第六章「届かぬ想い」


 ダナン攻防戦。

 プロキアの背反に対処するべくヴァルファバラハリアン本隊はドルファン国から占領したダナン領を離れ迎え撃っていた。

 その結果ダナンに残っているヴァルファ占領軍はわずかな部隊だけであった。

 其処へ天啓とばかりにドルファン軍は大軍を擁してダナンへ押し寄せたのだ。

 

 

「ミーヒルビス参謀のいったとおり圧倒的不利を通り越して、まさに絶望といった感じだな」

 赤い鎧を身にまとった大男が戦場を見渡しながら呟く。

 鎧といでたちから部隊長であることが伺える。

 すでに味方は撤退を始めている。

 後は自分の部隊がどれだけ時間を稼げるかである。

「ここが俺の…」

 己の胸に去来する思いを口に出そうとした。

 ふと、気配を感じて振り返る。

 長い髪で片目を隠した女が近づいてくる。

 彼女も男と同様赤い鎧に身を包んでいる、部隊長なのだ。

「バルドー!このままでは犬死よ!せめて私の部隊だけでも残ろう!」

「ライナノール!おまえまだ残っていたのか、命令違反だぞ!」

 男の名はバルドー・ボランキオ、女はルシア・ライナノールといった。

 ともにヴァルファバラハリアンが誇る八騎将の二人である。

 もっとも現在は先の戦いでネクセラリアが討たれ、正確に言うと七騎将となっている。

 しかし欧州大陸最強の騎士達であることは変わりない。

 八騎将はその強さから畏怖を込められた通り名を持っている。

 ライナノールは正確な防御と激しい攻撃から【氷炎】と。

 そしてボランキオは少人数でも決して退かず重要拠点を死守したことから、【不動】と呼ばれていた。

 まさに今、ボランキオは渾名のとおり味方が戦線を離脱するのに殿(しんがり)を勤め、ドルファン軍の追撃を防ごうとしているのであった。

 先刻、絶望的とつぶやいたほどの戦況ではあるが。

「早く撤退しろ、ライナノール」

 冷たく言い放つ。

「!…しかし、」

 ライナノールはなおも取り付こうとしたが

「誰であろうと参謀殿の命令にそむくやつは切る!ライナノール、それがお前でもだ」

 語気を荒めて凄む、その眼光は本気であることを物語っていた。

「バルドー…あなた…」

 ライナノールは悲しくなった。ボランキオが本気で自分を斬るといった事に。

  戦場では命令違反には死刑もある。

 だから驚くことはない、しかしライナノールは何かに期待していたのかもしれない。

「早くいけ…ライナノール」

 静かに言う。

 もはやボランキオの意思を変えられることができないのを悟り、ライナノールは部隊を撤退させる。

 そして想いのすべてを言葉に乗せて呼びかける。

「バルドー…お願い、生きて帰ってきて…必ず」

 それでもボランキオは振り向かない。

 届かぬ想いを抱いたまま戦場を後にする。

(やはり、やはりだめなの?あなたの胸にはまだ…くっ!八騎将といわれても死人にすら勝てないなんて!…)

 ボランキオはライナノールの言葉を背中で聞いていた。

 振り向いてやることができなかった。

「すまん、ライナノール」

 彼はライナノールを受け入れることはできなかった。

 まだ彼の心の中には最愛の妻子への想いが厳然とあったから。

 流行り病で逝った妻と子への届かぬ想いが…。

 さまざまな想いを払拭するかのように叫ぶ。

「うおおぉぉー!!」

 猛然と戦場の真中に馬を突進させていく。

 地面にはヴァルファ兵とドルファン兵の死体が転がっている。

 若干ヴァルファ兵のほうが多い。

 だが戦力差を考えればヴァルファ兵は敵の数倍の働きをしていることになる。

「俺の部隊がつえぇのか、それともhルファンがよっぽど腑抜けなのか」

「両方ですよ」

 不意に声がする。

 副官が隣に並走していた。

「すまんな、こんな損な役回りばかりさせて」

「何をいっているのですか、こういうのは我が隊の専売特許ですよ」

「そうですよ腰抜けどもに一泡吹かせてやりましょう!」

 周りの兵たちも口々に言う。

「よし!行くぞ、敵の足止めだ、無理はするなよ!」

「無茶ならしてもいいんですね」

 軽口をたたきながら一丸となり突っ込む。

 ボランキオだけは一人離れる。

「我こそは不動のボランキオ!俺の死に戦に花を添えるやつはいるか!」

 その言葉にドルファン兵が反応する。

「不動のボランキオだ!」

「八騎将だ!うちとれ!」

 一気にドルファン兵が群がる。

「うるさい蝿どもめ」

 自分の武器、長大なバトルアクスを構え精神を集中する。

 頭上でアクスを回転させる。回転は速くなり気流の渦が視認できるほどになる。

 目を見開き溜めた力を、解き放つ!

