ウェディング・ラプソディ


鏡の中に映るウェディングドレスを着た自分。滅多にしないお化粧も似合っている。でもだからどうだというのだろう。私は借金のかたとして結婚させられるのだ。ジョアンの愛情は疑うつもりはない。あれほど私に御執心なんだもの。私はさぞかし大事にされるんだろうな。結婚したら、もうバイトをする必要も無い。あんな煙突掃除や土木工事の作業とか漁港とか…。

そういえばあの人とそんな現場でであったことがあったっけ。あの人にそんな光景を見られた私は恥ずかしくて挨拶もできずにその場から逃げてしまったっけ。でも結局バイトの終わった後に彼と会ってしまい、彼に家まで送ってもらったんだ。

…あの人の何が私を捕えたのだろう。確かに彼はかっこいいし、優しいし、そして強い。あの人の噂は耳にした事があるけど、常勝無敗とか究極の勇者とかとんでもないものばかりだった。でもそういう事じゃない。私はあの人のもっと深い場所に触れたのだろう。それが私が彼に惹かれている理由なのだろう。

…私、このまま結婚しちゃっていいのかな。お金があっても、自由があってもそれは幸せじゃない。私が不幸せになる事でみんなが幸せになるのなら、それでしょうが無いと思った事もあるけど、でも私は女としての幸せを知っている。あの人の側にいる時、私はこの人のために女に生まれてきたんだと思える。自分の境遇を恨んだ事はない。貧乏でアルバイトに追われている毎日でも、歌と舞台と、そしてあの人を追い続けている日々は、自分の夢を追い続けている日々は本当に幸せと呼べるものだった。少なくても自分を誤魔化しているのだけはしなかった。でも私は家族の事も好きだ。あんな風に今となっては心通じない部分があっても不幸せにはなって欲しくない。

…何だろう、私にとっての最良の選択肢と言うのは…

 

そのころジョアンもまた思い悩んでいた。その訳は無論この結婚式の事である。

数日前、彼はソフィアを立会人とした決闘を行った。相手である憎き東洋人は先の戦で手傷を負っていながら、それでも殺さぬようにとわざわざ刀の峰の部分を用いてしかも片手で相手をしたのだ。それほどまでのハンデを負いながら、子供でもあしらうかのように簡単に勝たれてしまった。そのあとでその東洋人に

「おまえの剣は筋としては悪くない。才能としてはさすが聖騎士の子だと言える。だが、何故練習によってその腕を伸ばし、磨かない?才能だけでやっていけるほどこの世界は甘くない」

と説教までされる始末だった。

実際の所、ジョアンの攻撃は未熟な点が多く、戦場レベルとしてはお話にならないが、攻撃の所々の所為は鋭い点が多く、鍛え込めば確かに一流品になり得るものだった。

「だ、黙れ!ぼ、僕の腕前は先生だって、ママだって、ソフィアだって認めているんだぞ!」

「おまえの不幸な点はそこに尽きる。おまえは賞賛を浴び過ぎて本当の自分の力を見失っている。そして自分を高めるために自分を追い込もうとはしなかった。いや、周りがさせてくれなかったのかな?」

「黙れ、僕は強いんだ。一番強いんだ!」

ジョアンにも、心の奥底では解っている。イエスマンしかいない環境。二十にもなる自分に対する自分の母の過剰な関与。町を通るたびに送られる侮蔑・呆れ・卑屈の視線。そしてエリータスという名前がなければ何の取り柄も無い自分。そして、それを認めてはならないと詭弁を用いて弁護する自分。

