第二十三章 前編「それぞれのバレンタインイヴ」


欧州では、バレンタインデーという日がある。

2月14日に、日頃の思いや感謝を綴ったカードをお菓子を添えて自分の大切な人に送るという習慣があるのだ。

その為、この日は家族や恋人と一緒に過ごすことが多いのだが、独身生活者や恋人のいない者にとっては煩わしい日でもある。

そのバレンタインデー前日、人々は思い思いの時を過ごす。

それは、ドルファン首都城塞でも同じであった。

 

慣れないキッチンで、ロリィは明日の準備の最終段階に入っていた。

湯煎で溶かしたチョコレートが、可愛らしい型に流し込まれる。

ロリィ「お兄ちゃん、喜んでくれるかな♪」

と、本人は上機嫌でいるようだ。

それもそれの筈、ケイゴの喜んだ顔を想像してはにゃ〜んとなっているからなのだが。

それはさて置いて、先程までチョコレートをかき混ぜていたボウルの側には、塩やマスタードの瓶など、お菓子作りに使うには異常……もとい変わった物が置かれている。

彼女は自分の料理に変わった調味料や食材を入れたがるという癖があり、その料理を食べれば、吐気を覚える程らしい。

よって、型に流し込まれたチョコレートの味は……推して知るべし。
 

一方、グラフトンパン工房では、手塩にかけて完成させたお菓子をスーは眺めていた。

これまたチョコレートなのだが、その高さは彼女の身長とほぼ同じだった。

想いを記したカードの方が飽くまでメインなのだが、そのスケールからして、チョコレートの方がメインなのではないかと思ってしまう程だ。

スー「フフフ、これでケイゴ君は……わ・た・し・の・も・の。キャッ(はぁと)」

などと、ロリィと同様にこれまた自分に都合のいいような想像(妄想とも言う)をしているスー。
 

場所は変わって、ローズマリー地区の高級住宅街・ザクロイド邸。

ノックの音がしたのち、リンダの私室に執事が入ってきた。

執事「リンダお嬢様。例の物が届きました」

リンダ「そう。なるべく中身に傷がつかないように運んでちょうだい。明日、ケイゴ様にお渡しするものですから」

執事「かしこまりました」

執事が部屋を出ていく。

リンダ「やっと、届きましたのね。高名な彫刻家の方や、高級菓子店のパティシエに依頼した甲斐がありましたわ……これで明日から、ケイゴ様はわたくしのものですわ」

リンダがフフフと、不気味に笑う。

彼女もスーと同じで、日頃の想いよりもそちらの方がメインのようである。
 

さらに場所は変わり、フェンネル地区のとある家。

そこにはクレアとソフィアがいた。

二人は先月、ケイゴを通して知り合いになった。

何事も親身になって接してくれるクレアとはすぐに親しくなり、ソフィアはよく彼女に悩みを相談しに来るようになった。

今日もソフィアは、クレアの家に訪れていた。

二人はオーブンの前で、クッキーが焼き上がるのを待っていた。

ソフィア「上手くできるといいですね」

クレア「フフフ、出来上がりが気になるのかしら?」

ソフィア「ええ。ケイゴさんのお口に合うかどうか……」

ソフィアの一番の心配はそれだった。

ケイゴの料理の腕前は一流シェフにも負けてない。

当然、味覚も相当敏感な筈だ。

クレア「それなら大丈夫よ。きっと喜んでくれると思うわ」

ソフィア「あの、どうしてそう思えるんですか?」

クレア「どんな物だって、気持ちさえこもっていれば最高のプレゼントになるのよ。今焼いてるクッキーだって、ケイゴ君に食べて貰いたいっていう気持ちがこもってるから、必ず美味しいって言ってくれると思うの」

目をきょとんとさせているソフィアに、クレアは慈愛に満ちた笑顔で答える。

その姿は、娘を優しく見守る母親のようだ。

ソフィア「そうですよね……絶対、美味しいって言ってくれますよね」

クレア「ええ」

自信を取り戻したソフィアに、クレアは強くうなずく。

クレア「そろそろいい頃合いね」

オーブンを開けると、芳ばしい香りがキッチンを包み込んだ。
 

そして最後は傭兵寮。

傭兵の中でも、彼女や好きな人がいる者たちはやはり明日の準備をしていたが、そんなことをしているのはほんの一握りに過ぎない。

それ以外の該当しない者、つまりは多数派は彼らに羨望半分、嫉妬半分な視線を向けている。

が、それはある一人の人物に集中していた。

その人物の名はケイゴ・シンドウ。

今やドルファン王国軍のエース的存在にして料理を作らせたら天下一品、ナイスガイコンテストの優勝経験も持つ多彩な才能を持った日本人である。

彼本人は、そうした視線の集中砲火を全く気にしていない。

オーブンから取り出したチョコマドレーヌの内の一つを味見して、その完成度を確かめる。

ケイゴ「焼き上がりも良好。取り敢えずはうまくいったか」

程よい甘さとほろ苦さが調和された味に、ケイゴは納得した様子だ。

ギャリック「オッ。どーりでうまそうな匂いがすると思ったら……」

そこに、どこから嗅ぎ付けたのか、ギャリックが食堂に顔を出した。

ケイゴ「言っておくが、これはお前にやるものではないぞ」

ギャリック「……チェッ、わかってるって。それにしてもお前、こいつを誰にあげるんだ?」

ケイゴ「それは、日頃世話になってるハンナたちやクレア殿の分だ。ソフィアには別のものを用意しているのでな」

ギャリック「なんだよ、別のものって?」

ケイゴ「匿秘事項だ」

それだけ言うた、ケイゴはマドレーヌを詰めたバスケットを持って厨房を跡にした。
 

……だが、ケイゴはこの時、明日自分の身に降り掛かる災難を知る由もなかった。


後書き

 

「それぞれの〜」ってタイトルが付いていますが、あくまでケイゴを中心にしているので、ギャリックやシャオシンのバレンタインは後編でチョコっと(笑)出すだけになるかと思います。

果たしてケイゴはスーやリンダ、ロリィのトライアングルフォーメーションから逃げられるのか?

そして、ケイゴがソフィアに送る物とは?

気になって来たでしょ?

その続きは第二十三章後編で。

 

それでは今回はここでおいとまさせて頂きます。


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