第十三話 「朱に染まる月」


 

 ダナン攻防戦が集結して三週間ほどが過ぎたある日の昼。ライズ・ハイマーはサウスドルファン地区キャラウェイ通りにあるレストランで、昼食を摂っていた。

 注文したのはコーンスープであったにも関わらず、運ばれて来たのはマカロニグラタンであったが、その事を抗議する事の無意味さを知っている彼女は黙々と運ばれて来た料理を口に運んでいた。

 彼女の監視対象人物であるシュン・カタギリ陸軍少尉(ダナン攻防戦の戦功により昇進)の今日のスケジュールは、午前中は訓練所で訓練、午後からはフリーとなっている。しかし、ここ半年ほどの彼の行動パターンを解析し、午後が暇な日は、部屋で寝る事が分かっている。であるから、ライズとしても急いで動く必要が無いのだ。そんな訳で、ライズとしてもゆっくり食事をする事ができると言う訳である。

 彼女がこれまで歩いてきた人生を考えれば、それは非常に貴重な時間である。何しろ、これまでなら、日に一度食事が取れれば、最高の贅沢と言えたからだ。しかしここでは、三度三度の食事には事欠かないどころか、ある程度個人の自由によって間食を取る事もできる。もちろんライズは、体調管理に為に無駄な食事は取らないのだが。

 マカロニグラタンも器の半分ほどまで減った頃だった。

 ライズは一旦一息ついて、水を口に運ぶ。それを待っていたかのように、黒い人影が彼女の視界を遮った。

「失礼、こちら、相席よろしいでしょうか?」

 男性独特の低い声が頭上からしたので、ライズは怪訝そうに顔を上げた。そして次の瞬間、ライズの全身の毛が総毛立った。

「!?」

 とっさに顔を強張らせるライズ。全身の毛穴と言う毛穴から殺気が立ち上り、鋭い眼光が男を貫く。殺気が形を成してライスの体から滲み出てくるようだ。

「返事が無い、と言う事は、了承と受け取らせていただきますよ」

 そんなライズの殺気を正面から浴びながらも、男は平然とした表情のままライズの向かいの席に腰を下ろした。それを見計らっていたように、ウェイトレスであるキャロル・パレッキーが駆け寄ってきた。

「いらっしゃいませ〜!!ご注文は何になさいますか?」

 キャロルの弾けるような笑顔に対し、男も微笑して答えた。

「コーヒーを一つ」

「わっかりましたー!!紅茶一つは入りまーす!」

「違いますよ、コーヒー……」

 男が訂正する間もなく、キャロルは厨房の方に入って行ってしまった。

「……行ってしまいましたか」

 男は仕方なく、視線をライズに戻した。

「…………何の用?」

 ライズは殺気をたっぷり含んだ声で、男に尋ねた。

 それに対し、男は口の端に笑みを浮かべる。

「まあ、そう殺気を立てずに。まさか、そのポケットの中のナイフで、この場で私とやり合う気でもないでしょう」

 そう言われて、ライズはハッとした。

 ライズは、男に気付かれないように、ポケットの中にいつも入れてあるナイフに手を掛けていたのだが、その事はあっさりと見破られてしまった。

 そんなライズの様子が可笑しいのか、男は声を立てずに笑う。

「相変わらずですね、サリ……」

「黙りなさい」

 男の言葉を遮って、ライズは睨み付けた。

「裏切り者のくせに」

「これは心外ですね。あなた方は元々、私の事を仲間とは思っていなかったではないですか」

「減らず口を」

 ライズは男を見る目を細める。それと同時に、殺気がいっそう強くなった。

「それに、私は私の才能をより高く買ってくれる所へ、取引先を変えただけの事です。元々傭兵とはそう言う物でしょう」

「…………」

 ライズは返す言葉が見つからず黙り込む。しかしその双眸は、今だに男を睨み付けて離さない。

 そんなライズを無視して、男は話を続けた。

「まあ、そんな事より、今日は面白い話を持ってきました」

「…………」

 男はライズの殺気を受け流しながら話を続ける。しかしそれに対しライズは、これ以上付き合いきれないとばかりに席を立つ。

「おや、もう食べないのですか?食事の途中で席を立つなど、マナー違反ですよ」

 男の嘲笑するような口調に、ライズは僅かに視線を振り向かせる。

「……口に合わないから下げる。客の権利よ」

 実際はこの男とこれ以上一緒にいたくないから席を立ったのだが、ライズは逃げるように男に背を向けた。

「……ライナノールがヴァルファを脱走したそうですよ」

 男の言葉に、ライズは歩く足を止めた。そして、背中越しに言葉を返す。

「知っているわ。もう十日も前の話よ。随分、情報が古いわね」

「ほう、知っていましたか」

 感心したような口調で言ってから、男は声のトーンを落とした。

「では、そのライナノールが、この、首都城塞に潜入しているとすれば?」

「!?」

 その瞬間、ライズの表情は、驚愕の色に染まった。

「……何……ですって?」

「おや、そちらの方は知らなかったのですか」

 次の瞬間、ライズは疾風のように駆け出した。 

 

