憲兵か、と思ったが、人垣をかきいって現れたのは、暢気そうな笑みを浮かべた20代後半と覚しき男だった。腰に短剣をいくつかさしてはいるが肝心の剣はなく、装備も、通常は鎧の下につけるクロスアーマーのみ。くせのある明るい金髪に人懐っこそうな青い瞳、彼が醸しだす雰囲気は、剣士というより商人に近かった。
臆することなく剣を持った立ち合いの前に立った彼は、人垣より頭ひとつぶん高い。見回すと、何故か楽しそうに声をあげる。
「おぉ、やってるねぇ。さすがは王都オルカディアだ、入った途端に治安が悪いね!うーん、これは……俺にとっては幸先のいい出来事と言うべきかなんというか……難しい問題だなー」
「な、なんだよてめぇは!」
毒気を抜かれていた兵士のひとりが声を荒げる。人垣がざわめいた。だが、男は関知した様子はない。
「うんうん、そうか。そんなに知りたいなら教えてやろう。どうせならべっぴんさんに聞かれたいけどね。俺はシェル・ブライド。あんたらと同じ、配属されて間もない傭兵だ。右も左もわからない……と言いたいところだが、なぜか右と左はわかるんだよねー現実には。困ったもんだね、こりゃ。この場合、何と言えばいいのか。28年間生きてきてこんな難問にぶちあたったのは初めてだね。どう言えばいいのかおたくら知ってる?」
「……とりあえず、何のご用があるのだけ、言ってもらえるかしら?」
ライズは低い声で答える。怒りを抑えた声音。ソフィアはシェルと名乗った男の服の裾をひっぱった。シェルはいたずらっぽい笑みを浮かべ、不安げなソフィアの手をそっと押し返す。
「先輩に対しては礼儀正しく、といきたいところだけどさ。この場は可愛いお嬢ちゃんの頼みだ。仕方ないねぇ」
シェルは手をあげた。剣を構え直そうとした兵士とは裏腹に、ライズはすばやく右に飛びのく。
小さなうめき声と共に、兵士たちは地面に倒れこんだ。
男は芝居がかった仕草で手をひらひらさせ、静まり返った場に声を響かせる。
「おやぁ?おねむですか?それとも心臓発作?いけませんねーちょっと脅したくらいで。情けないですよ、先輩方」
ざわめきが起こりはじめたのも束の間。憲兵だ、という叫びに、皆関わりあいになりたくないのか、我先にと散っていく。
───兵士たちのこめかみに残る小さな傷跡を冷たく一瞥すると、ライズはシェルに歩み寄った。珍しく、柔らかな表情で。
「……久しぶり。随分と腕をあげたようね」
シェルはむくれたような表情を浮かべる。
「飛びのかなくたっていいだろ?まったく、少しは信用してくれたって」
「ふふ。考えておくわ」
「相変わらずだねぇ。…おお、これは失敬。可愛いお嬢ちゃん、怖がらせてしまったかな?」
きょとんとした顔でふたりを見比べていたソフィアは、呼びかけに我に返ったようだ。ライズは地面に置いた鞄の土を払うと、彼女に差し出す。
「……ありがとう、ソフィア。助かったわ」
「あ!…いえ、そんな……行く途中でこの人にぶつかって……」
「ん?学校の友達か?」
友達、の一言に、ソフィアは照れくさそうに微笑む。ライズも困ったような、だがまんざらでもない表情である。シェルは不審そうに首を傾げる。
「───もしかすると、恋人の方か?」
「どうしてあなたは一言多いのかしら」
「あ、あの……あなたは」
控えめな声音に、シェルは人懐っこい笑みを浮かべる。
「ごめんごめん。俺はシェル・ブライド。傭兵をやってる。彼女の」
指をたてた。
「かっての、保父さんだ」
間髪入れずにライズが肘を脇腹に打ち込む。いてて、と体を折ったシェルを見て、ライズは呆れたと言いたげに息を吐く。
ソフィアは目を見開くと、おかしそうに、だがどこか安堵したような笑い声をたてた。
遅く現れた憲兵に事情を説明したあと、シェルはライズの部屋を訪れた。ソフィアとかいう、普通の女学生の前では口に出せない事柄を話すために。
「……入って」
ライズは大人びた黒いワンピース姿で出迎えた。少女の部屋とは思えない、簡素で何もない部屋だ。壁紙も仕様のものらしい薄いベージュ、絵も写真も飾られてはおらず、最低限の調度が揃っているだけ。まるで、兵士が入る前の軍舎のようだ、とシェルは思う。家具はそれなりに高価なものではあったが。
ただ本が多いせいか、空気がややほこりっぽい。それが唯一、移住者の性格を表している。
「いやー……なんというか、ぬいぐるみとかないわけ?」
「プリシラ人形ならあるけど。ダーツの的にしてるわ」
お茶を入れるためにキッチンに入っていく。
シェルはきつねにつままれたような顔で、その背中をみつめた。
「それは……何かちょっと違うような」
「無駄な物は置かない主義なの。はい、どうぞ」
テーブルに手際よくカップやポットが置かれていく。飲み口に線がひかれただけのシンプルなティーセットだ。シェルは椅子に腰掛けた。