「必殺!破砕閃斧!!」

 生まれた衝撃波が圧倒的な力を持ってドルファン兵を襲いむさぼる。

 突出していたボランキオを取り囲もうとしていた兵たちはことごとく四方へ広がる衝撃波の餌食となった。

 直撃を受けた者は腕、あるいは上半身ごと吹き飛ばされていた。

 ボランキオは止まらず踊りこむ。

 あまりの技の凄まじさに呆然としていたドルファン兵はボランキオの次の一振りで5、6人が切り倒された。

「うおおぉぉ!!」

 重いはずのバトルアクスを軽々と振り回す。

 そのたびに斧はドルファン兵の血を吸う。

 頭上から振り下ろした刃は兜ごと頭から体を両断する。

 その衝撃で大地が裂ける。

 横に振ると一人は刃先で切り裂き、もう一人は柄で骨を砕く。

 力と武器の長さによりボランキオの一撃は複数の犠牲者が出る。

 ドルファン兵は迂闊に間合いに入れずに攻めあぐねていた。

 臆病になりかたまったところを一気に断ち斬られる。

 ボランキオの働きはすさまじかった。彼の部下も善戦していた。しかし確実にその数は減ってきていた。

「くそっもう少し、もう少し時間を…ならば!」

 意を決したボランキオは斧を大きく振り敵兵との間合いを大きく開ける。

「我が名は不動のボランキオ!この斧の切れ味、試す度胸のある奴は出てこい!」

 ボランキオは大音声で名乗る。

 自分が一騎打ちをすることで時間を稼ぎ部下の犠牲を抑えようというのだ。

 一人の騎士が前へ出る。

「ドルファン騎士団、ボナファード・イルソン、貴公の首私が貰い受ける!」

 全身を板金鎧で完全武装したボナファードはスピアを脇に構え馬を突進させる…が、

「やれん!」

 一言、そして一撃でボナファードは鎧ごと横に両断された。

 上半身は地に落ち、ボランキオの横を主の下半身だけを乗せた馬が通り過ぎる。

「イルソン卿が一撃だと!?」

 少しは名の通った騎士だったのかドルファン軍にどよめきが広がる。

「弱すぎる、次っ!」

 功名心から挑む者はいたが、その誰もが一撃で幕を閉じられた。

「そろそろか…」

 でに名乗りをあげる者はいなかった。

 充分に時間を稼いだボランキオは敵を牽制しつつ、部下に撤退を促そうとした。

 そのとき、ボランキオは異質な気配を感じた。

 何かが数本飛来し、ボランキオの乗っている馬の額に突き立った。

 ボランキオは馬が倒れる前に飛び降りた。

 倒れた愛馬を見ると長さ十数センチほど、太さは指ぐらいの鉄の棒が三本突き刺さっていた。

 それはボランキオ本人ではなく明らかに馬を狙った正確な攻撃。

「骨のある奴がいたようだな」

 ボランキオは鉄棒が飛んできたほうを見た。

 血で濡れた蒼い鎧を身にまとった男がやってくる。手甲に特異な鉤爪をつけている。

「!?黒い髪…東洋人か?…」

 風になびく黒髪を見てボランキオが言う。

「奴だ…悪魔が来たぞ」

「また血まみれだぞ…いったいどんな殺り方をしたんだ」

 ドルファン兵が呟く。畏怖の念を込めて。

「そうか、おまえが蒼い悪魔か」

 ボランキオも以前から噂だけは聞いていた、凄腕の傭兵。

 そしてネクセラリアが倒されたことにより噂の域を脱した。

 生き残ったネクセラリアの部下から話を聞き……

「闘ってみたかったぞ!」

 猛然と斬りこむ。

 蒼雲は身を深めかわしつつ踏み込む。

「叢雲 蒼夜だ、参る!」

 刀を抜き払い斬りつける。

 抜刀術、居斬り。

 刀を抜くときに鞘走らせて剣速を速める。

 ボランキオのバトルアクスゆえの大振りの隙をついた一閃。

