「それで、その後どうなったの?」
「…………別に……彼を置いて、私は帰ったわ」
ハンナ・ショースキーの質問に対して、ライズ・ハイマーは淡々とした調子で答えた。
二人が話している話題は、ライズがシュン・カタギリから誕生日プレゼントをもらった件についてだ。
と、言っても、既にライズの誕生日からは三ヶ月の時が立ち、話題の端にのぼるのすらおかしいと思わざるを得ない事柄である。
ではなぜ、今になってハンナはその話題を持ち出したのか?
事の発端は、ハンナが別の友達と「好きな男の子にあげるプレゼントは何が良いか?」と言う議題で盛り上がってた時だった。ふとした拍子にハンナが、シュンがライズに渡す誕生日プレゼントを選んでいた事を思い出し、遅れ馳せながら話題の中心に引っ張ってきた次第である。
「じゃなくて、その後の事だよ。シュンとは会ってないの?」
「登校時に会って、挨拶はするわ」
「だから、そうじゃなくて、休日の日とか会わないの?」
「会う必要がないなら会わないわ」
それを聞いて、ハンナは溜め息をつく。
「ライズはつれないなあ、シュンが可哀相」
「…………どうででも良いのだけど」
ハンナの言葉を遮るように、ライズは口を開く。
「今は授業中よ。少し、静かにしたら?」
そう、今ドルファン学園は授業の真っ最中、時間的に言えば丁度三時間目に当たる。
回りの生徒は、真面目に勉学に勤しんでいる。不真面目にしゃべっているのはハンナとライズの二人だけだ。もっとも、ライズの方はハンナのおしゃべりに巻き込まれているだけのような気がするが。
ちなみにこの二人の席は、窓際の列の前後、ハンナが前でライズが後ろである。であるから、丁度ハンナが振り返る形になっている。
「大丈夫だって。どうせ先生にはバレないよ」
そう言ってハンナは、ライズに片目をつぶってみせる。
しかし、学問の神がそのように不遜な生徒を見逃すはずもなく、相応の天罰がその頭上へと振り下ろされようとしていた。
「ハンナ・ショースキー!!ライズ・ハイマー!!立ちなさい!!」
教壇に立った教師の怒声が、落雷となって二人の頭上に落ちてくる。
それを聞いて、一人はばつが悪そうに、もう一人はやれやれと言った感じの顔をして立ち上がる。
「何を、しゃべっているのですか?」
四十代後半の、痩せ型で、いかにも生徒をいじめるのが好きそうな女教師が、二人の顔を睨む。
その他の生徒は、二人に同情的な物が半分、含み笑いを発しているものが半分、と言った所である。
「えっ、え〜と……」
ハンナはとっさに言い訳が思い付かず、口篭もる。
対照的にライズはやや嘆息してそっぽを向いている。無理も無い、彼女にとってこの叱責は九割以上冤罪なのだから。
しかし、一種サディスティックな感情を持った人間の精神と言うのは、獣のそれに等しい。彼等にとって重要なのは、事に至るまでの真実ではなく、相手が苦しむ様を見る為の口実なのである。
この教師も、そう言った一人であった。
「とにかく、ハンナ・ショースキー、ライズ・ハイマー、両名とも罰として廊下に立ってなさい!!」
それを聞いて二人は、それぞれ別の意味で深く溜め息を付いた。
ドルファン暦D二十七年四月二十三日。
ドルファン・プロキア戦争が開戦して、早くも一年が過ぎ去っていた。
D26年7月におきたイリハ会戦以降、目立った動きが無く膠着した戦況が続いていたこの戦いも、ここに来てにわかに活発な動きが見え始めた。
事の発端は二十日未明、プロキア王国からの使者がドルファン首都城塞に到着した事から始まった。
当初、ドルファンに対して侵攻を企図していたプロキアも、ヘルシオ公に政権交代してからはその政策を一転、ドルファンに対し協力的な姿勢を示すようになった。先のイリハ会戦においても、プロキア軍が北部国境に展開しヴァルファバラハリアンを牽制してくれたからこそ、ヴァルファはダナンから南に侵攻する事ができなかった訳である。
しかし、プロキアの使者が携えてきた情報は、その慢性的な状況に終止符を打ちうる者だった。