「落ち着いて考えろ。お前がソフィアを好きだというのは解る。なら自分に何ができるのかよく考えろ。彼女がどうすれば自分に笑いかけてくれるのかよく考えろ」

「もういい、もういやだ、東洋人、僕を殺せー!もう生きていたくない」

なおも説得を続けようとする無銘にソフィアが二人の間に割って入ってきた。

「もうやめて下さい。これ以上彼を苦しめないで」

「ソフィア、それは違う。傲慢な言い草だが、俺は良かれと思ってやっている。ここで彼を諌めずにいつ誰が彼を諌めるというんだ」

「分かっています」

そう言って彼女は無銘に顔を上げた。その目は何かを諦めたかのようだったが、妙に澄んでいた。頭だけをジョアンの方へ向け、小さい声で話す。

「ジョアン、私貴方のもとに行きます。これで万事解決でしょ」

「ソフィア…?」

そう言って彼女は無銘の方を向いて、言葉を紡ぎ出した。

「今まで有難うございました、無銘さん。何かにくじけそうになった時、貴方はいつも私を励ましてくれました。何かあった時、貴方はいつも私を助けてくれました」

切々と想いを言葉にするソフィア。

「私、貴方の事が、いつの頃からか………」

そう言ってソフィアは駆け出した。無銘にはソフィアが涙を流したようにも見えた。

「ソフィア、泣いていた…」

呆然とジョアンが呟いた。無銘は唇をかみ締めて突っ立っている。

「東洋人、僕は貴様に勝ったのか…?」

ソフィアが愛しているのはあの憎き東洋人である事は明白だった。だがジョアンはそれでもソフィアと結婚する事を辞めなかった。彼はこの現実を無視しようと努めた。だが、その度に思い出されるのは無銘の言葉であった。「どうすれば彼女が笑いかけてくれるか考えろ」彼は考えるという事をした事が無かった。どうすれば彼女が笑ってくれるのか、彼には永遠の議題のごとく感じられた。

時間は二時をまわり、結婚会場である教会にはマリエル・エリータスの招待に呼ばれた政界・財界の一流人で席が満たされて行った。用意された席に座りながら周りにいる人と雑談を交わしている。一流つながりなのか、お互いの事を大体把握しているようだ。しかし、その中で雑談に加われないものが約一名いる。ソフィアの父親であるロバートである。彼は正直この会場から浮いていた。ソフィア側からの参加者が皆無ゆえ、彼ははからずとも上流社会の人々の中に放り出される結果となってしまったのである。長年の怠惰な生活は彼を卑屈、疑心暗鬼な性格に変えてしまった。彼は周りにいる人々に愛想を振り撒きながらも、心の底で自分に対する視線を侮蔑と決め付け、毒づいていた。実際、今回の結婚の真相を知っている者は数名いるのだが、その者達の視線は侮蔑と嘲りに満ちていた。マリエルには聞こえないように、人身売買、とまで罵っている輩もいた。

しかし、彼もまた心の底で感じていた。今回の結婚式がいかに欺瞞に満ちているか。自分が騎士になるために頑張っていた頃、あのジョアンの様な騎士にどれほどいやな目にあったか。自分では何もできないのに威張るだけ威張って手柄だけはちゃっかり受け取っている要領のいい、もしくは運の良い、もしくはそういう筋書きの騎士達。だが、今やっている事はそんな奴等に媚売って、自分の娘を差し出す事ではないのか。だが、何も言わずに全てを受け入れようとする娘を見ると、自分の行為が娘の本意ではないか、という考えが浮かんでくる。そんな訳でない事はどう考えたって明らかだが、そしてその発想は彼にとって居心地の良いものであった。そして彼はその発想を真実と自分に言い聞かせた。

ここに欺瞞があった。自分の気持ちをはっきり言えない娘、自分の娘に寄りかかろうとする親。どこか間違っている事はお互い認識しているが、お互いと自分を傷つけまいと目を瞑ってしまうのであった。

時間にして二時五十五分。式の開演まで後五分と迫った頃、会場に神父が現れた。髪の毛は既に全て白髪になっており、足取りもゆっくりめであるが、威厳に満ちた、凛とした声で会場に呼びかけた。

