声が、出ない。そして死神は幕を開ける
(助けて……、誰か助けてっ)
もう、走ることも出来ない。
(誰か、誰か、だれかっ)
後ろから歩いてくる影は、わざと追い付かない。
(恐い恐いこわいコワイ……)
足がもつれた。「おや、もう鬼ごっこは終わりかい?」
立ち上がることができない少女にゆっくりと追い付いた影は、涙でぐちゃぐちゃになった彼女の顔を覗き込みながら、囁くようにそう言った。
ぜは、ぜは、ぜは、ぜは……
暗闇に少女の荒い息遣いだけが響く。何も言えない。何も考えられない。
ただただ、恐怖。
暗闇の世界には、少女と影の二人しかいない。
他には誰も、何も無い。
死神の住まう屋敷に迷い込んでしまったのだと、少女は思った。
「これは」
影は、暗闇を切り抜いたかのようなマントをばさりとはためかせ、芝居がかった素振りで両手を広げた。
少女が自分の姿に脅えるのを愉しむかのように。
「君が望んだことではないのかな?」
「そ、んな……」
喉の奥から絞り出すように、やっと声が出る。かすれた、囁きよりも小さな声は、しかし影には届かなかった。
少女の顎をつかみ、影はぐっと顔を近付ける。
その顔は真っ白だった。血が通っていない。
どす黒い唇がからかうように、さげずむように歪んで、笑った。
「君は、ブギーポップに殺されたいと望んでいたのだろう?」
ブギーポップ。それは、女の子の間だけに伝わる死神の名前だ。
人がもっとも美しい瞬間に現れて、それ以上醜くならないうちに殺してしまうという。
確かに、そう望んだこともある。だが、それは……
「ち、が……」
「違うのかい?」
少女の顎をつかむ手に力が込められる。ぎり、ぎりという、耳障りな音が頭の中に響いた。
骨がきしむ音など、少女は生まれて初めて聞いた。
痛い。
痛いのに、恐いのに、何故自分は叫ぶことも出来ないのだろう。
「現実逃避でしか無かったのさ。つらい現実から逃げ出したくて、しかし、いざ現実になるとそれからも逃げ出そうとする」
めきり
「がっ、あぁっ」
顎の骨が砕けた。
「君はその程度の人間だ」
影は少女から手を放す。
くぐもった呻き声をあげながらのたうちまわる少女を見下ろしながら、影はナイフを取り出した。
「そんな人間は世界に必要無い」
振り上げる。少女は、その切っ先から目を逸らすことが出来なかった。
「世界の敵だ」
振り下ろした。