第二十九章 前編「幽鬼の謀略」


パーシル平野。

ドルファン首都城塞、つまりはレッドゲートの北に位置する平野である。

ここにドルファン王国軍は陣を取って構えていた。

もう一度、テラ河付近を攻めてくるであろうと考えられていたヴァルファバラハリアンが、パーシル平野に向けて進軍している事を諜報部からの情報で知り、急遽ここに部隊を展開する事になったのだ。

9月の下旬になって暑さはそれほどでもなくなってきてはいるが、忍耐力の必要な待ち伏せ作戦に慣れていない者が多いせいか、日が経つにつれ士気が低下していた。

血気盛んな者ほどその傾向は強く、焦りが顔ににじみ出、神経質になっていた。

ドルファン軍がパーシル平野に布陣してから三日も経つと、待ち伏せ中の陣地内で喧嘩や小競り合いが頻繁に発生するようになった。

傭兵隊でも、経験の少ない駆け出しの戦士見習いやそこいらに居そうなゴロツキ連中にはそういう傾向があるが、騎士団に比べたらまだましな方だ。

傭兵隊隊長を任されているアシュレイやその歩兵部隊を仕切っているケイゴが常に徹底的な監視しているからだ。

だから今にも暴れてしまいそうな者が居てもすぐに厳重注意され、それでも駄目だった場合には禁固という処分を申し渡して拘束し、できるだけ混乱を押さえる事に成功している。

騎士団とは独立した軍事組織であるドルファン陸軍も参加しているが、こちらはれっきとした軍人気質の兵士が集まっているので心配はなさそうだ。

元々、ドルファン陸軍(海軍もしかり)は一般階級の層に当たる人々からの志願によって成り立っている近代的軍隊であり、規律自体も厳格なものになっている。

だから、大した混乱がないのも頷ける。

この三勢力の中で最も風格と歴史の深い筈の騎士団が、この時点で既に足手まといになっているのは何とも滑稽であった。

ちなみに現在の布陣は、中央に陸軍、右翼に騎士団、左翼に傭兵隊となっている。

陸軍が犬猿の仲である傭兵隊と騎士団の間に割って入ってくれたのが幸し、今は内部での大きなもめ事はまだ発生してない。

 

ギャリック「なあ、ケイゴ。いつになったらヴァルファは来るんだろうなぁ?」

今か今かと待ちきれない様子で、ギャリックは後ろのケイゴに振り返った。

ケイゴ「もう少し落ち着け。俺たちがそわそわしていたところで、敵がすぐにやってくる訳があると思うか?」

一方のケイゴは、落ち着き払った様子で武神具『明鏡止水』の手入れをしていた。

手入れ、とは言っても『明鏡止水』はその生まれが影響してか、ケイゴの闘気とリンクしてその強さを発揮する手甲と脚絆である。

その為、多少の破損があっても彼の気を吸収して自動的に元通りになるのだ。

持ち主本人が一番それをよく理解している。

が、自分の得物を大事に扱いたいという気持ち故に、彼は度々こうして磨いたり汚れを落したりしている。

若いのに武人気質な彼らしい行動だ。

ケイゴ「もっとも、奴らは俺たちが待ち構えている事を知って、その事態を逆手に取っているのかもしれないな」

と、普段と少しも変わらない口調で言う彼に、ギャリックが「はて?」と首を傾げた。

ギャリック「じゃあ、何か?ヴァルファの作戦はもう始まってるってことか?」

ケイゴ「そうだろうな。アシュレイ殿に頼んで警戒体制を布くように進言しておいた。アシュレイ殿もそう思っていたようだしな。シャオシンたち弓兵部隊には見張りもさせている。陸軍も協力してくれているしな。お前も、ちゃんと心持ちをしっかりとしておいた方がいいぞ。奴らの目的は、俺たちをじらしてナーバスにさせる事だろうからな」