「皆さん、静粛に!!これより結婚式を始めます。席に座って下さい」

その言葉を皮切りに、それぞれ席に座り始めた。

同時刻、ソフィアの控え室に使いがきた。

「では、そろそろ時間ですので、会場の方まできて頂きましょうか」

「…はい」

その声には緊張が走っていた。振り返った彼女を見て使いははっとした。彼女のチャームポイントの一つは大きく、どこか夢見がちな瞳であるのだが、今彼女の眼は細く鋭い。なにか覚悟を決めたかのような、そしてどこか悲壮感が漂っている目があった。だが同時にひどく魅力的な表情でもあった。

「行きましょうか…」

「は、はい!」

ソフィアは先程の表情でバージンロードを歩いている。その結婚式らしくない鋭く覚悟を決めた目は招待客達を驚かせた。背後より来るきらきら光る太陽光線を受けながら純白の花嫁衣裳をきたどこか凛々しさすら感じさせる花嫁が歩く様は現実離れした美しさがあった。一部には口笛を吹いてはやし立てる輩もいたが…

そして二人は神父がいる教壇の前に並んだ。神父は厳かな声でジョアンに尋ねた。

「新郎ジョアン・エリータス、汝はソフィア・ロベリンゲを妻として迎え、苦楽を一生共にする事をここに誓うか?」

「はい、誓います」

そして神父はソフィアの方へ顔を向けた。そして表情の硬いソフィアを訝しげに見ていたが、尋ねた。

「えー、コホン。では新婦ソフィア・ロベリンゲ、汝はジョアン・エリータスを夫として迎え、苦楽を共にすることをここに誓うか?」

「………」無反応なソフィアにジョアンが驚いて彼女を促す。

「ソフィア、ほら…」

が効果は無かった。会話こそ無いが、式場にいる人たちの反応はそれぞれだ。何が起こったか分からない、やっぱりこういう結末か…いわんこっちゃない、などなど…。しかし、その中でもマリエルとロバートの反応は更に顕著だった。傍目からも怒りに震えているのが良く分かる。ついにロバートが叫んだ。

「ソフィア、何を黙っている。滞りなく式を進めんか」

ソフィアは相変わらず黙ったままだ。自棄気味にロバートはソフィアの方へ近寄ってきた。

「いい加減にしろ、ソフィア。さっさと誓いの言葉を述べてしまえ」

神父の批判気味な目もくれず、壇上に出て怒るロバート。ソフィアはついに口を開いた。その態度は相変わらず堂々としている。

「では、はっきり申し上げます、神父さま。私はジョアン・エリータスを夫として迎える事はできません。私には愛する相手がいます」

「なんだと!?」

「ソフィア!?」

目をむいて驚くロバートとジョアン。今度こそ式場は騒然とし始めた。マリエルも壇上に近寄ってきた。瞼の辺りが細かく痙攣していた。マリエルを知るものなら知っている事なのだが、これはかなりマジにきている証拠なのだ。

「どういうことなのでしょうか、ソフィア。貴方はこの私に嘘をついたとでもいうのかしら。そしてロバートさん、この事態はどういう事なのかしら。納得の行く説明をしてもらいたいわ」

