の胸の傷口を狙って突き飛ばす。

「くっ」

 叢雲は反論できずに痛みに顔をしかめるだけであった。

 公の場に出ればどう考えても叢雲の分が悪い、反論できる材料がなかった。

「ほら、とっとと歩け」

 その間にもジョアンの連れてきた巨漢の男がまだ思うように動けないライナノールを後ろ手に縛り上げた。

 ライナノールは足をふらつかせ、なすがままとなっている。

「貴様ら、覚えておけ!私は不覚を取ったが残りの八騎将はこうはいかんぞ」

 唯一自由になる口で無念の気持ちを叫ぶ。

 だがジョアン達には負け惜しみとしか聞こえない。

「貴様らに明日はない!」

 鼻と口から血を流しながら言うその言葉は、自分に対しても言っているようだった。

「黙って歩け!」

 巨漢の男がうるさそうにしゃべり乱暴に押す。

 ライナノールは観念したようにうつむき歩き出す。

「バルドー…私、あなたの敵を討てなかった……」

「気にするこたぁねぇよ」

 ライナノールの呟きを耳ざとく聞きつけた男がささやく。

「昔の男なんか忘れちまえ、いや、忘れさせてやるよ」

 男は下卑た笑いを顔に浮かべる。

「!貴様!!」

 ライナノールは激怒と嫌悪の表情を見せる。

「本部に行く前に楽しませてもらうぜ?敗残の女がどんな目に会うかおまえも知らないわけじゃあるまい」

 そういうと馴れた手つきでさるぐつわをかませる。舌を噛み切らせないためだ。

 動きを封じられたライナノールには為す術もない。

 瞳が激怒から絶望へと変わる。

 ライナノールの打ちひしがれた瞳と叢雲の目が合った。

 目が合った時に、叢雲の体は自然に動いていた。

 鎧通しの鋭い切っ先がライナノールの首をひいていた。

 ライナノールの細い首から真っ赤な華が咲き大地を染める。そして膝から崩れ落ちる。

「ひゃああぁあっ!!」

 捕まえていた男は顔から全身に血を浴び、情けない声をあげて腰を抜かした。

「なっ、何をする!貴様」

 ジョアンがうろたえわめき散らす。

「俺は果し合いに勝った……勝者が敗者をどうしようが自由だろう」

 叢雲は冷たく言い放つ。

「うっ…」

 叢雲の威に飲まれジョアンは何もいえなかった。

「ふん、まぁよいわ!ええい!死体に用はない、いくぞ!」

 そういって足音荒く立ち去った。その後にチンピラたちが続いていった。

「……すまないな」

 叢雲はさるぐつわを取りライナノールを抱き起こして言う。その間にも首からは血があふれ出でいる。

「にくいはずの仇に、助けられるとはな…騎士として…死なしてくれることに礼を言うぞ…」

「血を失って死ぬのは苦しまないという、迷わずに逝ってくれ」

 目の前にいる、自分を気遣う悪魔といわれた男…。

「ふっ…バルドーに…勝った男か」

 それだけを言い残しライナノールは息を引き取った。

 ルシア・ライナノール…若き女戦士は叢雲の剣で人生に終止符を打たれた。

 

 

 その日のうちに軍本部にライナノールと果し合いをしたこと、そして討ち取ったことを報告した。

 叢雲が病院に治療を受けにいくと入院を勧められたが断った。

 病院から戻ってくると、事後処理は終わっておりライナノールの鎧は本部に保管され、遺体は共同墓地へと運ばれたと聞いた。

 

 怪我が辛かったが叢雲はかまわずに共同墓地へと足を向けた。

 すでに埋葬は終わっていた。

 シスターに聞くと神父が積極的に埋葬に協力したという。

 彼女は叢雲にライナノールの墓を案内してくれた。

 かの場所につくまでに最近作られた墓がいくつもあった。

 綺麗に花が飾られた墓や、すでに廃れた墓、様々である。

「こちらです」

 シスターは真新しい墓の前で止まった。

 墓は墓地の一番はずれにあった。

 粗末な墓碑には「R・R」とだけ刻まれていた。

 叢雲はしばらく墓の前にたたずんでいた。鎮魂の鐘が聞こえてくる。

「………悲しい目をした人だったね」

 ピコが叢雲のとなりで墓を見つめている。

 誰かがこちらにやってくる足音がした。

「……ヴァルファの八騎将と戦って勝ったんですってね…」

 振り向くとライズが立っていた。すでにシスターは立ち去っている。

「気に病む事はないわ」

 いつものように感情を見せない。というより押し殺したような表情で淡々と告げる。

「勝者には生を、敗者には死を……それは戦いの常だもの……」

 墓を凝視しながら抑揚のない声でいう。

「敗者に明日はないのよ…」

 その最後の言葉だけは彼女は感情を表した。

 普段は決して見せることのない戸惑い、そして悲しみの色。

 ライズは一輪の花をルシアの墓前に添えると、黙って立ち去ってしまった。

「金盞花…マリーゴールドだね……」

「花言葉は確か……」

「別離……だね」

「俺は敗者にはならない…」

「うん…そうだね…」

 叢雲はピコを肩に乗せると墓地を後にした。
  

 

 その四日後、保管されていたルシア・ライナノールの遺品である鎧が、軍部中央本部局から盗み出された。

 内務調査班は内部事情に明るい者の反抗として調べている。そう新聞には載っていた。

 しかし叢雲は、盗んだのはヴァルファの者かもしれない、と一人考えていた。


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