会うは……/倉田俊輝・1
あれから、僕の周りの世界がどう変わったわけでもない。僕、倉田俊輝(くらたとしき)は、少し前まで自分の世界に閉じこもっていた。
比喩表現ではない。僕は本当に自分だけの世界を創ることができた。僕が『箱庭』と呼んでいた、僕だけがルールの世界。
そこは、寝起きのまどろみのように心地よい世界だった。そこで僕は、一人の少女の人形と恋愛のまねごとをしていた。
……あの人が、ブギーポップがあらわれなければ、僕はずっとあの世界にいたままだったかもしれない。
結局、僕は箱庭から抜け出した。あれから、僕の周りの世界がどう変わったわけでもない。
いや、僕にとって悪くなったかもしれない。
しばらくの間行方不明だった僕に対して、親も教師も冷たかったし、帰ってきてから告白した本物の少女には案の定ふられてしまって、「友達でいよう」と言ったわりには、気まずくてろくに声もかけられない。あれから、僕の周りの世界がどう変わったわけでもない。
でも、僕はほんの少しだけ変われたと思う。
女の子がうずくまっていた。
年は僕より少し年下ぐらいだろうか。気の強そうな顔をしているが、今はその顔は苦しみに歪んでいて、ぎりりと食いしばった歯の間から、つらそうに浅く短い呼吸を繰り返している。
夕暮れの大通りの通行人たちは、そんな彼女をちらりと横目で見て、そして何事もなかったかのように通り過ぎていく。
みんな忙しいのだ。自分のことで手一杯で、人のことをかまっている余裕なんかない。
誰だってそうだと思う。例えば、朝新聞で知らない人の死亡告知を見たとしても、一日中暗い気持ちでいることはない。
その対象がたとえ目の前にいたとしても、すこし後ろめたいだけで、ほんとうにそれだけだ。
文明社会というのは、他人を見殺しにすることなのかもしれない。
僕たちには、他人を助ける義務もなければ責任もない。助ける理由がない。
ひょっとしたら、苦しんでいるのは彼女の悪戯かもしれない。そう考えてみると、苦しみかたがわざとらしく見えないこともない……
でも、もしかしたら。
僕は最近、そのことに少しだけ疑問を持つようになった。
助けて欲しい時に助けてもらえないのは、本当に悲しいことなのだ。
人が助けて欲しがっているというのは、それだけで人を助ける理由にならないだろうか?「君、大丈夫?」
女の子に声をかけるのは、やっぱりそれなりの勇気を必要とした。元々得意でもなかったが、ふられてから女の子と話すのが苦手になったと思う。
汗もかいていたようだったので、声と一緒に近くの自動販売機で買った缶ジュースを差し出した。
女の子のつり目がちの瞳が僕を見た。
余計なことをしたかな、と思って胃のあたりがきゅっと痛くなった。やっぱり、自分のやっていることはただのお節介なのかもしれない。
すぐに女の子の表情が少しだけ和らいで、「ありがとう」と言ってくれなかったら、僕は走ってこの場を逃げ出しただろう。差し出したジュースを半分ぐらいまで飲んで、僕に返してきた。僕はそのジュースを飲むわけにもいかず、彼女が落ち着くまでぼーっとつっ立っていた。
立ち上がると、彼女の身長は僕より頭一つ分ぐらい小さくて、どうやら中学生のようだった。まぁ、僕の高校の風紀委員長はこの女の子よりもさらに背が低いのだが、彼女は特別な部類だろう。
「ホントにありがとう。おかげで助かったよ」
あきらかに年上の、それも初対面の僕に敬語も使わずに言った彼女の言葉に腹が立たなかったのは、きっとその言葉使いがとても似合っていたからだろう。
「いや、僕はたいしたことはしてないよ。本当に大丈夫? まだ少し苦しそうだけど」
「あなた、いい人だね」
不意に、女の子にそう言われて僕は顔が熱くなった。
「こんな時じゃなかったらつきあってあげたかもしれないけど、ごめんね」
「えっ!? いや、僕は……」
「今、人を探してる途中なんだ。今度あったらその時はつきあってあげるよ。じゃあね」
しどろもどろになった僕の横を、少しふらふらしながら女の子はすり抜けていく。
その瞬間に、僕は彼女の手を握っていた。
放っておけなかった。彼女が、今にも消えそうだったから。
「その探している人って、君を創った人?」
僕にはこの女の子が幻なのだと、なぜだかわかってしまったのだ。御厨亜希子(みくりやあきこ)と、女の子は名乗った。