どこまでも広い、コバルトブルーの海が広がっている。海面に目を落とせば、底まで見通せると思えるほどの透明度を誇っている。
ここは、地中海の入り口であるマルタギニア海。北には南欧の美しい町並みが見え、南には暗黒大陸と呼ばれる、アルビア大陸を目にすることができる。透明度が高いのも、地中海からの海流のせいであろう。
そのマルタギニア海を、一隻の客船が航行していた。 船名はマリルストーン号。北方の永世中立国スィーズランド船籍の大型客船である。
行き先は欧州最南端の国家、ドルファン王国である。
ドルファンは豊かな国である。古来から海外貿易に力を入れ、諸外国との結びつきを強めていた。そして花開いた文化は、芸術、学問、技術など、多くの面で周辺国家のそれとは違ったものになっていた。その為ドルファンに行く者の多くは、観光目的の者もさることながら、その優れた文化を学び取るために留学してくるものが、大半を占めていた。
このマリルストーン号にも、男女を問わず多くの留学生が乗り込んでいた。
しかしその一方で、そうした雰囲気にまったく当てはまらない集団も乗り合わせていた。
彼らは皆程度の差こそあれ、鍛え抜かれた体付きと血走った双眸をしている。そして全員の共通点として、何かしら使い込まれた武器携えていた。しかしその形状もまちまちで、天井に届くほどの大槍を持っている者もいれば、掌ほどのナイフを数本持っているだけの者もいる。つまり、一貫性がないのだ。どう見ても観光目的には見えないし、ましてか留学生のイメージには程遠いものがある。
彼らの正体は傭兵である。
ドルファン王国は現在、隣国のプロキア公国との間で緊張状態が続いていた。内陸国家であるプロキアが海外貿易を目的とした港湾獲得のため、湾岸国家であるドルファン領を虎視眈々と狙っているのである。さらにドルファンにとって最悪なことに、全欧最強を謳われている傭兵騎士団「ヴァルファバラハリアン」がプロキア側について参戦することを表明していた。そこで向こう半年の間には先端が開かれると睨んだドルファン上層部は、軍備を増強すると同時に傭兵斡旋国であるスィーズランドを通じて、傭兵の雇用を開始したのである。彼らはその第一陣である。
傭兵達と乗り合わせた一般客たちはその独特の雰囲気に気おされて、誰も近付こうとしない。当然であろう。彼等は金さえもらえばどんな戦場にも赴く、昨日の味方ですら敵に回す戦場のハイエナである。一般の兵士よりも嫌われているものである。
しかしそんな傭兵たちの中にあって、あまりにも場違いな雰囲気をかもし出している人物がいた。
黒髪にやや黄色掛かった肌がその人物が欧州の人間ではなく、東洋出身の人間だということを表していた。しかしそれよりも異質なのは、その人物がどうみてもまだ10代前半の少年だということだ。
腰まで達するほどの黒髪を一本に縛り、まだ赤み掛かった頬と純真そのもといった感じの大きな瞳が、少年の純粋さを表しているようだった。しかし少年が寄りかかっている横には、不釣合いなほど大振りな曲刀、東洋風で言う所の刀が立てかけられてあった。さらに少年の腰にも、脇差と呼ばれる小振りの刀が差してあった。
「は〜」
少年は大きく溜息をつくと、
「な〜んか暇だねピコ」
虚空に向かって語りかけた。
そこには本来何も存在しないはずである。しかし少年の目には、身長約30センチほどの背中に羽の生えた、御伽話の妖精のような少女が写っていた。
『しっかりしなよシュン。みんな君のこと見てるよ』
ピコと呼ばれた妖精の少女は、そういって少年を叱咤する。
どうやらピコの存在は他人には見えていないらしく、周囲の視線はシュンと呼ばれた少年にのみ向けられている。
「だって暇なんだもん」
そう言ってシュンは、つまらなそうにそっぽを向く。
「スィーズランドを出てもう五日だよ。いい加減飽きてくるよ」
『あと一日の辛抱でしょ。あさっての朝には着くんだから、それくらい我慢しなさいよ』
「……はあい」
シュンは嫌々そうに返事をした。
