「ねぇ、詠利君、聞いてるの?」
「あ? あぁ」
隣の少女に腕を引っ張られて、鹿宮詠利こと統和機構の合成人間シーカーは我に帰る。
最近はいつもこんな調子だった。少し寝不足気味なのだ。合成人間の中には不眠不休で活動できる奴も多いが、彼の体はそんなに便利にできてはいなかったし(もっとも、それでも一般の人間と比べれば遥かに長い時間活動できるが)、そうなりたいとも思わなかった。
まどろんでいる時間の、あの幸せな気分を奴らは知らないのだと思うと、優越感さえわいてくる。
「詠利君?」
「ああ、ちゃんと聞いてるよ」
「本当に?……でね、その看祢ちゃんていうのがね……」
名前すらはっきりと覚えていない少女の話を適当に聞き流しながら、シーカーは街をぶらついている。
もともと、流行もしないグループ交際の頭数合わせでクラスメイトに無理矢理誘われて、話だけしてさっさと帰ろうと思っていたのだが、どこをどう間違えたのか、訳もわからぬままカップルが成立してしまい、じゃああとはバラバラに、ということになっていた。
シーカーのクラスメイトは最初からそのつもりだったらしく、別れ際に「がんばれよ」などと励ましの言葉など頂いてしまった。
まぁ、こんな休みもいいかな。
「あ、そうそう。この辺りに新しいお店ができたんだって。女の子に人気なのよ。行ってみない?」
「ああ、いいよ」
少女に連れられてしばらく歩いていくと、シーカーの耳に、クラシックと思われる調べが流れ込んできた。
「ニュルンベルグのマイスタージンガー?」
「すごぉい。詠利君って、音楽詳しいの?」
「まぁ、たまたま知ってた曲だよ」
「そうなんだ。それでね、このニュルなんとかって曲がそのお店のテーマ曲?そぉいうのなんだって。ほら、あそこ」
少女の指さす方向を何気なく見て、シーカーは何を疑うよりもまず自分の正気を疑った。
『アンティークショップ・ぴあ不気味堂』
どこぞの廃工場から無断でかっぱらってきたような錆まみれの鉄板になぐり書きされているのが店の名前だろうか。およそアンティークなどというやわらかな雰囲気とは対極に位置するその看板は、当然のごとく周囲から浮きまくっている。
そして、その看板のついている建物というのがこれがまた、どう好意的に見てもほったて小屋、正直な感想を述べればベニヤ板の集合体といった代物だった。
「……あれ?」
「そうだよ?」
震えたりしている指で指し示した物体がどうやら目的地のようだった。
女の子の考えていることって、わからない。
奇しくも、シーカーは年頃の少年の考えそうなことを心に思っていた。
その時、シーカーが感じたのは殺気だったろうか。反射的に少女の前に立ったシーカーの腕に、細いワイヤーが巻き付く。
「なに!?」
強い力で引かれて、シーカーはたまらず地面に倒れた。そのまま物凄い勢いで引っ張られていく。
後ろで少女が何か叫んでいたが、それどころではなかった。腕がちぎれそうだ。
遠くに行きかける意識を無理矢理引っ張り戻してワイヤーの出所をさぐると、そこには黒々と口を開けたぴあ不気味堂の入り口が。
「なんでだぁぁぁぁっ……」
叫び声とともにシーカーはぴあ不気味堂に飲み込まれた。 彼の背後で扉が錆び付いた音をたてて閉じる。
「ぴあ不気味堂へようこそ」
その声には聞き覚えがあった。何度忘れようとしても忘れられない、あの謎の変人の声だ。
「……ブギーポップ」
「名前を覚えていてくれたとは光栄だね、合成人間君」
そういってそいつは店の奥の暗闇からにじみ出てきた。筒のような帽子も、白い顔も夜色のルージュも前に見た時のままだ。
ただ一つ違うとすれば、今回は手にもった箱から突き出たハンドルをぐるぐると回転させていることぐらいだろうか。
「そりゃなんだ?」
「これかい?」
