第6話


「なんとなく、不条理を感じないでもないんだが…

 まあいい、運命なんてものはこんなものかも知れん。

 靴の底にへばりついたガムみたいなもんだ。

 安っぽくて、ありふれてて、しかもへばりついてはがれやしない。

 …そう不満そうな顔をするな。

 お前は俺にとって、どうやら運命の相手らしいって話さ」

(ユリック・N・オーエン:著「彼と彼女」)

 

スィーズランド北部国境守備隊――

それが、ユウキ・キリューの新しい職場だった。

トルキア地方では並ぶものとてない大国スィーズランドであるが、視野を世界に広げれば、その語頭に「有数の」という一言が追加される。

殊に、スィーズランドの北方に位置するガリア帝国は、やはり大陸屈指の国力と軍事力を誇る大国として知られており、さらにいえば――これがもっとも重要なことであったが――スィーズランドとは積年の敵国と互いに認め合う間柄であった。

この半世紀の間に、双方十万以上の兵力を動員した会戦を行うこと七回、細かな偵察部隊同士の小競り合いに至っては数える気も起こらないほど生じている。

故に、この北部国境は、「トルキアでもっとも安全な国」とされるスィーズランドでもっとも危険な最激戦区として知られ、ここに配属された兵士は救国の情熱に体温を上昇させるか、全身蒼白になって遺書をしたためるか、二つに一つといわれていた。

スィーズランド政府としても、この危険な領域で自国の民を死なせることは目覚めが悪いのか、あるいは傭兵というものの使い道を熟知しているゆえか、ここの守備隊の傭兵含有率を特に高く設定していた。

一方の傭兵にとっては、回転の激しい(つまりそれだけ死人が多く補充兵員の多い)この守備隊は、ありていにいうとハイリスク・ハイリターンのお得意様である。

ここを出発点として、後世名を成した傭兵も数多い。終着点にした傭兵はその数万倍はいるが。

ちなみに、かのデュノス・ヴォルフガリオも、故国から身一つで出奔した直後にこの守備隊に雇われ、無数の武勲を積み重ねて、後のヴァルファバラハリアン傭兵騎士団の基礎を築いたのだが――それはまあ、余談である。

いずれにせよ、ユウキはその由緒ある守備隊に配属され、五千の傭兵部隊を任される身となった。 傭兵の国として知られるスィーズランド、その最激戦区に配属されるくらいであるから、使い捨ての傭兵といってもいずれも腕に覚えのある一流揃いである。

当時二十歳を超えたばかりのユウキは、彼らに冷ややかに迎えられ――は、しなかった。

実力こそがすべての傭兵の世界では、十代のうちから頭角を現し、士官となっている者も少なくない。

ヴァルファ八騎将の一人であった「迅雷のコーキルネィファ」などその最たるものである。

このコーキルネィファを含めた八騎将すべてを討ち果たし、事実上ヴァルファを壊滅させた若い傭兵の名は、スィーズランド北部国境にも知れ渡っていた。

ユウキの着任以前から傭兵部隊の副隊長を務めていたブロウズ・スペードという男は、自分より十歳も年下の新しい隊長を、こういって迎えた。

「貴方の下でなら、私たちも生き残る確率が高まるというものです。よろしくお願いします、隊長殿」

 

…かくしてユウキはスィーズランド軍将校としての第一歩を波乱無く踏み出したわけだが、一つだけささやかな問題があった。

いや、問題というにはいささかならず個人的なものであったが――誰あろう、ライズの存在である。

たまたまユウキとともにドルファンを出国し、どういうわけか彼とスィーズランドとの契約交渉の際にも当然の如く同席していた彼女は、なぜか自らもまたスィーズランド軍と契約し、さらに北部国境守備隊に配属されてきたのだ。

