第二話


歌姫の舞台の当日。

少年の頃のような高鳴る鼓動の一方で、大人な感性で冷めていく東洋人。

夢と現実は一緒にはならない。

冷ややかな自嘲気味な苦笑い。

結局どうすることもどうなることもない。

「ねえねえ?」

歌を聞いたら帰ろう。そんな気持ちで行く方が良い。

ロミオとジュリエッタじゃあるまいし。

何を考えているんだか。

「ねえってば!?」

歌姫の歌は有名だ。

彼女の平和を願う歌は、国境を越え、どこかしこで歌われている。

その歌詞の中、懐かしいドルファンの影を外国人排斥法でドルファンを追われた外国人は感じるという。

一度もドルファンに来たことがないものでも、銀月の塔から見下ろす情景を想像させられるという。

彼女と見た美しい街を今でも覚えている。

「君の方が綺麗だよ」と言ったことも。

オリジナル、内気でおとなしい顔見知りのあの少女が歌うとなれば、ドルファンの影はより色濃く感じるだろう。

第2の故郷と思った国。

そして、救いたかった少女。

どちらも、もう遠い。

少女は歌姫となり、今、この街に来ている。

どんな思いをさせてくれるだろうか。

「落ち込んでるの?」

───少し、気持ちの整理をな。

「聞こえているんじゃない、まったくもー」

ちょっと心配しちゃったよっとピコは東洋人をこづく。

───いや、いいタイミングだったから反応しただけだ。

考えてばかりもいられない、こういう状態になっても鬱になるだけだ。

ここらへん、ピコは見越して話しかけてきてくれているのかもしれない。

───で、何だ、ピコ?

「何だじゃないよ、そろそろ出かけた方がいい時間だよ」

舞台の時間が迫ってくる。

まだかなり余裕があるが、泥沼からは抜けた方が良い。

最近、「考える人」の像のように固まっていることが多かった。

あまりいい発想も出てきそうにないし、こういう時は外の空気を吸った方が良い。

たぶん、ピコもそう思ってくれたのかもしれない。

大事な時にはいつも声をかけてくれる。

───この相棒には、感謝しないとな。

ここらへん、決してピコに聞こえるようには言わないのだが。

 

建築技術というものは文化だ。

ドルファンのシアターと同程度の大きさのシアターは、この街のシンボルでもある。

歌姫の舞台、シアターまでの道沿いには許可を取った出店も並んでいる。

ふだん見ないような商品も目にする。

興味があるものないもの、街の活気の中、時間つぶしには十分だった。

ふと、出店の一つの商品に目が止まる。

「おや、いらっしゃい。ゆっくり見ていっておくれ」

30代くらいだろうか、愛想のいい恰幅の良い店主の男がつかまえたとばかりに声をかける。

「ねぇねぇ、見てこうよ」

自分より先にピコが飛んでいく。

目に止まった商品の他、見覚えのあるものが並んでいる。

「うちの商品はみんな優れ物だよ」

ガラス細工や鉱物をあしらったペンダントやブローチのようなアクセサリーが並ぶ。

宝石は使っていない。

成金のお嬢様に言わせれば超安物扱いだが、技術は高いものがある。

子供から大人までなドルファンの装飾品の類。

水晶を使ったアクセサリーなどは特に学生に人気があった。

───ドルファンから来たのかい?

「ああ、歌姫のキャラバンと一緒にね」

品台の上に、アクセサリーにまじってぽつんと小さな人形が立っている。それが、目にとまったもの。

───これ、手にとってもいいかな?