そう言ってブギーポップがハンドルから手をはなすと、今まで鳴り響いていた音楽のテンポが急に失速し始め、やがて止まってしまう。
ブギーポップが回転を再開すると、音楽がまた鳴り出した。
「今時手動式かよ」
「……電気代も馬鹿にならなくてね」
どこか遠くを見つめるブギーポップ。しかし、手の動きは休めない。
ぐるぐる。
「……で、おまえこんなトコで何してんだ?」
「僕の仕事もある程度の、資、金がひつよーにな、る?ということー」
だんだん会話がおかしくなっていくのは、会話に集中して回転させるのが遅くなったのを元に戻そうとしているからだ。だが、回転に意識をもっていくと、会話がおろそかになる。
「ぼ、くは自動ぅー的、なんだけーど、なぁ」
さっきから、音楽は遅くなったり速くなったりしていて、とても耳障りだ。
「やめろそれ」
「そーいう、わ、けにはいか、あ」
ぽきり。
あまり変なふうに回し続けたので、ハンドルがもげてしまった。音楽が止まる。
ブギーポップはそれでも残っている柄の部分を指で回そうとしてみたりしたが、やっぱり無理だった。
気まずい沈黙。
「……えい」
ブギーポップはただの箱になってしまった物体を地面に叩きつけると、何度か踏んだ後横に蹴飛ばした。
何事もなかったかのように会話を再会する。
「この帽子もマントも、そして武器も。無料というわけにはいかなくてね」
「……ほほう、それで」
シーカーは辺りを見回す。
「今時の女子高生が鉄の処女を買っていくのか」
「イミテーションだが、実用に耐え得る強度は持ち合わせている。これで15万円はたいへんお買い得だ」
「実用させんな」
「時に」
ブギーポップのその言葉で周囲の空間がはりつめた。
「ブギーポストを破壊して回っているのは君か?」
「……もうばれたのか。まさか本当にあるとは思っても見なかったが」
それがシーカーの寝不足の原因だった。
「やはり君は世界の敵のようだな」
「いや、俺としては市街の平和を全力で守っているつもりなんだが」
「前回は逃げられたが、もう逃がす訳にはいかない」
シーカーの言葉に耳をかさず、ブギーポップは数歩後ろへ下がった。
「お前の中で前回の記憶がどうなっているのか、じっくり聞きたいんだが」
聞く耳もたず。
「ついに、このぴあ不気味堂の真の姿を見せる時がきたようだ」
「話を聞け」
ブギーポップは店の奥に隠してあった、チープなデザインのレバーをこれみよがしにシーカーに見せつけた。
「これが僕の最新兵器、『不気味時空発生装置』だ」
「だから人の話を……って、え?」
どこからともなく、謎の歌が聞こえてくる。
不っ気味キミ、とっても不気味、ブ〜ギ〜
不っ気味キミ、とっても不気味、ブ〜ギ〜
ぶーきーみ嫌いは弱虫毛虫、あぁあ〜……「……また、こういう若人おいてけぼりのネタを……」
「不気味時空、発生」
脱力するシーカーをよそに、ブギーポップはレバーをONにする。
とたんに周囲の景色が一変し、ブギーポップとシーカーはどことも知れぬ空間に立っていた。
壁も、空もない、異常に広い空間。
「これは……」
「これが、歪曲王の能力と炎の魔女の財力を利用してつくった不気味時空だ。この空間にいる限り、ぼくの能力は通常の約100倍になる」
「それって、お前が悪者だと自覚したととっていいのか?」「つまり、君の負け確定」
「話を聞けよ……」
ブギーポップは手にしたワイヤーをぎりぎりと絞ると、一歩一歩シーカーに近づいていく。
「さらばだ、合成人間君」
大きくジャンプ。
びよーん。
「……ジャンプ力100倍」
見えなくなったブギーポップを追うのをやめて、シーカーはこのふざけた空間から出る方法を探し始めた。某月某日、シーカーの定時報告
「本日、再度ブギーポップと接触。奴の監視レベルをSにすることを要求する」
「発見次第即抹殺?理由を述べよ」
「……むかつくからだ」
シーカーの要求は受理されなかった。