「……………………」
「……………………」
 食事が終わり、桜と藤ねえが一足先に家へ帰ってから。
 俺と遠坂はいまだ食卓で顔を付き合わせていた。
 重苦しい沈黙を、遠坂の一言が静かに破る。
「……とりあえず。
 偶然、だけはないことが証明されたわね」
「――――なんでだよ」
 薄々思っていたことを遠坂に言われ、なんとなく理由を聞いてみた。
「たしかにセイバーとよく似た顔の人は、世界中を探せばどこかにいるかもしれないわ。
 アルトリア=ペンドラゴン、って名前の人だって探せばいるでしょうね。
 でも、その2つの条件が同時に満たされる確率なんて、天文学的数字どころの話じゃない。
 ましてそんな人が、この時代の冬木市に現れるなんてね。
 実際にはありえない事が実現する。それを人はなんて言うのかしら」
「『奇跡』――――」
「言葉としては陳腐だけど、そういうこと。少なくとも偶然だけでここまで条件が揃うとは思えないわ」
 最も消極的な可能性を打ち消した遠坂は、そこまで言うとまた黙ってしまった。
「でも……それじゃあなんで、ここにセイバーがいるんだよ。
 あいつは自分の時代に帰ったはずなんだぞ」
「…………それなのよねー…………」
 遠坂は背をのけぞらせ、宙に視線を漂わせた。そのポーズのまましばらく固まっていたかと思うと、急に背筋を戻して俺に指をつきつける。
「いくつか考えられるわ。
 まず、まったくの偶然である可能性」
「……今、それはないって言わなかったか?」
「天文学的数字よりはるかに小さいけど、可能性がゼロでない以上は可能性よ。まあこれは言ってみただけ。
 あとは、彼女がサーヴァントである可能性」
「待った、それはない。聖杯は間違いなく破壊されたはずだ。
 俺はこの目で見届けてるし、セイバーの令呪だってもうない」
 彼女との絆を意味していた令呪は、三つとも使い切った後に跡も残さず消えていった。
 寂しいと思うのと同時に、未練も残さず消え去る彼女らしいと清々しい気持ちにもなったものだ。
「別に冬木の第五回聖杯戦争に召喚された衛宮くんのサーヴァントとして、なんて言ってないわ。
 聖杯戦争のサーヴァントシステムと似た物をどこかの誰かが作ってて―――あるいは真似て、英霊を召喚するシステムを創り出したのかもしれない。
 彼女がそうやって召喚されたアーサー王って確率はもちろんある」
 ただ、と遠坂は言葉を切った。
「そうなると、わたしも知らない魔法じみたシステムがまだ冬木の地にあるか、そんなとんでもない事ができる魔術師が冬木にいて、しかもなぜか苦労して召喚した『セイバー』を学校に通わせている……ってことになっちゃうのよねえ……」
「そんなとんでもない事なのか? セイバーを召喚するのって」
 俺にできる事なんだから、システムがしっかりしていればそれほど難しくないのでは。
 そういうつもりで呟いた言葉に、遠坂のギロリとした視線が返ってきた。
「ええ、とんでもない事よ。たしかに衛宮くんはセイバーを召喚した。でもそれは聖杯というとんでもない力のバックアップと、セイバーの鞘という触媒があって初めて成功した事なの。
 つまり、術者がたよりない場合はどこかにそれを補うだけの魔力や魔術アイテムが必要になる。それを残らず隠せるという話はあり得ない。大きな力ほど隠そうとすれば痕跡が残るものだしね。隠す必要もないほど小さな魔力ばかりじゃ、そもそもセイバーは召喚できない」
 それもそうか。術者だけが微力でも、その周囲に大きな魔力があっては遠坂が見逃すはずがない。
「そんな大量の魔力や奇跡を消費して、やってることが学校に通わせてますって、あんまり考えにくいわ。召喚者の意図がわからないもの。
 まあ何らかの目的があって学校に召喚者ともども忍び込んでる―――って可能性もあるけど、今のとこ学校に不穏な動きはないしね」
「じゃあこの可能性もバツか?」
「偶然よりは高いけど、偶然よりも納得いかない可能性ね。
 あとは、彼女がセイバーの生まれ変わりである可能性」
 遠坂は机にひじをついてあごをのせる。
「人は死ぬと魂を浄化され、生まれ変わる。だったら元はセイバーの魂を持つ人間、生まれ変わりが現代にいたっておかしくない」
「いや、それはおかしいぞ。それじゃあの子がセイバーそっくりな説明にならないじゃないか」
 たしかに生まれ変わりは存在する。魔術師の中には生まれ変わっても自分の記憶や経験を存続させることによって不老不死に近い生を得た存在もいたと聞く。
 でも、普通の生まれ変わりなら生前に持っていたものは何も受け継がれない。当然外見もだ。今の両親の遺伝子を組み合わせた、親に似た子供として生まれてくる。
 もしも生まれ変わった来世でも外見が似ているという法則があるのなら、俺は前世も今と同じ外見だったことになる。否定する要素は何もないけど、はっきり言ってあり得ないと思う。
「そうね。人は転生すれば外見も変わる。仮に今、わたしの両親の生まれ変わりに会ったって、きっとわたしですらわからないわ。
 でも、セイバーは普通の人間じゃない」
「まさか…………」
 アーサー王。その名は今もイギリスの誇り。遠く極東のこの地まで轟く名声。
 偉大な功績を残した者の行く末は――――