「い、いえ、そのう、これは…」

「この様な事態になってしまって一体どう責任を取ってくれるのでしょうかね」

恐ろしいほどの迫力を持って迫るマリエル。ロバートは説明に困るとソフィアの方へ向き直って、

「こ、この、親不孝者がー!」

と叫びつつ、平手打ちを食らわせようとした。と、そのとき、その手首を神父が掴んだ。もう片方の手でソフィアをかばいつつ、怒りに満ちた声で叫んだ。

「しずかになさい!!!」

それはものすごい大きな声であった。騒然としてた会場、怒りに満ちていたロバートとマリエルも完全に度肝を抜かれていた。

「ここは仮にも神の御前。その聖なる場所で騒ぎ、罵り、あまつさえ暴力を振るうとは何事か!!」

そう言われては確かに立つ瀬が無い。ロバートとマリエルもここが教会であった事をあまりの怒りによって思わず失念してしまった。

「式をやりなおします。とりあえず一度席に戻って下さい」

そう言われて招待者達は席に座り始めた。ロバートとマリエルは何か言いたげだったが、神父に睨まれると、やはりすごすごと席に戻るしかなかった。

さて会場は先程のソフィアの爆弾発言をする前のままになった。神父はコホンと、一息いれると、ソフィアの方へ向き直り、口を開いた。

「ソフィアよ、よく聞くがいい」

「はい、神父さま」

「この空間は神の御前。ここでの言葉は神に対して責任を持たねばならぬ。しかし、それゆえに正直に話さねばならぬ。おぬしの真実、今ここで語ってもらっても構わぬかな?」

「はい、神父さま」

ソフィアはそう言って一息つくと、神父に向かって話し始めた。

「私には愛する人がいます。名前を結城無銘と言います」

分かっていた事だがおもわず渋面を作ってしまうジョアン。そしてまた騒がしくなりつつある会場。また席を立ちそうなロバートとマリエル。

 

だん!

 

神父は壇上を拳でぶっ叩いた。その恐ろしい衝撃音に会場は静かになった。神父に近いジョアンはもうふらふらだが、ソフィアは特に臆することも無く、話を続けた。

「正直今回の結婚はエリータス家に借金を肩代わりしてもらうために仕方なく行われたようなものでした。私自身の本意ではございません」

マリエルは唇が細かく痙攣している自分を認識できなかった。この後、唇が痙攣しているとさらにヤバイという噂が上流階級の間で流れることになる。それはともかく、神父はソフィアに尋ねた。

「ふむ。しかし、それがなんだと言うのだね?神父の私がいうのもおかしいが、そういう結婚も実際の所無くはない。やっているこちらとしては気苦しい点もあるが、しかし、恋愛と結婚生活は違うものだ。大恋愛の末に結ばれた二人がお互いの思ってもみなかった部分に幻滅してあっさりと離婚したり、またお見合い結婚や貴方の言う様な結婚の仕方であっても長く暮しているうちに愛情が生まれてきて良い家庭を築く、と言うのはそれほど珍しいパターンでもない。結城無銘とは私も噂で聞いたことがあるが、究極の勇者の渾名を持つある種アイドルの様な存在ではないか。強くて優しくてかっこいいと言った程度の認識しか貴方はもち合わせていないとは考えられぬか?貴方は彼の良い部分だけを見てその様な言動を行っているとは考えられぬのか…?」

強い口調でソフィアに詰問する神父。その質問の内容はややきつめだが、ソフィアはにっこり笑って答えた。

「いいえ、神父さま、それは違います」

「彼は確かに優しいし、かっこいいと思います。でも強いとは思いません」

この言葉に会場はきょとんとなった。

「私も考えてはいたんです。何故私は彼に惹かれるのか。彼が優しいから?それもあります。彼がかっこいいから?それもあると思います。でもそれらは決定的なことじゃありません。私は彼について一つの忘れがたい思い出があるのです。

 ある日、彼が道を歩いている所を偶然目撃しました。その道端には行き倒れて死んだ猫が隅っこに放置されていたんです。

 みんなが見て見ぬ振りをする中で、彼はその猫の死体を抱えるように拾い上げ、そしてそのまま抱きながらこの猫の死体を路地裏の辺りに埋めて祈りをささげている光景を見たんです。その時、あの人、泣いていたんです」

神父は真っ直ぐソフィアを見ている。会場の人々もこの告白に耳を傾けている。

「おかしいですよね、そんな猫が死んでたくらいでって思いますよね、普通は。でもそんな光景を見ていてなんとなく閃いたんです。きっと彼は孤独に対して異常に臆病なんです。彼は傭兵なんて過酷な職業を選択しているのに、独りっきりで死ぬのが物凄く嫌なんでしょうね。だから、猫が死んでいる光景に出くわした時、独りっきりで、誰にも悲しまれずに死んでいる猫に対して、どこか自分が戦場で死んでいるような光景を想像してしまったんでしょうね、きっと。