シュンのフルネームはシュン・カタギリ。東洋の島国、倭国の出身である。年齢は若干14歳。これでもいくつかの戦場を渡り歩いてきている。
『それにさ』
ピコが何か思い出したように、語りかける。
『さすがにここまではあの連中も追ってこないんじゃないかな?』
ピコが「あの連中」と言った瞬間、シュンは体をピクッと振るわせた。
その様子を見て、ピコは慌ててシュンの顔を覗き込む。
『ごっ、ごめん。君が気にしてることなのに……」
「うっ、ううん」
今度はシュンが慌てる番だった。
「ピコは謝る事ないよ。むしろ、僕のほうこそごめん。君をこんな……」
『ストップ』
シュンの言葉を、ピコは途中でさえぎる。
『それは何回も聞いて聞き飽きた。気にしなくて良いって言ってるでしょ』
「そっ、そうだったね。ごめん」
そういうと二人は、互いに微笑みあった。
『それにしても、確かに君の言う通り暇だよね』
「でしょ。これは何か、暇つぶしが欲しいところだよ」
『だったらさ』
ピコが何か思いついたように、声を上げる。
『下のバーに行って、何か飲み物もらってきなよ』
「うん、そうだね」
そういうとシュンは、傍らの刀を取った。
その時だった。
柄の悪い数人の男が、シュンを取り囲むようにしてたった。雰囲気から言って同業者に間違いないが、どうにも様子がおかしい。
「……何か?」
シュンが尋ねると、そのうちの一人がニヤニヤしながら答えた。
「坊や。ずいぶん大層な獲物持ってるけど、ひょっとして坊やも傭兵のつもりかな?」
「こいつは可笑しい。まだオムツも取れてない坊主が俺たちと同業とは、世も末だねえ」
そう言って笑い出す。
「時に坊や、その剣はどこかから拾ってきたのかな?」
「いけないよ盗んじゃ、怖い人に捕まっちゃうからね」
「坊やが捕まる前におじさんたちが持ち主に返してきてあげるよ」
そう言われてシュンはキョトンとする。
「ピコ。この人たち何言ってるの?」
『う〜ん。つまり、「お前の刀は金になりそうだから、売り払って俺たちの小遣いにする」って事じゃないかな?』
「あっ、なるほど」
そう言ってシュンは手を叩く。
「何がなるほどだ。さっさとお前の剣をこっちによこせ!」
そう言って、男はシュンの刀に手を伸ばす。
しかしシュンは、その手をあっさり払いのけた。
「だめですよ、この刀は僕のなんですから」
「ふざけるな!」
手を払われた男が叫ぶと、男たちは一斉に腰の獲物を抜き放った。
「最近のガキは少し痛い目見ないと、自分の立場が分からないらしいな」
そう言うと男たちは、シュンを囲むように並ぶ。
周りで見ている一般の人間は悲鳴を上げて逃げ惑い、傭兵たちは喝采ややじを飛ばしている。つまり、シュンの味方をするものは誰一人として存在しなかった。
「やれ!」
男たちが、一斉にシュンに斬りかかった。
数本の剣が、シュンの体い食い込む。
「ふん。怖くて逃げることもできなかったか」
しかし次の瞬間、男たちは自分の目を疑った。
目の前には何もない。シュン本人どころか、その死体すらない。 その時、
「ああ喉渇いた。やっぱり下でジュースでももらってこようっと」
なんと斬ったと思ったシュンは、彼らの背後を何事もなかったように歩き去っていた。目の前にいた彼等はおろか回りいた傭兵達も、何が起きたのか理解できなかった。
そんな彼らを尻目に、シュンは階下に下りる階段に消えて行った。
そんなシュンの様子を、静かに見続ける複数の目があった。
階下に下りたシュンは、カウンターに座った。
「オレンジジュースくださーい!」
元気いっぱいの注文に、周りにいた人間は一斉にそちらを見る。
そんな視線にかまわずシュンは、運ばれてきたオレンジジュースをうまそうに口に運ぶ。
その時だった。
「よう!」
突然背中を叩かれて、シュンは飲みかけてオレンジジュースを思いっきり吐き出した。
「ゲホッゲホッ……え?」
見上げるとそこには、見知らぬ人物が立っていた。
顔全体がひげに覆われ、頭にはバンダナを巻いている。そして体はシュンの三倍ほど大きかった。
「さっきの見せてもらったぜ。やるじゃねえか坊主!」