 叢雲の刀は完全にボランキオを捉えていた。

 しかし、ボランキオが倒れることはなかった。

 一撃は鎧に阻まれていた。

「!硬い!」

 鎧を斬ることが出来ず表面に傷をつけるにとどまったのだ。

「さすがに速い、だがその程度ではこの俺の鎧は斬れんぞ」

 そういってボランキオは斧を構えなおす。

 居斬りは速い。初手の一撃や奇襲には適している。

 鞘で加速をしていても片手で斬るがゆえ威力は両手斬りに劣る。

 それでも叢雲ならば骨をも絶つことも出来る。

 問題はボランキオの鎧が硬すぎるのだ。

「普通の鎧ではないな」

「おうとも!俺専用の特注品よ。普通の鎧より重いがそれを補って余りある硬度だ」

 叢雲は決して鎧を狙った訳ではなかった。

 鎧と鎧の隙間を狙ったはずだったが、ボランキオは刃が届く瞬間に身を沈めて鎧に当てたのだ。

(力だけでは無い、さすがに八騎将だ)

 叢雲はおもわず感心した。

「そしてこれも俺専用だ!」

 長さ二メートル以上はあろうかという長斧を斜に振り下ろす。

 叢雲はとっさに身を開いてかわす。

「ぐううっ!」

 何とかかわすが斧の通過した周辺の大気が振るえ衝撃を生み出す。

「普通の振りが必殺技並だな」

 衝撃波に鎧を叩かれた叢雲が毒づく。

 

【必殺技】……魔術師や工兵の【魔術】に対抗するために、騎士や戦士が生み出した技を超えた技。

       己の武器を極めた者だけが得られるものである。

       魔術が精神力を使い呪文を詠唱して発動させるのに対して、必殺技は体力を使うだけである。

       精神力も多少使うが気合、気力といったぐらいである。

       呪文詠唱が無いぶん迅く打て、威力も使い手によっては魔術を凌ぐほどである。

 

 ボランキオは今度は振り上げる。すごい勢いにつむじ風が巻き起こる。

 しかし叢雲の姿はすでに其処には無かった。

「!上かっ!」

 上を見ると跳躍した叢雲が、刀を下に突き構えボラ塔Lオめがけて降下しようとしていた。

「くらえっ!」

 大地に突き立つ稲妻の如く叢雲は鋭く襲いかかる。

「ぬかったな蒼い悪魔!破砕閃斧!!」

 ボランキオは必殺技をはなった。

 一撃でドルファン兵十数人を葬ったあの技である。

 ボランキオを中心に四方へ広がる連層の衝撃波。

 高さも三メートル以上はある。

 空中にいる叢雲は避けることが出来ずに直撃をくらい吹き飛ぶ。血と鎧の破片を散らせながら。

「蒼い悪魔とはこの程度か!」

 決着がついたように見えドルファン兵は失望し、ヴァルファ兵は意気軒昂した。

「俺は人間なんだがな……」

 そういって叢雲が立ち上がった。

「直撃をくらって立つのか!?」

 ボランキオは驚愕した。

 今まで自分の必殺技の直撃をくらって立った…いや、生きていた者などいなかったのだから。

「そうか、そういうことか」

 叢雲を見て謎が解けた。

 彼は避けられないとわかった瞬間全身を縮め、衝撃を受ける面積を最小にして刀と手甲で防御したのだ。

 そのため鉤爪付きの手甲と脛当ては砕けており胸当てもひび割れて欠けている。

 驚くことに刀は折れていなかった。

「いい剣を持っているようだな」

「我が名刀、【千手院村正】に打ち損じは無い!」

 

 村正……妖刀として叢雲の祖国に伝わっているが、それは時の権力者による作り話ともいわれている。

     だが妖刀伝説が生まれるほどの切れ味をもっているのは確かである。

 

