3.「まいご」


今週はついてない。月曜日にはあの東洋のひとに変なところを見せてしまったし、その翌日には父と母がけんかをして三日も口をきかなかった。そして最後にこの事件だ。

 

 

急ぎ足で、けれど周囲を必死に見回しながらソフィアは歩いていた。さっき取り乱した様子で帰ってきた母は、ちょっと目を離した隙に弟がいなくなったと言って泣き出した。何とか母を落ち着かせ、父はまだ帰っていなかったので母と二人、手分けして捜すことにしたのだ。

家を出たときはまだ明るかった空もすっかり暗くなり、町には街灯がともり始める。はぐれた場所はフェンネル駅の近くだという話だが、結構時間が経っているからどこにいるかは見当がつかない。

好奇心の旺盛な子だから、多分ひとがたくさんいるところへいるだろうとあたりをつけてそんな道を選んでいるうちに、キャラウェイ通りまで来ていた。夜になってもまだキャラウェイ通りはにぎわっている。

あの子は今どこで、どんな気持ちでいるんだろう。

小さい頃ダナンの街で迷子になったことを思い出して、ソフィアは足を止めた。あのときの不安な気持ちは今でも覚えている。

あの時は、あのひとがいたから元気を出せた。でも、今は。

(…見つけて、あげなくちゃ…)

泣き出しそうになる自分を叱咤して、再び顔を上げる。

と、そこに飛び込んできた光景にソフィアは目を見開いた。

ショーウィンドウに張り付いてケーキ職人の実演に釘付けになっているのは探していた弟で。そしてそこから一歩引いた位置で見守っているのは黒髪の青年だった。

「アベル!」

駆け寄って呼ぶと、弟は邪気のない笑顔でこちらを見上げる。もう身長も十センチくらいしか差がなくなってしまった弟の笑顔は年相応でなく、あまりにも無邪気でソフィアは泣きそうになる。

「お姉ちゃん、あれ、すごい」

無心に袖を引いてケーキ職人の仕事ぶりを指し示してみせる。

「君の弟?」

低く穏やかな声に振り向くと、カイがこちらを見ていた。

「…カイさん」

呆然とつぶやくと、カイは静かに微笑んだ。

「迷子のようだったから騎士団まで連れて行こうかと思っていたんだが、迎えが来てよかったよ」

「ありがとうございます。すみません。弟がすっかりお世話になってしまって」

「いや」

カイはまだケーキ作りの実演に夢中になっているアベルの頭を軽く二、三回なでて言う。

「アベル、そろそろ帰らないか?」

「うん」

アベルは素直にうなずくとカイの手を握った。

「もう暗いから送っていこう」

「ほんとにすみません。何から何まで」

ソフィアは深く頭を下げると、アベルの隣に立って歩き始めた。

「この子、どこにいたんですか?」

三人で手をつないで歩いているという、なんだか不思議な状況に戸惑いながらソフィアは問いかけた。

「あのケーキ屋の近くの角で泣いていたんだよ」

アベルが小さい子供のように、つないだ手に体重をかけるのにもまるで足取りを乱すことなくカイは答える。

「なかなか泣き止んでくれなくて困ってたんだが、さっきの菓子作りの実演をみて機嫌を直してくれてね。あのケーキ屋には感謝しなくてはいけないな」

「そう…だったんですか…」

「ああ。自分も見ていて面白かったよ。まるで手品のようだ」

「ええ。すごいですよね。…あの…カイさん。甘いものって、お好き、なんですか?」

「そう…だな…」

カイが思い切り体重をかけてきたアベルを片手で少しだけ持ち上げてやると、アベルは嬉しそうに声を上げて笑った。

「あまり馴染みはないが、嫌いではないな。この国の菓子は自分のいた国とは違っていて面白いし」

「あの、もしよろしかったら、ですけど。今度、今日のお礼も兼ねて、何かお作りしましょうか?」

ちらりと迷惑かな、と思いながらカイを見上げる。

「君さえ良ければ。楽しみにしてるよ」

そう言って笑ったカイの表情は、お世辞や打算でなく、本当に嬉しそうだったので、ソフィアはほっと胸をなでおろした。

家のある通りの入り口で、ソフィアは立ち止まった。

「どうも、ありがとうございました。家、すぐそこなので、ここまでで大丈夫です」

「ああ。それじゃ、気をつけて」

カイがアベルの手を離すと、アベルは不満そうにカイの服の裾を握った。

「アベル、カイさんももう帰らなきゃいけないの。手を離してあげて」

アベルはソフィアの言葉にも頑なに首を振って手を離そうとしない。

「アベル…」

困惑してカイを見上げると、カイは大丈夫だ、とうなずいてアベルの手をとった。

「今度また一緒に遊びに行こう。だが、今日はもう帰らなくてはだめだ」

カイが包み込むようにしてコートの裾から手をはずさせると、アベルは素直にそれに従う。

「さ、帰りなさい」

家のあるほうに軽く押し出されて、アベルはソフィアの手を握った。

「バイバイ」

アベルが手を振ると、カイは穏やかな笑顔で左手を上げてそれに応えた。

ソフィアはカイに一礼してから家のほうへ歩き出す。

空を見上げれば今日はいい月夜だ。明るい月を見上げて、ソフィアはそっと微笑む。

家にたどり着いたら、母さんは笑って泣いてアベルを抱きしめるだろう。もし帰っていたら父さんも。大切なひとたちがちゃんとつながっていること。それが、今のソフィアには何より幸せなことだった。


あとがき
 
 

ソフィアの弟さんは確か知的障害のひとだったと記憶しているのですが…(うろ覚え)。

でもそれ以外のことはほんとに覚えてなくて、弟の設定を勝手に考えちゃっていいのかで一日悩み、弟の年齢を考えるのに三十分悩み、弟の名前を考えるのに一時間悩み。悩みまくった割にたいしたことない内容で、自分の発想力のなさと文章力のなさに脱帽(Not Correct 日本語)。

でもケーキ作りの実演はほんとに面白いです。釘付け。


2.へ

 

戻る