それから3日後、スイーズランド軍司令部は慌しく動いていた。プロキアに動きがあったのである。
ライズの部下が持ってきた情報によると、プロキアと隣国ハンガリアとのあいだにとある密約が交わされたらしい。内容はいわゆる相互不可侵条約、ゲルタニア・プロキア戦争でのプロキアの圧倒的な軍事力を見て浮き足立っていたハンガリアに、プロキア政府が圧力をかけたらしかった。
「つまりこれは何を意味しているのかね」
3日前、俺が作戦報告を行ったのと同じ部屋で開かれた緊急対策会議の席上、俺とライズの向かいに座る髭の海軍少将が聞いてきた。
「それは…」
「説明しましょう!」
ライズの言葉をさえぎり、部屋の後方にいた女性が声を上げた。白衣を着た、金髪のその女性は、皆の「また始まった」というような視線を浴びながら颯爽と歩いてくる。
「…あの女(ひと)は?」
分かってないらしいライズが俺に聞いてくるが、俺も良くは知らない。参謀部にも顔を出す、やり手の技術士官だとしか聞いていなかった。
「結論から言いましょう」
部屋の前方につくと、彼女は早速説明をはじめた。いつの間にか、その隣にはホワイトボードが掛かっている。
「プロキアは、ドルファンを完全に制圧するつもりですわ」
どっと、部屋全体にざわめきが起こった。
「先のゲルタニアとの戦争がわずか2週間で終わった理由…それは戦いが長引けばハンガリアの介入を招く恐れがあったから。背後を急襲されれば、いかに強国でもかなりの痛手を被りますからね。しかしこれで、プロキアにとってハンガリアの脅威はなくなった。ゲルタニアも軍の建て直しにかなりの時間を要するはず…。つまり他国を気にすることなく、確実にドルファンに侵攻することが出来るというわけですわ」
「だが、ヴァン・トルキアはどうなのだ」
髭少将が口をはさむ。
「あのガチガチの保守派である、ヘレニガム王家がそう簡単には動かないでしょう。それにプロキアとは装備の質が違いすぎる…簡単に返り討ちにあうでしょうな」
これには、ワイズマン中将が答えた。
「いずれにせよ、最悪プロキアがドルファンを併合した場合、ここ南欧のミリタリーバランスは崩壊し、我々スイーズにもしわ寄せが来る…対策を講じる必要がありそうですわね」
皆が一様に押し黙る。中立という立場上スイーズランドは表立っては行動できない。この事実を前に、有効な対策を簡単に思いつく者などいなかった。だが、ここで何らかの行動を起こさねばドルファンは失われる。…俺の脳裏には、彼女の笑顔が浮かんでいた。
「失礼します!」
その時、部屋のドアを開けて入ってきた者がいた。少女―たしか名はフィオナといった―ライズの部下のエージェントである。
「フィー…何か動きが?」
ライズがたずねる。フィーというのは、彼女の愛称兼コードネームなのだろう。
「はい、プロキアのことです。どうやらあの国は、シンラギククルフォンを再び雇ったようです」
「その情報、確かね?」
「はい、間違いありません」
再び、部屋に動揺が走った。これで、ほぼドルファンの運命は決まった、プロキアは本気だ…!部屋にいる誰もが、フィーの言葉にそれを確信した。
「私に、一つ策があります」
彼女の笑顔が失われる。フィーの言葉を聞いてそう思った時、俺は自然と話し始めていた。その場の全員の視線が俺に注がれる、戦場とはまた違う緊張感、その中で俺は語っていった。
「どうやら、プロキアは本気です。シンラギククルフォンが参戦した今、ドルファンの騎士団だけではプロキアを防ぐことは出来ないでしょう。しかし、我々も表立って行動を起こすわけにはいかない。ならばどうするか…口実を作ればよいのです」
「具体的には?」
髭少将が再び口をはさんだ。
「…ドルファン王国現女王、プリシラ・ドルファンをスイーズランドに亡命させるのです」
これには皆、さすがに呆気にとられたようだ。大多数の人間は、意味を理解しかねている。
「つまり、プリシラ・ドルファンに亡命政府をつくらせるわけね」
例の技術士官が助け舟を出してくれた。
「ええ。うまくいけば、それに呼応してプロキアの拡大を恐れる隣国が動くかもしれない。それに賭けるのです」
再び、部屋は沈黙に包まれた。かなり無謀な賭けではある。だが他に決め手になる策もない。そんな沈黙だった。
「君の言うことは理解した。だがこれはわが国の政策にも関わることだ。今から私は政府に今回のプロキアの動きについての報告に行かねばならない…この案はそこで考えよう。とりあえず、今日はこれで解散だ。皆、ご苦労だった」
ワイズマン中将の言葉で、とりあえずその場はお開きとなった。が、他の人間が部屋を出て行く中、俺は中将に呼び止められた。
「この作戦、私も個人的には賛成だ。政府のほうは、私が何とかしよう。で、私が聞きたいのは、もし作戦が発動した場合君はどうするかということなのだが…」
「やらせてください」
俺は即座に言った。彼のほうも、俺のその返答を予測していたらしく不適に笑って言った。
「分かった。君以上適任な人材はいないだろうからな…いろんな意味で」
どうやら、スイーズ諜報部は俺と彼女の恋愛関係もお見通しらしい。二の句が継げない俺を見て、中将は愉快そうに笑って去っていった。
「リョウ」
中将と俺の会話が終わるのを待って、ライズが俺に声をかけた。手には一枚の書類がある。用件はどうやらその中身らしい。
「その紙は?」
何とか意識を戻してたずねる俺の言葉に特に反応せず、ライズは黙ってその書類を差し出した。内容は、3日前俺が依頼したことであった。
「ありがとう。さすがに早いな」
「スイーズランド国内だったから。…それにしてもさっきの話、本気? そしてこの依頼も、そのための準備なのかしら?」
「どちらも正解だ。それに、もし政府の許可が下りなくても、俺はやるよ」
とは言ったが、実際スイーズランドが背後に無い場合、資金的にかなり厳しくなる。
「そう…あとそのターゲット、昼は出かけていて居ないわ。行くなら日が沈んでからね」
「分かった、そうさせてもらうよ。じゃあ、いろいろありがとうな」
「別に…それじゃ」
相変わらず必要最小限の会話である。だが、彼女は俺を嫌っているわけではないし、慣れればこれも悪くはない。俺はそんなことを考えながら書類に記された住所に向かった。
時の歯車が、今、静かに動き始めた…。
キャラクタ紹介
フィオナ・ガーレンシュタイン
スイーズランド諜報部で、ライズの部下として働いているエージェント。年齢はライズの1つ下で、かつ幼い頃からの鍛錬により素晴
らしい能力を有しているため、現在彼女から最も信頼されている部下の1人である。性格は天真爛漫だが、任務に関しては非情。