曰く、近日中にドルファンにダナン奪還の意思があるのなら、プロキアは協力の用意がある。との事だった。
この事が、ドルファン上層部に大きく影響を与えた。
作戦の概要は先のイリハ会戦時と同じ、プロキア軍が北部国境に展開しヴァルファを牽制すると同時に、ドルファン軍は北上しダナンを目指す。一つ違う点があるとすれば、ドルファン軍は先の戦訓を取り入れ、全軍を一括集中できるように半年以上前から準備を進めてきたと言う事だ。
もし、これでヴァルファがダナンから退去してくれれば良し、そうでなくても、今回は十二分に勝機があった。
軍部によって作成された作戦案は直ちに王室会議に提出され、数日の検討の結果、採用が決定された。
「シンラギククルフォン?」
出撃準備を進める傭兵部隊の待機所で、そんな単語が飛び出した。
「って、何だ?」
単語を発した主、傭兵部隊騎馬隊隊長エミール・シュテルハイン少尉が尋ねた。今この場には、彼の他に、シュン・カタギリ准尉や、弓隊隊長のギルバート・マーカス少尉がいる。
彼等が話している内容は、今回共同戦線を張る事になるプロキア軍についてだ。どうもその中に、聞き慣れない部隊の名前があるらしい。
「中華民国の特殊部隊の名前ですね」
そう答えたのは、シュンだった。
「政府の特殊部隊であると同時に、裏社会を統括する影の組織と言われています。その規模は大きく、軍事力だけでなく、政治や思想にまで及んでいるって聞いた事があります。また裏では、政府に対抗する組織を非合法な手段で葬る、中華民国承認の犯罪者組織とさえ言われています」
「ちょっと待った」
そう言ってシュンの言葉を遮ったのはギルバートだ。
「なぜ、そんな危険な連中を、中華民国政府は承認しているんだ?」
「それは、シンラギククルフォンの実力が、優に数個軍団に匹敵するからです。昨年冬に行われた黒龍江紛争を覚えていますか?」
シュンが言った黒龍江紛争とは、中華民国と国境が接する北の大国、シベリア共和国との紛争である。
領土拡張を目指すシベリア共和国が、中華民国との国境線を形成する黒龍江が凍結するのを待ち、一大攻勢に出たのである。
紛争自体は約三週間に及び、当初はシベリア軍優位に戦局が推移していた。
「しかし勝ちに乗るシベリア軍が第二陣を出撃させた頃、黒龍江中流域で戦局を逆転させる事態が勃発しました」
「その時中華民国軍が投入したのが、シンラギククルフォンだった、と言う訳か」
「はい。その一戦で、シベリア軍は戦線崩壊を起こし、撤退を余儀なくされたの事です」
「成る程ね。いざと言う時に役に立つ物は、多少危険でも承認する。むしろ政府公認にしておけば、いざと言う時に牙を抜く事ができるって訳か。あざといが、なかなか利口なやり方だ」
エミールが感心したように頷いた。
対してギルバートは、真剣な顔をシュンに向けている。
「しかし、一つ分からない事があるのだが」
「何でしょう?」
シュンは、キョトンとした目をギルバートに向ける。
「シュン、君はなぜ、そこまでシンラギククルフォンの事に詳しいのだ?」
「…………」
ギルバートの質問に、シュンは一瞬ためらいの表情を見せたが、すぐに思い直して顔を上げた。
「倭国を出て、ほんの一年程ですが、僕は中華民国で傭兵をしていたんです」
それを聞いて、二人は顔を見合わせる。
それに構わず、シュンは続けた。
「路銀に困っていた僕は、反政府組織に雇われていたんです。当然、シンラギククルフォンとの対戦経験もあり、彼等の仲間を殺した事もあります」
「それはまた」
「難儀なこったな。『昨日の敵は今日の友』とはなかなかいかないだろうし」
二人の言葉に、シュンは僅かに微笑を浮かべた。
「心配要りません。多分、向こうに顔は知られていないと思いますから」
「何でだ?」
「顔を知られた人間には、不本意ながら……」
シュンはそこから先を言わなかった。言わなくとも、二人には理解できたからである。
シュンは、顔を知られたシンラギククルフォンの人間を、一人残らず抹殺してきた。