 あの時分かりました。彼は世間の噂の様な強い人ではなく、結局どこにでもいるような弱々しい存在なのだと。孤独を恐れる普通の人間だと言うことを。

 あの人が弱いと知った時、私はあの人を抱きしめてあげたいと痛切に願いました。そしてまた私も彼に抱きしめて欲しいと痛切に願いました。

 それから彼と何度となくお付き合いさせて貰っていました。いろいろな所へ行っていろいろな喜び、楽しみ、時には悲しみ、怒りなどの感情を共にしました。ある日レッドゲートの辺りを二人で散歩しました。その時私は彼に戦場に行くことがあっても必ず帰ってきて下さいと言いました。そしたら彼は真面目な顔でこう返してきました。『君のために帰ってくる』と。

 私はドキドキしながらもそれがリップサービスである可能性を捨て切れませんでした。彼は普段はどちらかと言えばひょうきんな人ですからね。でもつい先日、私は彼にとって大事な人であると告白されました。

 その言葉を聞いた時、心臓が止まりそうでした。あまりの嬉しさに自分でも信じられませんでした。その時私はそこから逃げてしまいました。自分を彼にとって大事な存在であって欲しいと心底願っていたのに…。

 でも彼のあの泣き顔を思い出して私はこう思いました。あの人は私に寄りかかりたいのです。どこか壊れてしまいそうな自分の弱い部分を、あの人の中にある孤独な部分をあの人は私に癒して欲しかったのです。

 私はあの人にそのような存在に選ばれた事が嬉しくてなりません。私はあの人にいつも助けられてばかりいると思っていました。辛い時、悲しい時あの人に励まされ、立ち直ってきました。でもそれは…」

そう言ってソフィアは言葉を止めた。ほんの少し俯いて誰の目からも分かるように泣き始めた。泣きながら、声を震わせながら、話を続けた。

「でもそれは…あ、あの人にとっても、同じだったのです。私は、あ、あの人の事を助けていたんです。あの人にとって私は、だ、大事な存在だったんです」

そう言ってソフィアは膝を折って両手を顔に当てて、本格的に泣き始めた。側にいたジョアンはどうしていいか分からず、とりあえず肩に触れようとしたが、神父は手を伸ばし首を振ってそれを制した。そして神父はかがみ込んでソフィアの首に手を回し、ソフィアの顔を自分の胸に押し当てた。ほんの一瞬、ソフィアは驚いて跳ね除けようとしたが、神父の鋭いが優しい目を見てソフィアは自分から神父の胸に顔を埋めた。ソフィアは泣き続けた。物凄い勢いだ。

「知らなかったんです。誰かを助けてあげられると言う事が、どれほど幸せな事なのか。あ、あなたに出会わなければ、私は…」

やがてソフィアは泣き止んだ。神父はソフィアの顔を上から覗き込んだ。目の辺りがちょっと腫れて眼は紅く充血していても充分に魅力的な顔だ。ソフィアが恥ずかしそうに微笑したのを見て、神父はソフィアを放し、立ち上がった。ソフィアも立ち上がった。

「ありがとうございます、神父さま」

「…差し支えなければ、続きに移ってもらいたいが…」

「はい、神父さま」

そういってソフィアはまた話し始めた。

「あの人の側にいるというは私の役目です。私は彼が望む時に一緒にいてあげたい、笑ってあげたい、抱きしめてあげたいと思います。また、私が望む時、あの人にそうしてもらいたいと思います。あの人に巡り会えたことは私にとって最高の出会いであり、あの人を愛したと言うことは私にとって最高に誇らしいことであり、あの人に必要とされたことは私にとって最高に幸福なことなのです」

会場にいる人たちはその純真な愛情に言葉を失った。掛ける言葉がすべて野暮になる。神父はソフィアの目を見つめながら、もう一つ質問した。

「ならば聞くが、何故こんな瀬戸際までそのことを打ち明けなかったのかね?こんな、つまり結婚式を企画する前に何故断らなかったのだ?それほどまでの決意がありながら…」

ソフィアはどこか後ろめたいかのような、しかしいたずらっぽい瞳をした。

「試してみたかったんです、自分の心を」

「うむ?」

「私はあの人のことも大事だったけど、いえ、違うわ、あの人を思うこの気持ちも大事だったけど、家族のことも大事だった。

 私はどちらを選ぶのか知りたかったの。神父さまに問われた時、そのまま答えて結婚しちゃうのか、あの人への想いを採るのか、知りたかったの。結果は…こうだったって事だったの」

