第9章「記憶は悲鳴をあげる(前編)」


オルカディアに報告に寄った帰り、王に献上する薬を頼まれて再度ミッドモネーへと向かった。

薬というか、生命維持のための、いわゆる栄養剤だ。

王が危篤状態に陥ってから2ヶ月あまり、すでに秋も後半を迎えている。草が立ち枯れ始めるこの時期に薬を手に入れるには、ミッドモネー独自の薬効成分ブレンド法に頼るのがもっとも手っとり早い。半日で済む用事だったし、任務に差し障りはないだろうということで俺たちが行くことになった。

本当に、信用できる部下が少ないとはこういうことだ。マルキ神祈官が過去に行った軍部の血の粛清は、王族を加護する力の弱体化と粗悪化を招いたと言っていい。代わりに、彼は比類なき権力を手にした訳だが…。

ミッドモネーは、パルメに続く山道の途中にある小さな村で、元はオルカディアの一領主の自治区である。だがここは、パルメ王国侵略の際にオルカディアのあまりの横暴さに怒り、反旗を翻した。

結果、領主は捕らえられ刑死、村は基地に占拠されることとなった。───それから18年たった今もだ。

王都からは離れていて目につきにくく、その割に軍人の数は多いため、治安はかなり悪い、という噂だ。しかしマルキ神祈官はここを見捨てている。

離れるなよ、の指示に、ソフィアは緊張した面持ちでかたわらの少女にそっと寄り添う。反面、ライズはまったく関知した様子はない。

広げた地図から目をあげると

「18年前に不当に占領され、今もなおオルカディアの悪政のしわよせを受けつづける土地…あなたはこのことをどう思うの?オルカディアの近衛騎士団長さん」

「…仕えている身としては、国政をどうこう言う権利はないな。ただ」

「ただ?」

「反感を抱くのは個人の自由だ。そのかわり、何かを実行に移そうとするのなら、牙をむく相手は選んだほうがいい」

ライズは目を細める。

「…余裕ね」

「オルカディアは、強国だ。事実は変えようがない」

「それは…」

彼女の声をしわがれた叫び声がさえぎる。

「誰か…!誰か助けてくれ!」

遠くから聞こえる声。ライズは目を見開くと、一目散に駆け出した。スカートがひるがえったかと思うと、もう彼方を走っている

───早い。

「ライズさんっ!?」

「ったく…あのイノシシ娘っ」

見失わないように即座に追う。家や納屋や畑の菜園の角を曲がり───のんびりとした村の光景。ざるを頭に乗せている女性も、傍らの小さな男の子も、何かに驚いた様子はない。

「くそっ」

見失ったか!

後ろを振りかえる。重い鎧を身につけてはいるが、ソフィアの足はその自分よりも遅い。

ふたりとはぐれてしまった。

俺のミスだ

息を深く吐く。日頃の鍛錬のお蔭か、息があがるようなことはない。

落ち着け、俺。

助けを呼ぶ声がした。誰かに危機が迫っていた。と、いうことは、今もっとも危険にさらされているのはライズだ───

考えにいたるなり駆け出した。小さな村だ。しばらくの間じっとしてくれていれば…すぐに見つけ出せるはず。

5つ目の納屋の角を曲がった時、剣と剣がぶつかりあう激しい音がした。あの鋭い剣勢はライズだ。向かう剣は2つ…3つ?彼女ほどの鋭さはないが、力強い音は確実に一つの剣を追い詰めていく。

(…間に合ってくれ!)

 

カキィン!
 

剣が弾かれる音。小さな悲鳴。

(ここだ!)

かきねを一足飛びに飛び越え、広い場所に出る。赤い屋根の大きな建物と前庭の整地された広場。おそらくは村の寄り合い所か何かなのだろう。

広場の真ん中で、ライズが右腕を押さえてうずくまっている。剣は手を離れ、遠く地面に突き刺さっている。

それを3人の剣を持った男が取り囲んでいる。野卑た笑みを浮かべ、互いの顔を見合わせていた。

───あの鎧は、間違いなくオルカディア軍人だ。

そう思った瞬間、心の奥底で、すうっと冷えていくものがあった。


後書き

 

次章は「第10章 記憶は悲鳴をあげる(後編)」です。


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