ことここに至っては、さすがのユウキも偶然の女神の存在を信じる気にはなれず、彼女にその真意を問わずにはいられなかった。

いったいどういうつもりか、と問われた彼女は、まるで事前に用意していた台本を読み上げるかのような口調で、

「自分の技能を生かす職についただけよ」

と、のたもうた。

ユウキはむろん、納得しなかった。

「しかしだな…俺がいうべきことではないかも知れんが、父君は君に普通の女性としての幸せを望んでいたはずだぞ?」

「仕方ないでしょう? 私の知っていることといったら、剣の技と隠密工作の手管くらいだもの。それとも貴方は、私に母の実家の資産を食い潰せ、とでもいうの?」

「そ、そういう問題か?」

「そういう問題よ。豊かな老後のためにも、若いうちに働いておくのは『普通』のことよ。それが私の場合、傭兵だったというだけ」

屁理屈の極みというべきであったが、ユウキは有効な反論を思いつかなかった。

もともと、戦場では悪魔に例えられる用兵の才を発揮する男であったが、日常生活では鈍感・呑気・朴念仁を地で行く男である。

事前に言い訳を練って準備していたライズに対抗する手段はない。

それでもユウキは、なけなしの弁舌の才能をかき集めて、なおも説得を試みた。

「だ、だとしてもだ。傭兵でもいろいろあるだろう。ましてや君の場合、あのヴァルファで八騎将を張っていたほどの使い手だ。 わざわざこんな最前線の激戦区に出てこなくても、勤め口はいくらでも…」

「あいにくだけど、職務の性質上、私の正体はまったく知られていないの。顔の知られた諜報員なんてものがこの世に存在するとでも?」

平然とした顔で、ライズは大嘘を付いた。

ヴァルファ八騎将が一人「隠密のサリシュアン」の正体は、たしかに一般には謎とされていたが、スィーズランド軍の上層部にはしっかりと知られている。そうでなければ、十八歳の少女を最激戦区に送るなどという決定が下されるはずがない。

ユウキがそのことに思い至るよりも早く、彼女は言葉を続けた。

「それに、安全というなら、貴方の下ほど安全な戦場はないはずよ。敵が何であれ、場所が何処であれ、ね。違う?」

「過大評価の極みだな」

「その発言は過小評価の極みね。…まあ、もし貴方が少しでも私の命を気にかけてくれるなら、ずっと手元に置いて勝ち続けて欲しいわ。私だって、死にたくないもの」

――結局、ユウキは説得を断念した。

納得したわけではないが、ライズの意思を変えることの不可能を悟ったためである。

それに、どうせ彼女が傭兵を続けるというのなら、自分の手元に置いておいた方が何かと配慮できる。

公然と贔屓することはできないが、副官として傍に置くことでごく自然に守ってやるくらいは許容範囲だろう。

その意味では、彼女の屁理屈にも一理ある。

…どこまでも散文的に物事を考えるユウキは、だからこそ、彼女が最後に小さく呟いた言葉に気づかなかった。

「…それに、貴方についていくことが、女としての私の幸福だから…」

 

こうして、三年間をユウキはスィーズランド北部国境で過ごした。

その間、七度にわたってガリア帝国軍は侵入し、うち二度は万単位の兵力を動員しての会戦であった。

いずれの戦においても、ユウキはその武勇と用兵の才を十分に発揮し、彼の部隊の帰還率と、その敵の損耗率は、スィーズランド軍の上層部を十分に満足させるものであった。

またこの間、遠く南ではドルファンと周辺諸国との関係が悪化し、ヴィーン条約機構の成立に至ったわけだが、永世中立国たるスィーズランドは表向き一切それに関知せず、身分的にはその一将校に過ぎないユウキには手の出しようが無かった。