そういってロバートの方へ向き直り、

「お父さん、ごめんなさい。マリエルさん、借金はこれからバイトしまくって必ず返済しますから」

と付け加えた。当のロバートとマリエルは呆気に取られ、反応すらできない。そういってまた神父に向き直った。

「神父さま、これが私の真実です」

ソフィアのその言葉にはもはや一片の曇りも見当たらない。

「…………」

神父は鋭い目でソフィアを見つめている。ソフィアは優しい目で神父を見つめている。

やがて神父は深いため息をついた。やれやれと言った感じで口を開いた。

「黙って聞いてるこっちは死ぬほど恥ずかしかったぞ…」

視線を横に向けてどこか照れくさそうに話す神父。ソフィアもはにかみながら、

「私も二度とここまで言いませんよ」

と言う。神父はあごの辺りを指で掻きながらソフィアに尋ねた。

「結局君を縛るのは借金の問題と言うことか…確か全部で3500万ゴートはあるんだっけ」

「そうですね…もうちょっと、4000万ゴートぐらいかしら」

それを聞いた神父の声はいかにもがっかりしていた。

「結構な額だぞ…いつ頃返済できそう?」

「最低でも五・六年…」

「ぶっ、ソフィア、それ長すぎ…」

「そんな事言われても家族のことも大事ですから、借金の問題だけは何とかしないと」

「飽くまで家族の事を譲る気はないって訳ね」

「はい。だからそれまで…」

「はっはっは、ソフィアよ忘れたのか?俺は一応左うちわの人間なんだぜ」

「え、それはどういう…」

「いや、どういうことというのはこちらのセリフだ」

二人の間にジョアンが割り込んできた。あまりにも馴れ馴れしい神父とそれに順応しているソフィアの姿は誰が見てもおかしな光景である。

「お、お前は何だ?」

「貴方、ほんとに神父なの?」

ロバートとマリエルも不審がって近づいてきた。

「こんな神父、いると思う?」

神父はそう言うなり、ソフィアを抱き上げそのまま後ろの壁を恐れ多くも彫刻物を突起物とみなしてそれらを足場にしてスタスタ上り始めた。ソフィアを抱えているのにその足取りは実に軽やかだ。あっという間に二階ぐらいの高さまで登りきりった。その一連の動作はあっという間だった。そして登りきるなりこちらへと体勢を向けた。その瞳は挑発的で口元には笑みが浮かんでいた。
ジョアンが神父に向かって叫ぶ。