これは、決してシュンが残酷だからではない。裏社会に通じている組織に顔が知られると言う事は、その時点で自分の運命が終わると言う事だ。その為にシュンは、細心にも細心の注意を払ってきた。
「成る程、なら、心配要らないだろ」
エミールがそう言った時だった。
扉の向こうから、傭兵部隊隊長を務める、リヒャルト・ハルテナス中尉が入って来た。
「シュン、いるか?」
「はい」
呼ばれてシュンは、リヒャルトに駆け寄った。
「すまないが、ちょっと使いを頼まれてくれ」
「何でしょう?」
リヒャルトはポケットの中から、皮袋を取り出した。
取ってみると、ジャラジャラした感触があり、中に小銭が入っている事が分かった
「実は、教会に御布施をまだ払ってなくてな。俺はこれから作戦会議があって行けいないから、代わりに行ってきてくれないか?」
「分かりました、教会ですね」
シュンは皮袋を懐に押し込むと、テーブルに立てかけた刀を取って部屋を出た。
町の中の空気も、どこと無く張り詰めていた。
皆平静を装おうとしているが、戦が近い事を敏感に感じ取り、どこの空気も張り詰めたものになってしまっている。
そんな中、傭兵待機所を出たシュンは、足早に教会へと向かう。教会は待機所と同じシーエアー地区にある。
シュンも何度か行った事がある。と言っても、もともと仏教のシュンに、キリスト教の足を向けねばならない理由はないのだが、異文化に触れ合って自分の視点を広げてみるのも良い事だ。とピコに言われ、休日にエミールに案内役を頼んで行ってみたのだ。
そこでシュンは、初めてミサと言う物を体験した。(ちなみに一緒に来たエミールは、退屈してミサの間中眠っていた)
ミサが終わって返ろうとした時、シュンはシスターからキャンディをもらった。どうやらこの教会では、ミサの後、子供にキャンディを配る習慣があるらしく、そのシスターはシュンを子供と勘違いしたらしい。その事でシュンは、後々までエミールに笑われる事になったのは言うまでもない。
そんな訳で、シュンが教会に行くのはこれが二度目だった。
「シュン君」
突然呼び止められ、シュンが振り返ると、そこには見知った少女が立っていた。
「ソフィアさん!」
シュンが呼びかけると、ソフィアはニッコリ微笑んだ。制服を着ている所を見ると、学校帰りのようだ。
「どこかに行くの?」
「はい。ちょっと教会までお使いに。ソフィアさんは?」
「私は、今学校が終わった所」
「そうですか」
予想通りの答えが返ってきて、シュンは顔をほころばせる。
「でも、教会に何をしに行くの?ミサの日でもないし」
「ちょっと、隊長のお使いで」
「そうなんだ」
そんなソフィアの表情を見て、シュンは一瞬自分の頬が熱くなるのを感じた。
今までの逃亡生活で、シュンにこんな笑顔を掛けてくれた者はいなかった。ほとんどの人間が、十代前半で一人旅をするシュンに不振な目を向ける者や、うざったそうな顔を向ける者がほとんどだった。くみし易しと見てか、金目の者目当てに寝込みを襲われた事も一度や二度ではない。
そんなシュンに、優しく微笑みかけてくれたのは、ソフィアが初めてだった。
「どうしたの?」
ソフィアに呼びかけられて、シュンは我に返った。
「え?」
「顔、赤いけど、どうかしたの?」
そう言われて、シュンは慌てて顔に手をやる。
「なっ、何でもないです!」
「本当に?どこか、体が悪いんじゃ……」
ソフィアは心配そうな顔を、シュンに向ける。
「だっ、大丈夫大丈夫!ホントに!全然!!」
しどろもどろになりながら、シュンはソフィアに手を振る。
「そう?」
少し怪訝な顔をしながらも、ソフィアはシュンの言葉に納得してみせる。それから、元の表情に戻って口を開く。
「ねえシュン君、教会に行った後って暇かな?」
「え?暇、ですけど、何か?」
それを聞いてソフィアは、笑顔を浮かべる。
「じゃあ、どこかでお茶でも飲んで帰らない?」
「ええ。私、あんまりお金がないから、たいした物は頼めないと思うけど」
「別に構いませんよ」
そう言うと、シュンも微笑んだ。
「じゃあ、早く行きましょう」