円筒の土台の上に小さな人形が乗っている。

栗色の髪に、白い舞台衣装。歌姫のミニチュアだ。

「見本品だから遠慮なく。でも、スカートはめくらないでくれよ」

そう言って店主は笑った。

「うわー、さっすがだねぇ、こういうものも作られちゃうんだ」

ピコがにらめっこするようにミニチュアと向かい合う。

───かなりいい出来だよ。

ソフィアだとわかる。

出来はかなり精巧だった。ただ、おとなしいソフィアの印象をさらにおとなしめにして、暗い悲しみや寂しさのようなものを感じる。

「でもねー、何か表情暗いよねー。何か、寂しいよ」

───ああ。

「お兄さん、ゼンマイを回してみてよ」

店主がもう一つの見本品の土台を指さして言った。

「なんか出来るの?」

ピコがきょとんとして聞いた。

───たぶんな。

ゼンマイを2回転3回転させる。

ゼンマイがゆっくりと逆回転する。

「うちの自慢でね」

店主がにやっと笑う。

酒場で聞いた歌姫の歌のメロディが流れる。

「わぁ、オルゴールなんだぁ」

かなり凝った作りだ。

「どうだい、お兄さん、お一つ?」

店主の自慢の品らしい。

商売上もあるだろうが、手にとってもらえたことが嬉しいようだ。

───いや、この曲が気に入らない。…人形の表情も、暗い。

「…おやおや。うーん、それが売りなんだけどなぁ」

店主にとっては意外な反応だったのだろう。

腕を組んだ店主が自分も手にとったもう一つの見本品のゼンマイを回す。

「こっちはどうだい?」

流れ出す曲は、平和を願う歌のメロディ。

だが、それにも悲しみの色が取れる。戦争の後に訪れた平和を、もう二度と戦争で壊さないでと。

───彼女は、もっと明るくて暖かい歌を歌いたいと思っているよ。

そう店主に言って東洋人は苦笑う。

決めつけた言い方は少し自嘲気味。3年が過ぎて、人も変わるだろうに。

わかるわけじゃない。“そうであって欲しい”だけだ。

手に取っていた見本品のミニチュアを品台の上に置いて、小さなロザリオを手に取った。

───これをもらっていくよ。

値札に書かれていた額分の硬貨を支払う。

───行くぞ、ピコ。

「ちょ、ちょっと待った東洋人のお兄さん!」

行こうとするのを店主が呼び止める。

「あんた何年か前、うちの店でオルゴール買ってくれたことがあったろう?」

「あ、そういえば…」

ピコが先に気づく。そう、何年か前の初冬、12月のこと。

「あんた、常勝不敗かっ!?」

店主は柏手のように手を打ち鳴らす。

「うわっ、こんなところでそんな呼び名で呼ばれちゃったよ」

ピコがくるくる舞う

「東洋人は珍しかったからな。それに、その独り言を言うようなところ、よく覚えているよ」

「そうだよ、あの時オルゴール買ったお店の人だよ」

店主はここで会ったのも何かの縁とばかりに引き留めてきた。

ドルファンのこと、その後のこと、店主はまるで英雄と話せるとばかりに話しかけてくれた。

「もしかしてキミって有名?」

───さあな。

「そうだそうだ、もう一つ見てってくれよ。歌姫好きなんだろ? とっておきを見せてやるよ。レア物だよ。高い物は盗まれちまうからね、大事にしまっているのさ」

鍵付きの箱から店主は一つの箱を取り出した。

「これこれ」

そう言って取り出したものは、また歌姫のミニチュアだった。

「職人が精魂込めて作ったんだ、限定品だよ」

まあとにかく見るだけ見てよと店主はミニチュアを渡す。

「あ、こっちの方が可愛いね」

黄色いワンピースに緑のジャンパースカートの歌姫のミニチュア。

いや、歌姫と呼ばれる前の頃。見覚えのある姿。

───ちょっと、出来過ぎじゃないのか?