「貴様、一体何者だ、ソフィアを降ろせ!」

神父はソフィアをしっかりと抱きかかえたまま、ジョアン達に話し始めた。

「ニッヒッヒ、確かに貰ったぜ、伯爵ぅー」

誰もがクエスチョンマークを頭の上に浮かべた。

「は?伯爵?貴様何の事を言っているんだ?」

神父に抱っこされながらソフィアが手を叩いて嬉しそうに神父に対して話す。

「あ、そのセリフ知ってます。演劇『マグロノトロの城』で悪い伯爵からお姫さまを奪い返した時の主人公のセリフですよね」

神父も照れくさそうに笑い出した。

「あの演劇はホントお気に入りでね。一度言ってみたかったんだ」

「すると私はお姫さまの役ですか…光栄です」

「まさか、貴様は…」

そういうと神父は自分の顔をむんずと掴み、そのまま引っ張りとった。

「あっ!」

「やっぱり!」

「そういうこと、結城無銘ただいま参上!」

神父の仮面が脱ぎ捨てられ、そこに現れたのは結城無銘の顔だった。

「き、貴様、こんなことをして只で済むと思うのか?」

「あんまり思わないけど、まあ、国外退去でもさせられるのかな?」

そういって無銘はニンマリ笑う。ソフィアもつられてクスリと笑う。

「き、貴様、そういえば今日の叙勲式はどうしたんだ?貴様は聖騎士確実じゃあ…」

無銘はちょっとばつが悪そうに答えた。

「あー、あれね。えへへ、さぼっちった」

「な、ないー!?」

もはや言葉も壊れるジョアン。他のみんなも口を開けてぽかんとしている。

「だって出てもしょうがないじゃん。もうすぐ出てっちゃうんだから」

子供みたいな口調で喋る無銘。マリエルが質問する。

「貴方、本物の神父をどうしたの?」

「あー、あの人ねぇ、帰っちゃったよ」

「はぁ?何処へ、何で?」

「ちょっと簡単な書類を作ったんだ。今回の件は無かった事にしてくれって感じのものをね。それを持たせてお帰り願ったよ」

無論本物の神父は無銘がお遊び程度で作ったものなどに納得はしなかったが、無銘が袖の下にお金を入れたのをみて、しょうがないなあ、と呟きながら帰っていったのである。仏の沙汰も金次第。

「さて、話を元に戻すけど、ソフィア、さすがに五・六年は待てないよ」

「でも…」

「分かってる、分かってる、そんな悲しい顔するな。俺に任せろ」

「?だからそれはどういう…」

「ほら、ここに紐があるだろ」

その壁の辺りには飾り付けの一端として数多くの紐が色とりどりに飾られていた。

「そん中の一個、ほら、この赤い奴あるだろ」

紐の多くは青い色であったが、その中に一つ目立つような紅い紐が合った。

「これ?」

「そう、それ。じゃ、思いっきり引っ張ってみようかー」

「こうですか?」

そういって思いっきりソフィアがその紐を引っ張ると、上の方でおもちゃじみた破裂音が鳴り響いた。よく見ると天井に丸い玉の様な物が半分に割れてぶら下がっている。

「くすだま…?」

ソフィアが呟く間もなく、何か紙の様な物が沢山ひらひら落ちてくる。

「うわぁ、これは…」

「お金?」

かなりの量の一万ゴート札が天井から降ってきた。

「ニーヒッヒッヒ、気に入ってくれっかな、この俺のプレゼント」

「す、すごい量」

「全部で4500万ゴートはあるぜ。これで、借金は、ちょ・う・け・し」

そういって無銘はウィンクする。納得いかないのはジョアン達だ。

「普通は持参金は女子の家の方が出すんだけど、その逆があってもいいよな」

「き、貴様、どこからこれだけの量を…」

「言ったろ?俺は左うちわなんだって」

「し、しかし、これほどの大金を只の傭兵が持ち合わせているはずが…」

無銘はさらに笑いを深めた。楽しくてしょうがない様子だ。

「なあ、実は俺、聖騎士には成れないんだよ」

「な、何の話だ」

「聖騎士に成るためにはある一定の量の騎士勲章が必要、それも最低100という莫大な量だ」

「だ、だが、貴様は140を超える騎士勲章を持ち合わしているはずだが…」

「残念!俺は一個も持ち合わせていないんだな、これが」

「ど、どういうことだ」

「もう一つヒントをやろう。このドルファンにも変わった奴がいてな、俺には何の価値も無いそんな騎士勲章なんてものでも喉から手が出るほど欲しい奴もいるんだよ」

その言葉を聞いて、マリエルは顔を真っ青にして倒れた。ジョアンが驚きながら彼女を支える。

「ママ?ママ!しっかりしてよ!どうしたんだよ」

マリエルは蒼ざめた顔のままやっとのことで呟いた。

「な、なんて恐れ多い…む、無銘、あ、貴方、騎士勲章を売りましたね!」

「はぁ!?」

「なんだと!?」

「うわぁ…また凄い事をしましたね…」

「勲章には種類があってな、1,5,10,50,100といった具合なんだが、俺はそれを10を四個に、1,5,100を一個づつ持っていたんだ。1のは5万ゴート、5のは11万ゴート、10のは28万ゴートで売れたんだが、100のは凄かった。何と3500万ゴートで売れたんだ」