 

 シュン・カタギリがレストランに入ったのは、その日の一時の事だった。

 この日はエミール達は皆、午後から訓練や城での会議などに出席する為、暇を持て余しているのはシュンだけであった。しかし、この安眠優良少年が、そんな事で暇そうにしている訳が無く、食事を摂った後は、部屋に戻って昼寝をする事に決めていた。

 そんな訳で、レストランに一人で足を運んだシュンだったが、そこで思わぬ人物に鉢合わせする事になった。

「あれ、ミハエル神父」

 先日、教会で会った神父と顔を合わせ、シュンは声を掛けた。それに対しミハエルも、顔を上げる。

「おや、カタギリ君じゃありませんか。これは奇遇ですね」

 そう言ってミハエルはシュンに笑い掛け、自分の向かいの席を勧めた。

 そんなミハエルに対し、シュンはテーブルの上に目を落とし、怪訝そうに尋ねた。

「神父様。昼間からお酒ですか?」

 ミハエルの座っているテーブルには、白ワインのボトルとグラスが、手付かずのまま置かれている。聖職者であるミハエルの昼食の食卓に、酒が鎮座している事がシュンには不思議に思えたからだ。

 それに対しミハエルは困った顔をした。

「実は、私はコーヒーを頼んだのですが、出てきたのはこの通りでして。私はお酒は飲まないので、困っているのです」

 それを聞いてシュンは、笑顔を浮かべて申し出た。

「それじゃあ、僕がもらいましょうか?」

「え?」

 ミハエルは、思わずシュンの顔を見た。

「あなたは、その年でお酒を嗜まれるのですか?」

 今度はミハエルが驚く番だったが、それに対しシュンは笑顔で否定する。

「いいえ。でも、傭兵隊の中には好きな人達が大勢いますから、その人達にあげようかと思いまして」

「なるほど」

 シュンの言葉に、ミハエルは頷いた。まだまだ子供だと言うのに、そう言った事にまで気を配れるシュンの性格に、感心しているのだ。

「では、これはお願いします。いや、助かりました。この場で飲む訳にも行かず、かと言って、持って帰って飲む訳にも行かず、困っていたのですよ」

「お役に立てて良かったです」

 そんな2人の下に、ウェイトレスが小走りでやってきた。

「ご注文決まりましたかァ?……って何だ、シュンじゃん」

「こんにちは、キャロルさん」

 シュンはキャロルに笑顔を向ける。それに対してキャロルも、呆れたように笑みをシュンに向ける。

「あんたって相変わらず暇そうねえ。少しハンナ達と一緒になってマラソンでもやったら?」

「そんな、これでも結構忙しいんですよ」

 シュンは、さも心外だと言わんばかりに言った。

「そうかなあ?あんたって、いっつも、寝てるか何か食べてる所しか見た事無いんだけど」

「それはキャロルさんと会うのが、ここか、時々公園で昼寝をしている時くらいだからじゃないですか」

「ふ〜ん、まあ良いわ。それより注文は?」

「え〜っと、チーズオムレツとライスで」

「了解、オムライス一つ入りま〜す!!」

「…………」

 厨房に入って行くキャロルの背中を、シュンは無言のまま見詰めていた。その視線には諦めの色が混ぜられているのだが、当のキャロルは、その事を気付いた風も無く、厨房の中に消えて行った。

「……さて、私はこれで失礼させていただきますよ」

「あっ、はい」

 シュンは、慌ててミハエルに視線を戻すと、ミハエルは席から立って帽子を頭の上に乗せていた。

「お酒、ありがとうございました。きっと皆さん、喜んでくれると思います」

「いえいえ、私の方こそ、困っていた所を助けていただいて」

 そう言うと、ミハエルはシュンに向かって十字を切った。

「あなたに、神の御加護を」

 そう言うとミハエルはシュンに微笑み掛け、レストランを後にした。

 それを見送るのと前後して、料理が運ばれてきた。

「はいシュン、スクランブルエッグとチャーハン、お待ちどう様〜!!」

 注文したのはオムレツとライス、オーダーはオムライス、そして運ばれて来たのはスクランブルエッグとチャーハン。

「…………」

 シュンは大きく溜め息をついた。

「……そこ、置いといてください」

 そう言ってからシュンは、スプーンに手を伸ばした。

 

「さて、次の客さんは〜?」

 そう言いながらキャロルは厨房のほうに走っていく。これでウェイトレスと言うのも楽な仕事ではない。知り合いが来店してもゆっくり話している余裕は無かった。

 今日も店は満席で、キャロルも店内を縦横に走り回り大活躍だった。

 そんな時だった。

「すまない、ちょっとよろしいか?」

 厨房に入ろうとしたキャロルを、背後から呼び止める人物がいた。

「はい、何でしょう。注文ですか?」

 キャロルは振り返って相手を見た。頭から踝までを砂色のローブですっぽり覆っている。僅かに口元だけがローブの隙間から見えている。女性だと言う事が辛うじて声の調子から分かる。