嬉しい出来過ぎだが。かなりマニアックだ。

「舞台が好きだから、劇団の知り合いに頼んでオーディションとかをよく見せてもらったんだよ」

オーディション宣伝用にオーディション風景などをスケッチされたものなども残っていたらしいことも聞く。

おそらくはそれもモデルになっているのだろう。

同じようにゼンマイがついている。

ゼンマイを2回転3回転させる。

「あ、この曲知ってる!」

───ソフィアが、オーディションで歌った歌だ。

彼女の夢への第一歩への記憶がよみがえる。

「気に入ったかい?」

店主は何とはなしに嬉しそうだ。

「オルゴールってのはなぁ、なんつーか、元気にさせてくれるんだよ」

恰幅のいい店主だが、ということは彼は一人ベッドの上でオルゴールのゼンマイを回すのだろうか。

「歌もそうなんだ、彼女もあんなテロがなければ、違う歌姫になっていただろうに…」

「そうだよねぇ…」

ピコが悲しそうに言う。

しんみりとする東洋人とピコ。店主には東洋人しか見えないが。

「歌姫には悪いけど、やっぱりそっちの方がいいよなぁ。人気はさっきのの方があるんだけど」

店主は東洋人が持ったミニチュアを見てそう言った。

そしていきなり。

「あんた、エリータスの三男坊と歌姫の間に割り込もうとして国を追い出されたって本当かい?」

「えええ〜〜〜っっっ!!!???」

ピコは驚き東洋人は絶句。

───何だその割り込もうとしたってのは。

客観的に見ればそうかもしれんのだが。

「街のアイドルだ究極の勇者だスーパースターだっても呼ばれてたあんただ、有名な話だよ」

「有名なの?」

───知るか。

「すまん、冗談だよ。俺が言うのも変だが、外国人排斥法は悪いと思っている。国を救ってくれたあんた達には申し訳ないばかりだ…」

店主は“エリータスの三男坊と歌姫の間に割り込もうとした東洋人”の話をしてくれた。

いつかの修学旅行のような、三文芝居の脚本な話だった。

信用度はあまり高くなく、店主もあまりいい顔で話さなかった。

“外国人排斥法”の裏話のようなこじつけな話だった。

「あんた、うちで買ったオルゴール、歌姫に送ってくれたのかい?」

その時、歌姫は歌姫とは呼ばれていなかったが。

東洋人は肯定すると、とても喜んでくれたとも付け加える。

「そっか。それは嬉しいや。あれ、自分が作ったんだよ」

しんみりとした店主。作り手の気持ちというものに浸っているのだろうか。

「そうだ!」

店主はまた柏手をたたくように手を鳴らした。おそらくくせなのだろう。

「あんたにはそれを買ってもらいたいなぁ」

東洋人の手にあるミニチュアを指さした。

「俺の自信作だ。大事にしてくれ」

店主が“にっ”と笑う。

「ええ〜っ! これ、おじさんが作ったのぉ!?」

ピコがミニチュアと店主の間をくるくる回る。

「お代はさっきのロザリオと交換でいい。どうせ話を切り上げようとして欲しくもなかったんだろ?」

店主は東洋人からロザリオを取り上げた。

「あんたさ、暗い顔してたけど、その子を見た時にいい顔したよ。きっとあんたを元気にしてくれるよ」

結局、東洋人は歌姫のミニチュアを返せず買うことになってしまった。

懐かしいドルファンの記憶が舞台に行く前からよみがえらせられた。

なんだかんだ言って、その後のドルファンの内情を少しかいま見たような気もした。

たわいのない話から深い話まで、店主の話に付き合っていたおかげで随分と時間をつぶせた。

胸の内ポケットにしまわれたミニチュアは、懐かしい記憶を与えてくれもすれば、後で傷口を広げるようなこともしてくれよう。そんな予感がする。

「同類だと思われたんじゃない…?」

上着の上から内ポケットのミニチュアに手を当てていた東洋人にピコが少し低い声で言う。

───否定できん…。

冷静に考えると、かなり危ないものを買ってしまったような気がしてきた東洋人。

「危ない道に走らないでね…」

ジトっとした目でピコが睨んでいた。

 

 

そして。

まもなく舞台開場の時間。


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