第15章「月の光の下で(前編)」


俺たちは残りの旅の間中、親しく言葉を交わすことはついになかった。

口を開いても二、三言、内容も連絡事項の通達のみでは会話とは言えまい。

ソフィアはいたく心配していたようだ。それについては申し訳なく思う。自分は彼女たちより8つも年上で、なのに両方ともいじめているかのようだ。

しかし、ソフィアはソフィアなりに思うところがあったのか、無理に仲を取り持とうとしたりはしなかった。細やかな配慮は、繊細な年頃だからか、それとも持って生まれた天分か。

最後に話したのは、俺たちが救国の英雄として、国をあげての祭りに迎えられた、夜のことだった。

 

 

「……まだ残っていたのか?」

やたらと大仰に褒めそやす人々と、入れ替わり立ち代わり現れる年頃の娘たちの相手に疲れ果て、パーティ会場を抜け出した。

城の裏門に通じる回廊、彫刻を凝らした柱の根もとに、少女はひっそりと立っていた。

ライズの視線の向こう側、回廊で囲われた四季の庭という名の庭園には、アザレアやコスモスに混じって、夜に花開く夜香木が城壁をつたい、複雑な模様を描いている。夜の帳を下ろされても、趣きは失われてはいない。 

空には白い月。城の隅々に揚げられた───果たして臣民のどれだけが本当に、王の生還を喜んでいるのかは判らない───青い国旗が嘘くさく風にはためく。断続的に爆竹の音が響きわたり、夜も更けたというのに、パーティ会場からも町からも、祭火の明かりと、楽しげな人々の声が洩れている。

なんだ。単に、祭にわいているだけなのか……。

ライズの片寄った私見が移ったかな?

───だが。

月明かりに照らされた白い肌と、豊かな黒髪、りんとした立ち姿。彼女の周りだけが美しく静かだった。

「……パーティの主役が、こんな処で何をしているの?」

「ああいうのは苦手だ…代わろうか?」

「お断りだわ」

「ソフィアはどうした?」

「とうに帰ったわ。家族のことが気になるんですって。あなたによろしく、と言っていたけれど」

淡々とした物言いには、何の感情も含まれてはいない。

君のご家族は、と言いかけて口をつぐむ。

ライズは留学生で、たったひとりの肉親である父親とは遠く離れて暮らしていると、継承者のリストに書いてあったはず。

家に帰っても迎えてくれる者のいない寂しさは、俺もここ数年で身に染みていた。

……彼女は、辛い冒険を乗り切ったというのに。

ライズは風に舞う髪を撫でつける。制服のリボンとスカートがゆるやかに揺れた。手持ちの鞄は冒険に出た時の小さなもので、それが、別れを象徴している気がした。

「とうとう、目的を果たせなかったわね……」

「……まだ怒っているのか?」

ライズは小さく吹き出すと、寂しげに笑う。

「怒る?最終決戦のあとで傷口から出血しすぎて倒れるようなバカな人、怒る気も失せるわ」

「……すまん」

「私の血液型がBだったことを天に感謝すればいいわ」

「君に感謝するのは駄目なのか?」

「駄目よ…それは、当然の行いだもの……」

首をふり、独り言めいたつぶやきを洩らす。

おとした肩の線の細さが、あの日の夜と同じで、胸がしめつけられるほどに愛おしかった。

夜風が庭園の夜香木の香りを運んでくる。回廊を風と冷たい月の匂いで満たした。

俺は足を踏み出し、止める。見えないとても薄い壁が足を阻む。

ライズの静かな声が嘆息のようにこぼれおちる。

「あなたには敵わないわね……」

俺はもう一歩、足を踏み出す。軍靴が石畳を鳴らす。よせばいいのに余計なおせっかいが口をついて出た。

「今後はあまり軽はずみな行動はとるなよ。保安局が動いてる…奴らは、女子供であろうが容赦はしない。ミッドモネーでのようなことがあっても、剣を構えずに憲兵を呼びに行くんだ」

「それでは手遅れになる場合でも?」

「ああ」 

「ふうん。あなたらしくもない、立派な考え方ね」

俺は真っすぐな彼女の視線を受け止めた。静かなまなざしに怒りの色が滲む。沈黙が場を支配する。

「君は剣士であって……騎士じゃない」

「……気には止めておくわ。あなたには借りもあることだし。でもね、団長さん。私は保身に走る訳にはいかないの」

空を見上げる。ふわりと後れ毛が風に舞う。

「駐憲所が遠い時は、私が相手をするわ。───例え、どんな結果を招こうとも。それが出来ないフヌケには、オルカディア帝国主義を責める資格などない。違う?」

───ああ、解っているさ。

君の掲げる理想は。

こんな忠告をする、自分の甘さ加減も。よく判ってる。

 

(……俺も、同じ組織の一員だからな)

 

O2四大幹部のひとり、「静かなる雷鳴」。

最高指導者しか正体を知らない、O2最後の「切り札」。

だが、他の幹部たちは知らない。オルカディアの奴らも知らない。

「切り札」の、真の目的を。

理想など知らない。国家など関係ない。君も、君の見ている夢も、本当の意味では関係ない。

妹を殺され、修羅と化した俺には───必要のない、安らぎ。平穏な生活。正義とかいうもの。

───もうひとりの、守りたかった女性。

ライズのかたわらに立つ。ライズは不思議そうに俺を見上げると、目を細める。指をのばし、白い頬にふれた。ぴくりと首をすくませ、俺は妹に昔してやったように、生え際を撫であげる。仔猫のように、彼女はその手に頬をあずけた。滑らかな肌が体温でなじんでゆく。

「最後にひとつだけ、聞いてもいいかしら……」

甘い声が、紅花のようなくちびるからこぼれる。

「あなたにとって、私はどんな存在だった……?」


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