「すまないが窓際に座って食事をしている少年に、これを届けてくれまいか?」

「はえ?」

 キャロルは女性の手元に目を落とした。それは一通の手紙だった。

 キャロルはその手紙を受け取って、しげしげと眺める。

「何これ?」

「頼んだぞ」

「あ、ちょっと!」

 そう言うと女性は、キャロルが静止するのも聞かずに去っていった。

「?」

 キャロルは唖然としたまま、手紙と女性の背中を見比べた。

 

 料理を運び終えて用はないはずのキャロルが、何を思ったのかシュンのテーブルに戻ってくるのが見えた。

「ねえ、ちょっとシュン」

「はい?」

 シュンは口に運び掛けたスクランブルエッグを途中で止めて、キャロルを見上げた。

「どうしたんですか?」

 シュンは怪訝な顔付きでキャロルを見上げるが、キャロルはテーブルに身を乗り出したまま、無言でシュンの顔を見詰めている。

「あの……キャロルさん?」

 キャロルは従姉妹のハンナに負けず劣らず美人である。そんな女性にジッと見詰められて、緊張しない男がいないはずが無い。シュンもその例外ではなく、見る見るうちに顔が赤くなって行く。

「いやさ、あんたが、あんな美人と知り合いとは思わなくてさ」

「はっ?」

 キャロルに見詰められてドギマキしていたシュンは、呆気に取られた表情を見せた。そんなシュンに、キャロルは先程預かったの手紙を差し出す。

「はい、さっき預かった」

「?」

 シュンは手紙を受け取ると、裏返して表面を見る。差出人の名前は無く、ただ白いだけの封筒がある。

「だれから、預かったんですか?」

「ん〜」

 キャロルは少し考えてから口を開いた。

「女の人だったね。背の高い。顔は……フード被ってたからわかんない。後、な〜んか暗い感じだったわね」

「…………」

 シュンは腰に差した小太刀から小柄を取り出すと、封筒を切って中の手紙を取り出して目を通した。

「…………」

 

【ドルファン軍傭兵部隊 シュン・カタギリ陸軍少尉殿

 

 貴殿に殺された同胞の仇を討つべく、ここに決闘を申し込む。

 明日、正午までにカミツレ地区、神殿跡地まで来られたし。

 

 ヴァルファ八騎将  氷炎のライナノール】

 

「…………」

 シュンは無言のまま、手紙をポケットの中に入れた。


 

 翌日の昼前、シュンはカミツレ駅で馬車を降りると、早足で目的である神殿跡地へ向かっていた。

 その格好は、軍支給の制服の上から、いつも戦場に行く時着て行く黒地に白のだんだら模様の入った羽織を着て髪を結い上げている。そして右手には細長い包みを握っていた。鎧を着ていないのは、町中で着ると目立つからである。

『あんまり、気乗りしないんだよね』

 そんなシュンの頭の上に乗ったピコが、溜め息混じりに呟いた。

「何が?」

『それだよそれ』

 ピコはシュンの目線の高さまで降りてくると、右手に持っている包みを差した。

『君がそれを使う事、あたしは反対だよ』

 そう言うとピコは、怒ったように眉を釣り上げる。そんなピコに対し、シュンは足を止めて見上げた。

「だって、しょうがないじゃん。これしかないんだから」

『だったら、他の人から借りてくれば良いじゃない!』

「西洋風の剣じゃ、天破無神流の技はほとんど使えないよ」

 そう言ってからシュンは、少しうつむく。

「こうするしか……無いんだよ」

『シュン』

 ピコはシュンの視線に回り込んで、真っ直ぐに見据える。

『君が前にそれを使った時、どうなったか言ってごらん』

「…………気が付いたら、血の海の上に立っていた…………」

『そうでしょ。あたしが駆けつけた時には、君はもう回りにいた人間全員を惨殺していたんだよ。君がそんな事をするの、あたしは見たくないの!』

「ピコ……」

 ピコは哀願するような顔になる。

『お願いだよシュン……馬鹿な事は止めて帰ろうよ…………ここで逃げたって、君は卑怯者じゃないんだよ。だって、君には使える剣が無いんだから』

「…………」

 ピコは涙混じりの声で、シュンに哀願する。

 シュンは無言のまま、ピコを見据える。

 どれくらい、そうしていただろうか?やがてシュンは、ピコに対して微笑んだ。

「ごめんピコ、それでも僕は、行かなきゃいけないんだと思う」

『どうして!?』

 シュンの回答に対して、ピコが声を荒げる。

 そんなピコを、シュンは優しく手の平に乗せた。

「分からないよ。けど今、僕を待っている人は、どうしても僕と戦わなきゃいけないんだと思う。僕にできる事はきっと、その人の願いに答えてあげる事だけなんだよ」

『シュン……』

 シュンの答えを聞いて、ピコはゆっくりと俯く。

『…………帰って来たら、お説教だからね』

「……うん」

『…………晩御飯抜きだからね』

「……うん」

 ピコはゆっくりと顔を上げた。

『勝ってね』

「うん!!」

 ピコの言葉に、シュンは力強く頷いた。

 

