坂崎敬一の生活は幸せに満ち溢れていた。born Legend
人を愛することがこんなにもすばらしいものだとは知らなかった。自分の愛する人がそばにいるというその事実だけで、本当に毎日が充実していた。
そして、つばさの毎日は苦悩に満ちていた。
自分に「愛している」と言ってくれる人の心が偽りだと、誰よりもよく知っていたから。
統和機構から逃げ出した時もそうだった。処理される寸前、彼女は力を使ってしまった。
つばさを愛してしまった男は、命がけで彼女を逃がした。
最後まで笑顔だった。
その笑顔が頭から離れない。
自分の力は、なんと汚らわしいのだろう。人を愛するという尊い思いを弄ぶ。
そう、まるで悪魔のような力。
雨の中、泣きながら灰色に染まった世界をさまよって、やっと自分にふさわしい場所を見つけたのだ。
ごみの山の上に横たわり、そっと目を閉じた。このまま死んでしまおうと思った。こんな思いをするくらいなら、あのまま処理されてしまったほうがよかった。
人から愛される力を持つが故に、人に嫌われることを何よりも恐れた少女は、偽りの愛に耐えられなくなって命を捨てた。
あのとき敬一に会わなければ、きっとそのままゴミの一つになっていたのに。なんで敬一に会ってしまったのだろう。
なんで人をすきになる喜びを知ってしまったのだろう。
なんで、なんでそれを自分で壊してしまったのだろう。
なんで。
人の心を弄んだ罰なのだろうか。
だったら神様。けーいちは関係ありません。あの人をこれ以上不幸にしないで。
つばさの祈りに応えるものは誰もいなかった。
雪が、世界のすべてを真っ白にしてしまった日。
「どうしたんだ?こんなところで」
学校から帰った敬一はつばさを屋上で見つけて、そっと抱き寄せた。
驚くほど冷たい。
「はやく部屋に戻ろうぜ。お前最近顔色特に悪いだろ?」
やさしい言葉をかけられればかけられるほど、つばさの心はひび割れていく。つばさはそっと、だが力一杯敬一を押し退けた。
「つばさ?」
「あのねけーいち。今日はとっても大事なおはなしがあるの」
つばさは笑っていた。それは、とても虚ろな笑いだった。
「ぜんぶ、うそなの」
「嘘?」
そう、ぜーんぶうそ。
敬一の側をゆっくりと離れていく。
「けーいちがわたしのこと愛してるって言ってくれるのは、ぜんぶうそ。わたしがそう言ってくれるようににしたの」
すごいでしょ?
もう、手をのばしても届かない。
「つばさ……、なにを言って……」
「わたしね、人間じゃないの。悪魔だから。わたしのことなんて忘れちゃったほうがいいよ」
雪よりも冷たい笑顔。
一生懸命頑張ったけど、そこまでが限界だった。つばさの瞳に感情が戻ってしまう。
こぼれ落ちた涙が雪をとかす。
「ごめんね。ごめんね。ごめんね……」
それでも、近寄ろうとする敬一を必死で拒絶する。
それが、自分にできる最後のことだと思ったから。
「さようなら」
振り返って、つばさは戦慄した。
いつからそこにいたのだろう。
真っ白い世界の中で、彼だけが異質だった。
黒い帽子に黒いマントのそいつは、じっと二人を見下ろしていた。