変な少女と二人暮しの利点:……Cats on mars
変な少女と二人暮しの欠点:世話をしなければならない敬一は今日何度目かのため息をつきながら、そんなことを考えていた。
結局放っておくわけにもいかず、二人で家に逆戻りした。学校は完璧に遅刻だ。一限の数学教師のねちっこい顔を思い浮かべながら、暗然たる気持ちになった。
汚かったのでとりあえず風呂に押し込んだのだが、あの翼のせいで着替えがない。しかたなくTシャツやらワイシャツやらにハサミを入れたりした。これもまた、敬一のテンションを低下させる原因になった。
そして今、諸悪の根源は居間でどこのものとも知れない言葉で訳のわからない歌を歌っている。
我ながら、もうちょっと混乱してもいいと思う。あの翼は本物だ。「飛べないけどねぇ、あはは」などと本人は言っていたが、そういう問題ではない。なぜ自分がこんなに冷静でいられるのか、不思議だった。
「あ、そうだ」
唐突に歌をやめ、諸悪の根源がとてとてと走り寄ってきた。翼のせいでバランスが悪いと思うのだが、器用なものだ。
「まだ名前聞いてなかったねぇ」
にっこりと微笑んで、そんなことを聞いてきた。
にこにこ。
これは、答えるまで離してくれない。直感的にそう思う。
「……坂崎敬一」
「けーいち。ふーん」
なにか気に入らないことでもあるのか?
「お前は?」
「はぇ?」
「お前の名前だよ」
ああ、とぽんと手を打つ。
「わたしの名前」
「そう」
「ないよ」
まったくどうでも良いことのように、少女はにこやかに言った。
「失敗作に名前を付けるほどヒマな所じゃなかったんだなぁ、これが」
同情するべき所なのだろうが、本人がまったく気にしていない様子なので、タイミングを逸した。
「……不便だな」
そんな言葉しか出てこなかった。
「そうだねぇ」
沈黙。
「ツバサ、なんてどうだ」
「つばさ?」
少女は不思議そうに自分の背中に生えた翼を見て、敬一を見る。
「なにが?」
「お前の名前。……悪かったな、安直で」
恥ずかしくなって、ぷいっと横を向く。
少女は自分を指さして、やがて、ぽんと手を打った。
「ああ、わたしの名前」
「……他のを考えよう」
だが、少女は首を横に降って、敬一に向かって笑いかけた。
「つばさでいいよ。ありがとう」
その顔を見て、敬一は彼女の笑顔を初めて見たような気がした。そんなはずはない。こいつは最初からへらへら笑っていた。
なんだかここにいるのが恥ずかしくなって。唐突に立ち上がる。
「……学校行ってくる」
「留守番、してていい?」
「勝手にしろ」
そう言って、早足で玄関から出ていく。
「いってらっしゃぁい」
その言葉を聞いた時、敬一は初めて彼女を連れてきてよかったと思った。
一瞬だけだが。
「……いってきます」