「先日、こんな事があったのだ…」
夏の終わりのある日、久しぶりに開かれた勉強会の休憩の時間に、冷たい紅茶を片手にソウシは四人の前で話し始めた。
ドルファン市街の中央、ドルファン地区はキャラウェイ通りのブティックで、ソウシは途方に暮れていた。
「何故自分はここにいるのだ…?」
ソウシは滅多に見せない表情を浮かべている。
「私に街を案内してくれるんでしょう?」
「だから何故自分が…?」
いつもはへの字に堅く引き締められた口元まで歪んでいる。
要するに、途方に暮れているのだ。
「『騎士は婦女子を守らなければならない』これって騎士道の基本よ?さっきも言わなかった?」
「むう…、何か違う気がするのだが…?」
隣りに立つ少女は、自分の体に服を合わせつつ指摘する。
ソウシは天を、天井を仰ぎ、次いでここしばらく手放したことのない一冊の本、その名も『騎士道典範』のページを捲り始めた。
ちなみにこの『騎士道典範』、かつては騎士と名乗るものならば全員がそらで内容を言えるほどに読まれていた書物だったが、今ではそこに記されている騎士の心得など完全に形骸化してしまい、読む者はほとんどいなくなっている。
ソウシが何故こんな本を始終持っているのか?そして、何故初対面の少女と一緒にブティックになどいるのか?
それは、イリハでの戦いの後のことであった…。
イリハ会戦の後、ソウシはヤングの言葉に従い、騎士になることを志すようになった。
それまでの、自分の生き方を根本から変えるような心境の変化がソウシに何故起こったのか、それは長年の相棒であるピコにもわからないことだった。
ソウシにすらそれははっきりとはわかっていなかっただろう。
だが、ソウシが尊敬していた今は亡きヤングの影響とその最期の言葉は、ソウシにとってそれほど大きく、重いものだったのである。
幸いと言うか何と言うか、イリハで「疾風のネクセラリア」を討ち取った手柄もあり、ソウシは指揮官を失った傭兵隊の隊長に抜擢されることとなり、騎士への道は開けたかに見える。
だが、指揮官となる以上はそれなりの士官教育というものが必要ということになった。
そのためソウシは、第二次徴募によって傭兵の数が増え、手狭となった養成所が拡張のための工事で一時閉鎖となり、不意の長期休暇を楽しむ仲間達に加わることも出来ずに集中講義を受けるために近衛のメッセニ中佐の所へ通う毎日であった。
メッセニ中佐は、気難しいが公正で、ソウシの目から見ても、ヤングの最期の言葉通りに尊敬に値する人物であった。
そこで、騎士を目指すことにしたソウシがメッセニに騎士の心構えを聞いたところ、『騎士道典範』という古典を読むように勧められたのである。
それから、ソウシはこの『騎士道典範』を常に懐に持ち歩き、暇ができる度に読んでいた。
連日の集中講義のためにろくに休日もないソウシだったが、その内容を一つ一つゆっくりと読み進め、ほぼ読み終えた八月の半ばのある日、ソウシはその少女に出会ったのである。
その日、ソウシは珍しく暇だった。
だが特に趣味のある方でもないソウシは、暇を持て余してドルファンの町中をぶらぶらしていた。
本当ならば部屋でゆっくりしていたかったのだが、故国のじめじめした夏とは違い、からりとしたドルファンの夏の一日を外で味わってこいと、ピコに部屋を追い出されてしまったのである。
『部屋で一日中ゴロゴロとしてないで、たまにはソフィア達の所に顔でも出してきなよ?』
「だが彼女たちは夏休みで、ロリィを除いて皆アルバイトに精を出しているはずだ」
『誰か一人くらい暇してるんじゃない?』
「…今日は確か皆仕事だ」
『…覚えてるの?』
「当然だ。ちなみにロリィはカミツレ高原へ避暑に行っている。彼女たちの予定は夏休みに入る前に聞いたからな。全て把握している」
『君って、時々妙なところが凄いね?その能力を他の方面に向ければ、夏の一日に一人きりなんて言う色気のない状態にはならないでしょうに…』
「別に問題はないが?」
『…いいから少し表に出てきなさい!最近また勉強勉強で不健康すぎるよ!』
というようなやりとりの後、街を彷徨っていたソウシだった。
だが過ごしやすいとは言っても暑いものは暑い。
何か冷たいものでもと広場の露店へと足を向けたところ、突然横合いから声をかけられた。
その声の主は、豊かな金髪をリボンで飾り付け、一見シンプルだが仕立てのよい服を身につけた少女だった。
「ねえ、貴方、サガラっていう傭兵でしょう?」
「…君は誰だ?」
自分の名前を見知らぬ少女に呼ばれ、警戒するソウシ。
だが、少女はそんなソウシの視線に全く怖じけることなく、けらけらと笑って応えた。
「やっぱり!珍しい東洋人の傭兵っていうからすぐにわかったわ。
何故私が貴方の名前を知ってたか?っていうのは簡単。貴方、イリハ会戦の英雄って事になってるのよ。結構街の噂になってるわよ、欧州最強のヴァルファの八騎将を東洋人が討ち取った、って」
「…自分は英雄などでは…」
少女の言葉に怪訝そうな、そして次の瞬間には心苦しそうな表情を浮かべるソウシ。
そのソウシを見ていた少女は、考える素振りを見せたかと思うと突然ソウシの腕をとり、そばに店を出しているアイスの露店へと引っ張っていく。
「まあ、それは余所へ置いておくとして、貴方今日暇でしょう?一日付き合って!」
唐突な少女の物言いに呆気にとられるソウシ。
だが、次に瞬間には立ち直ると、少女を振り払おうと立ち止まる。
「ちょっと待ってくれ。自分は確かに暇だが、君に付き合ういわれはないぞ」
「騎士道典範に曰く、騎士道大原則その一、『騎士は婦女子を守らなければならない』!