 

 神殿跡地に付くと、一人の女性がシュンを待っていた。

 真紅の鎧を身に纏ったその女性は、背中まで達する長い髪を持ち、その左目は、顔に掛かった髪に隠されていた。

「来たか」

 シュンの姿を認めた女性は、一歩前に出た。

 それに対し、シュンも一定の距離を置いて立ち止まる。

「貴様が、バルドーとネクセラリアを倒した、『黒き流星』シュン・カタギリか?」

「はい」

 シュンは返事をして口を閉じる。既に両者とも殺気のレベルが上がり、いつ戦闘が始まってもおかしくない状態である。

「私は、ヴァルファ八騎将の一人、氷炎のライナノール。貴様に殺された同胞の仇を討つべく、軍団を抜けて来た。ただ願うは、朋輩ボランキオの仇を討つ事のみ!」

「ボランキオ将軍の……」

 シュンの呟きを無視して、ライナノールは両腰に差した二本の剣を抜き放った。

「愛した人の仇を取る事のみ!!」

「!?」

 言い放つと同時に、ライナノールは動いた。一気に距離を詰めて、シュンに接近してくる。

「いざ、尋常に勝負!!」

 二本の剣が、同時に左右からシュンに斬りかかってくる。

「!?」

 シュンはとっさに空中に跳躍すると、手に持った包みを縛っている紐の端を口に咥え、そのまま引っ張った。

 包みの口が開くと、中から日本刀の柄が現われた。

 シュンは着地すると同時に、柄に手を当てた。

 それと同時に、ライナノールが斬り込んでくる。

「もらった!!」

 二本の剣が、同時にシュンに迫る。それに対してシュンは、一気に刀を鞘走らせた。

 二つの影は空中で交差すると、金属が擦れ会う異音を残して互いに距離を取って着地した。

 着地したシュンの手には一振の刀が握られている。

 しかし、その刀には異様な点が二つほどあった。一つは、異常なまでに長い事。刃渡りだけで子供の背丈ほどがある。これまでシュンが使ってきた刀よりも、確実に三十センチは長くなっている。

 そしてもう一つ、刀身全体が、薄紅を塗ったように赤く染まっているのだ。

「その剣は!?」

 その刀身を見たライナノールは、思わず目を見張った。これまでいくつもの戦場を渡り歩いてきたライナノールは、いくつもの特異な武器を見てきた。しかし、そのライナノールの目から見ても、シュンの刀は異様だった。

「名工、初代村正作、『朱月』(しゅつき)」

 シュンはゆっくりとした口調で言うと、左手に持った鞘を背中にしょって結んだ。

「妖刀、こちらでは、魔剣と言った方が分かりやすいですか?殺気を孕んで抜き放てば、刀身がこのように赤く染まります」

 シュンの言葉はそれ程大きくないのだが、それでもライナノールの耳にまとわり付くように聞こえてきた。

「一説によると、この刀で斬られた人間の怨念が、持つ者の殺気に反応して赤く染まるとも言われています」

「戯れ言を!!」

 シュンの口上に対し、ライナノールは剣を腰溜めに構えて斬りかかる。

 それに対してシュンも、朱月を八双に構えて斬りかかった。

「ハァ!!」

「っ!!」

 間合いに入ると同時に、二人は剣を繰り出した。

 再び交差する二つの影。そして、互いに位置を入れ替えて着地する。

 二人分の斬撃の応酬は、再度の沈黙と言う形で中断された。

 しかし、今度は微妙ながら変化が訪れた。ライナノールの鎧のショルダー部分が、見事な切り口を残して地面に落下したのだ。

「なっ!?」

 朱月の刃は、板金鎧を紙でも切るように断ち切ってしまったのだ。

「フッ」

 足元に落ちた鎧のかけらを見て、ライナノールは薄く笑った。

「どうやら、刀の力だけで勝とうと言う訳ではないようだな。もっとも、そうでなくてはバルドーには勝てんが……」

「…………」

 呟くように話すライナノールに対し、シュンは朱月を構え直す。

 それに対してライナノールは、ゆっくりと剣を肩の高さに伸ばした。

「良いだろう。ならば私も本気で行かせてもらう」

 そう言うとライナノールは、ゆっくりと目をつぶった。

 そんなライナノールの様子を、シュンは黙って見据えている。本気を出すと言った以上、普通の攻撃は来ないはずである。警戒するに越した事はない。

 やがて、大気が凝縮されるような感覚が、辺りを包み込む。さらに風が二人を取り囲むように吹き始め、砂埃が巻き上げられる。

「これは……まさか!」

 シュンはこの状況に覚えがあった。それは、自分が襲鳴斬を使う時の感覚に似ている。

 シュンが声を上げた次の瞬間、ライナノールの右手の剣には炎が、左手の剣には冷気が纏わり付いた。

 ライナノールはゆっくり目を開いた。

「かつて、神と人との間で大きな戦争があったと言う伝説は知っているか?」

「……ええ」

 ライナノールの言葉に、シュンは頷いた。それを見て、ライナノールは先を続ける。

「その戦争の際、神は人知を超えた力を操り、人間を圧倒したと言う」

「……でも、それでも神は人に勝てなかった」

 シュンはライナノールの言葉を遮って付け加える。それに対し、ライナノールは口の端に笑みを浮かべる。

「フッ、確かにな」

 ライナノールは笑みを浮かべて続けた。

「だが、破れ去った神の中には、人と交わり子を儲けた者もいた。その子孫は長い年月の間、神の血と共にその力も受け継いできた訳だが、あるふとした拍子にそれが開眼する事がある」