「えー!そんなにはねあがったんですか!?」

「1や5や10くらいなら結構ごろごろ世の中に出回っているらしいんだが、さすがに100というのは希少価値が高いらしく、そもそもこのドルファンにも20個と無いらしい。買ったコレクターはもっと出しても良さげな顔してたぞ」

「いいんですか、そんな凄いものを…」

「どうせこの国を出れば鉄の塊だ。でも使い方に寄っちゃあ、君の鎖を解く鍵にも変化する」

「無銘さん、有難うございます」

「ま、それについてはまた後で話そうぜ。とりあえずお暇するとしましょっか」

「はい!」

「ま、待て、東洋人、貴様には言っておきたい事がある」

「そ、そうよ、あそこの東洋人を捕まえなさい!」

ジョアンとマリエルは気がついたかのように叫んだ。マリエルの声と共にどこからともなく黒服の男達が現れ、壇上から少し離れた部分を円を描くように取り囲んだ。

「うわぁー、しっかりと怒っていますよ。ここから出れますかしら?」

不安がるソフィアだが、無銘は飽くまで余裕だ。

「さて、いいかソフィア、俺をもっとぎゅっと抱きしめてくれるか?」

「え、ええ、こんな感じ?」

そう言ってソフィアは無銘を強く抱きしめた。

「いや、もっともっと強くだ」

「じゃあ、こんな感じで」

そう言って、もっともっと強く抱きしめた。無銘はソフィアの柔らかい体とその体から流れてくる匂いにいいしれぬ興奮を覚え、ちょっとくらっとした。

「うーん、いい感じ」

ソフィアは顔が真っ赤になってしまった。

「無銘さん…」

「そんなに怒るな。さて、と。いいか。何があっても俺を放すな。いいな?」

真剣な顔の無銘にソフィアも覚悟を決めた。

「はい!」

「ではいくぞ!」

そういって無銘は何故かヘルメットをかぶり、下に飛び降りた。

「馬鹿め、袋のネズミよ!」

実際その周りをマリエルの手下達が囲んでおり、これでは逃げ道がまるでない様に思える。無銘は壇上の手前に着地した。それを見計らって手下達はいっせいに捕獲に移ったのだが、無銘は着地した瞬間、ソフィアの頭をしっかりと抱えたまま、自分の頭の先に出入り口のドアが来るように寝転がり、そして背中のロケットに火を付けた。

言うまでもなく、凄い勢いで手下達を跳ね除け、ドアを破って外へ出て行った。

教会のドアの側で見張り番をしていた男Aは何があったか分からぬまま、ドアと共に吹っ飛ばされた。教会の庭でただ煙草を吸っていた男B、飛んでくるドアと男Aを認識しつつも避けられず、残念ながらアウト。

砂埃が撒き散らされ、その中心にソフィアと無銘はいた。

「ごほ、ごほ、ソフィア、大丈夫?」

「え、ええ、私は大丈夫ですけど…」

「じゃあ、早速とんずらしよう。こっちこっち」

そう言って無銘はニンマリ笑いながら何故か教会の裏手へソフィアの手を握りながら連れて行った。そこにいたのは木につながれている馬だった。無銘はわざとらしい驚きに満ちた声を上げた。

「おや、なんと!こんな所に馬がいるよ」

「…細工は流流ですね」

「そういうこと。じゃあ、ちゃっちゃと逃げよう!」

「はい!」

そういって二人は馬に乗り、どんどん遠くへと行ってしまった。

式場は呆然としていた。吹き飛ばされた手下達。恐ろしい勢いで破壊されたドア。砂とホコリと一万ゴート札が舞う中でジョアンは黒い煙を吐きながら、ようやく一つ呟いた。

「そう言えば、あの男、ロケットナイトと呼ばれた時があったっけ…」


エピローグへ続く

 

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