「セイバーが……英霊になってるって言うのか」
「無理のある話じゃないと思うけど。
 セイバーは自力で英雄と呼ばれる存在になった。偉大な功績を残した存在は、人であれ物であれ英霊として奉られるって話はしたわよね。
 ―――でもそれなら、あの『セイバー』は本体の分身という事になる。普通の英霊と同じにね。それは生まれ変わりじゃなくて、さっきのサーヴァント召喚に分類されるわ」
「……??? 遠坂、言いたい事がよくわからないんだが」
 生まれ変わりで、英霊かもしれなくて、でも生まれ変わりじゃない??
「うーんと、つまり…………
 セイバーは聖杯を求めて、自分から英霊になったでしょう? でもその聖杯を、彼女は放棄した。その時点で世界との契約は切れている事になるんじゃないかしら。
 契約が切れているから、セイバーは英霊にならない。とはいえアーサー王は偉大な功績を残しているから、英霊になる素質は十分あった。だからセイバーの魂が、輪廻の輪からおかしな外れ方をしたのかもしれない。たとえば、普通に転生するんじゃなく、元のアーサー王のまま転生する―――とか」
「……ずいぶんこじつけに近くないか?」
「ええ、こじつけよ」
 今イチ理解できず、負け惜しみぎみに言った言葉を、遠坂はあっさり認めた。
「って、こじつけなのか!?」
「はっきりしたことはわからないもの。もし彼女がセイバーの生まれ変わりだったとしたらこうなのかもしれない、っていう仮定の話。
 そもそもあの子がセイバーだっていう証拠すらないんだから」
 ばんざい、と遠坂は両手を上げて降参のポーズをして見せる。
「なにせ言ってる事がバラバラなのよ。
 もしあの子が『セイバー』だとしたら、桜がセイバーかと聞いた時にイエスと答えるはず。でも実際はノーと答えたらしいわね。
 とはいえセイバーであることを隠したいなら、アルトリア=ペンドラゴンなんて名乗りっこない。
 真名を知ってるわたしたちにだけ気づいてほしかった、ってのもペケね。それなら昼間、わたしたちから逃げる理由がないんだから。そして逃げる理由がないっていうのは、彼女が赤の他人の場合でも一緒なの」
 全くわからない、と首を振って、遠坂は敗北宣言をした。
 負けん気の強い彼女にしては珍しい事だったが、それくらい不可解という事なのだろう。
「じゃあ、やっぱり――――」
 彼女がセイバーなのかどうか。それを知る手段はひとつ。
「そ。直接本人に接して確かめるしかない、ってこと」
「……………………」
 ぞくり、と体の芯が冷える。
 なぜだかひどく空気が寒くなったように感じた。
「…………。やっぱり士郎も怖い?」
 遠坂はわずかに目を伏せて、ぽつりと呟く。
 ……へ?
「怖い? なにがさ?」
「そりゃ…………」
 言葉を飲み込む遠坂。
 その言葉は相当苦いものだったのだろう。彼女の顔に苦渋が滲む。
「……なんでもないわ。
 ともかく明日から、じっくり調べましょ。とりあえずは遠くからの観察ね」
「なんでだよ。直接聞けばいいんじゃないのか?」
 俺の素朴な疑問に、遠坂は心底疲れたように大きなためいきをつく。
「一応言っておくわよ衛宮くん。彼女に会っても、絶対に『セイバーか?』なんて聞いちゃ駄目」
「え!? なんだそりゃ!」
 聞かずにわかるはずがないじゃないか!
「決まってるでしょ。もしもあの子が一般人なら、『セイバー』の説明ができないからよ」
 …………?
 わけがわからない。なんで『セイバー』の説明ができないんだ? 簡単なことじゃないか。
「あのね。貴方、何も知らない一般人の留学生相手に、聖杯戦争だのサーヴァントだの説明するつもり?」
「…………あ」
 言われてみればそのとおり。事は明日学校で問い詰めればすむという問題ではなかった。
 彼女がセイバーならば話は簡単だが、そうでない場合は後のことも考えなければならないのだ。
 セイバーとはなんだ、と逆に問い返されたら、俺たちは聖杯戦争の事を抜きにしてうまく説明する術を持たない。おまえはアーサー王の生まれ変わりかと訊ねて、笑わず聞いてくれる一般人がどれだけいるだろう。
「じゃあ、それで決まりね。こっちでも別の手段で調べてみるから。
 それと、向こうが何も言ってこないかぎり、こっちも知らないフリよ。違う人だった場合、彼女を混乱させることにもなるし」
「ああ。それは仕方ないだろうな」
「それじゃ今夜はこれで」
 軽くあいさつをして遠坂は立ち上がり、居間を出ていく。
 その背中に、どうしても気になっていたことを問いかけた。
「なあ遠坂」
 遠坂は黙って立ち止まり、先を促す。
「もしもセイバーだったとしたら…………
 あいつ、なんで逃げたんだろうな」
「……さあね。それこそ本人に聞いてみなくちゃわからない」
 当たり前の事を、しかし遠坂は背中を向けたまま淡々と口にし、俺の返事も待たず出ていった。去り際に見た顔からすると、あいつも色々と考えたい事があるのだろう。それは俺も同じだ。
「――――――――」
 一人取り残されて、静寂の中で考える。セイバーが俺から逃げなくてはいけない理由を。
 しかしそんなもの、いくら考えたところでこれっぽっちも浮かんできやしなかった。