「えっ、あの、さっきのって?」
「とぼけても無駄無駄」
目の前の巨漢の影から、今度は対照的にひょろりとした青年が顔を出した。こちらは肩までの長い金髪を持った、人の良さそうな青年である。
「あの連中が剣を振り下ろす瞬間、君は空中で回転しながら垂直にジャンプし斬撃を切り抜け、彼らの後方に着地した。違うかい?」
シュンは絶句した。自分のあの動きを、ここまで正確に追うことができた人間ははじめて見たからである。
「おっと、自己紹介がまだだったね。俺はギルバート・マーカス。専門は弓だ。んでこっちは」
「ヒーツ・ノイサスだ。よろしくな」
巨漢の男は名乗ると、ニヤリと笑った。
「あっ、ああ。僕はシュン・カタギリです。よろしく」
二人の雰囲気に気圧されたシュンだったが、直ぐに気をとり直して、自分も自己紹介した。
どうやら二人も傭兵として、ドルファンに入国するらしく、三人はすぐに打ち解けて話すようになった。
「そうか、君は東洋から来たんだ。では先ほどの体術も東洋の物なのかい?」
「ええ、まあ……」
ギルバートの問いに、シュンは歯切れの悪い返事を返す。
「何にしても、お前みたいな子供が稼ぐために傭兵をやってるんだ。嫌な世の中だよな」
そう言ってヒーツは手にしたウィスキーを口に運ぶ。
「……そうですね」
そう言うとシュンはオレンジジュースを飲み干し、席を立った。
「どうした、もう行くのか?」
「ええ。少し武器の手入れをしておきたいんで」
そう言ってシュンはニコッと笑う。
「そうか?じゃあ、向こうに着いたらよろしくな」
「はい。じゃあ、おやすみなさい」
そう言ってシュンは、二人に背を向けた。
バーを出たシュンの元へ、ピコが戻ってきた。
『ちょっと、どうしちゃったの急に?君らしくないよ』
バーでのシュンの様子に不審を抱いたピコが、心配そうに覗き込む。
「……ピコ、分からない?」
『何が?』
「時間がない。急ごう」
そう言うとシュンは、小走りに走り出した。
『ちょっ、ちょっとシュン!』
ピコも、慌ててその後を追った。
シュンが来たのは、船の最下層の荷物室だった。
その部屋に足を入れたシュンは、ゆっくりと慎重に歩を進める。
その時、誰もいないのに荷物室の扉が音を立てて閉じた。
「…………」
それに動じた様子もなく、シュンは辺りを見回す。
「分かってるんですよ。出てきてください」
シュンは虚空に向かって語りかけた。
すると、荷物や機材の影から次々と黒装束をした人間が現れた。
「……スィーズランドから、ずっとつけていましたよね」
シュンは抑揚の少ない声で言った。
「……シュン・カタギリ。貴様の犯した罪は重い」
「国外に逃れたくらいで、我等が追求をあきらめると思ったか?」
くぐもった声がシュンを責め立てる。
「……僕がしたことはそんなにいけないことなんですか?人として当然の感情だと思います。むしろ非そちらにあるはずだ」
「黙れ!」
黒装束の一人が声を荒げる。
「貴様の罪の深さを知り、地獄に落ちよ!」
黒装束たちは一斉に刀を抜き、シュンに切りかかった。
しかしシュンも、腰の刀に手を掛ける。
「天破無神流(てんぱむじんりゅう)」
気合がただ一点、シュンの手元へと集まる。
黒装束の男たちが、シュンの間近へと迫る。次の瞬間、
「襲雷斬!」
まるで一筋の雷光が走った。そう思った瞬間、シュンの体は高速で黒装束の集団を通り抜けた。
「……」
シュンは無言のまま刀を鞘に戻す。
次の瞬間、一人の例外もなく黒装束の男たちは血飛沫を上げて倒れ伏した。
「…………」
シュンは彼らの遺体を、悲しみに満ちた目で眺める。
「どうして……どうして僕のことは放っておいてくれないんですか」
そう呟くシュンの瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
シュンはその場にひざを着くと、声を立てずに泣き出した。
船は二日後の朝、ドルファン港へと入港した。
後書き
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