分かった?分かったら、今日は私に付き合ってもらいましょうか!」
このところ常に読んでいた騎士道典範を持ち出され、言葉に詰まってしまうソウシ。
そして、何故少女が騎士道典範を持ち出したのかという疑問に気づく間もなく、ソウシは街を引っ張り回されたのであった。
アイスクリームの露店にて。
「あっま〜い!このチープで大味な味付けがたまらないわ!これぞ庶民の味ってやつよね!」
「…褒めているのか?けなしているのか?
…ああ店主、別に悪気はないようだからそう睨むな」
貴金属店にて。
「ん〜…、あまりセンスが良いとは言えないわね…。これなら露天商の方が安物でもセンスはいいわね」
「そういうことをいちいち声に出して呟くのはやめた方がいいと思うのだが」
牧場にて。
「ああっ、これよ、これが私の求めていたシチュエーションなのよ!風を切って走る感触って、気持ちいいのね〜!」
「…きょろきょろせずに、もう少ししっかり掴まってくれ。馬から落ちるぞ」
中央公園、「真実の口」にて。
「指が、指がぁ〜…。五本ある」
「何だ、無事ではないか。本当に食いちぎられたのかと思ったぞ」
「…私のギャグのセンスは変だ、ってよく言われるけど、貴方も結構ズレてるわね…。
以外と気が合うのかも♪」
トレンツの泉にて。
「うきゃあ!…あ〜あ、びしょびしょ…」
「大丈夫か?手を貸すから早く上がるといい、いくらまだ熱いとは言え、そのままだとさすがに風邪をひく」
「あら、ありがと!む〜…、これはもう新しい服を買うしかないわね。さ、買いに行くわよ!」
適当に服が乾いたところでブティックに繰り出し、少女は服を買い、上機嫌で店を出た。
夏場とは言え、店を出たときには空は赤く染まり始めていた。
そして二人が最初に出会った広場にやって来ると、赤い光の中、少女は元気よく振り返った。
「サガラ、今日は付き合ってくれてありがとう。とっても楽しかったわ」
「…いや、こちらこそ。自分もいい気分転換になった」
ソウシの応えに少女は微笑みを浮かべた。
下からソウシの顔を覗き込むように上体を前に倒してころころと笑う。
「ふふっ、そう言ってくれると、私としても嬉しいわ。なんだかはしゃいじゃって、迷惑かけちゃった気になってたから」
ひとしきり笑うと、少女はまたくるりと軽やかに身を翻し、ソウシから離れていく。
「じゃ〜ね〜!サガラ。またそのうち逢いましょう!」
「ああ」
もうそんなこともないだろうが、と思いながらソウシは答えた。
考えてみれば、自分は彼女の名前すら知らない。
元気よく動き回る彼女に圧倒されて、そんなことを気にする暇もなかったのだろう。
そして自分も帰ろうとして宿舎へと向かおうとしたソウシの背中に、広場の向こうから少女の声が投げかけられた。
「サガラ!貴方、良い騎士になれるわよ!私が保証してあげる!
でも、騎士道典範を鵜呑みにするんじゃないわよ、それは騎士道の一つに過ぎないんだから!」
貴方の騎士道を見付けなさい、そう言い残して、少女は去っていった。
その言葉はソウシの心に、何故かくっきりと焼き付いた。
「俺の騎士道、か…」
今日は有意義な一日だった、最後にそう思いつつ、ソウシは今度こそ宿舎へと帰っていった。
「…という訳なのだ」
「…お兄ちゃんの浮気者」
夏休みの間のことを聞かせて、と言われて話したはずなのに、ロリィに冷たい目で睨まれたソウシは、その妙な迫力にのけぞってしまった。
「くすくす…」
「ぷっ」
ソフィアとハンナが、そんな二人を見ながら含み笑いを懸命に堪えている。
「ロリィ達がいない間に、そんなどこの誰とも知らない人と浮気してたのね」
「浮気…?」
なんのことだ、と言いたいが、ロリィの視線に気圧されて固まってしまうソウシ。
「アハハハ…!ソウシ、こうなったらロリィの機嫌を直す方法は一つだよ」
頬を膨らませたロリィに困り果てたソウシは、レズリーの言葉に飛びついた。
「どうすればいいのだ?」
「お詫びに、デートしてやればいいのさ!
さて、ソフィア、ハンナ。ソウシが奢ってくれるそうだから外に出るとしようか」
レズリーの言葉に、相変わらずソフィアとハンナはくすくす笑いながら椅子から立ち上がり、ロリィは機嫌をよくして元気よく椅子から降りる。
「あ、じゃあ、ロリィはお兄ちゃんの新しいリボン選んであげる!」
反射的に反論しそうになったソウシだったが、ふと何かを思いだしたような顔つきになると、苦笑しながら黙って自分も立ち上がった。
ドルファンの夏はそろそろ終わりにさしかかり、秋がやってこようとしている、その一日のことだった。
コメント
キャラが完全に一人歩きをしてしまいましたが(苦笑)、この『少女』書いてて楽しいキャラになりました。
いずれ再登場のあかつきには、どう動いてくれるか楽しみです。
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