そう言って、二人が歩き始めた時だった。
「ソフィア!!」
突然ソフィアの名前を呼ばれて二人が振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。長い金髪を後ろで一本にまとめ、いかにも身なりのよさそうな格好をしている。
「ジョアン!」
「あ、あの時のおじさん!」
シュンは、ジョアンが傭兵訓練所に顔を出した時の事を思い出した。それと同時に、彼がソフィアと何らかの知り合いである事も、同時に思い出した。
二人に追い付いたジョアン・エリータスはシュンを牽制するように睨むと、ソフィアに向き直った。
「なぜ先に行ってしまったんだいソフィア!?折角お茶に招待しようと思って学校まで迎えに行ったというのに」
「ごめんなさい。行き違いになってしまったらしく……」
「まあ良い。とにかく、ママが待っている。早く行こう」
「……ええ」
ソフィアはうつむいたまま、ジョアンに従う。
しかし、その前にシュンが立ちはだかった。
「ちょっと待ってくださいおじさん!ソフィアさんと先に約束したのは僕ですよ!おじさんとソフィさんがどういう関係か知りませんが、勝手に連れて行かないで下さい!!」
シュンは噛み付かんが勢いで、ジョアンを睨み付ける。
それにたじろきながらも、ジョアンは言い返す。
「だっ、黙れ東洋人!ソフィアは僕の婚約者だぞ!!」
「婚約者?……おじさんが?」
「それから、僕はおじさんじゃない!!まだ二十一だ!!」
いきり立つジョアンを、シュンはさらりと受け流す。
「良いじゃないですかおじさんで。そんな事より、ソフィアさんがおじさんの婚約者って、どういう事ですか?」
「つまり、そう言う事なの……シュン君」
ソフィアが、うつむいたまま答えた。
「そう言う事……て……」
「彼、ジョアンは……私の婚約者なの……」
「そんな…………」
シュンはソフィアとジョアンの顔を交互に見比べた。
「釣り合いませんよ」
「何ィ!!」
その言葉に、ジョアンは再びいきり立つ。
「僕はドルファン旧家の両翼、エリータス家の三男だぞ!!貴様のような無粋な東洋人が、本来その目で見る事も憚られるような存在だぞ!!それを……それを!!」
いきり立ったジョアンは腰の剣に手を掛ける。それの対してシュンは、刀にこそ手を掛けないが、気合を膨らませて、いつでも戦闘態勢に入れる準備をした。
しかし、両者の戦端が開かれる事はなかった。二人の間に、ソフィアが割って入ったからだ。
「止めてジョアン!相手はまだ小さい子供なのよ!!」
ソフィアはシュンをかばうように、ジョアンの前に立ちはだかる。
「しかしソフィア!!こいつは僕の事を馬鹿に……」
「もう止めて!!あなたの言う通りにするから!!」
その言葉は、まるでソフィアの悲鳴のように、シュンには聞こえた。
「ソフィアさん…………」
ソフィアの言葉に、シュンは一度上げかけた気合を元に戻す。
「ごめんなさいシュン君。今日は、これで……」
そう言うとソフィアは、通りに止めてあるエリータス家の馬車に向かって歩き出した。
「いいか東洋人!」
残ったジョアンは、シュンを威嚇するように睨む。
「ソフィアに免じて、今日はこのくらいにしておいてやる!!しかし、貴様がこれ以上ソフィアに付きまとうのなら、僕にも考えがあるからな!!」
捨て台詞を残すと、ジョアンは慌ててソフィアの後を追った。
「籠の小鳥……か」
走り去る馬車の後ろ姿を眺めながら、シュンはポツリと呟いた。
シュンが重い足取りで教会に着いたのは、結局日が傾きかけた頃だった。
しかしシュンは、そこで思いも掛けない人物と鉢合わせた。
「ライズさん!」
「シュン……」
教会の門の前で顔を会わせた二人は、互いの名前を呼び合う。
授業中、ハンナのとばっちりで罰を羽ける羽目になったライズは、学校の寄付金を教会に納めに行くように命じられてしまった。
今更言うまでもない事だが、今回の件はライズにとってはまったくの冤罪なのだが、その事に対していちいち抗議する事の無意味さを知っているライズは、仕方無しにその罰を受け入れた。