「しかしその体で何が出来る?」

 ボランキオの指摘したとおり叢雲はすでに満身創痍であった。

 刃砕閃斧の威力は凄まじい、防御しても防御しきれるものではなかった。ましてや直撃だったのだから。

 全身に裂傷を負い、衝撃により内臓をかなり痛めていた。

「長引くとまずいな……」

 込み上げた血を吐き出しつぶやいた。

 ただでさえボランキオは体力が常人よりあるのに、叢雲は負傷してしまっている。

 長引けば長引くほど不利である。

 すぐに決着をつけねば叢雲に勝ちは無い。

「悪魔も爪をもがれては形無しだな!」

 背中から振りかぶり渾身の一撃をはなつ。

「爪が無くとも牙も翼もある!」

 ボランキオの斧は地面を深くえぐっていた。

 だが叢雲の姿は無かった。

 あるのは砕けた鞘だけであった。

 気配を頼りに叢雲を探すと上方に感じた。

「懲りないやつめっ!」

 ボランキオは見上げて迎撃体制をとる。

 叢雲は確かに上へ跳んでいたのだが先ほどよりもさらに高く飛んでいた。

 鞘を踏み台にして跳躍力を上げていたのだ。

「それが翼か、無駄なことを!」

 叢雲の降下のタイミングを見極めて気を練る。

「砕けろっ破砕閃斧!」

 衝撃波が再び叢雲を襲う。

 叢雲の目が見開かれる。

 彼はこの瞬間を狙っていたのだ。

 空中で腕を振り刀の作用を使い体をひねり体勢を変える。

 衝撃波が周囲を包むが叢雲は吹き飛ばされてはいなかった。

 破砕閃斧は斧を回転させることによって小型の竜巻状の衝撃波を生み出す。

 つまり竜巻の類であるならば中心には無風空間が生まれるのだ。

 叢雲はそこを狙うために高く飛び腕と刀を振り、作用反作用を使って降下軌道を変えて台風の目、中心に降りたのだ。

 しかし衝撃波はかわしてもボランキオの頭上に下りることになる。

「叩き斬ってくれるわ!」

 必殺技から対空技に切り替える。

 空を引き裂き叢雲の胸めがけて放たれる攻撃。だがこれも叢雲の読みどおりであった。

「さいっ!」

 気合とともに叢雲が刀を振る。

 ボランキオのバトルアクスがけら首から切断される。

「なにっ!?鋼鉄を斬っただと!」

 ボランキオのバトルアクスは柄は木製だが金属板でまいて強化している。

 さらにけら首(柄と刃の接合部)は巻いている金属板は厚く柄の中に鋼鉄のアックスの芯棒が入っているのだ。

「斬鉄の使い手は初めてか?」

 叢雲が冷たくつぶやく。
 

 【斬鉄】剣に気合を込めることで鉄をも切断することが出来る斬撃。

     剣を極めた者だけが使える高度な一閃。

 