「それが、あなたと言う訳ですか?」

「そう言う事だ!!」

 言い終わると同時に、ライナノールは斬りかかってきた。炎を纏った右手の剣を、シュンに向かって繰り出して来る。

「くっ!?」

 シュンはとっさにバックステップで後退すると、紙一重で回避した。

 しかし、

「それで避けたつもりか!!」

 次の瞬間、ライナノールの炎をは蛇のように伸び、シュンに襲い掛かった。

「食らえ、フレイムエッジ!!」

「!?」

 炎はシュンにまとわり付くと、そのまま体を包み込んだ。

「…………終わったか」

 人型の炎を見て、ライナノールは呟いた。

 しかし、

「まだです!!」

「っ!?」

 次の瞬間、ライナノールの横にシュンが出現した。それと同時に、炎を纏った人型が消滅する。

「天破無神流、襲影斬!!」

 叫ぶと同時に、シュンはフルスイングの要領で朱月を繰り出す。

「クッ!!」

 ライナノールはとっさに大きく跳躍すると、シュンから距離を取った。

 それに対しシュンは、下半身に力を込めた。

「襲雷斬!!」

 シュンは朱月を八双に構えたまま、ライナノールを追撃してくる。

 それに対しライナノールは冷気を纏った左手の剣を構えた。

「フリージングスラッシュ!!」

 ライナノールが剣を振ると、その回りに細かい氷の刃が出現した。

「行け!!」

 ライナノールが命じると、氷の刃は一斉にシュンに向かって飛翔する。

「チィ!!」

 シュンはとっさに地面に転がると、氷の刃をかわした。

 それを見て、ライナノールが斬りかかってくる。

 シュンは片膝を突いて体勢を立て直すと、迎え撃つ体勢を取る。

 しかしライナノールは間合いの一歩手前で止まると、右手の剣を振るった。

「フレイムエッジ!!」

 再び炎の蛇がシュンを襲う。剣などの物理的なものなら防ぎようもある。しかし、炎を防ぐ事はできない。

 シュンは下半身に力を込めて跳び上がると、バク宙の要領で空中で一回転して元いた地点より後方に着地した。

「逃がさん!!」

 後退し体勢を入れ替えようとするシュンに対し、ライナノールはさらに炎の剣をかざす。

「バーニングクラッシュ!!」

 叫ぶと同時に振り下ろし、剣を地面に突き刺した。

 次の瞬間、炎の柱がシュンに向かって伸びてくる。

 シュンはとっさに跳び上がって、炎の柱を回避する。

 しかし、

「もらった、フリージングスラッシュ!!」

 再び氷の刃がシュンを襲う。しかも今度は空中にあり、回避する事はできない。

「グッ!?」

 シュンは脇腹と左の肩、そして右の太股に鋭い痛みを感じた。そして次の瞬間、空中でバランスを崩し落下する。

「…………」

 地面に叩き付けられる寸前、バランスを入れ替えて着地には成功したものの、体の三個所から血が滲んでいる。

 そんなシュンに対し、ライナノールは休む間も与えずに斬り込んできた。

「食らえ!フレイムエッジ!!」

 ライナノールは炎の剣を繰り出してくる。

 それに対しシュンは回転しながら横にスライドし炎をやり過ごす、左手を逆手に小太刀に当て、一気に鞘走らせた。そして回転で得た力をそのまま小太刀に上乗せする。

「天破無神流抜刀術、襲爪斬!!」

 シュンの小太刀とライナノールの剣が眼前でぶつかり合い、異音を響かせる。

「ハッ!!」

 ライナノールは気合と共にシュンの小太刀を弾くと、氷の剣を繰り出してくる。

 それに対してシュンは、身を捩ってライナノールの剣を回避する。

 そしてそのまま高速で体を回転させると、朱月を横薙ぎに繰り出した。

「襲牙斬!!」

 シュンの襲牙斬を、ライナノールは両方の剣を交差させて受け止める。

 それに対してシュンは上半身に力を込めると、そのまま押し切りに掛かる。

「ハアァ!!」

「クゥ!!」

 二人の力は拮抗しており、鍔競り合いの状態のまま、膠着する。

「っ!?」

 先に動いたのはライナノールだった。

 隙を見てライナノールは、シュンの腹に蹴りを入れる。

「グッ!?」

 シュンの体は、ライナノールに蹴り飛ばされて、地面を二回転ほどして止まる。

「もらった!!」

 ライナノールは二本の剣を交差させると、一気にシュンの懐まで切り込んだ。それと同時に、ライナノールの気が一気に高まる。

「食らえ、我が最強奥義!!」

 ライナノールの放つ気が、一気に増大する。

「必殺、二刀、氷炎斬!!」

 冷気の刃と炎の刃が、同時にシュンに迫る。

「まずい!?」

 シュンが顔を上げた、その瞬間にはライナノールは眼前まで切り込んでいた。