ギャリック「……」

その先は、言われなくてもわかり切った事だった。

士気が乱れてしまった集団は、奇襲でもかければすぐに崩れてしまう。それほど戦に対する心持ちは重要なのだ。

古来より、戦場に立つ者には強い信念が必要とされるという思想が継承されているように。

ギャリック「特に、夜間に攻めてこられたら……って可能性もあるな」

ケイゴ「ああ。だからこその警戒体制だ。そろそろ仕掛けてくる頃だろう。抜かりがないようにせんとな」

整備を終えた『明鏡止水』を装着し、ケイゴは立ち上がった。

ケイゴ「それに、ヴァルファの八騎将にはまだ幽鬼と破滅と隠密の名を冠する三人が残っている。隠密はともかくとして、謀略に長ける幽鬼や破滅は本気で俺たちにかかってくる筈だ。俺たちが思いもつかないような秘策がまだあるかもしれないぞ」

今まではまだ何とか退ける事ができたが、これからは……いや、今からはそうはいかない。

ケイゴは顔を引き締め、自分の配置場所に向かった。

現在時刻、午後7時35分。

日はもう既に傾き始めている。

本番は……これからだ。
 

 

簡素な見張り台の上に、シャオシンは立っていた。

本来なら自慢の目のよさで広範囲を見渡す事ができるのだが、如何せん月のない新月の夜ではあたりは暗闇に覆われ、視界を奪われていた。

一応、松明を複数のポイントに置いて明かりを取ってはいるものの、それでも照らせる範囲はごく限られた程度のものである。

それに襲撃があった場合、戦術として松明の火を消されてしまう可能性が高いのだ。

周囲が闇色に溶けきってしまった中でも戦力となる人材は、今のところは今回展開している全部隊で見ても非常に少数だ。

場数を多く切り抜けてきた猛者か、あるいは特殊工作の訓練を受けたエリートの工作員でもなければ非常に苦しい。

心もとない照明が幾つあったところで対して意味はなく、今回はまさに最悪な状況だと言ってもいいのかも知れない。

それでも全神経を視覚に集約させて自分の受け持っている範囲を見回していると、下から聞き慣れた声が聞こえた。

身を乗り出してその声のした方を見ると、アシュレイがこちらを見上げていた。

シャオシン「アシュレイさん、どうしたんですか」

アシュレイ「見張りを代わってやろうかと思っての。お主の自慢の目も暗闇では思うようにいかんじゃろ?」

シャオシン「ええ」

確かにその通りだと、シャオシンはうなずいた。が、彼は果たしてアシュレイに見張りができるかどうか正直不安だった。

本人には失礼だが、年を取ると視力にも障害が出てくる。

遠視ならともかく、鳥目では光の少ない場所での活動は無理だ。

そう思って、シャオシンはとりあえず訊いてみる事にした。

シャオシン「でも、アシュレイさんって目がいい訳ではないですよね?」

アシュレイ「まあ弓兵をやってる連中には敵わんが、相手の気配を読む事に関しちゃ儂ら歩兵や騎馬兵の方が上じゃ。目が見えない場所では、気配を探って敵を見つける方がわかりやすいんじゃよ」

シャオシン「……そうですね。それじゃ、交代しましょう」

納得のいったシャオシンは見張り台から降りようと梯子に手をかけた。

その瞬間だった。

この陣地に存在する気配とは違った何かが、陣の四方から一気に飛びかかって来るような感覚を二人は感じ取った。

陣地の要所要所に設置された松明の火が外側から消えて行く。

シャオシン「アシュレイさん……!」

すぐにシャオシンは見張り台から降りてアシュレイの側に駆け寄った。

携行しやすいショートボウに弓をつがえ、油断なく周囲を見渡す。

アシュレイも『シルヴァンス』を抜き、青眼に構える。

アシュレイ「どうやら、ケイゴや儂の睨んだ通り、夜襲を仕掛けて来おったようじゃのう」

二人を囲むように黒い布をまとった輩が現れる。

その黒マントが宙を舞う。

二人の目に入ったのは、紅い鎧の騎士達。

それは、ヴァルファバラハリアンが攻めてきた事を如実に語っていた。

戦闘開始を知らせる銅鑼の音が、向こうから聞こえてくる。

アシュレイ「シャオシンよ、ぬかるでないぞ」

シャオシン「わかってます。けど死にません。僕、好きな人がいますからっ……!」

アシュレイ「お主も言うようになったのう。行くぞ!」

シャオシン「はいっ!!」

剣を抜き放って向かってくるクリムゾンの尖兵に向かって、二人は飛び出した。

 

 