「さんきゅー。まさか毒入ってないよね?」
「今のところはね」
「怖いなー……ん、うまい。ライズは紅茶入れるの上手だなぁ」
「そう。……ところでさっさと本題を出してくれない?無駄話が多いのが、あなたの悪い癖よ」
シェルは肩をすくめる。だが文句を言うでもなく、真顔になってカップを置いた。
「オルカディア兵士となって城内に潜入し、王族及び近衛騎士団長の命を狙う。これが俺の基本的な任務だ」
感情を悟られぬよう、ライズは慎重にうなずく。
シェルに狙われたら、かなりまずいかもしれない……。
小石。針。ダーツ。彼の武器は剣ではなく、どこにでもある代物だった。人体の急所を的確に、すばやく射抜く。といってもせいぜい気絶させたり、怪我を負わせるくらいだが、針に毒を仕込めば殺すことも可能だ。
剣を使わないのは、10年前、事故で左腕の神経をやられたせいだ。日常生活に支障はないが、それ以来、剣を握ってもうまく動かせないのだという。
彼は探るような目でライズの顔色を伺う。だが、ライズが気づいた様子はない。
「あと、親父さんから伝言だ」
「お父様から!?」
「ああ。ライズにはオルカディア城の警備の仕事をしてもらう。アルバイトとしてな。くれぐれも見つかるな、との仰せだ」
「……そう。了解しました、と伝えてくれる?」
テーブルに目線を落とす。父親と会ったのは2年前。それからは声すらも聞いていない……。
───別に、寂しくなんかない。父は自分を信用してくれているのだから。
ライズは首は振ると、認めたくない感情をふりはらった。
「まあ俺と連携プレーでやれってことだな。親父さんの言いたいことは。俺もライズがいてくれれば心強いよ」
気さくな物言いにライズもつられて微笑む。
「……私もね」
「ま、あとは斬皇剣がらみだなー」
大きくのびをする。木製の椅子がきしんだ。
斬皇剣。
斬神剣と対をなす、王家を守護する「不死の剣」。
今は無きパルメ王国から奪われた宝剣。
その力は偉大かつ甚大で、王家の者の血を吸うことにより、持ち主に計り知れない力を与えるという───
「見つかったの?」
「……どうもな、「雷鳴」からの情報では、マルキ神祈官が呪をかけてどこかに封印したらしい。表に出されるのは特別の祭典だけ、つまり王族に関わる出来事…王が死んだとか王女が結婚したとか、そういう時だけなようだ。斬神剣はクルガン将軍が持ってるからな。あれに対抗するには、やっぱり斬皇剣じゃないと駄目っぽいよなー」
斬神剣は一振り一軍の役割を果たすという。確かに、迂闊には近付けない代物だ。
それにしても「雷鳴」とは。存在を伏せられた幹部だと聞いていたが、国家機密を手に入れられるなんて。よほど国の中枢に近い位置にいるのか、子飼いの部下が優秀なのか。
───まあ、考えても仕方のないことだけれど。
「ま、結婚式は近いうちに行われるから、その時がチャンスかな?」
「───何ですって?」
「へ?」
シェルは虚をつかれた表情でライズを見た。
「結婚?プリシラ王女が?」
「あれ、知んないの?プリシラちゃん女王になるみたいよ?なんか王が寝込んだせいで体調を崩してて、くたばらない内に結婚式も王位継承の儀も済ませるみたい。まあ準備とかあるから、───4ヶ月後くらいの話かなぁ」
「……と、言うことは、どこかの王国が人質を差し出してきたのね……」
プリシラ王女は現在16才。早婚だが、王族では別に珍しくもない。
シェルはおおげさに首を傾げた。紅茶で口をしめらす。
「オルカディアが人質くらいで侵略をやめるかね」
一息ついて、
「団長さんだよ。クリストファー・マクラウド。今回の業績が認められて、プリシラ王女を下賜されたらしい。大出世ってやつだな」
───時が凍りついた。
後書き
(ーー;)<---(ー△ー;)
う、(また)何か冷たい視線を感じる…。
「このひとでなし」というプリシラファンの罵声が聞こえる…。
あう、プリシラファンの皆様、ごめんなさいm(_ _)m
ライズの昔馴染み、それもずっと年上の傭兵───という設定は、随分前から構想がありました。便宜上、ゲームでは語られない部分を創作することになるので、なるべくなら避けたかったんですが…やっちゃったよ。あう。
☆次章案内☆
ライズ「ところで、結婚祝いなんてよく判らないのだけれど…この場合、血のついたレイピアでいいと思う?」
シェル「んー。話が終わったあとでボロ雑巾にした方がいいんじゃ?俺は止めないけど」
ライズ「そうね、楽しみは後に取っておくものよね」
シェル「そういうこと。えーっと、次章は『第19章 少女と傭兵』です。俺が17才でライズが4才の時の話が出てきます。つまりは「作者の妄想」ですな」
ライズ「身もフタもないわね…」