 今日も秋晴れの空は気持ち良い青に澄み渡っている。
 夏からこっち、風も涼しさを増し、これからは肌寒くなるだろう。今が一番いい時期だ。
 だからかもしれない。この時期を選んで文化祭をやるのは。
「もう。こんな時に限って呼び出すなんて、綾子ったら」
「仕方ないだろ。弓道部を手伝うのは前から約束してたんだし」
 遠坂と二人、弓道場へと足を向ける。
 いつのまにやら弓道部と新主将の桜の手伝いをするという約束をしていた俺たちは、弓道部前主将の美綴に呼び出しを受けていた。ついでに言うと、俺も美綴も文化祭実行委員である。この呼び出しは断れない。
 が、遠坂はどうにもおかんむりだ。
「せっかく昼休みのうちに、少しでもあの留学生の情報を掴もうと思ってたのに」
 プリプリと活火山のように怒る遠坂は、今ではこれはこれで味があるなーとすら思える。しかしそれも自分に被害がかからないうちであって、活火山の最も近くにいる人間は溶岩に飲み込まれる運命なのだ。
 被害がこちらにこないうちに、沈静化を試みる。
「そう焦るなって。別に逃げるわけじゃないだろ」
「逃げるわよ! 昨日あんだけ逃げられて、まだ逃げないって言うのアンタは!!」
 がーっと遠坂は凄い勢いで怒鳴る。
 大魔人降臨。しまった失言だった。
 そうではなく俺たちの前から早々姿を消すことはないだろう、というつもりだったのだが……いや、どうなんだろう。
 言われてみるとたしかに、遠坂が焦るのもわかる気がした。留学生なんて最低でも一ヶ月くらいはいるもんだろうと思っていたが、昨日の彼女の様子からすると予定を切り上げて帰ってしまうこともありうるのではないか。
 もしも彼女の故国まで逃げられたら―――
「遠坂、じゃあやっぱり、」
「早くセイバーなのかどうかわからないと落ち着かないでしょ。だからできるだけ早く調べたいのよ」
 …………なんだよ。真実がわからなくなるからじゃなくて、自分の気持ちのためか。
 しかし美綴に協力するというのは前からの約束だ。あの子がセイバーかどうか調べるのも大切だが、あいつと約束した事を簡単に破ると後が怖い。
「仕方ないわ。放課後まで調査はお預けね」
 遠坂はそう言うと、気分を切り替えるように首を振った。艶やかな黒髪がさわさわと揺れる。
 残念だがしょうがない。放課後なり明日なり、また機会は訪れるだろう。
 話しているうちにもう弓道場の目の前に来ていた。
 先を歩いていた遠坂が扉に手をかけながら、中に来客を報せる。
「こんにちは。美綴さん、お招きありが――――――――」
 そのまま声も動きも固まった。
 なんだ? と思いつつ、中を覗くと。
「――――――――」
 …………理由がわかった。嫌というほど。


