海の夜風は流石にきついな。
頬を撫でる風に呟き、コートの襟を立てると男は手すりに肘を乗せた。
静かだった。
穏やかに波を切る客船の内部は、ちょうど酒盛りで熱気が強まっているがここはまるで別だ。
寒すぎるほどの静寂、喧騒は遥か遠く…まるでドルファンから聞こえてくるようにさえ錯覚してしまう。
もう…見えないのにな…。
コツコツ……コツ
甲板になる靴音、いつものような規則的な音でないことが気になり男は顔だけを振り向かせた。
「流石にもう見えないわ…ね。」
少女は言葉を終わらせる前に右にふらつくと、次は左にと体を揺らした。
ピコピコと揺れるみつあみに目が行くが、どうやらそれどころではないらしい。
「お、お前、酒を飲んだな!」
慌てた男は早々と駆け寄ると少女の肩を抱くようにして支えてやる。
「の、飲んでないわ。少し匂いに……。」
「あんなやけくそで飲んでる連中がいるところで飯なんか食うからだ。」
「面目ないわね…。」
「……。」
素直な謝罪に男は目を丸くして手を少女の額に当てる。
「な、何?」
「熱は無いな…。」
「────」
ドゴッと内臓が圧迫される音と同時に、男は一瞬無重力を体験する。
少女の肘が男のみぞおちを捕えていた。
声にならない声を上げて、うずくまった男がピクピクと痙攣すると、少女は不機嫌そうに手すりに寄りかかる。
「ラ、ライズ…いきなり肘鉄はきついぞ。」
「貴方が失礼なことを言うからでしょう?」
「珍しく素直に謝罪したからな、当然の反応と思え。」
つんとしてライズはそっぽを向いて返答は無い。
男は隣に並ぶとタバコに火をつけ、ふぅーと白煙を夜闇に放つ。
その姿を見て、ライズは訝しげに首を傾げた。
「貴方……煙草吸ってたかしら?」
「ん?イリハ会戦以来だな、煙草。」
煙を吸い込むと流れる風の音と同じく、静かに煙を吐き出す。
きつめの煙に思わず喉を鳴らしてしまう。
「きっついな…ほんと…。」
「そうね、いろいろあったものね。」
ライズも視線をこちらに合わせ、静かに頷く。
ここ最近で色々な表情を見せるようになった少女は、男に軽く寄り添うとつい3時間ほど前まで居た国ドルファンの方角をみつめた。
外国人排斥法、突如として可決された異例の法案は、戦災の汚物を吐き捨てるかのごとく異国の人間を排斥する。
外国人傭兵部隊、今回の戦争においてもっとも戦績をたたえられるべき彼らも例外ではない。
プリシラ王女は、波止場まで別れの挨拶に来て、しきりに謝っていたが彼はあえて笑顔で…
「また…遊びにくるよ。」
と返していた。
ライズとプリシラに面識があったことは正直驚きもしたが、今更だった。
「ドルファンは…遅かれ早かれ…滅ぶんだろうな。」
軍で英雄と謳われた彼の言葉に、ライズが小さく頷く。
「あなたたちのおかげで腐った体制の中、戦争に勝利してしまったものね。」
「おいおい、それじゃまるで俺らが原因みたいじゃないか……まぁ…否定もできないか。」
困った顔をして煙草を踏み消すとうな垂れるように手すりに体重を預けた。
「これからどうするの?」
「んー当面は船旅なんだけど、資金に余裕もあるし…知り合いの鍛治師に合いに行こうと思うんだ。」
「鍛治師って刀剣を打つ?」
あぁ、と言って腰のベルトに装着した剣を抜く。
スラッとした刀身は、月光を吸収しぼんやりと輝きを放つ。
だが、素人目にはわからないかもしれないが、輝きは断片的で統一性が無いとライズが目を細めた。
「かなり歯こぼれしてるわね………あれだけの連戦を続ければ…仕方がないことかもしれないけど。お父様と戦って、すぐに私とも戦ったわけだし…。」
「そうさな、オーリマン卿の直接暗殺を企んでいたガンマンとも戦ったし…。」
「え?」
小さく驚きの声をあげて、ライズはガシッと男の胸倉を掴む。
「どういうことかしら?それは初耳ね、あのときは爆弾解除に向かっていたんじゃ?」
「む、向かってたさ、教会はメネ公に任せておいたから、俺は、色々忙しかったんだ。」
「詳しく話しなさい、私が貴方の部屋に手紙を入れた時から。」
問い詰めてきたライズにため息をつくと、もう一本、煙草をくわえてから、仕方ねーな…と気だるそうに話を始めた。