「何も知らなければよかったのだろうか
誰とも出会わなければよかったのだろうか
そうすれば
今の苦悩も懊悩感じずにすんだのだろうか
でもそうしたら
君を愛する事さえなかったろう」
(ユリック・N・オーエン:著 「戯曲 小鳥たちのレクイエム」)
ユウキ・キリューがスィーズランドの土を踏んだのは、ドルファン歴にしてD.29年3月の事である。
ドルファン救国の雄として名をなしながらの明白な追放に、
彼がいささかのやりきれなさを覚えなかったと言えば、答えはノーである。
三年間の苦闘の代償が追放ときては、まっとうな神経を持つものならまずやる気を失くす。
しかし、傭兵などという無頼な職業を営んでいる人間にとっては、
ぬか喜びとか厄介払いとなどという事柄は非常に馴染み深いものであったので、
ユウキは肩をすくめただけで内心の葛藤を忘却した。
どのみち彼は、ドルファンに永住するつもりなど最初からなかった。
「戦場こそが俺の生きる世界だ」などと断言するほどには人生は悟ってなかったにせよ、
どこかに腰を落ち着けて定住するという発想は、ユウキにはなかった。
金貨と名誉に埋もれて余生を過ごすには、彼は若すぎた。
あるいは平和に慣れていなかったと言うべきかもしれない。
スィーズランドに向かう2週間の航行。
その最中、船の中でライズと顔を合わせたのは、
偶然というよりは、双方の当然の選択肢が同一のものであったと言うべきであろう。
ユウキにせよライズにせよ、元々はスィーズランドを介して各々の陣営に雇われたのである。
その後どうなるにせよ、とりあえずはスィーズランドに戻るのが当然の筋というものだ。
加えて、トルキア最大の富強の国家であるスィーズランドなら、職を選ばなければ食う道はいくらでもある。
様々な点からして、二人の選択肢は同じものにならざるをえなかったのである。
とは言え、ゴールが同じでも、そこに至る過程までもが重なるというのは、やはり対した偶然に違いない。
「縁があるのかな、これは」
肩をすくめたユウキに
「…そうかもね」
ライズはわずかに表情を和らげたものである。
「スィーズランドに着いたらどうする?」とユウキが話を振ったのは、特に深い考えがあるわけではなかった。
単に世間話の延長としてである。ライズは淡々と
「当面は、母の実家に身を寄せるつもりよ…。生活に困らない程度の蓄えはあるし。それから先は、まだ決めてないわ」
もっともで、しかも現実的な返答である。
十八歳の少女に、老後までの生活設計が出来ていたら、それこそ非常識というものであろう。
「あなたはどうするの?」
「君と大して変わらんさ。予定は未定…。ま、スィーズランドで骨休めをしてから、また別の戦場へ行く事になるだろうが」
ユウキの懐は、実のところかなり暖まっている。
部隊を率いても一騎打ちにおいても無敗であった彼は、正規の給料の他にも多額の褒賞やら恩賞やらが流れ込んできており、
ついでに傭兵家業のかたわらで、暇つぶしと社会勉強を兼ねてしていたバイトの報酬も、馬鹿にできないものがある。
何より、ドルファンを去る前日の叙勲式では、聖騎士の称号と合わせて結構な額の金貨が下賜されており、
これだけでも一家四人が中の上程度の生活を半世紀ほど続ける事が出来る。
故に、その気になれば終生スィーズランドで遊んで暮らすという選択肢もあるのだが、ユウキにはその気はない。
スィーズランドで数ヶ月滞在してから、ドルファンで雇われた時と同じようにまた別の雇い主とその戦場を探す事になるだろう。
「幸いというか、ドルファンでそれなりに名前は売れたからな。次の勤め先は結構楽に探せるだろう」
ユウキはそう語り、ライズも「そうね」とうなずいた。
それから彼女は、しばらく何かを考え込んでから、やがて何かを決したように尋ねた。
「スィーズランドでの宿は確保してあるの?」
「いや、あいにく」
「だったら、私の母の実家に来る?豪華とは言えないけど、広さだけはあるはずだから」
一瞬、ユウキは自分の耳を疑い、次に相手の正気を疑った。
トルキアではいざ知らず、彼の故郷では異性の家に泊るというのは、かなり由々しき事態を表す事である。
ライズは珍しく慌てたようで、
「誤解しないで。祖父母は健在だし、部屋はもちろん別々だから。貴方には色々世話になったし……」
「はあ、なるほど…」
ユウキは首を傾げて考えた。
スィーズランドは、ユウキにとってれっきとした異国である。
異国で暮らす時には、その地に馴れた知人が側にいる方が心強い。
それに何より、宿代が助かる。─懐が豊かなくせに、彼にはどうにも染み付いた倹約僻が抜けていなかった。
「そういう事なら、喜んでお世話になるよ」
「そ、そう…」
ライズはさりげなく─と本人は思っているらしい動作で─伏せた顔を赤く染めた。
しかし、ユウキは全く気づいていなかったが…。
かくして、ドルファンを追われた男とドルファンを捨てた女の道は、思いもよらぬ形で重なった。
─────かに見えた。
船の到着直後に、ユウキの思惑はあっさり外れた。
と言うより、彼は自分の事を過小評価していたと言うべきであろう。
スィーズランドの港でユウキを迎えたのは、花束を捧げ持った美女ならぬ、
下品でない程度の愛想笑いを浮かべた礼服の一団だったのである。
「お初にお目にかかります、ユウキ・キリュー卿。
小官はスィーズランド陸軍参謀本部付参事官ゲオルグ・ローテンブルグ大佐であります」
びしりと敬礼する姿も勇ましく、恐らく四十代半ばと思われるその仕官は、最高級の礼儀と敬意を持ってユウキに挨拶した。
「……こちらこそ、お初にお目にかかります。ユウキ・キリューです」
とりあえず返礼しつつユウキが思った事は、
いつから自分は『卿』なとどいう尊称付きで呼ばれるようになったんだろうな?と言う事であった。