俺たちは残りの旅の間中、親しく言葉を交わすことはついになかった。
口を開いても二、三言、内容も連絡事項の通達のみでは会話とは言えまい。
ソフィアはいたく心配していたようだ。それについては申し訳なく思う。自分は彼女たちより8つも年上で、なのに両方ともいじめているかのようだ。
しかし、ソフィアはソフィアなりに思うところがあったのか、無理に仲を取り持とうとしたりはしなかった。細やかな配慮は、繊細な年頃だからか、それとも持って生まれた天分か。
最後に話したのは、俺たちが救国の英雄として、国をあげての祭りに迎えられた、夜のことだった。
「……まだ残っていたのか?」
やたらと大仰に褒めそやす人々と、入れ替わり立ち代わり現れる年頃の娘たちの相手に疲れ果て、パーティ会場を抜け出した。
城の裏門に通じる回廊、彫刻を凝らした柱の根もとに、少女はひっそりと立っていた。
ライズの視線の向こう側、回廊で囲われた四季の庭という名の庭園には、アザレアやコスモスに混じって、夜に花開く夜香木が城壁をつたい、複雑な模様を描いている。夜の帳を下ろされても、趣きは失われてはいない。
空には白い月。城の隅々に揚げられた───果たして臣民のどれだけが本当に、王の生還を喜んでいるのかは判らない───青い国旗が嘘くさく風にはためく。断続的に爆竹の音が響きわたり、夜も更けたというのに、パーティ会場からも町からも、祭火の明かりと、楽しげな人々の声が洩れている。
なんだ。単に、祭にわいているだけなのか……。
ライズの片寄った私見が移ったかな?
───だが。
月明かりに照らされた白い肌と、豊かな黒髪、りんとした立ち姿。彼女の周りだけが美しく静かだった。
「……パーティの主役が、こんな処で何をしているの?」
「ああいうのは苦手だ…代わろうか?」
「お断りだわ」
「ソフィアはどうした?」
「とうに帰ったわ。家族のことが気になるんですって。あなたによろしく、と言っていたけれど」
淡々とした物言いには、何の感情も含まれてはいない。
君のご家族は、と言いかけて口をつぐむ。
ライズは留学生で、たったひとりの肉親である父親とは遠く離れて暮らしていると、継承者のリストに書いてあったはず。
家に帰っても迎えてくれる者のいない寂しさは、俺もここ数年で身に染みていた。
……彼女は、辛い冒険を乗り切ったというのに。
ライズは風に舞う髪を撫でつける。制服のリボンとスカートがゆるやかに揺れた。手持ちの鞄は冒険に出た時の小さなもので、それが、別れを象徴している気がした。
「とうとう、目的を果たせなかったわね……」
「……まだ怒っているのか?」
ライズは小さく吹き出すと、寂しげに笑う。
「怒る?最終決戦のあとで傷口から出血しすぎて倒れるようなバカな人、怒る気も失せるわ」
「……すまん」
「私の血液型がBだったことを天に感謝すればいいわ」
「君に感謝するのは駄目なのか?」
「駄目よ…それは、当然の行いだもの……」
首をふり、独り言めいたつぶやきを洩らす。
おとした肩の線の細さが、あの日の夜と同じで、胸がしめつけられるほどに愛おしかった。
夜風が庭園の夜香木の香りを運んでくる。回廊を風と冷たい月の匂いで満たした。
俺は足を踏み出し、止める。見えないとても薄い壁が足を阻む。
ライズの静かな声が嘆息のようにこぼれおちる。
「あなたには敵わないわね……」
俺はもう一歩、足を踏み出す。軍靴が石畳を鳴らす。よせばいいのに余計なおせっかいが口をついて出た。
「今後はあまり軽はずみな行動はとるなよ。保安局が動いてる…奴らは、女子供であろうが容赦はしない。ミッドモネーでのようなことがあっても、剣を構えずに憲兵を呼びに行くんだ」
「それでは手遅れになる場合でも?」
「ああ」
「ふうん。あなたらしくもない、立派な考え方ね」
俺は真っすぐな彼女の視線を受け止めた。静かなまなざしに怒りの色が滲む。沈黙が場を支配する。
「君は剣士であって……騎士じゃない」
「……気には止めておくわ。あなたには借りもあることだし。でもね、団長さん。私は保身に走る訳にはいかないの」
空を見上げる。ふわりと後れ毛が風に舞う。
「駐憲所が遠い時は、私が相手をするわ。───例え、どんな結果を招こうとも。それが出来ないフヌケには、オルカディア帝国主義を責める資格などない。違う?」
───ああ、解っているさ。
君の掲げる理想は。
こんな忠告をする、自分の甘さ加減も。よく判ってる。
(……俺も、同じ組織の一員だからな)
O2四大幹部のひとり、「静かなる雷鳴」。
最高指導者しか正体を知らない、O2最後の「切り札」。
だが、他の幹部たちは知らない。オルカディアの奴らも知らない。
「切り札」の、真の目的を。
理想など知らない。国家など関係ない。君も、君の見ている夢も、本当の意味では関係ない。
妹を殺され、修羅と化した俺には───必要のない、安らぎ。平穏な生活。正義とかいうもの。
───もうひとりの、守りたかった女性。
ライズのかたわらに立つ。ライズは不思議そうに俺を見上げると、目を細める。指をのばし、白い頬にふれた。ぴくりと首をすくませ、俺は妹に昔してやったように、生え際を撫であげる。仔猫のように、彼女はその手に頬をあずけた。滑らかな肌が体温でなじんでゆく。
「最後にひとつだけ、聞いてもいいかしら……」
甘い声が、紅花のようなくちびるからこぼれる。
「あなたにとって、私はどんな存在だった……?」