「おお、アルガスよ、我が国随一の名将たる汝がなんとしたことか!
傭兵が如き犬めに伝統あるシスティア王国の命運を委ねよとは!
栄光の軍旗を泥にまみれさせるつもりか!?」
「恐れながら、陛下。
傭兵が犬とするならば、我らの騎士団は豚にございます」
十六世紀末、西ゴート王国の侵略を受けたシスティア国王と元帥アルガスの会話。
一時的に国庫を空にしても傭兵を雇い入れるべし、という元帥の献策を王は容れず、
正規軍のみで西ゴートの精鋭を迎撃、大敗する。
翌年、システィア王国は滅亡。七百年に及ぶ歴史に幕を下ろした。
なお、この当時「犬は番犬になるが豚はただ食い荒らすだけだ」という箴言があり、
豚とは最大の侮蔑を表す言葉であった事を付け加えておく。
……外国人排斥法なるものがトルキア地方の歴史に初めて現われたのは、
ドルファン歴にしてD28年、場所はゲルタニアである。
このとき、ゲルタニアから追放された「外国人」は、概算十万余名。
ドルファンにも万単位で難民がなだれこみ、大きな社会問題になった。
これに刺激を受けたのが、かねてから国粋主義者として知られた「旧家の両翼」の一つ、ピクシス家当主のアナベルである。
「ピクシスの怪老」の異名をとるこの老人は、水面下で周到な根回しを進め、
今一つの「旧家の両翼」エリータス家当主マリエルの支持を取り付けた上で、
ダナン紛争の終結と同時にこの法案をゴリ押ししたのだ。
これは、一つには、ゲルタニアからの難民対策だけではなく、終戦に伴う事故処理の一環……
すなわち、軍事費を圧迫する傭兵雇用料の解消をも狙った、まさにアナベルにとっては一石三鳥の妙案だったわけである。
理屈の上ではそれほど誤った処置ではなかったかもしれない。
急増した難民を養う余裕などドルファンにはなく、役目を終えた傭兵を延々と契約し続ける余力もまた存在しなかった。
…ただ一つ、アナベルが誤ったとすれば、ゲルタニアで施行された外国人排斥法における「外国人」の規定が、
あくまでトルキア人種以外とされており、国籍そのものは問わなかったのに対し、
ドルファンでの同法における「外国人」とは、文字どおり「ドルファン国籍を持たない者」だった事である。
これが何を意味するか……。
すなわち、ゲルタニアの時に倍する難民が、近隣へと流れ込んだのである。
各国は声を揃えてドルファンの政策を非難した。
ハンガリア外務省に努める外交官の一人は、ドルファン大使に声を震わせて語った。
「移民、異文化の排斥は、国際国家としての自殺行為に他ならない」
列国の非難を、ドルファンは馬耳東風とばかりに聞き流した。
同法は、我が国にとって不可欠の選択であり、理解を求める──と言うのがその主張であったが、賛同する声は皆無であった。
ドルファンに在留していた貿易商、隊商も、他と区別なくドルファンから追放され、
以後の入国には厳密な審査と法外な入国料が課せられる事を知らされると、
冷ややかな一瞥を振り返りざまに投げ、そして二度とドルファンで商う事はなかった。
もともとドルファンは、国内だけで資源や食料、嗜好品をあがなえるような、そんな豊かな国ではない。
外国人排斥法は、ドルファンの救世の一手どころか破滅への一歩を刻んだようであった。
このような状況にも関わらず、ドルファンは、
と言うより同法を押し進めた張本人であるアナベル・ピクシスは、決して妥協しようとはしなかった。
アナベルにしてみれば、この法律には自分の政治生命がかかっているも同然なのだ。
かつて宮廷最大の実力者として君臨したその権勢に、年とともに陰りが見え始めた今、
外国人排斥法の失敗を認める事は致命傷になりうる。
かくして彼は、もはやなりふり構わず扇動・脅迫・懐柔・賄賂など、ありとあらゆる手段を駆使して保身に走った。
その結果、アナベルは自分と同種のガチガチの保守派で貧困の辛さなどを知る由も無い貴族階級、
騎士たちをまとめあげる事に、どうにか成功した。
対外情勢が悪化の一途を辿る中、ドルファン国内は…権力を握る上流階級のみは、どうにか一枚岩足り得たかに見えた。
…かくしてドルファン歴D31年、世に言うヴィーン条約が調印されるのである。
「正論は孤立するが、狂気は伝染する」(中東に伝わる警句)