「運命と言うものを論じるには、コイン1枚あれば事足りる。
興と亡、勝と敗、愛と憎、生と死、光と闇…互いに相反するこれらの事象は、
忌まわしき双生児のごとく異にして同であり、しかも一体のものなのだ。
そう、それはまるでコインの表裏のように、背中合わせに存在し…そして、容易にひっくり返る」
(ユリック・N・オーエン:著 「時の紡ぎ手」より)
風が吹いていた。
いつも感じた風、ユウキにとっては慣れ親しんだ風。
陽に灼けた鉄の匂いと、埃っぽい砂塵の味を運んでくる。
遮るものとてない平野……。地図には「パーシル」の名で記される平野に、彼は馬をたてていた。
十万を数える騎馬と兵士の群れと共に。今や、5年前とは立場を逆にして。
「団長。傭兵団『白銀の月』全部隊、布陣を完了しました」
近寄ってきた部下の一人が報告してきた。
「…そうか、ご苦労。指示あるまで待機せよ」
彼は、自身でも意識しえない微量の努力の末、冷徹な公人としての響きをまとった言葉を発した。
部下はその努力には気付かず、「かしこまりました」との声を残して、僚軍に指揮官の命を伝えるべく馬を飛ばしていった。
ユウキはその背中を、どこか自嘲の混じった眼で見送ると、再び前方へと視線を転じた。
蜃気楼でもたゆたいそうな熱気の向こうでは、ドルファン軍も着々と陣容を整えつつあるのだろう。
偵察の報告では、ドルファンが今回動員した兵力は十五万。これは、ドルファンの抱える総軍事力の6割にあたる。
さらに、これはいささか信じがたい事なのだが、
本来ならば首都城塞及び王城の守備を担当する近衛騎士団の一部も、その中に投入されているという。
それだけ、ドルファンが本気なのだろうし、また、追い詰められているのであろう。
「無理も無い事だ」とユウキは思う。
ダナン紛争が終結して5年。たった5年の間に、ここまで対外情勢が変わるなどとは、ドルファンは想像もしていなかっだろう。
もっともドルファンに、正確にはドルファンの政務を担当する「旧家の両翼」に今少しの想像力があったのなら、
ユウキがこの場に立っている道理は無いのだか。
「……物憂気なようね」
先刻から、ユウキの傍らにずっと馬を立てていた女が、ボソリと呟いた。
皮肉っているようにも、共感しているようにも聞こえる口調だ。
ユウキは振り返り微笑んで見せた。
「まさか。それほど感傷の深い性格じゃない」
「…そう?だったらいいのだけど」
冷たく突き放すような声には、とうの昔に慣れていた。そうでなければ、5年間も行動を共にする事などできるはずもない。
ユウキは微笑みを苦笑に変えて、
「まぁ、若干皮肉な気分になっているのも事実だがな。
かつては死にもの狂いで守った国を、今は滅ぼす側に身を置いているともなれば…な」
「それが傭兵というものでしょう?」
「それはそうだが、感情は平穏にはいかないものさ」
ユウキは溜息交じりに答えて、再び前方に視線を戻した。
ドルファン歴D34年、7月。
プロキア、ゲルタニア、ハンガリア、ヴァン・トルキアの4ヶ国からなる「ヴィーン条約機構軍」、
通称「4ヶ国連合軍」は、プロキア方面よりドルファン国境を突破。
国境都市ダナンを占拠、これを橋頭堡とし、一路ドルファン首都城塞へと迫った。
総勢十万を越える陣容の中にスィーズランドを介して雇われた傭兵団があった。
傭兵団「白銀の月」。
かつて、ドルファン傭兵部隊において常勝無敗を誇り、
名だたるヴァルファ八騎将をことごとく打ち果たした大陸最強の傭兵を頭に頂く、精鋭無比の傭兵団である。
結成されたのは2年前だが、今では団長の名声にも助けられ、
壊滅したヴァルファバラハリアンに代わる「全欧最強」の名を冠せられつつある。
団長のユウキ・キリューは、この時25歳。
彼は、地位から言っても年齢から言っても、もはや少年ではなかった。