 叢雲は膝を曲げて着地時の衝撃を吸収する。それと同時に体を縮め全身のばねを蓄える。

 そして刹那の瞬間にボランキオへ飛び出しながら左手を刀の中ほどに添えて突き出す。

 まさに蒼い魔弾、一条の閃光であった。

「がはっ!」

 ボランキオは悪魔の一撃をかわすことが出来なかった。

「俺の鎧がこうも……」

 叢雲の刺突はいとも簡単にボランキオ自慢の鎧を突き抜けていた。

「秘剣 鳥刺し…」

 叢雲は呟いた。

 刀を槍のように突き出す、正確無比の突き。密接状態で威力を最大限に発揮する。

「ふっ…」

 ボランキオは笑っていた。体を貫かれながら。

「これで妻と子のところへいけ…るのか」

 刀を引き抜くと大量の鮮血がほとばしり、そしてそのなかへボランキオは倒れこんだ。

 その死に顔は戦場に似つかわしくないほど穏やかであった。

「…死人のために戦っている奴に負けはしない…」

 一瞥をくれ叢雲は背を向けた。

「退くぞ!」

 ヴァルファの副官が叫ぶ。

 号令の元、残存している兵たちはきびすを返した。

 叢雲はそれを見て感心した。

 隊長が討たれても感情的にならずに、何をすべきか的確な判断をする。

 副官、ひいては隊長であるボランキオの錬兵の賜物である。

 しかし…

「逃がすな!皆殺しにしろ!」

 ここぞとばかりに正規兵たちが追撃をかける。

「仕事熱心だな」

 叢雲は戦争のあるべき姿を見てそうつぶやく。

 戦争に情けは無用。稼げるときに手柄は稼いでおくものだ。

 いつのときでも敗走とは悲惨なものだ。

 叢雲は引き上げることにした。

 ボランキオとの戦闘によりこれ以上の戦闘は無理であった。

 もっともすでにこの戦いは終了したも同然である。

 痛む体を引きずり本陣へ向かう。

 だが誰も彼に手を貸すものはいなかった。同じ部隊の者さえも。

 恐ろしかったのだ。味方でありながら。

 理解できないのだ、彼の強さが。

 しかし二人の傭兵が近づいてきた。

 ひとりはひげをはやした大男、もうひとりは色黒の男である。

「大丈夫か?」

 ひげの方がそういって手を差し伸べる。

「すまないな…」

 叢雲はその手を取った。

「お互い様さ、あんたは知らんだろうが俺たちは以前あんたに助けられているんだ。

 ほかのやつらが悪魔といおうが俺たちにゃ命の恩人さ」

 そう色黒の男が言う。

 叢雲はかすかに笑みをこぼした。

「義理堅いな」

 本音を言えば安心した。いくら強くとも軍内で孤立していることは、何のメリットもない。

 強さゆえに妬みを買い、後ろから刺されるというばかげた話は誰も好まない。

 叢雲も自分からきっかけを作ろうと思っていたが、避けられてばかりだった。

「これがきっかけになればいいがな…」

 叢雲は二人に両脇を抱えられながらそう思った。

 

 ボランキオ隊は森を駆けていたが生き残っているのはすでに五人となっていた。

「だめだ!追いつかれる」

「あきらめるな!俺たちが死んだら誰が隊長の最期を伝えるのだ!」

 そうは言ったもの彼らの馬は限界に近づいていた。

 少数で多数を相手にするには動き回らなければならない。

 そのため人馬ともに疲弊していた。

 追撃するドルファン兵は約二十名。距離は確実に詰められてきていた。

 ヴァルファ兵の一人が意を決して叫ぼうとした。

「こうなったら俺が奴らをひきつけ…!」

「そのまま走り抜けろ!!」

 そのとき一際大きい声が遮った。

「!?」

 ヴァルファ兵達はわけがわからなかったがその声に従った。

 本能的に逆らえなかったのだ。その声の威圧感に、そして怒気に。

 前方を見るといつのまにか騎士がいた。

 すれ違った瞬間に生き残った兵たちは理解した。

 騎士が誰かを、あれほどの威圧感を持つのが誰かを。

 ドルファン兵がその騎士に近づいてくる。

「ひょう!女だぞ!」

「やったぜ、捕まえろ!」

 口々に下卑た言葉を吐き出す。

 女一人、とドルファン兵はなめきっていた。

 しかし後ろのほうで驚きの声が上がった。

「!?あいつは確か…」

 言葉を最後まで言うことはできなかった。

「うじ虫どもめ!!」

 女騎士の抜き放った二振りの剣が交互に振られる。二刀使いであった。

 左の剣からは猛吹雪が、右の剣からは灼熱の刃が放たれる。

 そして一瞬にしてその場にいたドルファン兵を死に至らしめた。

「ライナノール様!」

 引き返してきたボランキオ隊の兵たちは騎士の名を呼んだ。

 【氷炎のライナノール】と異名を持つ八騎将の一人。

 必殺技は【二刀氷炎斬】。左の剣から冷気を発し相手を凍らせ動きを止め、右の剣から発する炎で焼き斬る技。

 ヴァルファ兵の中にはライナノールの必殺技を見たことがあるものもいた。

 しかし今の威力は以前見たものの比ではなかった。

 一瞬のうちに二十人もの兵を葬ったのだから。

「ライナノール様!隊長が!…隊長は…」

 涙ながらに語ろうとしたが、

「言わずともわかっている」

 ライナノールは振り向かずに制した。

「貴様たちは本隊と合流しすべてを報告せよ」

「はっ!…しかしライナノール様はどうするおつもりで…・」

「早くいけっ!まだ追っ手は来るかもしれんのだぞ!」

 語気を強めると兵たちはライナノールの言葉に従った。

 馬の蹄の音が遠ざかれば遠ざかるほど、ライナノールの目からは涙があふれてきた。

「こんなにも流せるものなのか……」

 ボランキオが一騎打ちをしていたとき、ライナノールは高台からその光景を見ていた。

 討たれる瞬間も。

 そして最期にボランキオは妻子の名を呼んだように見えた。

 読唇術ができるとはいえかなりの距離があった。それにもかかわらずそう見えた。

 間違いだったかもしれない。

 しかし自分の名は呼ばれることがなかったのは確実にわかった。

 そして自分でも気づかぬうちに涙を流していた。

 愛する人を失った悲しみと、愛する人に最後まで受け容れられなかった二重の悲しみから。

 光のない左眼からも涙は流れていた。

 残った右目でも涙を流しつつその光景を瞳に焼き付けた。

 愛した人の最期と…そして愛した人を奪った者の顔を。

 

 今この場には誰もいない。

 ドルファンも追撃をあきらめたようだ。静寂に包まれている。

「バルドーー!!」

 ライナノールの悲痛な叫び声が森に響き渡った。

 届かぬ想いをのせて……。


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