 ライナノールが繰り出した剣によって、シュンの体は炎と冷気に包み込まれた。

『やったか!!』

 今度こそ、という手応えがライナノールの頭によぎった。

 しかし次の瞬間、ライナノールの目の前で、炎と氷に包まれたシュンの体は掻き消えた。

「なっ!?」

 驚愕するライナノール。それと同時に、強烈な殺気を頭上から感じた。

「天破無神流、襲星斬!!」

 急降下によって威力を高められたシュンの剣が、ライナノールに迫る。

「チィ!!」

 それに対してライナノールは、バックステップで後退して襲星斬をかわした。

 一拍置いて、シュンは地上に着地する。

 両者は再び剣を構える。

「……まさか、あの状態から残像を繰り出すとはな」

「際どかったですけどね」

 ライナノールの言葉に、シュンは苦笑混じりで返す。見ると、シュンの羽織の、右側の袖が凍り付いている。

 それを見て、ライナノールも笑みを浮かべる。

「今の貴様の技、襲星斬とか言ったか?噂では、この技でネクセラリアを倒したそうだな」

「…………ええ」

 突然のライナノールの問いに、シュンはやや驚きながらも頷く。

「大した威力を持っているが、決定的な弱点がある」

「…………」

 シュンは警戒をしたまま、ライナノールの次の言葉を待つ。

「それは、垂直に跳び上がり、垂直に降下しなければ、威力が発揮されないという事だ。落下の際に角度が付けば、その分威力が落ちる。それさえ分かっていれば、回避は容易だ」

「…………」

 シュンは警戒しつつ、内心で舌を巻いた。今ライナノールの言った言葉は、まさに襲星斬の弱点を言い当てていた。確かに襲星斬は垂直に落下しなければ、その分威力が低下する。しかし、それを一度見ただけで見破る辺り、ライナノールの実力の高さが伺えた。

 ネクセラリアが速さ、ボランキオが力を追求した戦士ならば、ライナノールは技の戦士と言った所だろう。

 シュンは、フッと笑った。

 その顔に、ライナノールは訝る。

「何が、可笑しい?」

「いえ、この技を一回で見破るなんて……さすがですね」

 シュンは率直な感想を、述べた。

「フン」

 シュンの言葉に、ライナノールは軽く鼻を鳴らす。

「感心している場合ではないだろう?」

 そう言うと、ライナノールは剣を構える。

 それに対して、シュンはゆっくりと構えを解いた。

「でも、これはどうでしょうか?」

 そう言うとシュンは背中にしょった鞘を取って、朱月を収めた。そしてそれを腰溜めに構える。

「その構えは!?」

 ライナノールは昔読んだ、東洋の武術書に書かれていた技の事を思い出した。

「倭国の剣技の一つ、抜刀術か。しかし、その長い刀で使う事ができるのか?」

 それに対してシュンは、ニッコリ微笑む。

「使えない技なら、最初から使いません。それに、」

 シュンは表情を引き締める。

「神の力を使えるのは、何もあなただけではありません」

「何っ!?」

 シュンの言った言葉が理解できず、ライナノールは聞き返すが、シュンはそれ以上何も話そうとせず、気合を溜めるようにライナノールを見据える。

「……まあ、良い」

 そう言うとライナノールは、剣に炎と冷気を作り出す。

「次の一撃で、決めるぞ」

「…………」

 二人は剣を構えると、ゆっくりと間合いを詰める。

 静寂が場を支配し、沈黙が二人を包み込む。

 瞬きすらしない。吹き抜ける風のみが、場の住人となる。

 意を決したように、シュンは右足を摺り出した。

 次の瞬間、ライナノールは動いた。二本の剣からは、それぞれ炎と冷気が迸っている。

「必殺!!二刀氷炎斬!!」

 ライナノールは一足飛びにシュンに向かってくる。

 その瞬間、シュンの体を中心に、風が巻き起こった。それと同時に、シュンは朱月を鞘走らせる。

「天破無神流抜刀術、襲鳴斬!!」

 一気に抜き放った朱月の切っ先から、渦巻き状に風が放たれる。その風は、向かってくるライナノールを迎撃するように伸びて行く。

「クッ!?」

 ライナノールはその風をまともに受けながら、二本の剣を振るう。

 炎と冷気、そして風が、二人の間で激しくぶつかり合う。

 一瞬均衡するように、滞空した三つのパワーは、次の瞬間には反動の衝撃波のみを残し、消え去った。

「っ!!」

 ライナノールは飛んできた爆風に対し、とっさに右腕を顔の前にかざして遮る。

 三つの人外なる力が炸裂したパワーが、二人を襲う。

 その強烈な爆風の中で、ライナノールは耐え切った。しかしその一瞬、ライナノールに隙ができた。その一瞬を逃さずに、爆風の渦を突き破ったシュンがライナノールに斬りかかって来る。

