第一話 【エリータス家】新しい食卓


ドルファン歴29年3月

 

──美味しくない…。

エリータス家の食卓は、毎日豪華絢爛。

毎日高級レストランにいるかのよう。

食卓を飾っているものは十分に美味しいものだと思うのに、美味しいと思えない。

お父さんがよく言っていた「メシが不味くなる」という意味は、きっとこういうことだったんだろうな。

私のせいでごはんが不味くなってたのかな…。

そう考えると、悲しくなる。

今も、家族と一緒の食事をしている、それなのに…。

新しい食卓。テーブルの上も、テーブルを囲む人も今までと違う。

始めは窮屈に感じたけれども、食卓を囲む人たちとの会話に入らず、入り込まず、ただ食事だけをすませる。そんな毎日の食事。

「ソフィア」

向かいに座っている人が声をかけてきた。

あまり、この場では話したくはないのに…。

それでも、答えないわけにはいかない。

「はい」

うつむきかげんだった顔を、心持ちあげる。

向かいに座った男は目を合わせると、満面の笑みを浮かべ、大げさな溜め息をつく。

「ソフィア、今日も綺麗だよ」

なんて君は美しいんだと、今日も自己陶酔が入る。

「透き通るような白い肌、憂いをおびたようなサファイアの瞳、今日も僕は君にメロメロさ」

──憂いを帯びたような瞳…。

その台詞にしこりを覚える。

目に見えて、今、そういう瞳をしているのかな…。

恋愛小説にあるような、うるんだ瞳をしているように見えるということ、みたい。

そうでなくても、この人はこういう言い方をしたかもしれないけれど。

食事中にそういうことを言わなくてもいいのに…。

「ソフィア、明日はフラワーガーデンに行こうと思うんだけど」

4月を過ぎて、フラワーガーデンが開園されて、エリータス家のお花見で一日借り切って。

みんな楽しそうにしている中、ひどく居心地が悪かった。

「この前もそこへ行きましたよ、ジョアン」

遠回しに遠慮する。

「それに、明日のお仕事は?」

追い打ち。

何故、この人は働かないでいられるんだろう…。

生活に不安ばかりを抱えていたソフィアにとって、貴族の生活は辛いものだった。

税金で生活するということが、重い。

「じゃあ、ソフィアは明日何をして過ごすんだい?」

遠回しに、僕と一緒にいないで何をするつもりなんだと目が言っている。

「明日も…、教会へ」

ここエリータス家に来てから、ソフィアは教会に行くことが多くなっていた。

戦争の傷跡深く残るドルファンを思い、祈りをささげに行く。

ソフィア自身にも傷が残っているのは、誰の目にもわかっている。

心の平安を求め教会に通う嫁に対し、エリータス家の面面は何も言わなかった。

ソフィアの教会での献身的な祈りが、エリータス家の反応を良くしていたかもしれなかった。

「ごちそうさまでした。お先に失礼します」

食事の時間を見計らい、席を立つことが出来るようになっただけ、まだ良くなったかもしれない。

昔だったら、何も言えないまま、座ってかたまっていたかもしれない。

ソフィア自身が意図しない方向で、ソフィアの精神は強くなっていた。

食堂を出て、長い廊下を歩き自室へ向かう。

──お姫様になった気分になれたら、どんなに楽になれるんだろう。

ひどく場違いなところにいるような違和感が絶えずつきまとう。

ふかふかな絨毯と、掃除が行き届いた広い空間。豪邸と呼ぶにふさわしい家。

学生時代、気品を身にまとったような高飛車で傲慢な女子生徒がいたけれど。

あんな風に私もなってしまうのだろうか…。

なれるのだろうか…。

「ソフィア!」

自室の扉まで来たところで、また今日も呼び止められた。

「ジョアン…」

声の主は、いつもの人、ジョアン・エリータス。

ソフィアは自室のドアノブに手をかけたまま、ジョアンを振り向いた。

「ソフィア、君はもうエリータスの一員なんだ。もっと堂々としていいんだよ」

結婚してから、何度となく聞いている台詞。

ジョアンの優しい台詞。でも、心が動かない。

──優しさなのだろうか…?

エリータス家に対して、まだ心が開けないでいる理由が、まとまらない。

嫌悪感、それだけなのかもしれないけれど。

ジョアンが、目を軽く伏せて、ソフィアを見つめた。

「ハニー、今夜は、いいかな…?」

──男って…!