ちなみに主犯格のハンナは、教室の罰掃除を命じられ、今だ学校に残っている。
「久しぶりね」
「……ええ」
ライズの挨拶に、シュンは少し含みのある返事をした。
ライズの誕生日の時に言われた事が、今だに心の中に残っているのだ。
「あなたも、寄付金を持ってきたの?」
「え、どうしてそれを?」
自分の目的を言い当てられ、シュンは少し動揺した声をライズに向ける。
それに対して、ライズは淡々と答えた。
「ミサの日ではないし、懺悔に来るのだったら、もう少し早い時間に来ても良いはずでしょ?」
「……成る程」
ライズの推理に納得したシュンだが、取りあえずこのまま立ち話も何なので、目的を済ましてからゆっくり話そうと言う事になった。
そんな訳で、二人は教会の中に足を踏み入れた。
二人が中に入ると、そこには白いローブを羽織った若い女性がいた。
「いらっしゃい、あら、シュン君」
そう言うと、シスターは笑顔を見せた。
彼女の名はルーナ。この教会のシスターであり、彼女が、シュンを子供と勘違いした人物である。
「こんにちは、ルーナさん」
そう言うとシュンは、ルーナに向かってお辞儀する。
「今日はどうしたの?」
「はい、隊長から言付かって、寄付金を届けに来ました」
そう言うとシュンは、寄付金の入った袋をルーナに渡した。
「いつもありがとう。リヒャルト中尉にも、お礼を言っておいてね」
「はい」
それからルーナは、ライズに視線を移した。
「そちらは、シュン君の恋人!?」
それを聞いて、シュンの顔は一瞬で茹蛸よりも真っ赤になった。
「なっ、ななななな何でそうなるんですか!!この人はただの友達です!!」
「あら、そう?」
そう言うとルーナは、可笑しそうに笑う。
それを横目に見ながら、ライズはスッと前に出た。
「ドルファン学園から、寄付金を持ってきたわ」
そう言うとライズも、寄付金の入った袋を鞄から取り出してルーナに渡した。
「はい、確かに受け取りました」
ルーナはライズから受け取った寄付金を、大事そうに袋に納める。
その時、奥の扉が開いて、一人の男が入って来た。
年の頃は三十代後半と言った所だろうか?長い髪をストレートに伸ばし、顔には小さい眼鏡を掛けている。
「あ、神父様」
ルーナはそう言うと、その男に振り返った。確かにルーナの言う通り、男は神父のローブを着ている。
「今、この方達が寄付金を持ってきてくれました」
それを聞いて神父は、優しげな笑みを浮かべる。
「それはそれは、ありがとうございます」
そう言うと神父は、二人の前に進み出る。
「私は、今月よりこの教会をまかされる事となりました、ミハエルと言います。以後、よろしく」
「僕は、傭兵部隊のシュン・カタギリ准尉と言います。こちらこそ、よろしくお願いします」
神父の自己紹介に対し、シュンも丁寧に頭を下げる。
しかしふと、シュンは横に立ったライズに目をやった。
ライズは下を向いたまま、なぜかその体は小刻みに震えている。心なしか、額には汗が滲んでいるような気さえする。
「ライズさん?」
シュンは慌てて、ライズに声を掛ける。
「おや、どうしました?お連れの方は御気分が悪いのですか?」
ミハエル神父も、心配そうにライズの顔を覗き込む。
それに対してライズは、キッとミハエルを睨み付け、聞き取れないほど低い声で呟いた。
「…………どうして……あなたがここに…………」
そう言うと、ライズは身を翻して駆け出した。
「ライズさん!!」
シュンが止める間もなく、ライズは教会の外に飛び出した。
「すいません、失礼します!!」
それだけ言うと、シュンもライズを追って外に飛び出した。
それを見て、ミハエルの顔が目に見えない程度に変化したのを、そばにいたルーナはまったく気付かなかった。
教会を飛び出したシュンは、しばらく走った所でライズに追い付いた。
「どうしたんですかライズさん!?」
「…………」
シュンは追い付いて尋ねるが、ライズは無言のまま早足で歩き続ける。
「黙ってちゃ、分かりませんよ!!」