「もらった!!」

 シュンはそのまま、袈裟懸けにライナノールに切りかかる。

「そうは、行くか!!」

 ライナノールは踏ん張った両足に更に力を込めると、そのままシュンの懐に斬り込んだ。

 そのライナノールの行動に、シュンは驚愕の表情を作った。

「甘いぞ、黒き流星!!」

 ライナノールは今度こそと言う確信を込めて、シュンの胴を切り裂いた。

『やった……』

 ライナノールの一撃を食らって、シュンの体はのけぞる。その顔は驚愕に染まり、我が身に起きた出来事が信じられぬと言った感じだ。

「終わったな……」

 ライナノールは斬り付けた時の体勢のまま、低く呟いた。

 しかし、

「まだです!!」

 凛としたシュンの声と共に、目の前のシュンの体は掻き消えた。

「なっ、残像だと!?」

 シュンはライナノールが体勢を立て直す事を計算して、あらかじめ襲影斬を使っていたのだ。言わば、襲鳴斬と襲影斬の二段構えである。

 今度はライナノールが驚愕する番だった。

 しかし、ライナノールもヴァルファで八騎将を名乗るほどの使い手である。すぐに気を張ると、警戒体勢に入る。

 右、左、上、下、後ろ、あらゆる方向に神経の目を向ける。

 しかし次の瞬間、シュンはライナノールのまったく予期していなかった方向に姿を現した。

「正面っ!?」

 ライナノールがシュンを知覚した時には、全てが手後れだった。

 朱月の赤い刃が、閃光となってライナノールの体を袈裟懸けに斬り裂いた。

「がっ……はっ……」

 朱月が切り裂いた後には、その刀身にも劣らぬほど赤く染まった線がライナノールの肩から脇腹に掛けて刻まれていた。

 ライナノールは下半身から力が抜けて行くのが分かった。そのまま剣を取り落とすと、前のめりに倒れた。

「勝負、ありました」

 シュンは静かに終幕を宣言した。

「クッ……」

 ライナノールは口から血を流しながらうめく。その傷は内臓にまで達しており、もはや助からない事は、火を見るより明らかだった。

 そんなライナノールの傍らに、シュンは膝を突く。

「何か、言い残す事はありませんか?」

「…………」

 ライナノールは一瞬意外そうな顔をした後、大儀そうに口を開いた。

「一つ、聞かせてくれ」

「何でしょう?」

「……バルドーは……立派だったか?」

 ライナノールは、もはや消え入りそうな声でシュンに尋ねる。

 そのライナノールに、シュンは頷く。

「はい。最後まで退かず、僕達に向かってきました。あんな凄い人は、僕は見た事がありません」

「…………そうか」

 ライナノールがそう言った時だった。

「甘いぞ東洋人!!」

 突然耳障りな声が聞こえたかと思うと、神殿の柱の影からジョアン・エリータスが現われた。

「おじさん!なぜ、ここに!?」

「だから僕はおじさんではな〜〜い!!」

 一応シュンの言葉に突っ込みを入れてから、ジョアンは真顔に戻る。

「一騎打ちに勝ったのなら、なぜ止めを刺さん?こいつは敵兵だ。情けなど無用!!」

「そんな!もう勝負は付きました!!これ以上の流血は必要ないでしょう!!」

 そう主張するシュンに対し、ジョアンはキザったらしく髪を掻き上げる。

「これだから甘ちゃんは困る。貴様がどうしても止めを刺せないと言うならこの手柄、僕がもらって行く」

 そう言ってジョアンが合図すると、神殿の影から次々と風体の悪そうな男達が出てくる。

「この敵兵を、軍本部まで連行しろ!!」

 ジョアンがそう命じると、男達は倒れているライナノールにつかみ掛かる。

「オラ立て!!」

「貴様等!!何をする!?」

「うるせい!!」

 ライナノールは必死に抵抗しようとするが、シュンにやられた傷が深く、体に力が入らない。

 ライナノールはそのまま両脇を固められると、引きずるようにして連れて行かれる。

 男達は下卑た笑みを口に浮かべながら、抵抗できないライナノールを散々に小突き回している。敵とはいえ勇敢に戦った人物に対し、あまりと言えばあまりな扱いである。

 その様子を見て、シュンの中で何かが切れる音がした。

 そんなシュンの様子に気付かず、ジョアンは上機嫌に連行されて行くライナノールを見据える。

「これで僕の株は上がり、ママもソフィアも喜んでくれるだろう」

 彼にしてみれば、労せずして手柄が、それもヴァルファ八騎将と言う極上の手柄が舞い込んできたのだ。さぞ、笑いが止まらない事だろう。

 しかし、その気分に水を差す者が、この場には存在した。

 ジョアンの首筋に、何か冷たい物が押し当てられる。

「ん?」

 ジョアンは何事かと、視線を下に移した。その首筋には、朱に染まった刃が突きつけられている。

 次の瞬間、刃の色とは反対に、ジョアンの顔面は蒼白に染まった。