長いようで短い三年間が過ぎ、ユウキの傭兵雇用の契約が切れる頃、懐かしい客人が北部国境守備隊を訪れた。

スィーズランド軍陸軍参謀本部の参事官、ゲオルグ・ローテンブルグ大佐である。

「お久しぶりです、ユウキ・キリュー卿」

相変わらずユウキを尊称付きで呼んだ参事官は、約三十分間にわたってユウキのこの三年間の働きを讃え、ねぎらった後、一つの提案を持ちかけた。

『スィーズランド共和国の出資の元で、傭兵団を作らないか?』というのである。

これまでにもユウキは十分に一財産築いていたが、それでも傭兵団を作るとなれば、必要な金額の桁が一つ二つ違う。

何しろ軍隊は金を食う。一万人の傭兵を束ねるなら、一万人分の武器と鎧が必要になる。食事だけでも一日三万食だ。

これに加えて、騎兵や伝令用の馬、衣服や毛布、天幕、医薬品、矢などの消耗品、訓練のための経費と教官役の人材確保…金はいくらあっても足りない。

しかし、トルキア地方最大の富強を誇るスィーズランドの後押しがあるならば、話は違う。

出資の規模にもよるが、万単位の傭兵を組織することができるだろう。

ありがたい話には違いない。…だが。

――なるほど、スィーズランドにとっては、戦争とはビジネスでもあるわけか。

やや皮肉っぽく、ユウキは洞察した。

傭兵の国と称されるスィーズランド――その異名の所以は、多くの、それも精強な傭兵団が、スィーズランドに本拠を置き、その仲介の元で諸外国に派遣されていることによる。 スィーズランドが派遣した傭兵団が活躍すればするほど、軍事大国としてのスィーズランドの威信も高まるわけだ。これに加えて、スィーズランドの仲介で雇用契約が成立した場合、傭兵団に支払われる報酬の数パーセントが手数料として、スィーズランドの国庫に転がり込む。この手数料というのが、スィーズランドにとっては重要な収入源の一つでもあるのだ。名も上がれば金も入る。傭兵徴募の仲介は、スィーズランドにとってもっとも重要な国家的ビジネスの一つだった。

――こういうと、得をするのはスィーズランドばかりのようだが、傭兵団の側にも十分なメリットがある。スィーズランド所属の傭兵団は、武器や食料などを安価に購入できる他、銃器などの最新技術の恩恵も受けることができる。何より、スィーズランドの傭兵といえば、それ自体が一つのステータスとなる。つまり、そこらの傭兵団よりはるかに信用が得られ、報酬も高くなるのだ。双方にとって、互いに旨味のある良好な関係といえるだろう。そしてユウキはつい先年、スィーズランド所属の傭兵団、それも全欧最強を謳われた傭兵団を――表現を変えればスィーズランドの傭兵派遣事業の稼ぎ頭を――、一つ潰している。いうまでもなく、ヴァルファバラハリアン傭兵騎士団である。

スィーズランドはどうやら、ヴァルファを潰した男に、その後釜を組織させるつもりらしかった。

あざといやり口といってしまえばそれまでだが、政略として間違ってはいないし、ユウキとしてもその種の考え方は嫌いではない。

多少、考える時間を必要としたが、ユウキは結局のところ、その申し出を受けることにした。

スィーズランドの戦争ビジネスの片棒を担ぐことの是非はともかくとして、まとまった数の、それも独立した戦力の頭に納まるのは、悪い話ではない。

単なる雇われ傭兵では、無能な上司や部下に悩まされることも多々あるが、自分で雇い先を選べる身分になれば、そんなことも(ほとんど)なくなるだろう。

それに…

ユウキは、この三年間、自らの副官として働いてくれたライズの顔を思い浮かべた。

傭兵団の団長となれば、人事権ももちろん彼の掌握するところとなる。上層部の意向で彼女と引き離されることもなくなるだろう。

決断が下れば、後の展開は驚くほど素早かった。

数多くの傭兵団を援助してきたスィーズランドでは、その設立のノウハウも充実している。数ヶ月のうちに、武器や当座の食料、各種の備品、資材が集められ、部隊を構成するに足る傭兵が募集に応じて集まった。

これは余談だが、このときの募集には、北部国境でユウキの部下だった傭兵部隊の面々がほぼ全員参加を希望し、守備隊の上層部が慌てふためくという一幕があったものである。

 

そして、ドルファン歴にしてD32年、八月。スィーズランドにおいて、また新たな傭兵団が産声を上げる。

団の名前を聞かれて、若い団長は傍らの副官をちらりと見やり、微笑して答える。

「白銀の月」――と。


<後書き>

 

す、すいません。えらい遅れてしまいました。おまけに相変わらず展開は遅いし。

次回こそようやっと序章の終わり。

その次に第二次パーシル会戦が始まります。ええ、今度こそ。


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