シュンの言葉に対して、ライズは立ち止まって振り返った。
その様子に、勢い込んでいたシュンの気勢は殺がれる。
「……シュン」
「……はい?」
ライズは、正面からシュンの顔を見据える。その様子に、シュンの頬はほんのり赤くなる。
しかし次にライズの口から出た言葉は、シュンを動揺させるには充分だった。
「あの神父には、あまり近付かない方が良いわ」
「え?」
言っている意味が分からずシュンは聞き返すが、ライズはそれに構わず続ける。
「これは警告よ。少しでも長く生き延びたいのなら、あの男には近付かない事ね」
「それって……」
シュンは何か言おうとするが、その前にライズはシュンに背中を向ける。
しかし、シュンは構わず叫んだ。
「何ですかそれって!?」
シュンの怒声に、ライズは足を止めて振り返った。
「言った通りよ」
その声は、あくまでもそっけない。
しかしどういう訳か、今日のシュンはそれでは引き下がらない。
「それじゃあ分かりませんよ!!ちゃんと説明してください!!」
その言葉に、ライズは少々戸惑った。
普段のシュンなら、これくらい言えば引き下がるはずなのだが、今日に限っては妙に食い下がってくる。
ライズは知る由もないのだが、シュンは昼間のソフィアとの一件で、少し感情がナーバスになっていたのだ。その為、一方的な物言いをするライズに対して、必要以上に食って掛かる結果となった。
二人の間に、重苦しい沈黙が流れた。
「ごめんなさい」
やがて謝ったのは、意外にもライズの方だった。
それを聞いて、シュンの頭も急速に冷やされた。
「いえ、僕の方こそ、つい、叫んじゃったりして……ごめんなさい」
謝ってから、シュンは自己嫌悪に陥った。
人にはそれぞれ事情があるように、ライズにはライズの事情がある。なぜ、自分はそれを察してやれないのか?ましてやライズは、この間駿風の弦馬に襲われた時、助けてくれたじゃないか。それなのに……
「ごめんなさい」
シュンはもう一度ライズに謝った。
そんなシュンに、ライズはゆっくりと歩み寄ると、鞄の中から何かを取り出して差し出した。
「え?」
シュンは驚いて顔を上げる。
そこで見たライズの顔は、微妙だが微笑んでいる気がした。
「これは?」
シュンの質問に対し、ライズは少い苦笑する。
「その……少し、遅くなったけれど、誕生日おめでとう。シュン」
「え?」
シュンは呆けた表情で、プレゼントを受け取る。
「その……今まで渡す機会がなかったから……」
そう言ってから、ライズは元の表情に戻る。
「いらないかしら?」
「いえ!!」
シュンは勢い込んで即答した。
「あの……開けても、良いですか?」
「ええ」
ライズの了承を取ってから、シュンは丁寧に包装を解いていく。
中から出てきたのは、銀細工の首飾りだった。盾の前に交差した剣が型取られたメダルを、銀色のチェーンで繋いである。
「わァ〜!」
シュンは思わず感嘆の声を上げた。そして、ライズに向き直る。
「ありがとうございます!ライズさん!!」
そう言うとシュンは先程までの表情が嘘のように、笑顔を浮かべる。
その顔を見てライズは、ふと、自分の心の中で何かが音を立てて動いたような気がした。
結局それが何であるかは、ライズ自身にも分からずじまいであったが。
ドルファン軍が第二次ダナン派兵の為に準備を進めている頃、当の国境都市ダナンでも、その動きを察知し、緊急の部隊長会議が開かれていた。
「そうか、プロキアが動いたか」
長いテーブルに座った男女四人を見て、ヴァルファバラハリアン軍団長デュノス・ヴォルフガリオは呟いた。
彼を囲むように座っているのは、参謀、キリング・ミーヒルビスを始めとしたヴァルファ八騎将達である。
イリハで疾風のネクセラリアが討たれ、ある事情により二人が欠いているが、この五人が、現在のヴァルファ実働部隊を支える八騎将達である。
「ハッ、斥侯の報告によりますれば、プロキア軍の陣中には、かの、シンラギククルフォンの姿もあったとか。プロキア軍と合わせて、その数は三万」
デュノスの言葉に答えたのは、ミーヒルビスであった。