場所は変わって、傭兵隊が構えている陣の北。

全方位を囲まれての一斉夜襲にドルファン軍はどの部隊も苦戦を強いられている中、ケイゴのいるこの場所だけは完全にヴァルファの兵を退けていた。

元々、殺気や闘気などの人の気配に対して強い感応能力の持ち主であったケイゴは、息を潜めながらじわじわと追い詰めにかかっていた敵のわずかな気を感じ取ったのだ。

アシュレイの副官として、罠を陣地の周囲に張る事を命じたのだが、時間や素材の都合でここでしか設置が間に合わなかった。

が、それだけでも十分効果はあった。

基本的には落とし穴やワイヤートラップを何重にも層にしたものを陣地の前に敷いた簡素なものではあったが、こちらに向かってきた敵軍勢の約半数を引っかける事に成功したのだ。

特に騎馬隊は馬に乗っているせいもあって特に罠にはまっていた。

負傷した馬を見捨てランスも手放し、歩兵と一緒になって突撃にかかってきた連中をケイゴ達が叩く。

ケイゴ「金剛武神流、霊光掌!!」

ケイゴが掌に集約させた闘気を一気に放つ。

巨大な気の塊は罠を掻い潜ったヴァルファの部隊に直撃した。

敵の部隊編制が大きく崩れ、ギャリック達は得物を掲げてそこに切り込む。

ギャリック「うおおおおおぉぉぉっ!!」

『龍を切り裂く剣』の名を冠する『バハムート・ティア』の刀身に、ギャリックの黒い闘気、闇の力が渦巻く。

ギャリック「デーモンズパーティーを、喰らいやがれっ!」

その漆黒に覆われた大剣で、ギャリックは流れるような動きの乱舞を見せ付けた。

本来、使用する人間の身長とほぼ同等な大きさを持つ大剣は一撃必殺というコンセプトの元に作られた武器だ。

その重量故に扱いは困難を極め、一撃のモーション自体を見てもこれほど隙が生じやすい武器はない。

だが、ギャリックの持つ『バハムート・ティア』の刀身を構成している物質は自身の持つ質量を限りなく軽くするという未知の金属が使われているので、一振りでできる隙は全くなかった。

彼のデーモンズパーティーはその特性を生かした技なのだ。

そこから少し距離をおいた場所では、ケイゴが素早い体捌きと技でヴァルファの兵を次々と昏倒させている。

体術系統の技の場合、頭や急所を狙いさえしなければ生かしたまま相手を倒す事が可能だ。

必殺技を使うまでもないと踏んで通常の拳打や蹴撃の連携で対応しているが、元は防具としての機能しか持っていない筈の手甲や脚絆で剣や槍で武装した兵士を相手にできるのはさすがケイゴといったところか。

ケイゴ「ここは何とか食い止められたが、他はそうも行くまいな……生存している敵兵を拘束次第、我々は味方の部隊の援護に向かう!異論はないな?」

この区間に攻めてきた敵兵を全て倒し終えると、ケイゴは歩兵部隊を招集し、次の行動を簡潔に指示した。

彼の命令に異議を唱えるものはおらず、勇ましい雄叫びが返ってきた。

ギャリック「敵と味方の戦線に割って入って、歩兵部隊がすぐに味方陣営に加われるようにしろよっ!!傭兵隊騎兵部隊、出発!」

その横では、騎馬隊の隊長であるギャリックが指揮を取り、戦陣を切って味方軍の援護に出発するところだった。

ケイゴ「騎馬部隊に遅れを取るな!戦線が開いてすぐに援護に回れるようにせねばならん!傭兵隊歩兵部隊も出発する!!」

ケイゴの合図で傭兵隊歩兵部隊は一斉に駆け出した。

遅れを取らぬよう、こちらも馬に跨って騎馬隊の後ろについて移動する。

まずは最も近い味方である、ドルファン傭兵隊が展開している戦線へと向かって行った。


後書き

 

前回の投稿からまた間が空いてしまったような……

それはともかく、三年目はこれから手をつけようと思っているシナリオがたくさんあるので、一年目、二年目の平均話数を軽く越えそうな気がします。

でも、クライマックスへと繋がってゆく山場なので気合いも入れようがあるってもんです。
 

それでは、次回お会いしましょう。


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