「おー、いらっしゃい二人とも。待ってたよ」
「お時間いただいてすみません、衛宮先輩。遠坂先輩」
「…………………………………………」


 快活に朗らかに迎え入れてくれる美綴。
 恐縮しながらも俺たちが手伝いに来たからか嬉しそうな桜。
 そしてもう一人。
 道場に差し込む陽光に、キラキラと輝く髪を持つ金髪の少女。
 それは――――まぎれもなく昨日の、セイバーそっくりな少女だった。


「ん? どうしたの二人とも。入りなよ」
 美綴の声で我に返る。さすがに昨日よりは俺も立ち直りが早い。
 できるだけ不自然にならないよう、しかしどうにも体の節々にぎくしゃくした感覚を残しつつ、三人に近づいた。
「えーと。どうだ。弓道部の出し物、正式に決まったのか?」
「うん、それなんだけどねー。生徒会に提出した通り、演劇をするのはもう決まってるのよ。
 でもさ。あたしたちって演劇部じゃないわけだから、そんなのが演劇やってもつまらないじゃない?」
 そこで、とおおげさに身を乗り出す美綴。
「何かひとつ目玉を作りたいと思ってたところに、間桐が昨日転入ホヤホヤの留学生を連れてきてくれたってわけ」
「話を聞いたら小さい頃から武術の心得があるらしくて、剣舞ができるそうです」
 美綴の後を桜が継ぐ。二人の視線はあと一人―――金髪の少女に注がれていた。
 二人の視線を受けて、コクンと頷く少女。
 桜が俺と遠坂、少女の間に座り直し、彼女の方を向く。
「えっと、衛宮先輩と遠坂先輩には、昨日お話しましたよね。彼女がうちのクラスに来た留学生の、アルトリア=ペンドラゴンさんです。
 アルトリアさん。この二人はわたしと美綴先輩の知人で、衛宮先輩と遠坂先輩です」
「はじめまして。アルトリア=ペンドラゴンです」
 簡潔な自己紹介。その声に思わず息を飲む。
 いつかも聞いた凛とした声が。あの日、月光の中から現れ、俺に問い掛けた記憶が蘇る。