「シンラギククルフォン、東洋圏最強の特殊部隊か、厄介な事だな」
「ハッ、さらに今回ドルファン軍が動員した兵力は、七万とも八万とも言われています」
それを聞いて、デュノスは唸った。
「プロキア軍と合わせると十万、話半分としても五万か」
現在ヴァルファは、ダナンに引きこもっている訳だが、もしこのダナン地方を封鎖されてしまえば、物資が不足してやがては自壊の道を辿らざるを得ない。そうならない為には、全力で包囲網を突破する以外にないのだが、そうなると、ダナンと言いう重要拠点を失う事にもなり兼ねず、結果的に物資不足に陥ってしまう。
守るも地獄、攻めるも地獄。まさに、ジレンマと言えた。
「…………こうしてはいかがでしょう?」
ややあって、ミーヒルビスが口を開いた。
「ダナンには少数の精鋭を殿として残し、残る主力は国境線のプロキア軍に向かう。当然殿軍はドルファンの大軍とぶつかり合う訳ですが、このダナンの地形ならば、大軍相手でもしばらくは持ちこたえる事ができるでしょう。その間にプロキア軍を撃破した主力は全速力で取って返し、ダナン残留部隊に加勢する。と、言うのは?」
ミーヒルビスの作戦案に対し、デュノスは暫く考え込むそぶりを見せた後、目をつぶったまま口を開いた。
「仕方あるまい。その線で行こう」
言ってからデュノスは、重苦しく目を開いた。
「では、心苦しいがダナンに残留する部隊を決めねばならん」
「決めるまでもありません」
デュノスの言葉に、即座に反応した声があった。
ミーヒルビスの向かいに座った男が、身を乗り出す。
四十代前半と思われるその男は、非常に大柄で体付きだけならばデュノスすら上回っている。しかしその顔はどこか優しげで、親しみの持てる物だった。
「その役目、この私が引き受けましょう」
この男の名は、バルドー・ボランキオ。第四連隊隊長を務める八騎将で、「不動のボランキオ」と言う異名を持つ。その名が示す通り、防衛戦や殿戦などでその本領を発揮する将である。
それを聞いてミーヒルビスは、曇った表情をボランキオに向けた。
「良いのか、ボランキオ?状況は、圧倒的不利……いや、絶望と言っても過言ではないぞ」
「望む所です。このような役目は、私にこそ相応しいと言えましょう」
そう言うボランキオの双眸に、迷いの色は無い。
『それに、今度こそ俺の望みが適うかもしれんしな』
ボランキオは心の中でそう呟く。
その心の中を見透かしてか、デュノスは重々しく口を開いて。
「…………分かった、そこまで言うのならボランキオ、殿の役目、汝に任せよう」
「ハッ!」
デュノスの言葉に、ボランキオは両手の拳と掌を胸の前で組み合わせて敬礼する。
しかし、彼ら意外にその決定を不服とする者がこの中にいた。
「お待ちください!!」
下座に座っていた女性が腰を抜かした。長いストレートの髪が顔の半分を覆い隠している。知っている者には、彼女が隻眼である事が分かるだろう。
彼女は第三連隊を預かるルシア・ライナノール。攻守に渡ってムラの無い戦術を得意としている。その実力はイリハ会戦でも発揮され、ドルファン騎士団第四連隊を撃破する戦功を立てていた。
「一個連隊だけでは不安が残ります。私の隊も残留する事を希望します!!」
「だめだ」
そう言ったのは、ミーヒルビスだった。
「余計な戦力の分散は、結果的に戦線の破綻に繋がる。ここは多少危険を冒してでも、戦力を集中して包囲網を破る事に集中すべきだろう」
「…………」
ミーヒルビスの言葉に、ライナノールは沈黙せざるを得なかった。
それを見て、デュノスは大きく頷いた。
「では、各員、作戦に従って準備を開始せよ!!」
全員は一斉に立ち上がって敬礼する。
「「「「必ずや、御意に!!」」」」
今、戦いの気運は、高まった。
第十話「戦機、立つ!!」 おわり
後書き
どうもこんにちは、ファルクラムです。
さて、次回はいよいよ、ダナン攻防戦となります。シュン達がどういう戦いを展開する事になるのか、どうかご期待ください。
それでは、今回はこれで。
ファルクラム