「そろそろ、夫婦らしいことをしようじゃないか」

夫婦の初夜というものを、まだ二人は越していない。

結婚して一ヶ月以上がたっても。

「ハニー、ボクの愛しのソフィア、今日こそボクは君の全てを──」

一人で話し始めるジョアンを、ソフィアが低い声で遮る。

「ジョアン…。あなたが、聖騎士ラージン・エリータス様の息子なら、その誇りを守って。いやがる女性に手をかけるような恥ずかしいことはしないで」

自分に酔っているような、ナルシストのような話し方をしていた顔のジョアンの眉がぴくんとあがる。

「またそれか、何で君はいやがるんだ、君は僕の妻だぞ、妻なんだぞ」

キンと鋭い眼光がソフィアの瞳に光るように見えた。

ソフィアの瞳に、強い抵抗の意志。

それでも、口を出る言葉は淡々としていて、でもそれが返って力強い印象を与える。

「いやがる女性を力でねじ伏せる、そんなあなたを、お父上ラージン・エリータス様はどう思うでしょうね?」

ジョアンはうっと息を詰まらせるような顔をした。

「情欲に溺れたあなたを、お父上ラージン・エリータス様はどう思うでしょう?」

ソフィアを守ってくれていたのは、見たことも会ったこともない亡き義父ラージン・エリータスだった。

「おやすみなさい、ジョアン」

すっとソフィアは自室に入り、鍵を閉めてしまった。

扉の前にはあぜんとしたままのジョアンが残された。

ジョアンは頭が回らない。

ジョアンが聖騎士ラージン・エリータスの息子という自分を誇りとし守るように、ソフィアが何故純潔を守ろうとするのかを。

明らかな拒絶の態度。

しかし、ジョアンはこの程度ではひるまない。

浮き沈みは激しいが、ソフィアのこととなるとかなりポジティブシンキングである。

もう“結婚した”という事実が、もう“ソフィアは自分のもの”という安心感を与えている。

「失敗だった。聖騎士らしく、君の好きな舞台のように、そうだ、ロマンチックな演出でないと!」

正直に、ジョアンは聖騎士らしくと考え始めていた。

「僕らしくもない、今日は庶民のようにがさつだった。ムードも何もない」

ソフィアがいやがるのも当然じゃないかと「うんうん」と納得してみる。

──ジョアンは思い切り本気の本気でせまっていたのではあるが。

誇りある騎士たらんとする気持ちはジョアンにはある。

だが常に“誇りある騎士たらん”と出来るほどジョアンは器用ではない。

傲慢で不遜な態度が、ジョアンの評価を下げている。

自己中心的で自己満足な“誇りある騎士”は、そのことに気がついていない。

ジョアンは聖騎士ラージン・エリータスの息子ということを何より誇りと思っている。

だから、ソフィアの言ったことはその通りだと思うし、それを受け入れられる。

ジョアンにとって、母マリエル・エリータス同様、父は絶対なのだ。

「ソフィアは照れているんだ。一生に一度のことだし、女の子には大事なことなんだからな」

誰もいないのに、ハハッと笑いポーズを決める。出来ればバラの花でもくわえたいところだろうか。

「よし、聖騎士らしいロマンチック作戦だ、ママと相談しよう♪ もう邪魔な東洋人もいないんだからな」

にやにやした顔を崩せないまま、ジョアンはまだ食堂にいるだろうママのところに向かっていった。

 

「ふぅ…」

靴を脱いで、ベッドに倒れ込む。

毎日、ストレスがたまる。

精神的疲労は溜まるばかりで、その解消手段が、ない。

明日も、明後日も、エリータス家の一員であることは変わりない。

「強い自分、演じること、出来たかな…?」

抵抗していた。

力づくで来られたらどうしようもないけれど、出来る限り抵抗していた。

結婚して、姓が変わって、貴族になって。

いいことは、何もなかった。

息苦しい毎日と、いつジョアンに襲われるかわからない夜。

ただ、ジョアンの騎士としての誇りは相当なものだとわかってる。

だから、私がジョアンを受け入れない限り、その日は来ないと思いたい。

──受け入れない限り…?

いつか、受け入れる日が来るのだろうか。

たった一人、貴族の社会に放り込まれて、他に頼る人もいなくて…。

「東洋人の傭兵さん…」

名前は出さない。

名前を言うと、泣きたくなってしまうから。

枕の下から、一冊の文庫本を取り出した。

「役に立ちましたよ」

誕生日にもらった恋愛小説。

したたかだったり、純粋だったり、イケイケだったり、そんな女の人たちが活躍するラブコメディ。

誇りと情欲のくだりは、この小説の中にあったものを参考にさせてもらった。

作者は、P・ゼルビスさん。あまり有名じゃない劇甘な恋愛小説作家(らしい)。

「そういえば…」

ふと、懐かしい思い出がよみがえってくる。

愛の詩集と恋愛小説と、どっちにしようか悩んだって言ってったっけ…。

「脚色・演出は、ソフィアでお送りしました」

今日の舞台はもうお終い。

眠ろう。

精神的な疲労感からか、夜にはもうへとへとになる。

貴族の暮らしには、いえ、エリータス家の生活には、まだ当分慣れそうにない。

毎日の習慣だった日記はエリータス家に来てからはやめてしまっていた。

就寝前のお祈りだけが、変わらない。

仰向けになって、胸の上で手を組む。

──私を導いて下さい。

誰が?

どこへ?

誰も頼れない、どこにも行けない籠の中の小鳥のよう。

そして、誰とも知れない相手への図々しい願いの祈り。

受け入れられない現実の中で、器用に立ち回れない自分が辛かった。

それでも、毎日泣いていた夜よりは、落ち着いた。

ジョアンとの結婚、あの人との別れ、家族の元を離れた貴族の暮らし。

不安しかなかった。

小さな祈りを終え、のそのそと寝間着に着替え、ソフィアはベッドの中で丸まった。

「おやすみなさい」

眠ることが出来る夜だけが、ソフィアの安らぎの時間だった。


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