『問おう。貴方が私の――――』

 ――たしかに、骨格が似ていれば声が似るのは当然なんだけど。
 まさか、こうまで彼女に似てるとは――――
 少女は緑色の視線で射抜く。俺と、そして遠坂を。

「よろしくお願いします。衛宮先輩、遠坂先輩」

 ――――――――その、声で。
 かつてとは違う呼び方で、俺たちを呼んだ。
 思わず顔がこわばるのを自覚する。隣の遠坂も急に表情が消えた。
 いきなり固い顔になった俺たちに、少女は不思議そうな顔をする。
「どうかしましたか?」
「えっと……アルトリアさん。悪いんだけど。
 わたしたちのことは、下の名前で呼んでもらえるかしら」
「下の名前で? しかし私は貴女たちの後輩です。それは無礼に当たるのでは」
「気にしなくていいから。わたしも衛宮くんも、貴女を下の名前ファーストネームで呼び捨てるわ。
 だから、代わりに貴女にも下の名前で呼び捨てにしてもらいたいの」
「――――――。そこまで言うのなら。
 これでよろしいですか、凛、シロウ」
「………………………………」
 彼女がその名を呼んだとたん、今度は遠坂が顔をしかめた。
「――遠坂? 衛宮もどうしたんだ」
 美綴が不安そうに呼びかける。……って、俺も?
「俺、どうかしたのか」
「どうかしたって……二人とも、なんか様子ヘンだよ。体調でも悪いの?」
 いつも人の弱みを見つけると愉しそうなあかいあくまの親友が、神妙な面持ちで聞いてくる。
 それだけ俺たちの反応がおかしいと感じているのだろう。
 見れば桜もおろおろと、心配そうな顔で俺と遠坂を見比べている。
 そしてくだんの少女も。
「…………、………………」
 何か言おうとして飲み込んだ。その表情には戸惑いの色が濃い。
 遠坂の要望通り下の名前で呼んだのに、なぜもっと俺たちの顔色が悪くなってしまったのかわからないといった様子だ。
 ――本当にわからないのだろうか?
 だとしたら、彼女は――
 しかし真実はどうあれ、俺たちの反応が場の空気を悪くしてしまっている。このままではよくない。
 注意をひくため遠坂に声をかけた。
「………………遠坂」
「そ、そうね。――ごめんなさい三人とも。気にしないで、なんでもないから」
 ふう、と憑き物を落としたように大きく息を吐き。遠坂が仕切り直す。
「それで、えっと? どこまで話したんだっけ?」
「アルトリアさんに剣舞をお願いしよう、ってとこまでよ。演劇の中に入れようと思って。
 演劇がつまらなくても何かひとつ面白いものがあれば、見る人も満足するんじゃないかって」
 美綴が中断していた話を思い出させてくれた。そういえばそんな話だったな。
「で? 俺たちは何を手伝えばいいんだ? 大道具作りか?」
「ああ、衛宮はなんか看板作りとか得意そうよね」
 けらけらと笑う美綴。なんで知ってるんだこいつは。
「手伝ってくれるっていうんならぜひお願いしたいけど、他にもあるのよ。
 藤村先生から聞いたんだけど、衛宮って確か剣道もやるのよね?」
「少しだけどな。言っとくが、藤ねえよりはずいぶん弱いぞ」
 あの人はああ見えて、冬木の虎と恐れられた逸材だ。二十代半ばで五段の腕前を持つ人はそういない。
 対していくら物凄い師匠についたとはいえ、期間はたった数日、それも聖杯戦争からこっち自主トレしかできない俺とでは、まだ比べるべくもなかった。
「それでいいよ。衛宮にはあたしと一緒に、アルトリアさんの演技指導にあたってもらいたいから」
「演技指導?」
「うん。彼女がやってたのは、人に見せるための剣舞ってわけじゃないらしくてさ」
 そりゃそうだろう。人に見映えよく見せる事を前提に剣を振るうならば、それは剣術ではなく踊りの類だ。
「だから誰かが離れて見て、もっとこうした方が映えるんじゃないかっていう指導をするの。それには少しくらい剣道の心得があった方が、体の動かし方とかわかるでしょ」
「そうか。別に構わな―――」
「あの、そのことなのですが」
 突然涼やかな声に割り込まれ、つい体が竦んだ。
 ええい情けない。俺はこれから、こいつが何か身動きするたびに、こんなふうに固まるというのか。
 自らを叱咤して一瞬の硬直を解く。そして声の主の方を振り返った。
 俺が時間をかけてそこまで行き着く間、美綴は何の気負いもなく相手に話しかけている。
「どうかした? アルトリアさん」
「はい。先程お話をいただいた時も思ったのですが。
 もしや私は一人で剣舞をするのでしょうか?」
「そのつもりだけど」
「それはあまり得策ではありません。できれば誰か一人、相手が欲しいところです。