「ヒッ、ヒァァァァァァァァァァァァァ!!」

 その声に、ライナノールを運んでいる男達も振り向く。

「…………その人を放せ」

 底冷えする声でシュンは言い放った。その手には、真紅に染まった朱月が握られている。

「その人を放せと言っている」

 シュンはジョアンの肩を掴み、喉元に刃を食い込ませる。

「ヒッ!!」

 ジョアンはそのまま腰砕けになり、その場に尻餅をつく。それでもシュンは、刀を持つ力を緩めない。

「坊ちゃんを放せ!!」

 そんなシュンに対して、男達がライナノールを放して向かってくる。それに対してシュンは、口の端を釣り上げて不気味な笑みを浮かべた。

 普段のシュンからは決して想像できないその行為の後、シュンはジョアンの体を思いっきり蹴飛ばして自由を確保すると、男達に向き直った。それと同時に、シュンの回りに風が渦巻き始める。

「天破無神流……」

 シュンは両手で持った朱月を、頭上に高く掲げる。それに伴い、風は朱月の刀身に集約して行く。

「襲鳴斬、蒼牙!!」

 叫ぶと同時に、シュンは刀を振り下ろした。

 朱月が纏っていた風は振り下ろされると同時に蛇のようにのたうち、地面を抉りながら男達に迫る。

「何ィ!?」

 男達の顔が驚愕に染まる。その時には既に手後れとなっていた。地面を抉りながら接近した風の蛇は、そのまま鎌首を持ち上げるようにして男達を薙ぎ払った。

 その威力たるや、シュンがこれまで使ってきた技とは明らかに一線を画していた。

 そもそもシュンの今までの技では、衝撃波で地面を抉るほどの威力を出す事はできなかった。唯一の飛び道具と言っても良い襲鳴斬でも、せいぜい突風程度の威力でしかなかった。しかし今の襲鳴斬蒼牙の軌跡は、地面にまるで巨大な蛇が通った後のような溝を作っている。

 これが、シュンが今までひたすら自らに禁じてきた天破無神流上位技の威力である。その内の一つの封印を、シュンはとうとう解いてしまった

『やっちゃったか…………』

 神殿の屋根の上から様子をうかがっていたピコが、溜め息混じりに呟いた。

 そのピコが見ている中で、シュンは再びジョアンに歩み寄った。

「ヒッ」

 ジョアンは尻餅をついたまま、後ずさろうとするがシュンはその前に追い付き、朱月の切っ先をジョアンの喉元に突きつけた。

「ぼっ、僕を、どうする気だ!?」

 裏返った声で、ようやく口を開くジョアン。それに対してシュンは、無言で見下ろす。そのシュンに、更にジョアンは言い募る。

「わっ、分かっているのか東洋人!ぼっ、僕を殺すと言う事は、エリータスを敵に回すと言う事なんだぞ!!ドルファン貴族の名家、あの、エリータス家をだぞ!!わっ、分かってるのか!?」

 それでもシュンは、刀を持つ手を緩めない。

 とうとうジョアンは、だらしなく泣き始める。

「たっ、助けて、ママ〜〜〜〜!!」

 その様子に、シュンは大きく溜め息を付いた。所詮、権力の庇護で生きている者など、どこに行ってもこんな物である。この常識には、国境が要らないらしい。

 呆れ返ったシュンは、朱月を収めながら口を開いた。

「消えてください」

「ひっ、ひぃ〜〜〜〜〜!!!」

 その言葉にジョアンは、弾かれたように立ち上がると、シュンに背を向けて一目散に逃げ去った。

 それを見届けてからシュンは、倒れているライナノールに歩み寄った。

 抱き起こすと、まだ僅かだが息がある。

「……なぜ、だ?」

「え?」

 ライナノールの質問の意味が分からず、シュンは聞き返す。

「なぜ、私を……助けた?」

「……別に、ただ、」

「ただ?」

「必死になって戦ったあなたを、名誉のない死に追い遣りたくなかった。それだけです」

「…………そうか」

 そう言うと、ライナノールはゆっくりと目を閉じた。

「……カタギリ……」

「はい?」

「…………ありがとう」

 それだけ言うと、ライナノールは眠るように息を引き取った。

 それを見届けたシュンは立ち上がった。この事をカミツレ地区の憲兵支部に連絡し、遺体の引き取りを依頼するのだ。

「かつて、僕の父と母も、名誉の無い死を強要されましたから……」

 背中越しに呟いたシュンの言葉は、誰に聞き取られる事も無く消えて行った。

 

第十三話「朱に染まる月」    おわり


後書き

 

どうもこんにちは、ファルクラムです。

 

ここの所どうにも、調子が上がらないです。まあ、いろいろあって疲れてるってのもあるのでしょうから、その内元に戻るでしょう。それに、そろそろ第二部の構想も始めようかと思ってますし、気合入れてがんばりたいと思います。

 

ファルクラム


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