 ――シロウ、良ければ貴方に」
「え、俺!?」
 突然の提案に仰天した。
 これには美綴や桜も意外だったらしい。小さく目を見開いて俺たちを見ている。
 少女はズイ、と身を乗り出して、俺を口説きにかかってきた。
「はい。私が学んできたのは相手を倒す剣術であり、舞踊ではありません。
 ですから一人で宙に向かい剣を振るう、という経験はないのです」
「でも素振りとかはしないのか?」
「むろん訓練では行います。ですがそれでは動きが単調になってしまう。
 相手が、それも多少は剣術の心得のある者がいれば、動きはより複雑になります。そちらの方が見映えはするでしょう」
「うーん…………」
 腕組みをして美綴は考え込む。その表情はいくぶん難しい。
 美綴が心配していることはわかる気がした。
 俺を相手に剣舞をするということ。それはすなわち、俺も舞台に上げなければならないということだ。
 はっきり言って、俺にはそんな芝居っけはない。黙って立ってればいいというだけの容姿もない。美綴はそう判断しているのだろうし、その評価は極めて正確だ。
 しばらく小首をかしげていた美綴の顔が、ふいに正位置に戻った。
「あのさ。じゃああたしが相手役でもいいんじゃない? 衛宮より……腕が立つかはわかんないけど、衛宮よりは舞台度胸があると思うし」
「いっ、いえ、それは困りますっ」
 なぜか慌てて手を振る彼女。なんでさ?
「え、どうしてよ」
「あの、それはっ、その…………。そ、そう、やはり僭越ながら、剣舞の主役は私ということになるのですよね?」
「うん、まあね」
「そうしますと、ええと……相手役というのはあまり光の当たらない役になってしまいます。前部長という花形の役職にいた人物にそのような事をさせるのは忍びないと言いますか」
 少女は取り繕うように言葉を繋ぐ。まあなんとなく言ってることは理解できるが。
「―――シロウ。ですから貴方にお願いしたいのです」
「うぅん…………」
 少し考える。さすがに頼まれて簡単に頷ける問題じゃない。
 これはつまり、俺も一緒に舞台に立つことを受けるか否かである。美綴が劇の中でどう剣舞を出すつもりかは知らないが、もしかすると少しくらいは芝居も覚悟しなければならないのかもしれない。
 むろん、問題はそれだけではない。
 この少女と剣舞をする。セイバーそっくりのこの少女と。
 今はそれを考えるだけで胸がざわめく。落ち着かない気分になってしまう。正直なところ、どう接すればいいのかまるでわからない。
 悩んでいると、桜がおそるおそる声をかけてきた。
「あの、先輩……? 嫌なら断ってくださって結構ですよ。引き立て役なんて無理にお願いするものじゃありませんし……」
 とはいえ剣舞が盛り上がらなければ、桜も困るだろう。なにせ桜は弓道部部長。この劇の責任者だ。
「――――いや。やるよ。
 やっぱり相手がいるといないとじゃ、打ち込み方も違うだろうし」
 芝居に関しては全く自信がないのだが。
 もし………もしもこの少女が『セイバー』なら。
 いくらあの当時は手加減されていたとはいえ、剣を受けるのは俺しかいないような気がしたからだ。
 俺の答えを聞いて、
「ありがとう。とても心強いです」
 少女は淡く微笑み、


「―――シロウなら、解ってくれると思っていた」


「え――――――――?」
 今…………?
 なんて…………言った?

 呆然と彼女を見つめる。
 少女はそんな俺の視線から逃れるように顔をそむけ、
「しかし桜。先程も言いましたが、私には芝居の経験などまるでありません」
「あ、それは大丈夫です。ですよね、美綴先輩」
「うん。アルトリアさんと――あと衛宮の出番は、できるだけ少なめにするから。二、三個ぐらいはセリフしゃべってもらうけど、基本はその剣舞だけね」
「そうですか」
 安心したと息をはく少女。三人が会話する間、ずっと彼女の顔を眺めていた。
 今の一言。何気ない一言が、身体の神経すべてを思考回路へと変えてしまった。だというのに臨時の思考回路も本来の思考回路も、まったく働いてくれやしない。
 忘れられるはずのないその一言は、おそらく『彼女』にとっても印象深い一言のはずで。
 …………だから少女がこの言葉を口にしたことが、にわかに信じられなかった。
 やがて遠坂がこっそりと耳打ちをしてくる。
「衛宮くん。何をそんなに驚いてるのか知らないけど」
「――――――――」
「顔、洗ってきなさい。……貴方の顔、泣きそうよ」




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